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30.虎々婆(ここば)(1/2)

 死者二千四百八十三人、重負傷者四千三百五十七人、軽負傷者二千七十三人、まったくの無傷で帰路を辿るのは九十人にも満たない。馬も千頭連れた内の五十四頭しか残っていない。まさしく天地を揺るがす大激戦にも関わらず、人の身でここまで人外を圧倒したのは前大戦を上回る成果だった。生きているものは自分でも生きているのが不思議なくらいで、実は本当は死に掛けていて、ふと気付けば実は死の淵であえでいるのではないかと勘違いしてしまうほどだった。彼らの殆どは志願兵であり、妻子ある身はほぼ極秘扱いとなっての出陣だった。中には遠い蝦夷の国から志願しながら、戦場に骨を埋めてしまった者もいた。しかし死んだ者も、一生の不具者となった者にも、それは誇れる戦だった。人の身で人外の神を打倒したのだ。出陣前に記した彼らの名、死者は英霊として名を連ね、生者は豪傑として身を正した。

 兵どもが夢の跡。大将を倒したが故に、残った人外達はその指揮官の補佐に従い全面降伏を受け入れ、今後人外の一切が限られた境界を越えない事を誓い、またその神域を侵さない事も人間からも誓う証文を交わした。人外の生息域は大きく狭められたが、頼光は内緒で温情を見せて、『闇殺舎の管理する村落において、人の姿形をし、またそれを人に覚られずに生活するのであれば良しとする』と言う『政霊村管』などと言う約束までも勝手に証文の隅に載せてしまった。それを後から知って「頼光様はよくよく命知らずですね」と貞光は呆れながら皮肉を漏らしたとか。無論、人外に対して余計で不当な圧力を与えれば、後がどうなるか分かりませんぞ、と日頃から坂田が昇殿の際に公家を脅しておいたのでどうにかなるだろうと言う目論みと最高権力者の道長が気楽に「了承」と言ってくれそうな気配はあったのだが。


 勝利者達の静かな凱旋である。北大路側の街道からひっそりと、それでも負傷者を抱えての行軍である。国家機密の大戦争をしておきながら、それでも秘密と言うのも可笑しいが、極力宮中を含め、下々の民を動揺させないと言う配慮だった。

 都の手前、途中に待機していた薬師や医師が総出となって負傷者を看た。彼らを一時その場に残すと、馬に乗って頼光と四天王は内裏を目指した。

 宿直のために、いつ侵攻するとも知れない人外に怯えながら起きていた近衛の見廻りが彼らに気付くと、喜び勇んで早馬で各公家と天皇陛下に戦勝を告げた。あまりの喜びに宿直が誰も居なくなったので、頼光と他の四人が宿直したと言う。


 翌朝、一番に彼らの前に立ったのは道長だった。


 彼らに会って一番、あろうことか、現政権でのほぼ最高権力者が頭を下げた。

「?! 道長大殿!」

「この礼は」

 道長の重々しい声が五人の動揺を鎮める。

「この礼は、そなた達の功績と今までの刻苦に捧げるもの。それは人の身で語るにはおこがましいほどの苦行を成し遂げた。それに対しての礼である。そして、それに従じた、そなた達への信頼の証である」

 すっと道長の背が伸びる。

「大儀であった。さぁ、我が君がお待ちしておられる。昇殿なされ」


 我が君、それは現人神(あらひとがみ)たる懐仁(かねひと)親王、俗に言う現政権の真の権力者、一条天皇の事である。実際の政治の運営を司ったのが藤原道長であるなら、一条天皇はその権力を与えた立場にあたる。実際、彼らは道長が叔父、一条天皇が甥に当たる関係である。


 いや、それでも彼らの立場は対等ではなく、それ以前に彼と道長には絶対的境界がある。現人神とは読んで字の如く人の姿をした神である。例えその身に力は無くとも、神足る神性の発露は悉く人を凌駕せしめる。

 それだけに及ばず、一条天皇は英明の人と伝えられている。先代、先々代と続いた二人は物狂いの節があり、それを度々摂政関白を付け狙うものにつけ込まれたが、一条天皇はそう言った点では逆であり、むしろ心情優雅で思いやり深く、かと言って情に流されすぎる事もなく、節度を備えていた。詩歌管弦の道にも通じ、学問にも草子が深い。また政治的な駆け引きも上手く、有能な道長を関白でなく左大臣に止めているのは権力の均衡化などの目論見があったのだろう。云わば、一条天皇は完璧超人である。


 御簾越しに分かる輪郭。その影に向かって四人は拝礼する。


「諸君、面を上げ給え。諾子女房、御簾を挙げよ。本朝を救いし、英雄の面を拝謁したい」


 厳かな声と共に御簾が掲げられる。

 眉目秀麗。当時の、まるで運動をしていない貴族にしてはすっきりとした面構えが現された。流石竜顔と称されるだけの美男である。


「この度の戦功、本朝八百万の神々の子孫、懐仁の名を持って礼を申す」

 再び、畳に五人は擦り付けるように頭を下げた。

「諾子女房、私の笛を」

「ならば、私は鼓を打ちましょう」


 その言葉に厳かな雰囲気と共に清少納言の手で小さな笛、宮中に伝わる名笛、大水竜(おおずいりょう)が一条天皇に、鼓が道長に掲げられた。

 静々とそれを受け取ると、その小さな笛に相応しい、緩やかで澄み渡る音が流れた。

 それに乗せるかように鼓が一つの音を拍子として、笛との合奏を見せる。

 どちらも宮中で美に拘る人の出す音色である。笛の途切れる事のない音と、鼓を打った直後の僅かな無音が雅な音を作り出していた。


 聞き惚れていた面々の間から、静かに金太郎が立ち上がった。

 獣が狂いだしたのか? 残る四人は驚愕した直後に、金太郎は腰元に差していた扇を開き、舞を見せた。


席田(むしろだ)の 席田の 伊津貫(いつぬき)川に や

 住む鶴の 住む鶴の

 千歳(ちとせ)()ねてぞ 遊びあへる

 千歳を予ねてぞ 遊びあへる」


 祝宴の席でよくよく歌われる席田と言う民謡を雅楽用に編曲した催馬楽(さいばら)と言うものである。美濃国席田郡の伊津貫川で鶴が千年の栄華を謳うと言う歌である。


 それは以前、近衛として公時が歌と共によくよく舞っていた音曲だった。


 音に合わせ、武の達人が見せる舞。獣にして人、人にして英雄が見せる仔細で優美な舞は神々しく、美しい。

 獣が翼を羽ばたかすかのように無拍子で諸手を広げて跳び、驚異的な、天に浮くように静止。再び歌にある千年の幸福を囀る、晴天を浮かぶ鶴のように舞う。日々の激烈な訓練によって鍛えられた呼吸で、大地に音を下ろすような深い声が宮中に響く。

 いつしか、綱も自らの竜笛を取り出して吹き出す。緩く高い音が天上へと端掛かる。

 四重奏となってその美を四人が表現する。


 遠い別の宮の蔵人達も、公務に疲れていた筆を止め、その音に聞き惚れていた。それは瞳を閉じれば、美濃の鶴が舞う風光明媚な景色を想像させる事は容易いものだった。


 残る秀武と貞光の二人は血迷って謡い出そうとする頼光を必死に止めていた。




 金太郎が翼を、扇を閉じると同時に、幻想的な空間が内裏の清涼殿へと戻る。


 笛の音には暗示を引き起こす波長があると言うが、それを差し引いても見る者、聞く者の心を振るわせる音曲だった。




「その者、名は?」

 金太郎は先ほど立ち上がった時と同じように、雅に音も立てずにふわり坐す。

 公時の教えた完璧な礼を調教された獣のように淡々とこなす。

「源頼光の朝臣の郎等、相模国足柄山の生まれ、四天王の南が増長天、坂田 金太郎にあります」

「おぉ、坂田公時の子か! そちの父は腕利きにして、魂太く、器量ある臣下であった。もう老い、あのような傑物は出ぬかと(ちん)は憂いていたが、そなたのような若人が本朝に居るならば国家は安泰であろう」

 喜色円満の笑みを浮かべて、転じてそこから一条天皇は思案顔となった。

「そういえば、お主。金太郎と言う事はまだ幼名であろう?」

「は、恥ずかしながら」

 本来、元服したと同時に新たに付ける名があるのだが、公時が「未熟者にはまだ早い」と付けるのを中々に渋ったのである。今更ながら、あの爺、と金太郎は胸の内で毒づく。

「ふむ、では……。護国の士足る者に、こう言っては何だが『坂田』では名の力が足りん。そうだな……、妖の国と人の国の境を定めし国士無双、坂田に代わり『国定』の氏を授けよう」

「はっ」

「さて、名だが……。国定、御主の父はまた別と坂田公時より聞いた。して(まこと)の父殿の名は?」

 一瞬、自分の名が現時点で変わったのだと気付かずに流しかけるが、頼光に促されて、再び金太郎は堂々と答えた。

「亡き父の名、同じく亡き母によれば、時仁(ときひと)と伝え聞きます」

「時仁! 奇しくも我が名と一字違いか」

「ははっ、ご縁がおありかと存じます」

「そして、やはり、金の字は名に遺したいだろうか? 戦場へと赴き、帰ってきた名であるからな。成る程縁起も良い」

「はっ、出来るのであれば」

「ふむ……」

 長考。

 英明の権力者が与えた文字は、

「よし、【金】の字、【東】に赴き、【錬磨】した技を揮う。その忠孝、【仁】を持って(さぶろ)うて表す『錬仁』と名乗るが良い。今日より、お主は護国の雄、四天王の増長天 坂田 金太郎を改め【国定 錬仁】とする」

 彼のこれからの千年を共にする名だった。




「納得出来ん!」

 物凄い音を立てて、肘立てに拳を下ろされ、砕かれる。

 名づけからしばらくして、辞令を受けてから頼光の家へ帰り、自分の部屋で金太郎、もとい錬仁は怒っていた。

 突然、呑むぞ! と首根っこを捕まれて付き合わされた秀武は、綱に「こう言う怒りを静めるのはお前が適任だ、それじゃ」と勝手に一人で押し付けられ、「な、何が起こったのですか?」とうろたえる貞光に押し付けると、今度は流されて一緒に怒り出してとんでもない方向に行きそうなので、「やっぱりこう言う役は俺一人かよ!」と仕方なく貧乏くじを引いていた。

「ったく、金太郎、まだ怒っていたのかよ?」

 先ほどから秀武は酒樽から(あぶら)と呼ばれるやたら濃い酒を注いでぐびぐびと呑んでいた。

「金太郎ではない! 俺はもう錬仁だ! まったく! 秀武は悔しくないのか? あれほど戦功を立てた云うのに即日、闇殺舎の縮小を命じられたのだぞ! 憤る事を通り越して呆れて、また怒りが溜まってきた!」

「しょうがねーだろーが、戦もねーのに大規模な軍備を無理に維持して意味ねーだろ? 代わりに闇殺舎の所属者には位田二町に、戦没者の家族には位封二戸分を国司から五年間も配当されるんだぞ? 参議のぐーたら親父達も貰えないような高給なんだぞ?」


 位田とは全収穫の五分の一が自らのものになる田であり、位封は位田などから徴収した玄米を配給される、云わば貴族の給料にあたるものである。

 秀武の言った通り、通常は国家の上級権力者でしか持ち得ない高給中の高給である。むろん、普通は五十町や百戸と言った大きな形で配給されるのだが、それでも何の位の無い者達が持つにしては破格である。簡単に言えば、住所不定無職の暴力団達に五年間国がただ飯を食わせるようなものである。


「しかし、それにしても突然過ぎる!」

 取り留めのない怒り方に秀武は舌打ちをしたが、嘴が黄色い錬仁に権力者の目の上のたんこぶになる可能性があろう、闇殺舎の政治的意義などを説明しても分からなそうなので止めた。

 代わりに溜息を吐いて、錬仁を諭す。

「とにかく決まった事で頼光ちゃんも了承してんだろ? お前、頼光ちゃんが考えも無しにそれを承諾すると思っていんのか? え?」

 光の名を出すと流石に錬仁もむっとした顔をしつつも、「それは……」とそれっきり押し黙ってしまった。

「お前、さっきからぐちぐち五月蝿ぇけど、本当は頼光ちゃんから離れるのが嫌なだけだろ?」

「んな! そ、そ、そんな事無いぞ!」

 しかし秀武は、錬仁が闇殺舎を縮小される事よりも憂いている事があるのを余裕のよっちゃんで知っていた。それは『四天王制度の解体』、つまり、光から四天王は離れろと言う命令だった。

 それは、五年後、禄、給料を失った後に山賊化する可能性がある闇殺舎の所属者を監督するためであり、同時に地方での未だ反発のある人外の小競り合いに対抗するために東西南北にそれぞれ派遣されると言う意味合いもある。それよりも、只でさえ恐ろしい牙を持つであろう光の手足を、部下の力をもぎ取る作戦でもあった。道長としては有能な随身(護衛)として彼らを光の下にいる者として更に召抱えたかった。だが、流石にそれをすると道長は一条天皇を含めて宮中全体から個人として持つには強過ぎる軍隊を備える事となり、逆に非難、そして彼の政権を揺らがせる原因へと成りかねないので、彼らを京内に留めるのを良しとしなかったのだ。

 それ以外にも色々と小難しい政治事情はあるのだが、錬仁の頭では理解させようとすれば混乱するだろうと思い、秀武は留めた。

「とにかく頼光ちゃんを信じろよ。それにずっと離れ離れって事もないだろ? 会いたきゃ何時だって馬飛ばして行きゃいいだろうよ。それに道長の旦那が執り成してくれりゃあ、まぁ、五年くらいすれば京に戻れっだろうよ。それにどうしても頼光ちゃんと一緒に居たいんなら手はあるぞ?」

「あるのか?!」

「あぁ、孕ませて、自分の嫁にしちまらびゃはっ!」

 錬仁の拳が顔面に直撃して部屋の外へと飛び出させられる。

 秀武は鼻血を出しながら部屋の中に足音を立てて戻る。

「殺す気か!」

「そのつもりだった! 何だその脈絡の無い考えは!」

「馬鹿か貴様は? 俺が何の考えも無しに言う訳無いだろう?」

 垂れる鼻血を自らのしくじった歌を書いた紙を胸元から取り出すと鼻をかみ、丸めてその辺りに捨てる。

「良いか? 頼光ちゃん、もとい光ちゃんは知っての通り、まぁ、年齢的にも適齢期ギリギリの女の子だ。加えて風の噂に寄れば、兄貴の『本物』の頼光殿の病状はこの場に及んで回復しているとの事だ。いずれ、二人は『入れ替わる』事は想像が付く。頼光として活躍していた光ちゃんはただの女房に戻る事になる。そうすれば、地位も何もかも剥奪される事は目に見えている。例え腕っ節は強くても、冠も何もかも剥ぎ取っちまえば、光ちゃんだって女の子だ。たぶん、今の状況から考えれば、『女が闇殺舎、戦の大将だった事を隠す』ために寺に閉じ込めておく出家か地方に流す都落ちの二つに一つにされるはずだ。でもな、お前は違う。『源頼光に仕えた四天王の一人』である事は変わらない。だから、都落ちするかもしれない彼女を守る事が出来るはずじゃねーか、と言うことだ。それを要約すると既成事実作って孕ませて誰も知らない田舎で暮らせばいいだろって話だ」

「いや、要約し過ぎてそこまで考えが回らないだろ普通」

 呆れる金太郎に、はんと反対側からまだ垂れる鼻血を手の甲で拭い、啜りながら、酒を口に含む。

「それは手前が子供なだけだ。石頭の貞光はともかく綱あたりだったらさらりと優雅にやっちまうだろうよ」

「止めろ、お前が『やっちまう』とか言うと下品に聞こえるから止めてくれ」

「この……、俺様がガラにもなく真面目に話しているっつーのに茶化すなよ」

「で、……その、何だ。いつ、その……、け、けけけけ結婚の事を言えばよいのだ?」

「ん? 何、錬仁、いや金太郎ちゃま、錬仁様はぁ、女の子に今すぐに告白出来ない程、玉が縮んで怖気づいちゃったんですかー?」

 弾と言う音と共に立ち上がる錬仁。

「お前、俺がその程度の事が出来ない男だと申すのか?」

「なんだよ、出来るのか子供んちょ」

「言ってくる。吼え面かくなよ、山賊もどき」

「だからもどきじゃなくて元だっつーの、早く行け」

 廊下をのし歩く獣に向かって嘆息し、まったく、お膳立ても大変だぜ、と策士は人心地と同時に酒を煽った。




「だめだ。緊張する……」

 有ろう事か、光の私室の前で躊躇して頭を抱えていた。

 胸の鼓動は錬磨をしている時よりも高まり、酒を呑んでいる時よりも紅潮している。

 意を決して入ろう、そうした時。

「金ちゃん」

 聞き慣れた柔らかい声を聞いた。

「……相模、どうしたんだ?」

「はい、公時様が話があるそうです」

 何故か心持緊張した顔のまま、相模はそう言った。

「爺が?」

「はい、死期が近いそうなので、今の内に話がしたいと」

「俺だけにか?」




 床に伏せているのは、過去、鬼を倒した豪傑でも、四天王を導く指導者でもなく、ただの枯れた老人だった。痩せ細った身体に、唯一覇気のある独眼が錬仁を射抜いていた。

「国定 錬仁か。陛下から良い名を貰ったな」

「あぁ、悪いけど、坂田の名は継げない」

「どうって事はない。この坂田公時、後にも先にも儂一人で十分だ」

 身体を走る痛みと喉を鳴らす浅い呼吸、それでも剛毅な笑みを老人は浮かべた。

「綱は息災か?」

「相変わらず、飄々としてやがる。ありゃ柳か暖簾だ」

「ふん、そうか。あやつの武才は古今東西においても肩を並べぬものだ。何か武で行き詰れがあれば、あやつに訊け。そして貞光は糞真面目か?」

「あの性格は直りそうにない。だが最近、何故か妙にぼぅとしているが、秀武曰く『こいの病』らしい。何だそれは、何処の風土病だ?」

「自分で調べい。そうか、あやつも岩にも色がつくようにようやくなったか。で、秀武の怠け者はどうした?」

「俺の部屋で今酒を呑んでる」

「真面目にしろと言っておけ。あの馬鹿がその気になれば、大陸の先まで物に出来る将の器だ。その内に儂ら武が政権を握る世代が来るはずだ。その礎を作れ、と言っておけ」

「指揮能力が無いが?」

「それを補うのも策士の才だ。怠けずに考えて、最良の一手を打つように言え。そうそう、最後の囲碁は儂は負けたとは思っておらんぞ」

「秀武よろしく碁盤をどさくまに紛れてひっくり返しておいて良く言うぜ」

「相手の勝ちがなければ負けもないわい。さて、貴様の事だが、『相模』をよろしく頼む」

「……はっ?」

 何故、そこで相模の名が出るのか? 彼には皆目検討がつかなかった。

「今更の話だが、彼女は……、源高明の娘と為平親王との娘だ」

「げ、それは……」


 源高明は安和の変以前の左大臣だった人物である。一条天皇に負けず劣らず、村上天皇と言う平安時代を象徴する帝から厚い信頼を受けていた有力者の一人だった。しかし、その事件当時、村上天皇は崩御され、関白太政大臣に藤原実頼、左大臣に源高明、右大臣には藤原師尹が就任した。また皇后安子の父で右大臣だった藤原師輔の娘を妻として親交があったが、既に亡くなり、源高明は宮中で孤立しつつあった頃合だった。そして天皇の地位には憲平親王(冷泉天皇)が即位した。しかし、冷泉天皇にはまだ子がなく、その冷泉天皇はかなり精神状態を患う事が多かった。そのため、遠からず世代交代がある事が見越された。次の世代の候補は村上天皇と皇后安子の間の皇子である冷泉天皇の同母弟の為平親王と守平親王であった。そして、為平親王の義父が源高明に当たる。細かい事を挙げれば錐が無いが、とにかく冷泉天皇が退いた後、どの天皇が就き、誰がその外戚、つまり操り糸の主になるか、と言う政治合戦が裏で色々と行われていたのだ。年長の為平親王が東宮となることが当然視されていたが、実際に東宮になったのは守平親王であった。

 むろん、順当に考えれば面白くないのは右大臣の藤原師尹である。あの手この手を回し、人と人外の境界にあった大戦の代理脚本として利用する名目を持って、藤原氏に対抗する源氏の政治勢力を同時に潰したのである。

 為平天皇を擁立し、東宮となった守平親王に対抗するために東方で謀反を起こすと言う代理脚本が師尹の間で組まれ、源高明は嵌められた。

 左馬助源満仲と前武蔵介藤原善時が中務少輔橘繁延と左兵衛大尉源連の謀反を密告した。源満仲、頼光の実の父親である。武だけでなく政治力に優れていた彼は、貴族に対する自らの武士の地位を確立するため、京で源満仲と武士の勢力を競っていた藤原千晴を陥れる策もあったのだ。

 つまるところ、政治家である源高明は地位を失って、藤原師尹が左大臣の地位を受け、武士の源満仲が京の荒事の専門家として地位を築き、藤原千晴が失脚すると言う、源藤の文武交代みたいな話なのだ、と錬仁は当時の一部だった頼光からその話を説明を受けていた。

 本当は関白である同じ筋の藤原実頼を内部抗争で蹴落とす予定だったのが、とばっちりを受けて、蹴落とされたのは源高明だけになったのが真相のようだ。

 源高明の館は、彼と彼の息子の流刑後に何者かに放火され、彼らの一族は何もかも失ったわけである。

 ちなみに藤原師尹は左大臣の地位を得た後、半年も経たずに病気で死んだらしい。源高明の生霊、また代理脚本の影の妖が祟ったのだと言われたとか。


「つまり、源 相模がここに居るのは?」

「頼光様の罪滅ぼしのつもりなのだろう。父親がめちゃくちゃにした人生を償ってやるつもりなのだろうよ。だがな、源満仲様がお亡くなりになり、頼光様の地位が危うくなる今、何も後ろ盾の無い相模は行く宛ても無くなるのだ」

「…………」

「頼光様、もとい光様なら道長様の愛護も受けている上に大丈夫であろう。四天王も帝より直々に信頼を得ている。だが、この家で何も後ろ盾が無いのは相模だけだ」

「何故、俺に……」

「仲自体が良いからな。貴様も相模が嫌いではないだろう?」

「あぁ、そうだが……」

「それに相模も好まざれば、貴様の事をいつまでも世話をする必要もないだろうさ。現に気立ても家柄も良いからな。道長様のみならず、後朱雀天皇の皇女祐子内親王に出仕しないかと言う話もあったが悉く断ったそうだ。その理由が分かるか?」

「いや」

 錬仁の中では言い知れようの無い気持ちが鬩ぎ合っていた。自らの心に強く残る光と自らを影から支えた相模。

「相模は『金太郎の傍に居たい』と言ったのだぞ。儂の心残りは彼女だけだ。貴様が誰に対してどう考えているかは分からん。だが、残される者がいると言う事を貴様に伝えたかった……」

「…………爺、いや、坂田公時殿。俺は、何がどう出来るかは分からない。ただ、俺は、女性を泣かしたくはない」

 昔の母のように、居ない父を人知れず嘆く姿。

「難しい顔をするな。貴様に話したのは間違いだったかもしれないな」

「いや、むしろ光栄だ。きっと、言われなければ、俺は気付かないままだった。貴殿は、良い教師だよ」

「……そうか」

「うまく、俺に何か出来るかわからないけど、精一杯やってみるよ」


 公時は動かない。

「爺、後は任せろ……」

 布団に横たわっていた男の身体が少し軽くなったような気がした。




 心には二つの錘。

 光の象徴たる彼女に、影から支えた彼女。

 心の天秤はゆらゆらと傾き続ける。

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