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27.頞听陀(あただ)(2/3)

 ――別幕


「【予測】するなら、亡霊どもは確実に頼光の軍と戦うだろう」

 闇の中、なお暗き底で、安陪 晴明は言い切った。

 彼の前には闇の中でもなお赤い、極彩色の衣を羽織った食人騎『あるでひど』が座って対峙をしている。

「それは何故ですか?」

 彼の世界のどろりとした、飲み物とは思えない緑色の液体を口に含みながら、あるでひどは聞き返す。

「単純な事だ。彼の性格上、草木も分けて何よりも早く戦場を目指すだろう。進路上、そこには大量の兵士の駐屯した陣地が目の前にある。好戦的な彼はどうするだろうか? 答えの示唆となる情報はこれだけで十分だろう」

「なるほど、『彼らに最も近い』からですか」

「そう言うことだ。まず、手近な彼らに亡霊達は襲い掛かるだろう。明日、明後日が一番厳しい戦いになるだろうな。明日は空の読みによれば、雨気を含んだ霞が月に掛かっている。雨、しかも豪雨と見たかな」




 ――本幕


 雨が降っていた。

 視界を塞ぐ雨、そして何よりも雨が厄介なのは足場と矢筋を狂わせる事である。

 日本は湿気を多く含みやすい大地のために泥沼のような大地へとなりやすい。そうなれば、足自体の大きな鬼や、足どころか体が四~五倍ある龍の方が接地面が多いために安定性が高いのは自明の理である。

 そして、それ以上に人側で深刻なのが弓矢である。矢には矢筋を整えるために羽が付いている。それは雨を含む事で濡れ、羽の形と重さを狂わして精妙な矢道から外れるのだ。羽自体が生きて羽ばたくならまだしも、そこまでの妖術を使う事が出来ない、もといそれだけの術を数多くの矢に施せないのだ。

 彼らの拳や鉤爪の届く距離の前に事を終わらすが最も効率的である。そのため、古来から遠い間合いから攻撃手段を持つ弓の上手を揃える事は戦では必要不可欠だった。そのため、古来では弓の上手を『弓執り』と呼び、敬われていた。

 その弓矢が非常に使いにくくなるのが雨と云う天候だった。雨用の、蝋や多少の油を羽に施した矢もあるが、本当に僅かなものである。後四百年後の戦国の世であれば、そう言った商品を提供する商人が現れるが、残念ながら現段階ではそこまでの文明の高さを日本は有していなかったのだ。


 そう、古代人の戦においては雨は大敵なのである。


 雨がしとしとと覆う中、綱と光は先日布陣を敷いた林の影から人外の兵団を覗いていた。

「……やはり、視界が悪いな」

「雲の翳り、滝のような雨のせいですね。少し様子を見るのも必要でしょう」

「どちらにしろ、敵もそれで何らかの襲撃をしてくるだろう。それほど待てるものではない」

 光が獣道に待たせていた彪凪に乗り、馬首を巡らせようとして、不意に落馬しかけた。

 それ自体は非常に珍しい事だった。

 雨に濡れた足を乗っけるための(あぶみ)から足自体を滑らせるにしろ、それは武人であれば殆どないことである。

 だが月に何度か、武人であるはずの光がそう言った激しい運動をしない日を決めて避けており、それでも人外討伐のため、その日に出兵した際には、四天王と後数名が分かる程度の身体の鈍りがあったのを綱は思い出した。

「大将、まさか……?」

「違う。水気の冷たさで古傷が痛んだだけだ。安心しろ。私は大丈夫だ」

「ご自重ください。この戦には我らが四人が支えます。頼ってください」

「まるで坂田みたいな爺くさい口調だな。だが、困難な時こそ陣頭指揮が指揮官に必要だ」

 そう気丈に振舞って光は言うが、よくよく見てみれば、兜と髪の生え際の間に不自然な程多い汗を掻いている。

「しかし」

「もう良い。私とて私の体調は理解しておる。……それと、金太郎には言うな」

「誰もそんな事は聞いていませんが?」

「……いくぞ、布陣と戦術の確認を行う。歩兵十二支の各百人長と騎馬の千人長をそれぞれ櫓の傍らに呼ぶんだ」

「はっ」




「まったく頼光ちゃんも頑張るねぇ」

 雑木林と巧みに同化され、隠された櫓から秀武は味方の進軍を眺めていた。

 彼らの進軍は大規模にも関わらず、同種の人間でなければ見極められないほどの静かな進撃である。通常大部隊であれば、その察知は容易いものだが、隠行に長けた彼らは歩兵の歩みは少なく、騎馬の音は小さく感じさせる事が出来るために、実際に運用する兵数よりも圧倒的に少なく感じさせる事が出来るのだ。

 簡単に言えば、突然二百かそこらだと思われた兵が森林から出た途端に十倍にも膨れ上がるのだ。

 戦術に置いての基本は、敵の少ないところに敵よりも多い兵を用いて制するのが肝要である。故に、少ないと思われた所に突然大兵力が押し寄せれば、圧力に抵抗する術もなく瓦解するのである。しかし、戦術の一つとして集団での隠行はこの時代では前例の無い手段である。


 彼らが暗闇の中ともなれば、時に闇に身を置く妖よりも危険な存在となる。

 闇から闇へと静かに忍び寄り、何時の間にか死体を増やす。

 闇から殺す舎人(とねり)。舎人とは雑色(ぞうしき)とも呼ばれる貴族専門の下級兵の事。つまり、頼光の統率する機密機関【闇殺舎】とは退魔機関であると同時に、貴族の権力中枢を守るために動く専門の暗殺集団とも言えるのだ。

 彼らは時として、権力に逆らう人間にも牙を剥くよう鍛えられていた。

 暗殺は通常複数の後方支援に拠るもので、一人で動く事は要人暗殺などでなければ滅多に有り得ない。その技能を高める為に、妖魔のみならず、時に人すら殺す集団は、まったくもってして凄味が違うのだ。


 それ故に、彼らの進撃は見破りにくいものだった。

 東の山側と南西の森林地帯を蛇の如く静かに進撃をする二つの兵団。

 大河を越えて平地に陣取った人外からは雨の不明瞭な視界では、けっして目立つ事すら無いのだ。

 烏族でも難しいだろう。この雨では暗がりとなり、鳥目の多い彼らでは鷹の双眸を持ってしても判別は不可能なのだ。

 闇殺舎、それが最古において遊撃(ゲリラ)戦を集団で発達させた例である。

 その作戦はどれもこれも秀武の立案によるものである。

 山賊として生まれ立てから長年の経験を積んだ戦術勘は誰よりも卓越しており、それに唐土から取り寄せた、かの太公望が書き上げた虎の巻、そして羅馬(ローマ)と呼ばれる場所から流れてきたあれくさんどろすと言う、大王なる人物やしーざーなる人物が使った戦術が記された伝書は彼の戦術を知識面からも支えた。

 単騎では戦闘力が四天王最弱でありながら、戦術を駆使する事により、時に単独で龍すらをも打倒する。それが四天王の頭脳にして、策士・秀武と言う人間である。


「あー、だりぃー、歓楽街に帰ってヤりてぇや」


 無論、その戦術が大抵の場合において、自分が楽をするためにしか使わないので諸々より非難轟々であるのは仕方が無い。

 こうして陣地の居城で護衛をしている間は、既に戦術での大方は決まり、後は彼よりも『指揮』の上手な頼光に任せた方が無難なのだ。戦のやり方を考える戦術と、それを実行する指揮では分野が異なるのであり、それを十分秀武も把握していた。


 ふと、ダルそうに秀武は櫓から見える戦場から目を離し、真逆の京の内裏辺りを見据えた。


 彼は知っている。

 戦が終われば闇殺舎は解体されると言う事を。

 何故なら、明治以降になるまで日本では巨大な常備軍を維持出来るほどの生産力が無かったためである。戦は臨時の徴兵、もしくは傭兵となり、戦争以降はお払い箱となる。

 彼ら大軍が密かに維持できたのは、朝廷の権力者である道長と、それに付き従う有数の富豪であり、戦場の飢狼たる源家が支援したからである。

 しかし、それは戦が終わるまでの話しだろう。

 戦が決すれば、余分な兵力は削減され、そのために組織自体が弱体化、もしくは消滅をする。

 権力機構が完全に維持できる中で、海外への展開や国外からの侵略などの憂慮をせぬ場合、常備軍は不要なのである。

 つまり、闇殺舎とは為政者の権力維持の都合で生み出された、その正統を認知される事のない、妖魔討伐のためだけに力のみを蓄えた鬼子のようなものである。

 権力者の多くは、戦が終わった後、彼らがその組織の存続のために、意思を持って牙を剥かないかと危惧しているのだ。それを裏付けるかもしれない暗殺行為そのもの。そのため、組織化された暴力が自身の意思を持ってはならないのは原則である。もし、そうなるのであれば、それは己がままに動く、反乱組織などと変わらないものなのだ。

 その意思の中枢を、彼ら貴族は頼光だと考えている。

 無論、頼光の身近にいる秀武などの四天王や道長が頼光を現行政府の反逆などを企む、そう言う人間だとは考えては居ない。

 それでも、彼女が常々言う楽園と言う思想は現在の世相は真逆に位置するものである。

 彼女がもし自らの戦力で打倒しようと思えば、現在の政権を完全に塗り返す事が可能だろうし、秀武もちょっと考えただけでもそれぐらいの事は、戦力から考えれば余裕で出来ると考えている。

 加えて、彼らの染み付いた血の中に彼女への絶対服従が組み込まれているのである。固有の意思を持った四天王でさえ、彼女の意向に逆らう気など毛頭として無い。

 結局、闇殺舎にとって決断とは個々が考える事ではなく、身体に繰り返し教え込まれたきた血の作用であり、それを組み込んできた過程を否定する事、頼光に逆らうと言う事は彼らの存在そのものを否定するのに等しいのである。

 しかし、それでも、闇殺舎がそれだけの力とその意思を持っても彼女は反逆自体をしないだろう。

 戦で土地が乱れ、人民が疲弊する。

 京から離れた地でさえ、獣達の土地を荒らし、兵の犠牲を出すのだ。

 彼女は誰かに犠牲を強いるのに抵抗がある。人外からの脅威殲滅と言う大義名分すらなければ彼女は戦に立つ事は二度と無いはずだ。今の日本の脅威を鎮め、人と人外との区切りを設けた、それぞれの楽園のためだけに、彼女は動いているのだ。

 闇殺舎はこの決戦場に立った時点で、組織としての緩慢な死を迎えたと言っても過言はなかった。


「まぁ、組織が無くなっても、そこに居た人間と、その意思が消えるわけじゃねーからな」

 戦場のただ中で先が見えてきたためか、少し感傷気味になった自身の心に秀武は呟くように言った。


 と、そこで彼は何かに気付いた。遥か遠方、京から真っ直ぐと進撃してくる鬼火の大軍に……。




 南西の森林から北上していた綱と彼の切り込み隊、僧兵団と散兵団に緊張が走った。

 地響き。

 それは龍などが踏みしめる重厚な足音ではなく、地の底から這い出てくるような異質な音だった。


 綱が髭切丸に手をだらりと添える。

 突然、静まる音。

 雨音だけの響く一定の慌ただしさ。本来なら弛緩する所を、彼と彼に従う何人かはその静けさと同種の代物を知っていた。

 それは自然の動物が獲物を定める瞬間、金太郎が始めて襲ってきたのと同種の代物である!


 大地が次々と爆ぜて割れた。

 そこから出てきたのは醜怪な蟲の大群である。

 二足歩行の蟻や団子蟲に酷似しているが、大きさが人ほどもあれば生理的気持ち悪さよりも何処か滑稽さが目立った。

 しかし、その見た目が戦力と一致して居る訳ではない。

 蟻に似た蟲魔が全身を鉄鎧で固めた男を軽々と片手で持ち上げて放り上げる。団子蟲が丸まって転がりながら、硬いなめし皮の胴丸ごと骨を砕く。

「蟲潰しの円っ」

 綱の号令と共に男達は身を寄せながら陣形を整える。二列縦隊が一瞬にして、槍や刀の刃を外側に向けた防御陣へと代わる。一番外側は刃を向けた四角形でその一つ内側は刃を八相の構え、耳の横に柄を添えたような構えで、最外殻が破られた際の二番手になっている。そのさらに内側には、先のように地底から攻撃に備えて槍を持った者が地面に気を配り、中心には先の戦闘での怪我人が居た。

 完全な防御態勢であり、上下左右前後の警戒に優れたものだ。


 そんながちがちの防御で固めた外側の陣に綱は居た。

 凪いでいる。

 台風の内側のような無風地帯に立つ綱。その刀が届くか届かないかのギリギリの領域には筋張った、甲冑のような体の開きどころから綺麗に斬断された蟲の残骸が転がっていた。

 近づけない。

 それが無風の理由だった。

 如何なる拍子、人数、飛び道具を持ってしても、綱に当たる事は無い。

 彼らは後半歩で近づくその前に綱に切り落とされているのだった。

「野郎、化け物か?! 我等が五十の群体を持ってしても敵わないだと?!」

 指揮官に当たる蜻蛉(とんぼ)の兵が嘆く。

 三尺の太刀より内への不可侵領域を作り出す男。

「荒ぶ風は簡単に見て取れる。俺の太刀は中々鋭いぞ」

 そう、だらりと刀を垂らしたまま言いながら、綱はふっと唇を微かに上げた。

空尖(くうせん)、そノ男の相手は俺ガする」

「霧宮様っ」


 蟲王・霧宮は蜻蛉の横合いから音も無く地に降り立った。

「時雨かラ聞イタぞ。(なれ)は金太郎よリ強いらシイな」

「あぁ、そうだ」

 気負いも何もなく言い切る綱に、霧宮は無表情な蟲には似合わない、僅かな笑みを浮かべた。

「時雨に渡辺綱ノ討伐命令をサレタ時には腹立タシいだけダッたが、こうシテ奴以上の名手と会ウノも……」

 親指に添うように、人差し指と中指が伸ばしたまま合わせられ、薬指と小指が内側に畳まれる。腰を落とし、前足を僅かに出して、後ろ足を曲げ、引き絞った弓のように体勢を整える。両手がそれぞれ綱の上下の急所を狙う。

「……中々のモノだナ」

 その構えに合わせて、この戦場ではじめて、綱はゆっくりとそれでも確実に正眼で構えた。

 構えとは本来、防御の『正統なくせ』を作り出すものと同時に、実戦に於いては相手に攻撃の筋を限定させる、云わば特定の手の形などへと注目させて逆に相手の特定の反応を引き出す為のものである。言わば相手を誘うのための身の使い方を構えと言う。

 綱の未来を見通す魔眼をもってしても曖昧になるほど、霧宮のその構えは異常な程警戒心を高めるものだったのだ。

 綱自身が構えを使う事は滅多にない。通常、筋肉を弛緩させた状態は最も早く動く事が出来る。それは現在使っている筋肉は弛緩をさせないと次の動作へと移せないからと言う単純明快な理由による。相手の動きを読む事さえ出来れば、構える必要も無く、ただ相手の動きに反応をすれば良いだけである。しかし、蟲の王の構えは弛緩して待ち構えた状態よりも、相手の行動を限定させなければ成らないほど反応し辛い、凶悪な代物だったのだ。

 始めての相手に、綱が構えたのはたった三度。

 公時に稽古を始めて付けられた時、頼光と過去に一度だけ立ち会った時、そして、今この瞬間のみである。


「装甲結界を指先に集中させて凶器としたのか」

然様(さよう)、新たナ我が凶器、蟷螂手(とうろうしゅ)とデモ名付ケヨうカ?」



 七百年後、霧宮が中国大陸でその技を披露した時、その技の一部始終を拝見し、人間でも使えるように高僧が練り直した実戦的拳法こそ蟷螂拳と呼ばれるものである。


 正眼と呼ばれる基本の構えのまま、綱が無造作に歩を進めた。一見細身ながら、自ら持つの刃のように粘く作られた肉体は筋肉が高密度に圧縮されている。故に一歩進めるだけで肉体から湧き出る力のような、後退させるような激烈な風圧のようなものが前面に押し出された。巨大な竜巻がずいと前に出たようである。闇殺舎の大部分はそれを可能とするが、四天王級の構えともなれば、相手へ踏み込みだけで人外であっても敵の心意を萎えさせて挫くほどで、仮に向かったとしても全身からの熱風のように噴きつける闘氣に身が竦み、それに耐えられたとしても武器からの凄まじい殺意で武器が巨大になったように感じ、まともに相手にされることすらないのだ。

 そんな、並みの人外なら後退するだけの挙動を、蟲の王はそれに微かな笑みを浮かべながら逆に踏み出した。


 距離は三間(九メートル)。幾ら、霧宮の手足が長かろうと、届くような距離には見えなかった。

 だが、先に霧宮が一歩踏み込んだ瞬間、小蝿が跳んできたのを避けるように自然に綱は首を僅かに横に倒した。

 僅かに遅れて喉の横を何かが通り過ぎる。

 それは有り得ない事に霧宮の指先だった。

 無風のまま、斜め後ろに綱が後退して、首元の、この戦場に入ってから始めての傷を片手の親指で拭った。

「遠いな」

 ペロリと己から零れた唐紅の血涙を舐め挙げ、ぼそりと綱は呟く。綱は、この男は素手にも関わらず、諸手は槍を持った金太郎と同じ間合いと凶器だと認識した。それでも、その彼よりも間合いが遥かに広い。

 傷つけられた時、彼は僅かに避けられた直前に指先を曲げ、腕を引き戻す時に僅かに綱の首を引っ掛けたのだ。避けねば、頸動脈を抉られていた。

 その精妙さは固形である槍では決して及べない、技の変化に優れていた。

「さァ、どウスる。コノ狂気の内に踏み込ムか?」

「そうだな、そうするとしよう」


 直後に、無風の状態から突然、味方の闇殺舎達をも驚く足捌きを見せた。

 それは普段の綱では決して見せない、秘技の中の秘である突込みだった。

 爆発性と突進力は金太郎に劣りながら、その突然の切り替わりで金太郎よりも目標へと到達するのは早い。速度ではない、突然の動きで相手を翻弄する技が出る早さ。武の真骨頂である。


 閃光の一太刀。

 眼には見えない。あまりの速さで頭が理解しきれず、その瞬間だけが消えてしまう脳天唐竹割りの一撃。

 その斬撃を有ろう事か、一つの瞳の中に千の瞳を持つ複眼で蟲の王は捉え、右指先で掴みとっていた。

「(勝っタ)」

 と蟲どもの誰もがそう思った時だった。

 ぞぶっと音がしていた。

 蟲の王の脇腹、そこに動物的勘ならぬ蟲の知らせを感じて、反対側の左手首から出た鎌で辛うじて止められた刃が切り込まれていた。

 直後、一撃でも当たればその部分が肉片となって消える霧宮の反撃の指撃を、綱が身体の至る所を揺らさずに後ろ向きに下がって避ける。

 綱は単に後ろに下がっただけなのに、背景である森自体が滑り出して突っ込んできたように多くは感じた。身体を如何にして揺らさずに、隙を生まずに動くかと追求した結果が生み出すあまりに異常な光景である。

 だが、それ以上におかしい。

 確かに、彼の最初の一撃を蟲の王は止めて掴んでいた。

 それなのに、彼の一太刀が、その瞬間明らかに二太刀に増えていた。

「面妖ナ……」

「もう一度行くか? 言ったはずだ。俺は、――強いぞ」




「何なんだ? てめぇらは?」

 秀武は時間稼ぎをしていた。

 眼前には顔面に矢が刺さり、腹を切られ臓物をはみ出し、片手、片足で、それでも戦い続けようとする武士達が居た。しかし、その姿は軽く千を超えながら、全てその群像の奥の風景が見えるほど透き通っている。

 亡霊。

 強い念により現世に囚われた者達である。

 その念は死を経て益々強くなり、人で太刀打ち出来るものは殆ど居ないだろう。

 山の裏、京の方角から来たのは老原の亡霊軍団である。

 別に彼らの存在自身は問う必要も無く、秀武ならすぐに気付きそうなものだ。だが、闘志を持て余す連中と事を構える危険性を危惧した秀武は口八丁で上手く乗り切ろうと企んだ。

 だから、誰よりも先に、たった一人で、亡霊達の前に立つ。

 自称他称共に己の肉体を酷使する武では四天王最弱の称号を持つ秀武だが、砦の中に並み居る兵士の誰よりも強い闘気を持つが故に注目され、砦へと攻め込まれるのを引き止めていた。

「(あーあー、やだねー。俺がちゅーと半端に強いのも。綱くらい強かったらカッコ良くこいつら倒せるんだけどねぇ)」

 心の中で嘆息しつつも、それを見せる事無く、彼はゆるゆるとした状態で腰の小太刀を構える事もなく、さて、どうするか、と考えていた。

「俺達よぉ、今は人外の集まりと戦ってっから暇無いし、悪いけど、後にしてくんね?」

 怨々と声にならない圧力が金縛り寸前になるまで秀武を攻め立てる。

「(砦の中にいるのは貞光だが、結界作成をしている今、あいつは外に出れねぇ。今、霊刀を持っていて、亡霊にまともに斬りかかれるのは俺だけだ。……仕方ない、上手く誤魔化すか)おぅ。お前ら、今、砦ん中で降魔調覆の祈祷の真っ最中だぜ。てめぇらみたいな雑魚は十杷一絡げに消滅させられちまうぞ。ここで待っても相手なんてしねぇし、それがやだったら、ととっと京に帰ぇんな」

 だが逆に、んなこと気にするか、と業を煮やし始めた亡霊達が各々の武器を構え始め、秀武が「やべぇ、煽りすぎて罠を踏んだ」と思った時だった。

{お前ら、そこから退け。勝手に攻め込むんじゃねーぞ。強いのにやる気の無い奴に本気を出させて、死力を尽くしてこそ、熱く血が(たぎ)るなんだからよ}

 不意に、心の中に声が直接響いた。亡霊の殆どは肉体に取り憑かない限りは意思を伝える事はとても困難である。しかし、魔の世界の専門家である貞光曰く、高位の霊体は直接心に明確な意思を伝える術もいるとの事だ。


 緑に溶け込んでしまうような深緑の和服姿の老人が居た。剃り上げた頭の下にある瞳は坂田と同じ鋭さのする霊だ。それは全周囲に気配を巡らす、緊張感をまとった瞳である。背は低いが横には広く太い。眼光も、首も、腕も、への字に曲げた唇も、そこから漏れる息ですらも太い老人だ。

 太い腹筋で覆われた腹を締めるのは灰褐色の帯で、そこには黒檀の色をした重厚な扇子とそれにくくり付けられた太い鎖が垂れ下がっていた。

 その姿は他の亡霊達と同じく透けているが、触れる事が出来るような重さが現身(うつしみ)にあった。

「(鎖が、武器か)」

 秀武が目聡くそれを見極めてから、その太い眼光に視線を合わせた。

 まともに合わせずに、透ける背景の山に眼を合わせるような視線の合わせ方だ。そうでもしないとまともに眼も合わせられない重厚な威圧感を感じる。

「あんた何処のどちら様だ?」

 秀武の飄々とした物言いにニヤリと太い笑みを浮かべて、亡霊は言った。

{儂はこいつら二千の亡霊の霊帝(あたま)、老原、老原灼染だよ}




 雨脚が一層強まり、綱が蟷螂の王と戦い、秀武が逃げ出したい気持ちをばりばりに抑え付け、貞光がちょうど大祈祷の詠唱を半ばまで終わらせた頃だった。


 刃と手甲が交わった。

 刃金の澄んだ音色。

 飛び散る火花が雨を蒸発させる。

 見る者の闘争心を振るわせ、同時に刻々と流れるような剣舞だった。

 手甲の主は時雨である。

 大女が真上から叩きつけるような拳を放つ。

 それを受けるのは細身であろうその体躯を、白絹衣を通して赤銅色の胴鎧で堅め、腰に普通よりもやや小ぶりな太刀を掲げた武者、源 頼光、もとい光である。

 受けた瞬間にその力を身体に当たらない程度にわずかに逸らす。真っ向から相手の攻撃にぶつかれるからこそ、攻撃した直後のそこから身体に当たらない程度に僅かに外して崩せると言う極意中の極意である。

 首元に確実に飛ぶ太刀を人外の反射神経で身体を弓形に反らしながら、同時に蹴り。

 しかし、それは光には胴丸に泥の足型をつけただけで、衝撃自体は飛んで殺していた。

 離れた場所から太刀と両拳をそろぞれ構え直す。

 今まで、聞こえなかった雨音が急によく聞こえるようになる。

「中々やるじゃないか、大将」

「……そっち、こそ」

 北東、大河の横たわる平原の端、山合いを通って人外の拠点へと隠行をしながら奇襲を試みようと移動していた途中、龍ノ目の率いる龍族の精鋭に襲われたのだ。逆に戦術を読まれていたのだ。

 龍族の精鋭には今、金太郎と彼の配下である最勇猛の突撃部隊が一歩も引かずに対峙している。

 地上兵力なら最強の騎馬隊でも、龍族の空中から攻撃に加えて、足場の悪い山中ではその真価である機動性を発揮できない。そのため、徒歩での白兵戦力として優れた金太郎の突撃隊を急造で最後尾で足止めを努める殿とし、騎馬隊に退却を命ずる他なかったのだ。

 そして、退却する彼女らに立ちはだかったのは、巨強、龍ノ目時雨だった。

 彼女は騎馬隊を配下の千人隊長に任せ、この場で足止めをする事にしたのだ。

 この勝負、互角のように見えて、大きく息をしているのは光の方である。それは雨で体が冷えたためだけではない。


 しかし、何故これほどまで小さな体格で何故こんな化け物と戦えるのか?

 それは彼女の見えない、体の中にある。

 心臓の鼓動と共に流動する小さな、血潮とも違う流れ。

 拍動に呼応して、流れが底無しの力を発揮する。

 それを意識する事で、彼女は綱の最速の攻撃を受けられるほどの、集中力と敏捷性を生み出していた。

 そう察しの良い者なら気付くとおり、彼女は【霊気装甲】を持つのだ。

 貞光のような呪術を知らないが為に体に直接作用させる方法しか使えない。それでも、彼女はそれを効率良く扱う術を妖魔人外との死闘で手に入れたのだ。

 陳腐な言い方をすれば、魔の法を操る魔法使いの貞光に対し、光は魔の法を刃に応用する魔法剣士とでも言ったところだろうか?

 しかし、大方の攻撃を受けたとは言え、彼女は不利中の不利だった。

「息の上がり方がおかしいな。もしかして……、貴様、アノ日か?」

「…………、はぁ……はぁ」

「無言は肯定と見なすぞ。そうか、それなら仕方が無い。俺様が言うのも何だが、大方の女には戦場は似合わん。高々月の体調で崩れるような強さなら意味は無い」

「…………、はぁ、……はぁ」

「退かないか、――もう無理は止めな。俺様は優しいからな、手加減が出来ない、さぁ、諦めろ。お前が戦いを続ける理由はない。それとも、戦う理由があるのか?」

 その言葉で、今まで頭痛と体の火照りで虚ろだった光の瞳が輝きを取り戻した。


「戦うと決めた。それだけだ」


 決意。断固たる意思は名のように閃光だった。

「そうか……、じゃあ、これ以上無理しないように、この場で殺してやるよ」

 そう言いながら見せた、人外に似合わない柔らかな笑みが地面を見て、それから瞬時に般若よりも恐ろしく切り替わる。

 下から上。離れた場所から振るった拳が突風を起こした。

 圧縮された空気が時雨の手元から加速を続け、それは彼女の目の前で炸裂した。

 激甚の暴風が光を巻き込む。

 体が浮く。

「(あ――、死んだ)」

 山の上、断崖絶壁から小さな光の体が弾き飛ばされる。

 目も眩むような眼下の光景と、身体を巻き上げる下からの風。数秒もしない内に、眼窩の千尋の地面へと叩きつけられる事は目に見えていた。

 景色がゆっくりと見える。死を覚悟した戦闘でよくよくあった現象が現れた。詰まるところそれは、彼女の肉体が死を悟ったのだ。

「(戦う、と決めたのに、二呼吸で再起不能、か――。楽園のために戦いたいのに)」

 彼女の、黄金の闘志と理性は死に抗いながら、肉体はそれを享受する。

 憎いほどにあっさりとした最後。

 心は抗っても、現実は変えられない。あと少し、視界の先にある河に飛び込めば別だが、そんな事は空で方向を変えて飛ぶ事が出来ない限りは不可能だ。


「――ッ!!」

 何処か遠くから声が聞こえる。

「――りッ!!」

 次の瞬間に聞こえる声が徐々に鮮明になっていく。

「――かりぃッ!!」

 それは有り得ない速度で崖へと疾走する者の叫びだった。

 幻聴だと思った彼女が眼を閉じて、仕方なく死を受け入れようとした時、その馬鹿は目の前に居た。

「――ひかりッ!!」

 両手を合わせ、まるで飛び込みでもするかのように空気を割り、空中で光を強引に抱き締めた。

 離さない、死なせないと言う意志だけが伝わるしっかりとした抱擁。

 飛べない代わりに、彼が代わりに跳んで、方向を変えた。

 その強い力に応えるように、光は抱き締め返す。

 そのまま、金太郎と光は錐揉みしながら、落ちるはずの地点を僅かに外れ、眼下の大河の方に飲み込まれていった。




 その頃、秀武は逃げていた。

 彼の背後では蛇のように宙でとぐろを巻きながら鎖が展開している。

 音を立てて鎖が絡まった大木を根ごと引き倒し、大岩を粉まで砕く。

 彼が山を駆け降りる間にいくつも、その傷痕は刻まれていた。

 必死に、それでも相手を納得させて『自分が』勝つ事を考えながら、秀武は走り回っていた。

「手加減してくれぇ!」

 それでも口角から泡を飛ばしながら、人にはあまり見せられないような酷い顔で走る。流石、山賊出身なだけはあって、金太郎のような異常な速度ではないが、それでも普通の人では決して追いつけないような速度で、ジグザグに、鎖の打撃をかわしながら走っていた。

{そんな熱血じゃない事は出来ないな。死力を尽くせっ! 【蛇絞(じゃこう)】からは逃れらんぞっ!}

 鎖が鎌首をもたげて、襲い掛かる。寸でのところで秀武は茂みに飛び込んで、横に転がった。

 茂みは巨大な鎌で刈ったかのように消えうせ、彼の視界から消えた秀武はごろごろと無様に転がりながら、大木の後ろに廻った。

{そこかぁッ!}

 ひぃ、と声を挙げて、反射的に秀武が頭を伏せれば、ちょうど頭の上半分の大木が真っ二つに折れていた。

 もし、そのまま突っ立っていたら、頭の上半分は『おしゃかに』なっていた。

「(死ぬ、今日こそ絶対死ぬ!)」

 と、心ではそう思いつつも、彼の策は半ば完成していた。

 折れた大木を片手で必死に抱きながら、四つん這いになって再び茂みに隠れ、隠行で気配を消す。

{さぁ、何処まで逃げるか若造。これ以上逃げれば、熱く血の滾った儂とて、……我慢ならんぞ}

 ひぃぅん、ひぃぅんと空を裂く音を立てて、超音速で鎖が飛び回る。

 普通ならそんな長大な兵器は草木に阻まれ振るう事は無理なはずだ。しかし、戦闘に戦闘を重ねた結果老原の内には燃え盛る闘志と共に現実を凌駕する力が生まれ、草木に阻まれるはずの鎖をぶつかろうともお構いなく振り切れるほどの縦横無尽の膂力で操れたのだ。

 鎖状自動鋸(チェインソー)のように、それ以上の破壊力で、阻む大木や岩石をも砕き散らす凶器を操る。

{さぁ、何ぉ処に隠れた若造?}

 ひぃぅんと音を立てて、隠れるのには手ごろな大木が引き倒される。

{ここかなぁ?}

 岩石が下から上に撒き上がって、下に潜むのには都合の良い岩が砕ける。

{それとも……}

 ひぃぅん、ひぃぅんと音だけが鳴り響く。その肉体では無い、虚像の瞳をちらちらと動かして辺りを睨みつける。

{ここかぁ?!}

 視界に入った全ての風景を鎖が薙ぎ倒す。

 その振り切った直後、倒れた大木の背後から鎧姿が躍り出てて、樹上から老原に飛び掛る。

{そう来る事も――}

 鎖を有り得ない速度で怪力を使って引き戻し、

{――読んでたわッ!}

 ぐしゃりと鎧ごと砕いた。




 じわりと汗が滲む『動かない闘い』が、綱と霧宮の間で行われていた。

 互いは僅かに手首の返して刃の角度を変え、錐のように尖らせた諸手の上下の位置を変えている。

 大型の肉食獣みたいにやたら頑丈な金太郎や怪我慣れをしていて傷への耐性の高い秀武、再生魔法を心得ている貞光とは違い、綱は四天皇では打たれ弱い部類に入る。むろん、それは並みの兵士に比べれば、意思の力である程度は克服する事が出来たが、それでも不意の一撃には人並みに弱いのである。

 その代わりに彼は『先』を取るのに優れていた。

 相手よりも技の出そのものが早い『対の先』。

 相手の技を出そうとした心を読んで先に打ち込む『先の先』。

 相手の技を出させて、予め予測されたその攻撃を反撃(カウンター)で潰す『後の先』。


 どの先も優れているが、敢えて言うなら彼は先の先が得意である。前述の通り、彼は未来を見通す魔眼である『龍眼』を得ていた。

 その結果、彼はどんな攻撃でも先に予測する事が出来たのだ。

 技の出が未だに早い、先に長けた坂田や頼光、普通の人なら意識不明になる攻撃を耐えられる頑丈な金太郎、何かと予測しても効果が分からない策の連続を仕掛け、最終的には煙に巻いてくる秀武や回避不能の広範囲攻撃を仕掛けてくる貞光など、その超人達の中なら偶に負ける事はありそうだが、それを常に寸前で回避し、勝ち続けているのが綱である。

 十歳の頃、初めて対峙した坂田と練習中に互角の拮抗の末、予想外の死闘を繰り広げ、後に龍眼となる片目を負傷して渾沌、不戦敗となって以来、彼は一度足りとも負けたことがない。

 武士のとっての勝敗は生死のみに直結する。しかし、彼の中で美学とでも言った考え方の中では、己が何らかの形で自らの体現する体の動きが他人に劣る事を認めず、それすらも勝敗に繋げていた。それが、年上の最強の武人だろうが、人外だろうが構う事はなかった。それが彼の矜持であり、生き様。

 詰まる所、彼は武で負けるのが途轍もなく嫌だった。

 彼は負けず嫌いなのだ。


 その彼が今一番苦戦しているのが、目の前に居る巨大な蟷螂だった。

 人の皮を被った状態で、この強さである。力を完全に解放すれば、人の反射神経でも捉えられるのが不可能である。

 彼のように未来を見通す瞳か能力を持たない限りは勝つ事は不可能、不可能と言うより比較の余地無しなのである。

 速さは力である。速ければ、拳そのものは到達する速度と同時に破壊力を生み出すのだ。

 蟷螂が獲物を掴むかのように掲げられた諸手。

 その諸手の本来の使い方は指を開いて即座に絡む関節技であろうと綱は気付き、同時に霧宮自身がまだその本来の姿に気付いてないように思えた。

 相手の腕を鎌で拘束し、打撃を加える。

 相手の攻撃手段を殺した上で打撃を加えるのが、真骨頂である。それを綱は霧宮自身が未だ模索中の完成形を霧宮の構えから読み取った。

「(長引けば、奴も気付く)」

 そう、まだその真の完成形に至ってないからこそ、綱は苦戦の最中でまだまだ『余裕』でいられるのだ。

 その精神的な余裕を切り詰めて更に張り詰めさせ、闘気を高めた。

 剣先がわずかに上がり、剣気が高まる打つ気配を見せる。


 無手が二つの鎌となって奔る。

 その間に切り込む刃、綱の身体。

 霧宮が片方の手のみを鎌に、片方を蟷螂手にし、綱の刃を鎌で受けながら、神速で綱の顔面へと突き込む。

 誤算。

 綱が自然に動いた結果、霧宮は『無意識で』完成形の攻防を生み出していた。

 だが突如、遠巻きに見ている誰もが、眼前で闘っている霧宮すら、信じられない事が起こった。


 鎌で捉えられていたはずの刃が突きを受け、突きを受けたはずの刃が逆に突きで霧宮の胴体を抉っていた。

 鍔元まで掛かった突きの圧力で霧宮の身体が吹き飛び、肉の間から吹き出る液体が突き立てられた皮の端を揺らす独特の音を立てて、白色の体液が血のように大地を汚す。

 再び、斬りつける綱。それを受けようとして、また違う方向から来る太刀に断たれる霧宮。

 一振りの太刀が分かれる、一太刀、二太刀、三太刀、四太刀、五太刀。

 全身から体液を噴出して、霧宮は地面に倒れ伏す。

 幾つも分裂したはずの太刀は再び一振りの太刀へと返っていた。


「秘剣、残剣散徹」



 今度は確実に、明らかに双方で対峙した格下の兵士達も霧宮ほどの動体視力の無い蟲達にも見えた。

 雨の水滴が作り出した一振りの刃の軌跡が、前触れもなく五つに分かれて蟲の王に斬り込んだ。

 揮った太刀は霧宮に斬り込んだ時、確実に五つあった。


 事象同時進行。(ことわり)を限界まで高め、更にそこから先に挑戦した結果、彼は人類で始めて只の生身で、霊気装甲も無しに神秘へと至った。

 五回の太刀筋を一動作にまとめると言う脅威。彼は一振りで本当に五回相手を斬り殺す事が出来るのだ。

 威力を殺す事も無く、太刀筋を殺す事も無く、そして速度も殺す事も無く、勿論、捨て身で、自らを殺す事もなく、飄々と相手を殺すための極技である。


 無論、相手の装甲結界に斬り込める霊刀『髭切丸』だから出来る有り得ない技なのである。これがただの太刀だったら、木の枝で相手に打ち込むようなものである。邪を祓う事に特化した、霊刀鍛冶安綱の一品である。


「貴殿らの命が惜しければ、退け。人を甘く見るのでないぞ、蟲王」


 今にも霧宮の『化けの皮が剥がれそうな』勢いだが、彼の蟲が独特に持つ理性よりも確かな本能が、綱の刃によって蟲全体の士気が削ぎ落とされたのを感じた。如何に大軍があれど、それに殺る気がなければただの木偶人形と同じである。誘蛾の焔に惑わされた蟲の如く、高ぶった人の士気に焼き尽くされ、勢いで殺し尽くされるだろう。

 統括思考と呼ばれる強制命令で、働き蜂よりも狂って戦わせる事が出来た。しかし、これは彼らの個人単位の私闘ではなく戦争である。主義や趣味では無く、利益で戦わなければならないものだ。無論、斬り倒されて朦朧とする思考の中で配下を上手く従えるとは思えない。またしても、引かねばならない時である。

 そう決断した王の無言の命を受けて、蟲達は機敏な動作で土に潜り、空を飛び、御簾を引くかのように森から瞬時に消えていった。

 一匹残る霧宮が立ち上がる。既に膨大な妖の力で止血はされていたが、霊刀によって見えない内部が切り裂かれていた。

「次こソ、次の決戦デ千の我等が殺シニ掛かルゾ。ダガ、そレトは別に、いツか、貴様を、もシクは同ジ外道を使ウ剣士を突キ殺してクれル」

「今の世に二人とて使えるものは居ない。何百年経ったとしても、十人にも満たないはずだ。だが、覚悟しろ。人を、武を舐めるな。貴殿の思いつきで出来たような技で、人の刻苦研鑽である武の重みを突き崩せると思うな」

 霧宮は瞳を中心に背景が歪みそうな殺気を放ちながら、森の奥へ、雨の薄絹に紛れるように消え、殺気も霧の如く消え去った。

 綱は悠々と太刀を柄に収める。まさか、後もう一度、同じ技をしたら一月は動けない身体になるとは思えないほど、雨の中に映える雅な立ち姿だった。

 その姿を崩すような悲報。早馬での伝令が光と金太郎が崖から落ちた事を伝えた。




 砕けた秀武の大鎧。バラバラと乾いた竹で編んだ、刃ですら通すのが難しい鎧が粉微塵となった。雨よりも遅く落下するその欠片。

 その『身代わりの後ろから上半身裸の秀武』が躍り出た。

 時間差攻撃。

 身代わりの代わりに、長大な攻撃範囲を持つ霊体に、些かに短い攻撃手段を持つ秀武が肉薄するには攻撃を一時的にでも止めるしかなかったのだ。


「しゃ――――!」

 片手を刃に添えられた霊刀、双子の小太刀【字丸】が老原の喉元に食らい突かんと飛び掛る。

 その刃の届く直前になって、秀武は気付いた。思いっきり近づいたにも関わらず、何故俺の身体は『老原から離れていく』のだろうと。

 思考の後に続く強烈な、内臓が破裂したかのような痛み。

 それを自覚したと同時に大木に秀武の体が打ちつけられた。

 あまりの衝撃に頭に火花が散ったような意識を振り払い、老原を見た。


 右手に鎖、左手に鉄扇。


{馬手(めて)に蛇咬、弓手(ゆんで)に白龍。戦場に得物一つで行く馬鹿は居らんってことだ}


 馬手の鎖で遠距離の敵を足止めさせ、弓手で鎖の圏を突破した者を鉄扇で叩く。


「遠近自在ってことか、くそッ、……んぶっ」

 喉元からこみ上げてきたどす黒い血を吐き出す。それを見て秀武は安心をした。血は鮮やかなほど心臓などの呼吸器系に近いため致命傷であるが、黒い血ならば『まだ動ける』と言う証だ。

 ふらつく身体を背後の折れ曲がった大樹に預けて立ち上がる。

 それを見て、ひぃぅんと死神の鎌のように鎖が再び旋回を始めた。

{いいねぇ、体の内から血が沸き立つのをひしひしと感じるぜ。それにしてもお前、あれを避けるたぁ運がいいじゃねぇか}

 鉄扇で打ち殺される瞬間、偶然にも字丸の鉄鞘が防いだお陰で左の脇腹に食い込んだだけで済んでいた。無論、秀武ほどの、普段の素っ惚けた姿には似使わない意志の力でなければ、その場でただ殺されるまで痛みで蹲るだけであろう。

「へへっ、こう言う時に何度も立ち上がる奴ぁは俺じゃなくて金太郎の仕事なんだけど、まっ、どうしてもってんなら、四天王の末席を汚す俺が、……てめえを調覆やんぜ、この野郎」


 染み出す痛みを抑えながら、秀武は凶悪な、何かを企んでいそうな笑みで刃を構えた。


{でよ。さて、手詰まりだぜ、兄ちゃん。こっからどう逆襲すんだい?}

 鉄鎖の蛇咬と鉄扇の白龍を携えて、秀武の前に老原が立つ。

 血反吐を吐きながらも立ち上がった男が最初に発した言葉は、

「夫婦剣って話、あんた知ってっかい?」

 と言うこの場に及んでの時間稼ぎの策だった。

 次は何をするのかと、それを楽しむかのように老原はにやりと笑って立ち止まる。

{干将莫邪。大陸の刀工の夫婦が正しく命を削って出来た二つ霊刀。切れ味は凄まじく、邪を退かせ、片方の剣のある場所へと必ず文字通り帰ると言われた、それがどうしたのかな?}

「似たような剣に兄弟剣てのがあるんだよ。紹介のため、それを知ってもらいたいって事を言いたかったのさ」

「で、それがどうした?」

「どうしたもこうしたもねぇ。策士が敵に策を明かすのは嵌ってくれた後だよ。つまり、あんたはもう俺の策に嵌ってんのさ」

 そこで、老原は気付いた。


 奴の腰に差さっていたはずの、もう一つの刀は何処へ行った!?


「来たれ、【友切】っ!」

 鋭い命令と共に音の壁を超えて背後から老原の霊体を刃が貫いた。

{ぬぅ、だが、これしきはっ! ……なんとっ!}

 京最強の霊帝が揺らいだ間に秀武は信じられない速度で手近の一番デカイ大木へと攀じ登っていた。それは逃亡でなく、あくまで立ち位置を変えるだけの移動。自らが優位に立てる場所への一人進軍である。

 それを見止めた直後に老原が切り崩した道を大量の土石流が彼らの、半ば実体化していた霊大群を巻き込みながら下ってきた。

{小癪なぁぁっ!}

 厚く凶暴な土砂の流れが物理領域へと実体化している老原を押し流さんと駆け抜ける。しかし、老原は鉄鎖を秀武の登った樹の太い枝へと鋭く絡みつかせて流れに抗う。老原の剛力で流れが意味を成さなくなろうとした瞬間、秀武はその太い枝の上に二つで一つの名刀【字丸】と【友切】を持って立っていた。


 妙に長い間。


{や、やめろ}

 いや、やる事は分かっている。この男は慈悲も糞も無いとんでもない野郎だ。やる事は一つ。

 無表情に、秀武は仕事であるかのように吐息共に枝を切断した。

{おのれぇぇぇぇぇぇぇぇッ!}

 土石流が老原を点になるまで流していくのを見届けると、樹上で秀武はやっと一息をついた。


 秀武の策はこうである。彼らの陣地を作成した時に、その出来た土砂で予め敵の軍を陣地から押し流す罠である土石流の仕掛けは大体は出来ていた。しかし、土石流を山の下まで効率良く流すため、伐採をすれば妙に切り開かれた地形のために敵に感づかれる可能性があり、使われずにただ死蔵されていた。

 しかし、この場に自ら石を削り、大木を引き倒し、『土石流の流せる道』を作って、それに引っ掛かってくれそうな敵が来てくれたのだ。

 片割れ刀の【友切】を仕掛けに添えて、老原に開拓させながら、陣地から下まで駆け下りた。老原は土石流を流すための道を作らされているとは知らずに、彼を追い詰めたつもりとなって、血を滾らせていたのだ。


「やれやれ、一人で霊軍二千を倒したかな? さてと、あとは自尊心の高い霊帝様を口先で丸め込んで一丁上がり、ってとこか。女の子達を抱きこむ小噺にするには上等なくらいだな」

 そんな下らない事を言っているうちに、老原の剛力と流れる土砂ですっかり傾いた大木が一緒に流されそうになってびっしょりと秀武は冷や汗を掻いた。




 秀武の血と汗、それらが混ざり、最終的に辿り着く河川に金太郎は流れ着いた。

 轟々と豪雨で龍の鱗のように逆立つ濁流を、人を一人担ぎながら泳ぎきれたのは野性の本能のお陰なのだろう。

 第一の武装である坂田の槍は光を助けるために置いてきたため、腰元の短刀【陰落(かげおち)】を除けば丸腰に近い状態である。幸い、光は手で固く愛刀の【蜘蛛切】を握り締めていたために彼女の武装は保てていた。そう言えば先ほどの水中で、ぶつかりそうになった岩を触れただけで真っ二つに割っていたよう気もするが、今の金太郎にはどうでも良いことである。背中にあった矢筒も流れ、弓も無い状態であり、とにかく敵に襲撃されたら困った事になるのは確実だった。

 ちらりと金太郎は、遥か遠方の山の高さを見てゾッとした。あの高さから落ちて水面に激突しながら殆ど無傷だったのは僥倖であり、同時に心に恐怖の疵を刻み付ける高さだった。あの浮遊感はとても形容しがたいほど気持ちが悪いものである。

「……もう二度と高いところから落ちるのは御免だ」

 そう言いながら、水を吸って重たくなった鎧姿の光を抱き上げた。

「おい、いい加減に人の肩に掴まるのは、って息してないじゃないか!」

 くたりと力の抜けた光を河川敷にゆっくり横たえ、口に息を吹き込んだ。

 一度、二度、三度……。

 五度目になってようやく光は水を吐き出して、呼吸を再開し、金太郎は雨に打たれながら、その場にへたりこんだ。

「まったく、今日は奴らの奇襲といい……、何だかやたらと気苦労する日だ」

 金太郎は光を抱きかかえ、手近に休める場所を探した。

 川でびしょ濡れになった鎧やら何やらを乾かさなければ、体力を消耗するばかりである。

 それに流されたり、何だりしている間に辺りはすっかり日が暮れてかけていた。意識の無い光を抱えたまま歩き回るわけにもいかず、野営の出来る場所を探さなければならない。

 幸運な事に河川敷の近くに天然の、土砂崩れなどの心配はなさそうな天然の洞窟があったためそこに身を寄せる事にした。

 雨の中で乾いた薪を探すのに一苦労しながらも焚き火を始めた。

 横で未だうなされる光にどうしたら良いものか、と思いつつ、とりあえず服を脱がす事にした。濡れたままの服を着せているのは身体によろしくはない。

 鎧を外せば、先ほどの戦闘で負傷した箇所がそこかしらにあり、貴重な薬も無いので仕方なく金太郎は動物がそうするように光の身体を舐める事にした。

 体力を消耗して白い肌が青白くなるまで冷え切った光の身体を温めるため、自らも鎧もその下も脱ぎ、金太郎は裸で抱き締めながら、光の血の滴る疵口を舐め上げた。

 何だか色んな意味で間違っている気もしなくも無いが、金太郎は隈なく血の跡を舐め続けた……




 光が目を覚ます頃には焚き火は四分の盛りであり、身体を包む暖かさに、もうオラは死んじまって極楽なのかと錯覚を覚えた。

「――やべっ、うとうとしちまった……。お、目ぇ覚めたか?」

 ちょうど斜め後ろ、耳元で囁かれたのは金太郎の声だった。

 胡乱な目元を擦りつつ、周りを見定めた。天然の洞窟の外は昨夜と打って変わって晴れ上がり、薄紫の空に小鳥の囀りが響いていた。焚き火は長い事維持されていたのか、消し炭が石の間で積もっている。その脇には濡れていた状態を乾かすために置かれた薪が積まれ、更に横には二人分の鎧と、その上に褌やら狩衣が広げて乾かされていた。

 ふと、光は胸元を見た。見慣れた、少し(彼女の解釈では)小さめの胸の見える全裸だった。そんでもって金太郎も全裸で、そのまま守られるかのように抱かれていた。

「やっと起きたか。うなされていたから心配したぞろばっ」


 顎を砕かんばかりに掌で打ち上げると腹を蹴り上げて後退し、目の据わった状態で刀を掴んで鞘から引き抜き金太郎に向けた(全裸で)。

「殺す」

「ちょっ、ちょっ、ちょ、とわったぁ」

 脳天をかち割らんとする白刃の唐竹割を両掌で瞬時に挟み込んで押し止める。調子を誤れば、実際に斬割されていたであろう、殺意の篭った攻撃である。

「さぁ、死ね。潔く死ね。そして、貴様を殺して私は生きる!」

「なんだその理屈は! 一晩うなされているを守ったってのに随分な物言いだな、この野郎!」

 剛力の金太郎は刃を挟んだまま、膂力と体の移動を使って刃を捻り上げ、柄から【蜘蛛切】をもぎ取った。

 刃を掴み取ったのも束の間、今度は光は金太郎の鳩尾に鉄拳を叩きつけた。常人なら血反吐を噴いてひっくり返る打撃だが、鬼の金棒の素肌でまともに食らっても立ち上がるだけあってびくともしない。しかし、それはそこに意識を集中させるだけの当身で、そのまま身長の差を生かして金太郎の脇の下を潜り抜けて背中側に回ると、膝の裏の蹴りと同時に肘を背中に近い脇腹に打ち込んだ。それでも金太郎は怯む事は無く膝への蹴りで体勢が崩れたと見せかけて、沈みながらくるりと反転して足払いを掛けて光を転がし、刃を首元に当てて大人しくさせた。

「いい加減にしろ、まったく助けたってのになんて事するんだ」

「うぅぅぅ、酷い。手篭めにした上でここまでの屈辱。武士の風上にも置けない」

「それは自分への台詞か? 人に助けられておいて恩を仇で返すなんて、そんな事を俺に教えたいのか? お前は、俺の大切な…………」

 ふと、逡巡した後、言い切った。

「……大切な目標で、今は大将だ。そんな、ちょっと不測の事態くらいで慌てて、『頼光』、あんたの夢を、理想を遂げられるのかよ? 俺はあんたの刀だ。鞘のあんたがしっかりしてくれないと、俺は誰を相手していいのか分からなくて、誰も彼も傷つけちまいそうだ」

 その言葉ではっと気を取り直したのか? 金太郎が刃を離して柄から頼光に返すと、いつも通りの落ち着いた形で鞘に納め、目を背けながら「済まん」と一言謝った。

「何だか……、私は勘違いをしていたようだ」

 金太郎は、光として彼女の事を、女性として好いているのだろうと光は思っていた。無論、そう言った側面も多少はあるのかもしれないが、それ以上に、今の彼は彼女を一人の目標として見据えていたのだ。

 だから、勘違いしていた彼女は自分が身体を奪われたのでは無いかと危惧したのだ。

「勘違い?」

 子供のように首を傾げる金太郎に光は微かに笑いながら「気にするな」と言って着物に袖を通し、ふと、止まった。

「ところで、太腿の辺りが何か『てかてか』しているが、何故だ?」

「あぁ、それは俺の唾液だ。両足の根元の間から『不自然な出血』をしていたから薬代わりに舐めておいてやったんだ」

 再び、今度は霊気装甲まで使われて洞穴の中で刃で追い回されるはめに金太郎は陥ったと言う。無知とは言え、自業自得である。




 具足を整えて、洞穴から出でる。

 昨日の雨の名残か、まだ暗い雲も幾らか空に掛かっていたが、雨を心配するほどではなかった。ただ、時折響く遠雷が、龍神のあの女の力を現しているように思え、光はぞくりと震わせた。

 太刀を合わせる事が出来たとは言え、人の形態であの異常な殺戮衝動。自然を背景にし、生み出された化生の大将、龍ノ目 時雨。人の皮を被ってあの強さ。真の姿を解放した時に化け物に本当に敵うのかと、光は僅かに胸の奥が揺らぎ、いや、勝たなければならないのだと、心に言い聞かせた。

「――――、この川から秀武の悪臭がする。これを辿れば本陣に戻れるはずだ」

 地面に這い蹲っていた金太郎の超嗅覚に頷いて、河川を遡る。

 その途中、鷹などよりも遥かに大きな複数の羽音を聞き、金太郎と光は河川横の茂みへと身を潜めた。

「烏族ッ――ざっと四十って、部隊の五分の一じゃない?」

「ちっ、俺達が下流まで流されているのを知っているわけか」

 (からす)の頭に人の体。森霊種である天狗族の一派である。武装も虎の皮の腰巻の鬼に比べれば、ずっとましで、羽ばたける程度の重さの鎧を纏い、その彼らの手に在るのは弓と矢。空中より彼ら二人を見つけ、射掛けんと周回を繰り返していた。

「こんな時に槍があれば良いのだが。矢を弾いて投げれば隣山からでもブチ殺せるのだが」

「無いものを嘆いても仕方がない。静かに突破するぞ、私に続け」

 二人は彼らの視線から逃れるために木陰から木陰へと身を躍らせていった。




「時雨様、その赤い槍は一体?」

 いつもの玉座では無く、仮の石塔横に置かれた岩石に時雨は威厳を漂わせて座しながら金太郎の槍を見つめていた。それを些か何をしているのか検討がつかないと言うように付き人である士官は問うた。

「優れた武器には意志が宿る、と言うが、その意志は何なのかと見極めようとしていたのだ」

 その槍は金太郎の手を離れた際に山の剥きだしになった岩肌に突き刺さり、戦利品と言う事で回収しようとした鬼達が、その総力を結集しても岩から槍が抜けなかったので岩をまるごと抜き出して時雨へと献上したのだった。

 その岩の大きさは長身な時雨よりも二回りも大きなものである。流石にそれを岩窟の奥へは持ち込めないので、こうして自ら赴いて間近で観照(かんしょう)しているのである。

「赤い槍、……人の血のような色ですね」

「無論だ。この色合い、人の血としか考えられない。だが、その色合いにも関わらず、人を殺めた邪悪さは無い。この神聖さ、見極められん」

 遥か西方の地に赴き、前時代の大戦で使われた神の雷槌や光の皇子の持つ突けば必ず相手の心臓を貫く呪いの槍、全ての苦難を分かつ征服者の剣に、投げ撃つものから全ての覆う無敵の楯、約束された勝利をもたらす光の剣などの様々な武具などを彼女は見てきたが、その槍が一体何なのかまるで分からない。

 人の血を浴びた槍。その言葉だけに着目すれば、何処かで聞いた事があるような気がするが、まさかこの極東の地でその規格外の槍があるはずはないだろう、とそんな事を、自らを半信半疑とするように思索を繰り返していたのだ。

「あの獣の男の槍ですか。奴は生きているでしょうか?」

「奴が生きているからこそ、槍はその場を動こうとしないだろうな。くくっ、待っているぞ、半端者」

 いつものように煙管を咥えると、自らの闘気に呼応する雷雲の真下であの勇ましい獣を到来を時雨は待ちわびた。




 ぬぅと現れた金太郎の左手の短刀【陰落】が閃いて二度三度向かってきた矢を打ち落とす。直後に地面にあった石を掴むと金太郎はもの凄い剛速球で烏族へと投げ付ける。既に三十三度目の投擲だが、一匹だけその投擲に驚愕して鎧ごと粉砕されて地に落ちたが、それ以降は警戒されてまるで当たる気配が無い。慌てて、全方位に近い矢の集中攻撃に翻って岩肌へと戻る。如何に重武装の金太郎とて、千の矢で集中攻撃されれば鎧袖の空き所から痛い一撃を食らうだろう。ましてや武に長けた烏族がそんな隙を逃してくれる筈が無い。

 後は山を二つ越えれば本陣だと言うのに、烏族の鷹の如き驚異的視力によって彼らは見つかってしまっていたのだ。

 旋回をしながら飛びながらでも射れるように短くなった弓を持ち、烏族達は河川の岩肌に追い込まれてその近くの物陰に隠れた彼らをいつ穿とうかと待ちかねていた。

「絶体絶命の危機だな」

「くそっ、弓さえあれば射落とせるのにっ!」

「無いものを嘆いても仕方が無いと先ほど言ったのは何処の誰だ?」

「うるさい、ここは流動的に対処するのだ」

「隠れ続けるしか対処の方法は無いがな。残念ながら、当てても落とせそうな使える石は後四つだ」

 先ほどまでは雨よりも酷く降っていた矢は時折、彼らが焦れて動く時を狙うようになっていた。

 以前も言ったとおり、この戦は短期決戦でなければならない。一気に攻め込み、龍神と決着を付けるのが最善。しかし、ここで足止めをされ、光、もとい頼光が居なければ如何に天才的作戦力を持つ秀武とて、戦力十万超の悪鬼羅刹の圧力に対抗出来る指揮と士気を使うことが出来ない。優れた将の下では全ての兵は一騎当千だが、それを欠けば苦戦を強いられ泥沼の長期戦となるだろう。長期戦は消耗戦であり、それは個人の技では対抗出来ない領域となる。それは闇殺舎が潜在能力の違う人外にじわりと咀嚼されるのと同義である。

 しかし、頼光が居ればそれはその限りでない。きっと彼らは彼女のために獅子奮迅の死狂いとなって化け物を殲滅していくはずだ。

 そのためにも彼女が本陣へと戻る必要があるのだ。


「くそ、どうすれば……、ん?」

 ぴたりと苦渋に満ちていた金太郎の顔が変わった。

「どうした?」

「二頭の馬蹄の音が聞こえるっ!」

「まさか!」


 そのまさかだった。

 烏族の目にもあまりの速さにそれは黒と白の稲妻に見えたはずだ。


 白馬彪凪と黒馬羅王号。重武装の馬鎧で飾った、否、金太郎以上の重武装を施した彼らには矢の意味が無い。古代の機動力の要、それが馬であるのだ。

 岩肌へと滑り込むと同時に金太郎と頼光はほぼ減速もしていないのにも関わらず軽やかに飛び乗り、半呼吸遅れて降り注ぐ射線から離脱する。

 そして、その背に括り付けられたのは強弓と烏族を射掛けるには十分な矢。加えて、その背に乗るのは京随一の弓の名手の二人である。

 馬に弓の名手が乗れば、騎射となる。馬はただの機動力でなく、敵を絶命させる戦車へと変わる。

「お前ら素敵過ぎるぜっ!」

「帰ったら毛並みを整えてやるぞっ!」

 二頭にひどく嫌われているために馬蹄を食らいながらも死ぬ気で装備を括りつけて放した秀武の苦労は彼らに察せられる事は無く、ただひたすら後方から迫り来る烏族達を二人は一方が構える間に一方が射ちと華麗に繰り返して烏族達を射ち落としていった。


 頼光の本陣への帰還。それは明日の総力戦を予期させるものだった。






 ――別幕、闇の中で蠢く者ども


「時は来た」

 暗闇よりもなお暗き奥底で、その白い衣の男、安陪 晴明は呟いた。

 呟きは空間に震と響いて、大地から深くへ、天へと挑むように満たしていく。


「乾より来たりて坤に向かう、森羅万象万物流転。天球道より東、南、西、北の七宿から合わせて二十八宿。時を表し、十二直、六曜。四季に二十四節は通じ。人の生を六十干支より委ねられた金、水、木、火、地の五行は全てに相剋す。生と死の流渦は魂魄の(まろばし)。陽中陽、陰中陰、陽中陰、陰中陽は陰と陽とし、両義。陰と陽より太極、太極から無空へと至る。東方降三世夜叉明王、南方軍荼利夜叉明王、西方大威徳夜叉明王、北方金剛夜叉明王、中央二大日大聖不動明王」


 『豪』と舞を踊るかのように白い衣が翻って闇に映える。それはまるで、自らが闇の中での光の渦であると言うような、傲慢な輝き。


 反、と地への束縛を脱して反転し、再び地に戻って剣指で虚空を掻き乱す。




            バン・ウン・タラク・キリク・アク




 その指先が呪と共に描くのは彼が物事の全てを人に分かる様に凝縮した図。

 五芒星(セーマン)

 その理は絶対にして不変にして普遍。

 僅かな言葉で全てが彼の意志に優先され、物は語らせられる。


 汗をつたらせながら、舞を終えると暗黒を切り裂くように引き戸を開いた。

 黒い世界に浮かぶ、白く輝く月。

 その端は僅かに紫の、陽光の気配を感じて薄くなりつつあった。

「暁光と共に全てが終息する。未だかつて無い、私の、私による、全てのための世界の創造が始まる」

 再び、万魔殿の扉が閉じられた。

 ――黙。

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