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23. 刺部陀(にらぶた)(2/4)

 無数の手が褌のみの男達の間を走る。

 首の裏、脇の下、手首の周り、肘の外、腿の横。

 足元は高速で動きながらも砂埃すら立たず、二人の男の、互いの足を鎌のように狩ろうと動く。

 それは【相撲】だった。

 槍も、矢も、刀も無くなった時、最後に頼るは己が肉体。

 それを金太郎と坂田は鍛えていた。

 金太郎の握力は青々とした竹を握り潰しながら、引き千切るほどであり、妖とて掴まれれば、大蛇の如く拘束され、そのまま地面へと叩きつけられるのだ。

 現代でも柔道の試合などと見ての通り、取っ組み合いなどの投げ極めるの術は相手の身体を音速で捉えるために、相手の掴もうとする手を叩き、逆に掴み返す場面などが見られる。その手の速さは時として、拳闘家(ボクサー)左の拳(ジャブ)を越え、眼で捉えるのも困難である。

 故にそこから先、相手の攻撃を捌くには、金太郎の如き動物的勘や坂田のような無数の戦闘経験から導かれる洞察力での先読みでしかない。

 ちなみにその技量はただ頼光のお墨付きだけであり、彼は未だ、一度も魑魅魍魎(ちみもうりょう)どもと戦った事が無い。

 金太郎がついに坂田の首と褌を掴み、地面へと叩きつける。

 二十貫を超えるの坂田の巨躯が蹴鞠(けまり)のように楽々と浮かび上がる。

 しかし、その直前、坂田は首の裏に回された手を、首を回転させながら解き、逆に金太郎の手首を掴んで、空中で肩に乗っかった。

 音を立てて金太郎は顔面から地面に叩きつけられ、そのまま完全に肩を極められた。

 金太郎の投げに逆らわず、逆に金太郎の投げで逆に極めながら、坂田は投げたのだ。

「くそ、まいった」

「いつも、言っておるだろう。貴様は膂力に頼り過ぎて、力に振り回されておる。残身、『投げ切る』までが相撲の極意だとな。それと、勘に頼りすぎるな。勘は一時的なものに過ぎない。戦闘に於ける理は最初から最後まで貫ける。槍の如く、意を集中させるのだ。戦闘のための理論が貫ければ、思考そのものが攻撃となる」

「…………。済まん、最近、何か集中力が欠けているんだ」

「……分かっているならもういい。儂も疲れたから休む。その場で槍の内受けと外受けを左右、両手と片手、それぞれ千回やったら上がっていいぞ」

「……分かった」


 金太郎から別れ、本宅へと荒布で傷跡だらけの身体を拭く坂田。

「(今まで、圧倒的に少ない経験を補うために『東』の、金太郎の妖魔覆滅の代わりは儂がしてきた。だが、この身体もそろそろガタが来ているみたいだな)」

 突然、坂田の手がガクガクと震えだし、布を取り落とす。

 それを取ろうと、膝を突いて、そのまま動く事も出来なかった。

「(やはり、儂も先は長くないのか? だが、大丈夫だ。金太郎はもう完成しておる。武士として、四天王として……)」

 坂田は「(ぬん)」気合を入れて、立ち上がると、そのままいつもの足取りで本宅へと隆々とした肉体を動かして戻った。


 金太郎はあの昇殿と呼ばれる稀なる帝との御目通し以来、ボォとした日々を送っていた。

 鍛錬は無論のこと熾烈を極めていていたが、それでも何処かあの【白くて黒い男】安陪晴明なる術師が気になったのだ。無論、その事を坂田も分かっているためか、自分の中で整理がつくまで放って置くつもりだった。

 獣の感覚があの男を敵だと断定していたが、人として培った理性がそれを押し留めていた。

 しかし、彼も内裏の最終防衛線の戦線に立つ者の一人である。いつまでも子供や獣のように感情に振り回されて敵意を見せても仕方がない。再び相手の意をよく見極めるべきであろう。簡単なのは相手と面を向かわせることだ、とやや早計に、しかし野生の本能に従って金太郎は敵ともつかない男と二度目の対峙をする事にした。


 宮中にほど近い、土御門大路、その北町小路西の一条戻橋を挟んで、安陪晴明とは向かい合う形で源頼光は邸を構えていた。そこは近辺の京都御所からすれば鬼門に当たる位置となっている。

 北東は陰陽道の理からすれば悪い氣、呪いの霊気装甲の生成されやすい、鬼の出づる方角と呼ばれるモノであり、同時に近江地方に近いこの方角は突然の人外からの物理的な襲撃に備えるために源頼光の家を中心に、防衛の要としても同時に機能していたのだ。


 金太郎は別に彪凪の伴侶にして金太郎の愛巨馬である『羅王号(らおうごう)』に乗る必要は無いだろうと、そのまま徒歩で晴明の邸宅へと向かう。

 黒籐に磨かれた正門に立つ。殿中にも上る貴族階級にも関わらず門番が一人として居ない。だが、晴れ渡る青空にその邸宅だけが薄雲が掛かるように影を落としている。場が乱れている、と野獣の直感が告げる。それもその通りで、魔術的な結界の一つ【尊大】によって近づく者を圧倒するようにその場は設定されていたのだ。しかし、立ち向かう事を前提した金太郎に取っては僅かに邸宅の雰囲気が違うと言う程度しか気に掛けないのだ。

「正四位が源 頼光様の郎党にして渡辺 綱殿の筆頭侍従、坂田 金太郎。天文博士 安陪 晴明殿に御目通り願いたい!!」

 金太郎の名乗りと共に、固く拒むように閉じられた扉が、獣が(あぎと)を開くように誰の手を借りる事も無く音を立てながらゆっくり開けられる。

「虎穴に入らんば、虎子を得ずか。問題は虎子でなく化け物虎が待ち受けているかも知れない、だろうか……」

 金太郎が喉の奥へと飲み込まれるように入ると、扉は同じく誰の手も借りる事も無く、顎のごとく閉まった。



 廊下も、居間も、金太郎の目に付く場所全てがガランとしていた。

 人のいる気配が感じられるにも関わらず、その姿形だけが写らない違和感を感じる。

 もしかしたら背中に張り付くように居て、そして耳元で囁くのを待っているかも知れないと金太郎の思った。

 ―― 矢先、

「その通りだ。待ち兼ねたぞ、小童(わっぱ)

 金太郎の体が硬直よりも先に、初めて背後に感じた気配に腰から短刀を抜く。

 振り返りながら背後への一閃。

 それはあろうことか、二本の剛直な指で止められていた。

 素人ならば腹が斬割。玄人でもかなりの刀傷となる一撃をまるで『そう来ると分かっていた』、【予測】したかのようにその男は止めた。

「無礼な、尋ねた人物に刀を向けるとは、あの老人の教育も大したモノではないな」

 金太郎の睨む先にはあの時と同じ白い絹衣を着た晴明が立っていた。

「無礼はどちらだ? 向かい入れた客人を茶化すのは大概にしろ」

 そこでクスリと白い歯を見せて、男は黒く笑う。

「決まっているだろ? 君の主人と同じだ。興だよ。ただのお遊びだ。それに本気になるとは、まだまだだね」

 短刀を指先から離す。流石に金太郎の剛力を受け止めきれなかったのか、血が滲んでいた。それをペロリと舐め上げる。

「だが、怖れる獣に噛み付かれたのは私の責任だ。気にする事はない。……客間に来たまえ、もてなそう。酒は呑めるな?」

「……そこそこな」



 一刻の時の間、二人は無言で何処から取り出してきたのか知れない新鮮な川魚の焼き物と、瓢箪に入れられた酒を、角が僅かに掛けた御猪口を持って飲み交わしていた。時折、視線だけが隣りの男をなぞる。

 敵意ともしれない感情を持て余すように金太郎は片膝を立て、落ち着かない様子を見せている。

 黒い男、晴明は悠々と胡坐を掻いて、御猪口を傾けている。



「神は何だと思うかね?」



 突然、白装束の男が放ったのは疑問だった。

 金太郎は、何かに後ろから押されるように衝動的に、それでも逡巡の後に澱み無く言い切った。

「力だ。圧倒的かつ抗い切れない力。それを(まつ)り、敬う事で人は神を作り出した。山の神秘と憧憬は巨人に、稲妻の轟きと畏敬は雷神になるように、力が神となったのだろう」

「……まさしくその通りだ。完璧な解答だ。坂田 金太郎殿」

 膝を叩いて、その事を喜ぶ晴明。

「そうだ。抗い切れない死を祀ったモノは冥界の領域では死神とも呼ばれたりするな。では、逆に【人】が祀られる事があれば、逆説的に『力を得て神に成ることは有り得る』かな?」

「…………」

 金太郎は答えかねていた。いや、答えは出ていたが、それを出すにはおこがましいような、そんな心境を湛えている。

「最近では菅野道真の神格化もあったくらいだからな。可能なはずだ。もし、人を【生きたまま神として祀る』ほどになるには強い、人の感情を一点に集めるような感情が必要だろう。それは例えば、『恐怖』などが都合が良い。恐怖は魔そのものだ。魔性を帯びる代物だ。では、人が『恐怖自身』となった時、それは何と呼ぶべきだろうか?」

 金太郎は背中から電撃が走って、脳まで痺れるほどの衝撃を感じた。そして覚った。まさか、この男は本気で……

 そこで着物に隠れた晴明の袖の中で指がパチンと鳴らされる。

「それ以上を『考える必要は無い』。今日は、然る時までの役者の確認だ。君の持つべき力はここで私を相手に発揮するモノではない【予定】だ」

 脳に染み渡るように響く言葉が、波紋となって、これまで邸宅に入ってからの出来事を、いやそれ以前の決心した直前まで揺らいで消えていく。

「なるほど、強い『運命』だ。異界の隠者ども、時守(ときもり)の運命を作る筆が成せる御技か。さて、私はそれを乗り越える事が出来るか。予測は予言を、いや、神の作った『預言』を覆せるか? 神に、運命に挑む、か」

 そして、揺らぎは風呂から栓を抜いたように渦となって消えた。





 金太郎は気付くと大路のど真ん中に立っていた。手元には酒の入った瓢箪と桶がぶら下がり、桶の蓋をずらして見てみればその中には川魚の焼いたモノが入っていた。

「はて、これは?」

『君は鴨川に釣りに行った帰りだろ?』

 誰かが耳の後ろから囁くように声を掛ける。

「そうか、そんな事を忘れてしまうとは、日々の稽古で疲れたかな?」

 納得するように、誰かに糸を張られて、操られるように言葉を続ける。

 操縦者がクスクスと下品な笑いを挙げたような気がしたが、それは直後に馬蹄音によって遮られる。

「何をしているのだ? 金太郎?」

 そこには昇殿帰りの、金太郎が自ら絶対の忠誠と微かな想いを誓う大将が居た。

 騎馬である彪凪もデカイ舌でベロンと金太郎の顔面を撫で上げる。獣同然の金太郎は、人なら馬の口臭でムッとするところを平気で捉える。むしろ笑顔だ。少し前、山に居た頃なら何処かの動物王国の王様みたいに「よしよし」と言いながら逆に舐め返したくらいだろう。

「そうそう、鴨川まで行って釣りをしてきたのだ。そこで晩酌にコレを使わないか?」

 金太郎の申し出に嬉しそうに「いいな」と了承し、「乗れ」と言葉を続ける。

 金太郎は馬具も使わずに跳躍のみで光の後ろに飛び乗る。

 短い距離にも関わらず、光と金太郎は互いの体温を確かめるようにして、帰路に着いた。


 その後に金太郎の持って帰ってきた酒に触発されて、坂田が遠出をして居ないこと良い事に全員で酒宴を催された。

 見た目通り酒に弱い貞光はそのまま一杯目で意識不明になり、実はそれほど酒に強くない綱も秀武と光の「呑んで呑んで」の煽りを「いや、ほら、明日もあるし、あれ? 言いたい事は逆に呑んでからじゃないですか?」とノラリクラリと交わしながら自分の呑みたい調子で呑み続ける。秀武がいつか山賊時代にやったと言う呑み比べを光としている最中、金太郎は冗談で光が言ったつもりだった命令の樽の丸ごと飲みを二杯目まで進んでいた。相模もこの騒がしい面々を世話をしながら同時に混ざると言う離れ業をやってのけた。


 結局夜通しで起きていたのは樽四杯目でようやく酔いの廻ってきた金太郎と、途中で光の家の宿舎とは別の自宅にさっさと帰った綱だけだった。相模は途中から疲れてきていたようなので「先に寝ていろ」と金太郎に言われて「それじゃお言葉に甘えて」と女房の宿舎に向かった。

「んー、眩しぃ」

 金太郎の筋肉で硬い、それでも竹の枕よりは柔らかい膝枕をして貰いながら寝ている、無防備な光が呟いた。未だ微睡(まどろ)んで瞬く琥珀の瞳。

 秀武は都の南方の歓楽街にある一番可愛い女の子の名前を呼びながら……、貞光に抱きついて居る。ちなみにその貞光は応えるようにひっしと抱き返している……。論評(コメント)回避。

 とりあえず金太郎はその二人が寝ているのをしっかりと確認すると、光に視点を移した。

 髪留めを取った黒髪は乱れて顔に寝汗と共に張り付いている。琥珀色の瞳は白い瞼の裏へとひた隠しにされている。こうして見慣れても、未だ高鳴る金太郎の鼓動は、一つ一つが彼女のために奏でているようだ。

 そして、白い肌の中に浮かぶ赤いくちびる。

 眩しいと言う朝陽を、光の顔を覆うように金太郎が頭で遮る。

 鼻先と鼻先が触れ合うほど近く、そして、鼓動に合わせて、すこしづつ、くちびるとくちびるの間が縮まる。

 ピクリと揺れ動いた、光の睫毛も気にする事無く……。

「頼光様ー。お客様ですよー」

 相模の不躾な呼び掛けと足音でピタリと、金太郎は【間合い】への侵蝕を止める。

 頭をぴったり戻したところで、ひょいと顔を出す相模。

「あっ、金ちゃん、頼光様に膝枕してるー。ずるーい」

「……何がずるいのだ。で、客人とは?」

 必要以上にブスッとした、そしてやや慌てた、まるでムリヤリ背筋を伸ばしたような金太郎の態度と物言いに相模は首を傾げつつ、

「分からないのよー。『頼光殿に会えば分かるの一点張り』で」

 心底困ったと言う言葉使いと溜息をし、それを見ていた金太郎の強張った眉間を弛緩させた。

 時は『男尊女卑』の華々しい平安時代。男性の応対には男性が出るのが務めである。女性を軽視というワケではなく、そうである事が普通だった時代なのである。無論、頼光の場合は彼女が男性であると言う前提なのだが。

「分かった代わりに俺が出よう」

「お願いします」

 玄関を抜けると、牛車用のではなく、徒歩用の、貴族用で無い門の外で一人の男が待っていた。

 禿(はげ)だった。年は肌の張りと声色から三十歳と少し。それでも剃ったわけでもなくツルリと、額が干上がった湖のように毛髪が枯渇していた。それでも幅広の烏帽子で隠すこともなく、堂々と構えた恰幅の良い男だ。綱や秀武のように流線的な、速さを醸し出した筋肉のついた体つきではないが、ただ単にガタイが良い、骨格のしっかりとした男性である。太刀のような武具の類は身に付けていないようだから恐らくは武家の者でなく、文士の者だろうと金太郎は思った。

 徒歩で来て、しかも簡素な身なりのわりには要所要所がこざっぱりとしていて気品が嗅ぎ取れる。しかも、そこに貴族特有の嫌味ったらしさは無く、同じ武士と同時に貴族である頼光のように自然とした、生まれの良さが見受けられた。口元に生えた髭は切り揃えられているが、それは威厳よりも人の良さを見せているようだ。

「そなたは何者か?」

 が、山から人の住む【下界】に来てその辺りの感覚と日の浅い金太郎には、庶民風の禿たおっさんが何か来た程度の印象しかなかったので、片手を腰に当てながら不躾とも言えるような誰何(すいか)の声を挙げた。

「こいつぁ失礼。宮中で、ちょいとばかし頼光殿と交流のある『みちなが』と言うただのおぢさんだよ。ちぃとばかし、頼光殿が気になってな。こうして御目通りを希望したわけだ」

「みちなが?」

 何処かで聞き覚えの有るような名だったが、金太郎の脳裏には浮かぶ事は無かった。

「ふむ……、残念ながら、俺の記憶には無い名だ。素性の知れぬ者にこの門をくぐらせるわけにはいかない。今日はお引取り願おうか?」

 すると男は残念そうな顔をし、

「そうかい。ならまた機会があれば会うとしよう。と言うか君ぃ酒臭いぞ。程ほどにな」

 ってな具合に納得してそのまま歩き去った。

「変な禿だ」

「……聞こえてるぞぉい」

 八丈(三十メートル)も離れて居るのに聞きつけるとは、まさか妖怪の類では無いだろうか? 「すまん」と横柄に返して、「まぁ、光を煩わせるのも何だし、別に報告する必要も無かろう」とそんな益体のない事を考えつつ、金太郎は屋敷の内へと戻った。


 次の日は金太郎も含んだ昇殿の日程であった。参議と呼ばれる貴族達が無駄に凝った儀式に則って、やれこうだ、いやいやこうだ、と延々と理屈と屁理屈を繰り返す退屈極まり無いものだ。帝と言う最高責任者が居ながら、その命を受け取った後で、更に茶々を居れてツマラナイ時間の浪費を繰り返す時間だ、と金太郎は思っていた。綱の背後で、頼光の面目を潰さないように如何にあくびを噛み殺すか。その程度のものだ。同じように思っていただろう坂田の言葉を借りれば精神修養の時間でもあるだろう。こんな下らない牛の歩みのような儀式をしているくらいなら、そのうち部下になる予定の闇殺舎の兵士五人と同時に戦う時の戦術を頭で考えていた方が楽だと金太郎は思っていた。無論、彼を含めて、横で不精髭を弄りつつ、歓楽街の女の子をどう同じ夜に口説こうかと考えている秀武やら今日の晩飯のことを考えている綱と同列に非常に退屈な時間だった。

 真面目に聞いているのは、そろそろ統括者として、現場のお目付け役からは引退を考えている坂田と石細工のように硬く、まさにくそ真面目な貞光。そして最高責任者として真っ向から本気で真っ当している、一生懸命な頼光くらいのものである。

「――では、以上のように取り決める。それでは良い日頃を」

 ようやく日も明けて幾ばかもしないうちから天頂に昇るまでに至った会議が終わった。金太郎達は足の痺れを気にしつつ、立ち上がるとそこに、金太郎の目には見覚えのある人物がいた。

 紫の衣に狩衣を羽織った、先程まで一番上座に座っていた恰幅の良い男性。ちなみに昨日とは打って変わって、しっかりと幅広の烏帽子で額を隠していた。

「あ、昨日の禿」

 直後に反射的に暴言を吐いた金太郎の後頭部に思いのよらぬ衝撃が走った。

 その後ろには拳を握って嫌な汗を流している頼光の姿。

「ば、馬鹿者!! そこの方は我が直轄の上士にして、左大臣藤原道長(ふじわら みちなが)大殿(おおとの)だ」


 時の最高権力者、帝に次ぐ権力を持った男。数々の政敵を退け、宮を手中に治め、後に摂関政治を行なって藤原氏の栄華を誇らせる男である。

 現在彼の冠する左大臣は、『聖人君子』である必要もあるために不在の多い超名誉職である『太政大臣』を除けば、帝の家系以外の平民で頂点に立っているのである。

 そして、帝の意向もこの道長の手に掛かれば捻じ曲がってしまう事も政治の体系上罷り通っている。故に、実質の政権の最高権力者と言っても過言ではなかったのだ。

「そうです。このおぢさんが道長さんなのです、はははっ」

「…………………………………も、申し訳が無い」

 流石に金太郎も理解はしてはいなくても、耳がシュンと垂れた犬のように、頼光に掛けた迷惑を思って大いにしょげた。

「この馬鹿者」と金太郎の後頭部を持って光は、詫びをさせるようにがんがんと板の間に叩きつけた。強制土下座である。

「うわははははっ、気にするこったぁない。おぢさんがちょーっと魔が差して若いのに悪戯をしてみただけやて」

 豪快に、無論の事ながら帝がその場におらず最高の権力者の一人だからこそ出来る、周りを気にしない笑いを放ち、頼光たちの気を和らがせる。

「……しかし、坂田の息子くぅん、昨日の今日の『禿』は、……戴け無いのぅ」

 一転してやたら低い声色に金太郎一同から汗が流れ出る。しかも、滝のように。

「これはのぅ、禿じゃないのだ。ちょっーーーーぴり色ーんな心労で髪が進退窮まっただけだ」

 前進どころかどう見ても全力で後退しているようにしかその場に居る人間には見えなかったが、突っ込んでも嬉しい事が何一つ無いので口を噤んでいた。いわゆる、どうみても禿です、本当にありがとうございました、と言う表現だ。いずれ出家する際にも頭を剃る必要が殆ど無いだろう、と彼の頭を一度でも見た人は統一の見解を持っている。

「いいけぇ? おぢさんの事を呼ぶ時は年長だから藤原さんかー、もしくはイカした良いおぢさんって呼ぶんだよ、分かった?」

 パッチリと現代風に言うなれば、ウィンクする姿はイカれた禿にしか見えなかった。

「左様でございますか……」

 頼光一同はふかぶかと、それこそ直立したまま額どころか後頭部まで付きかねないような礼をしていた。

 そこを公務用の狩衣の袖から洗練された動作で手をだして「まぁまぁ」と道長は諌める。

「そうそう、頼光殿にあった用が一つ有ってな。明後日に私の邸宅で宴を催すのじゃが、そこに『魔族』から脅迫状の類が叩き付けられての」

 頼光達に衝撃が走った。

「なんと」

「私も取り止めにしたいのは山々なのだが、ちぃとばかし身内だけでの宴のつもりが客が多くてな。遠客も含めて中止するには骨が折れるし、前『院』までお越しになるから中止自体も出来んのだ」

 当時、摂関政治の根幹となるように彼は帝に妻として自らの娘を差し当てたのだ。つまり前の院とは、つまり『先々代の帝』を指す、と言う事である。引退したとはいえ、やんごとなきお方の血筋である。それを狙ってくるのは、偶然か何かとは思えない。情報が漏れてるかもしれないにしろ、彼らには黒幕の検討すらつかなかった。

「それは……一大事ですね」

 唸る頼光に、

「うむ、そう言うわけで、宴の警護は宜しく」

「はっ?」

 満面の笑みで親指を立てながら命令する道長さん。

「うん、着飾って出れば武家の者とは人外も気付かぬはずだ。特に頼光殿、そなたは女性客を護衛するために『元々の女装』は必須ぢゃからな。……と言うわけで我等に紛れて屋敷の警護に当たってくれ。何も無ければ、特別に、まぁそれぞれ楽しんで貰っても構わん。それぢゃ」

 頼光の「ちょ、左大臣大殿、無茶な」と引き止めようとする言葉は、相手の「ぬはははははははっ」と言う快活な笑い声に塞がれてしまった。

「……あの御仁、大将に『女の格好』をして来いというのか?」

 そう一同にあえて聞く綱に誰も、俯きながら拳を握ってプルプルと震える頼光を見て答えようとは思わなかった。


 そして当日。

 昇殿の時と大して変わらない窮屈な服装に身を包んだ金太郎が門の前に居た。ちなみに基本的に金太郎は裸族なので、素のままに鎧を直で着たり、何も着ない方が具合が良いらしい。

 羅王号も装飾のついた鞍を付けられて、同じく窮屈そうな顔をしながら金太郎を負っていた。

 いつものメンバーもそれぞれの愛馬に乗って、頼光を待っている。だが、雰囲気はいつもとは違った。

「……ぷふ、おい、金太郎」

「なんだ。秀武、普段以上に薄気味悪い笑みを見せるな」

「ばぁか、頼光ちゃんが久しぶりに『女装』してくれんだぜ? これが笑わずに居られるか?」

 クククッと音を立てて、歯茎を剥き出しにするような下品な笑いに金太郎と貞光は冷たい視線を向ける。

「秀武殿。いくら頼光殿がその……、お美しいからと言ってなじるような発言は聞き捨てなりませんぞ」

「おめぇ馬鹿か? ちゃんと褒めてるっつぅーの……ぷふ」

「秀武。貴様、今、笑わずにと言っていたではないか」

「さぁなぁ? 金太郎も気になるだろう、な?」

「知るか、ただの服装の変化だろうが、動揺する方が阿呆だ。それに、俺は頼光の女の姿など見た事は無いから笑いどころが分からん」

「いや、笑いどころは関係無いですよ」

「大将が来たな」

 綱の呟きと共に、牛車用の正門が開かれた。

 赤を基調とした十二単を羽織る。黒髪の少女、いや正しく美少女。もとから紅を注したような唇には、更に印象付けるように魔性の赤が上乗せされている。琥珀の双眸は胡乱げで、見た者自身が何かの目映さに当てられているようだ。

 当時は中肉中背で垂れ目、眉が太く、顎が丸い女性の方が好かれたようだが、そんな事を押しつぶしてしまうような圧倒的な輝く美貌が彼女にはあった。

 それと同時に出てきた坂田の無駄に厳しく顰めた爺っ面を見て、漸く呆けた状態から元に戻る一同。あまりの美観の差によって秀武は「うぉえ」と一度吐き気を催し、頼光の従者としてその後に出て来た、予想以上に着飾りの似合う相模を見直して、「うん、これもいいねー」と口直しをしていた。

 ちなみに相模は眉毛の太めで痩身だが、代わりに胸周りは当時最高峰だった。元々、凹凸の目立たない日本人らしい体型にあう着物が、胸元がきつめに感じられ、紙一重で神秘の領域だった。

「可憐だ」

 貞光の、いつもは何処かズレている発言が今回は的を射たと見え、続く「俺たち阿呆決定な」と言う秀武の発言に押されて、「うんうん」と一同は首を上下に振った。男とは皆こんな生き物なのだ。

「うぉぉぉ」と歓喜の声を挙げて目を輝かせる秀武。

「なんだ……、この感情は! ただの女官で見慣れているはずの(ひとえ)が俺の心を惑わせる、狂わせる。分かったぞ! この草の芽が自然に萌芽するようなこの感情! よし、俺がこれを【萌え】と名付けよう」

「誰か、この馬鹿を黙らせろ」

 光の冷ややかな突っ込みに「んじゃお言葉に甘えて」と気を取り直した綱が馬上から飛び蹴りで答える。蹴られながらも「ごふっ、どうやら俺の時代は早過ぎたようだぜっ」と、親指を立てて無駄に爽やかに地面を転がっていた。ちょうど千年くらい早過ぎたようだった。

「こほん……、大将」

「美観についての意見は以降禁ずる。命令だ」

「りょ、了解」

 光は気丈に振舞ってはいるが、その姿に慣れていないせいだろうか? 若干心細そうに、そして同時に恥ずかしそうに顔を赤められると説得力と言う言葉からは程遠い。恐らく十二単の袖の下では固く拳を握っている、間違いない。

「それでは、留守は頼むぞ。……身体を大事にしろよ、坂田」

「……(はっ)、お任せくださいませ。ほれ、童子、とっとと行かんか」

「ほら、金ちゃん、もう行きますよ?」

 頼光が牛車に乗るまで見届けていた金太郎は、坂田と相模に声を掛けられるまで見届けるどころか魅入っていた事に気付き、それでも「あぁ」と分かったかのような返事をしてみた。

「童子」

 その背に、坂田は声を掛ける。

 金太郎が振り向くと布に包まれた、金太郎の身長よりも大きく、分厚く、重い何かを放り投げられ、それを掴んだ。

「これは――、まさか!?」

「『交代』の時間だ。後は、任せたぞ」

「……(かたじけ)い」

「馬鹿もん、渡すのが遅れたくらいじゃわい」

 そう言うと、何時の間にか持っていた杖をついて、邸宅の奥へと坂田は戻った。


 牛歩で揺られること四半時。邸宅の前には公務時の派手な紫とは対照的に、質素な黄土色の狩衣を纏った道長が喜悦を浮かべて待ち構えていた。

「ようこそ、お出でなすった頼こ、いやいや光女君(ひかりのにょくん)

「今回は女御かつ端者ながら土御門邸にお招き戴き、恐悦至極に御座います」

 いつも声よりもやや高めに、本来の女性らしい声色で光は応える。晴れやかな笑顔とは裏腹に、それでも精神的な重圧のせいか? こめかみに微かな青筋が浮かんでいるようにも見えない。

「ぬはははははっ、堅苦しい挨拶はまぁ、そこまでに。では舟を庭の池に出しました故、漢詩の舟、管絃の舟、和歌の舟の中から好きなモノを選んでくださらないか。今回は、諾子(なぎこ)女房や藤式部女君、赤染衛門の夫妻も呼んで、盛況も盛況。さぁさぁ、どれに致しますかな」

 金太郎は貞光の耳に口を寄せて問うた。

「道長様の仰った先の御仁達は何者だ? 赤染衛門の女房は【栄華物語】で名を聞き及んでいるが……」

「諾子女君は枕草子に名高い【清少納言】女君、藤式部女君は我らが郎党、綱殿の美麗な容姿を発想に得たと言われ、現在執筆中の【源氏物語】と言う作品の作者、【紫式部】女君ですよ、金太郎殿」

「あぁ、日記とも付かない悪口やら感性の華々しさを独りよがりに書いた雑記と同人官能文を道長大殿の支援の上、妄想で適当に公卿の爛れた生活を書いているらしいと言う腐れ女人どもか。確かお互い仲が悪いと聞いたような気がするが、顔を合わせて大丈夫なのか?」

 当時の主流文学のと言えば大陸流れの漢詩文を指すのであり、平易の文などで綴った物語はあまり公の舞台に出るものではなかった。いわば、現代で純文学が尊ばれ、ライトノベルや同人文学、二次創作が蔑まれるのと似た現象があり、金太郎の評価は割合平安のこの時代では一般的なものだった。

「き、金太郎殿、それは噂だけによる偏見と言うものですぞ。それに本人達はあちらで……、いがみ合っておりますなぁ……」

 先程から笑顔で向き合う先に挙げた二人の女性、どちらもこの時代の日陰の女性とは思えないほど、文才を放つ才媛として中心を作っている。しかし、その笑顔と沸き立つ集団の内側は棘どころか針のむしろ、と言う状況であり、双方の付き人があたふたしていて、更にそれに混じるのは高みの見物、もとい野次馬の貴族達である。

 二十代前半の紫式部は妙に大人の、余裕ぶった笑みを見せている。素直で冷静(クール)に何事もこなすタイプである。「君の事が好きかもしれない、性的に」と言ってくれそうだ、と秀武は思った。

 対して、そして年齢とは裏腹に逆に、勝気で強気の笑みを浮かべ、三十代前半の清少納言バツイチ。おそらく、清少納言はエビフライのように外はツンツンしていて内側はデレデレでは無いかと言う後世の私見もある。

「……あまり仲は良くないようだな」

「若い割りに余裕のある紫式部女君の方が若干上手のようですな」

 あまりに気の強く「一番じゃなきゃ何でも嫌なのよ」と言うちょっと自惚れ気味の清少納言の事を紫式部は嫌っていたらしく、『紫式部日記』で「何事も小難しく風流ぶって、行く末はろくでもないわ」ときっちりこき下ろしている。

 ちなみに後にその没落後の清少納言に出会い、ちょっとした記録に残らない恋愛劇を見せるのが杓子定規の貞光だったりするのが不思議な話である。ちなみにこの話はまた別の機会で話そう。

 さて、女御二人はそろそろ宴会の雰囲気になれようと無言で視線で合意して、同時に「ふん」と声を出しながら、逆方向に向かってそれぞれ一時解散をした。


 邸宅の外まで響く雅楽の竜笛や太鼓、笙の音色。それらに混じる僅かな美酒の匂いが華やかさを彩っていた。清酒の類はなかったが道長の手に掛かれば当時最高の発酵酒を揃える事は可能だった。

 ところが未だ楽しそうにどの舟を選ぶかと思案している頼光を眺めていた綱が、ちょうど隣りに居た金太郎くらいには聞こえるように「まずいな」と呟いた。

「何がまずいのだ」

 金太郎もその妙に危機感の迫る声色に何かを感じ取ったのか、隣りの人間にも聞こえるか聞こえないかの声で返した。

「人は良くて七癖、と言うが、大将の【音程】諸々の外し具合は並大抵のモノではない。あれは三十癖つけても釣りがくる」

「ま、まことか?」

 綱は静かに頷くと一人回想にふける。

「まさに――、音の刃物。常人の耳を引き裂き、大陸の虎を悶絶させ、渡り鳥の大群を地に落とす――。大将の最大の武器だ」

 サッと顔の体温が下がるのが分かるほど、金太郎から血の気が引いた。

「が、雅楽なら……。声を出さねばどうにかなるのでは?」

「ダメだ。例え楽器でも、俺が耳を塞いでいる横で、たまたま通りかかった猫が土塀から泡吹いて落ちた事があるからな。終わった後もしばらく痙攣していた。大将の音感は致命的に、絶対的に、非合理に、不可抗力に、無遠慮に、壮大に狂っている」

 金太郎の知る限り、和歌の代筆までも歓楽通いと軟派で鍛えたそこそこ上手い秀武に任せているのだから、実際のところはどの文芸、音芸分野も全滅である。天は人に二物を与えずと言うが、二物以上与えた分はきっちり引き算で回収するようだった。天もこんなところで妙な平等性を発揮して欲しくない。

「み、道長殿はそれをご存知なのか?」

「金太郎。今のご時世、昇殿する人間が詩の一つも読めなくては出世にも響くだろう。ましてや三十六歌仙や百人一首の名前入りの名人をこの通り屋敷に呼ぶほどの道長殿の歌好きだぞ?」

「……つまり、いままで隠し通していたわけか」

「その通りだ。まったく、あの河童親父め余計な事を」

「――何か言ったかにゃ? 綱殿」

 十間(二十メートル)先で頼光と話し込んでいたワリに道長は罠仕掛けのように、コワイ笑みを浮かべながら金太郎の方を拍子無しに向いた。目が笑っていない。

「「何でもないです、道長大殿」」と二人で冷や汗を掻いて二重唱しながら、これから始まる惨劇に頭を抱えていた。


 旬の山菜と熱心な仏教徒である道長の唯一好物である兎の肉、そして、金太郎が野生の血を最大限に活用して釣ってきた鮎を更に相模の味付けで仕上げた軽食を終えて、今日の主な催しである歌詠みなどが始まった。

 綱は持ち前の竜笛の腕前を利用して雅楽の舟に、貞光も日頃から読みこなしている漢詩の舟に、秀武と相模は二艘ある内の片方の和歌の舟に、そして金太郎は頼光に連れられて、あろうことか道長の乗る和歌の舟に乗ってしまった。

「(最悪の展開だ)」

 傍らには熱心に、その後は空回りどころか周りまで空回りの回転速度で引き裂きかねない読誦(どくしょう)、いや毒唱を引き起こす、その自作の和歌を一人でブツクサと今のところは小さく唱えながら考えている頼光。それは先程から季語や枕詞どころか「豆御飯」とか「絢爛武闘」とか「かつおの叩き」などと言うデタラメな語句しか聞こえてこない。まったく才能が無いと自覚している金太郎がそう思うのだから相当なものだ。と言うか、殆ど昨日食ったモノばかりじゃねーかと池に落とすくらいの勢いで突っ込みたかった。

 それでも、その姿を見て、その一生懸命な姿勢に心打たれながらも、後の展開で意識が朦朧としている金太郎はもう一度「(最悪の展開だ)」と胸中で呟いた。

 道長はニヤニヤと笑みを浮かべている。彼は恐らく、彼女の致命的なまでの技量を知らずに、ただ単に恥ずかしがっているだけだとでも思っているのだろう。それは安和の変以来の大きな間違いだと声高々に言いたかったが、それをやると金太郎の政治生命と頼光のコメカミの血管が音を立てて切れるような気がしたので、なおさら頭を抱えた。

 人はそれを板挟みと呼ぶ。

「(何か、何か止める方法は無いのか)」

 チラリと貞光の方を見れば、釈迦も驚くほど全てを諦めた顔でユックリと顔を振り、秀武は秀武で「あ・き・ら・め・ろ」と妙に楽しそうに口パクで伝え、綱は自らの持ってきた竜笛をそれだけに集中するように磨いて都合の悪い事を忘れていた。

 最後の頼みの綱にと相模に視線を向けるが「(頑張:ガンバ)」と何か憐れなモノを見るような目と共に両拳を握る、精神支援だけだった。

「(ど、どいつもこいつも役に立たない!!)」

 心の中で毒づくも、宴会の最中ながら後の祭り、金太郎はただ静かに終わりを迎えるまでしかなかった。









 そこに突如、青天を遮るかのように邸宅全体に影が差す。

「(なんだ?)」

 狐の嫁入りならぬ突然の暗雲が立ち込めたように暗くなり、宴会に呼ばれた人々は、ふと空を見上げた。

 だが、その正体よりも早く、その邸宅全体を取り巻く違和感に気付いた五人が居た。

「「「「「(これはッッ、人払いの結界?!)」」」」」


 巨大な百足(ムカデ)がいた。

 禍々しいまでの多足は一本一本が家屋の(はり)ほどの大きさもあり、その百の足をそれぞれに不規則かつ不気味に動かしながら、巨大な、人など丸ごと飲み込むような複雑な顎を咀嚼するように動かしている。黒い甲質は磨かれた金属のようで、大抵の刃物を通さないような威圧感を感じた。身体をうねらせながら空中に浮く様はまさに人外の、人では贖いきれないような圧倒的に最悪な人喰い蟲だった。

 空に位置するその巨大な蟲の頭の辺りに、一人の男が立っていた。

 やたら手足のひょろ長い、目が鋭過ぎるほどに細い男。胴体に比べて異様に手足が長いためか、実際の身長以上の長さ以上に見える。七尺(二メートル十センチ)をやすやすと越える、柳のような細く、それでいて強靭な体の男だった。

 眉毛が薄く、髪の毛が短い。瞳は人ではありえないような濃緑色をギラギラと放っている。

 彼の着る灰色の粗衣は裾はボロボロにも関わらず、内面からは支配者のような威厳が垣間見えた。

 彼は周囲を睥睨すると、高らかと右手を下界に翳して名乗り挙げる。

「我が名ハ美濃の人外王、蟲魔の皇帝、和足 霧宮(ワタリ キリミヤ)。猛将の坂田 公時トの不可侵の契約を我等蟲魔(ちゅうま)眷属は無効と見ナシた。よってココに、早々と宣戦布告を王直々に申しツカまった」

 蟲魔――、高度な知能と階級性と、肉食種の殺戮性を持ち合わせた虫に似た魔族達。

 戦の狼煙(のろし)

 図らずしもそれは、華やかな宴の最中で始まったのだ。

「マズは戯れに……、」

 ニヤリとやたら白くて歯並びの良い口と微妙に外れた発音を蟲の王が見せ、

「貴様等を皆殺シしよウか」

 と殺戮を始めようとした。


 次の瞬間、ビンと何かが弾けて音を出しながら空気を切るような音。霧宮は横の屋根伝いを向くと同時に左手でその何かを叩き落とした。

 それは鏑矢。開戦の印し。

「こノ矢筋、……頼光か?」

 しかし、霧宮はそれはすぐに間違いだと気付いた。

 視線の先には狩衣の上に、大きさの僅かに合わない、赤く塗られた皮の鎧を纏った二足歩行の野獣が矢筒を背負い、弓を手にして屋根に立っていた。

 第二射。

 弦音と共に、弓に二本の番えられた矢がそれぞれ霧宮と大百足の眼に奔る。

 二本の矢は大百足の体のウネリだけで避けられ、甲質の皮によって見た目どおりの鉄同士が打ち付けられるような音で弾かれた。


「(よっしゃ――――!!)」

 金太郎は心中で喝采。

 いつもならこんな(戦闘的な)展開にウンザリするところだが、この騒ぎで『 全 て 』(主に頼光の暴力みたいな歌唱とか)が有耶無耶になると思うと、金太郎を含めて頼光の配下は心の中だけでも叫ばずにいられなかった。


 加えて、これが金太郎の初めての人外との戦だった。


 和歌の舟に居た貴族達は突如現れた蟲魔族と、自らの舟に乗っていた『子供』が見せた陸まで大跳躍で腰を抜かしていた。

 たった二人、道長と彼とやたら親しくしていた謎の女君を除いて。


「源 頼光が郎党にして、その一番槍。怪童、坂田 金太郎」

 弓を屋根に捨てる。それと同時に牛車に隠匿するために巻いていた布ごと渦巻かせながら、大槍を振るって名乗り出る。布が背中側で広がって、怒涛の津波のように見えた。

 それは坂田より渡された、南の門を守護する四天王に相応しい、赤い槍だった。

「なルホど、貴様ガ【怪童丸】か」

 納得するような頷きと同時に、人では決して出来ないような、空を羽で舞うような急角度の跳躍と金太郎が仁王立つ屋根への柔らかな着地。まるで自宅に玄関から入るように気軽で、殺気立つ獣の前に降り立つ。

斗黒(とぐろ)、他の戦士達ノ相手をシろ。コやツは私が()る」

「オデ、ワガッダ」

 大百足の頭の悪そうな声の響き。直後に殻の内側の身体から怖気を及ぼすようなビキビキと筋の発する音。目前の三人の小さな戦士達を巨大な黄色い複眼で睨む。

「金太郎、てめー! 一人で気取ってんじゃねーぞ! こんなデカぶつなんか普通ヤラレ役だろうが! おい! そっちの主人公向けと変われ! 俺の出番を増やせこの野郎! てか一番槍とか勝手に名乗るな、この野郎」

 屋根に向かって訳の分からない事で憤る秀武の両手には太刀と短刀の間くらいの愛刀、備前吉岡守恒の二つで一つの名刀【字丸(あざまる)】と【友切(ともきり)】が構えられていた。

「まったく、演奏を披露する間も無かったな」

 ちょっとだけ悔しそうに呟く綱の両手には和足 霧宮の妻であり、蜘蛛女であった魔のモノを切った大太刀、名刀【髭切丸(ひげきりまる)】が緩やかに頭上に掲げられる。

「ここの結界を張るまで、二人ともあの巨蟲の相手、よろしくお願いします。くれぐれも舟には近づけないように」

 貞光の【石切(いしきり)】と呼ばれる錫杖が先に付けられた金属の輪を揺らしながら、蟲の禍々しい音と邪気を浄化するように鳴らす。




「お前等ならやれるはずだ。――行け」

 和歌の舟で唯一人震える事もしない見目麗しい、琥珀色の瞳の女性は、その容貌に相応しく無い、勝気な台詞を呟く。

 それと共に、二匹の蟲と四天を守る武の王達がぶつかり合った。


 大槍から突きが放たれる。心臓をまるごと消滅させるような技量と威力を持った槍は蟲の王の笑みと共に、手首から肘までの部分で弾かれる。

 蟲の王の両手首の外側には小指側から反り返った蟷螂のような鎌が生えていた。雷光の閃き以下の触れ合いの一瞬でそれを見て取ったのは金太郎の並外れた動体視力によるものだろう。

 続けざまに蟲に額、首、心臓と三連続の槍での突き。卓越した槍の技量は音よりも速く、三度、パンと大気を破る空裂音を発する。

 それは金太郎が終止、坂田から教え込まれた基本の攻めである。内側から外に弾く内受け、外から押さえつけて攻撃を打ち落とす外受け、そして、その螺旋の受けから超音速で放たれる突きである。

 火花に遅れて金属同士の擦れる音。無表情な、蟲の中に僅かに愉悦を浮かべた男は前進と全身で回転するように受けた。そして、その勢いのまま、それよりもなお速く廻る。

 先程の突きとは比べ物にならない、連続した空裂音と鎌の密集した塊。それは刃を巻き上げて動く、意志を持った竜巻のようだ。

「行くゾ、下等種!!」

 眼が廻る事すらなく、それどころか更に加速しながら、蟲の王が暴風となって襲い掛かる。

 圧倒的な回転速度に刃、当たれば即死。鎌鼬(かまいたち)も縮み上がるような斬撃の乱舞。

 足場に対して横に回転するその人外に、金太郎は槍を縦に、盾にするように回転させる。

 全てが鋼で出来た金太郎用の、猛将公時から賜った特注槍。大人が三人がかりでやっと柄の側が持ち上がるそれが暴風を止める。桜花のように鋼で橙色の火花が咲き乱れた。

 が一瞬の拮抗の間もなく、単純な体格差に負けて、金太郎の体が飛んだ。

 体は足場の外に。

 舟で見物していた貴族達の驚きの声。

 しかし、金太郎は大槍を宙で一振りすると同時に、その槍の重さで体勢を一気に立て直して、屋根の外側から内側へと舞い戻る。戻る間でも槍の先はピタリと蟲の王へと向けられて隙は無い。

 一度身体を止めていた霧宮は踏み込もうとした瞬間の、彼のその動きに「ホぉ」と感心をするような声を挙げると、少し離れた間合いから再び回転を始める。

 金太郎は屋根の縁。次に落ちて隙を見せれば後はない。

 ならば、

「だぁらぁぁぁぁぁぁっ!!」

 最強の一撃をかますしか無いだろう。

 金太郎の最大の膂力で長大な、本来なら馬上で使うはずの大槍が捻るように、そして大気を貫くように投げられる。その場の誰かが大陸の巨大兵器を知っていたなら、それはその兵器、石弓(バリスタ)以上の威力。巌で固められた城を破砕するための弓すら、その前には児戯に等しかった。

 しかし、近距離投擲と言う意表を突く離れ業でありながらも相手は人外。そう簡単に行くはずがない。

「馬鹿め、武器ヲ失って、何?!」

 両手の交差と同時に絡めて落とす。だが、あまりの威力で蟷螂の王が人生の中で始めて数歩のたたらを踏んだ瞬間でもあった。

 霧宮はその回転の勢いを投槍によって大幅に止められたが、未だ双つの鎌はいつでも踊れる凶器である。

 しかし、奥の手は別。そう、金太郎の真の凶器は、

「発氣用意……」

 その、如何なる獣でも魔でも止められない、

「――残ったァッ!!」

 超越した突進力。

 立ち合いから一気に、伸び上がるように獣が飛び上がるように突っ込む。

 事の重大さに気付き、『やっと動き始めた』鎌と鎌との間に体当たりで突っ切る。遅れて、屋根伝いの一部が最初の衝撃に耐えられずに盛大に吹き飛んだ。

 金太郎の額と肩を掠って赤い線が宙に引かれる。しかし、そのまま密着した蟲の王を抱き抱え、

「貴様、マさカ?!」

 自らを巻き込んで、屋根から地面に投げ飛ばす。

 それは極意。掴んで、投げ落とすまでは相撲は投げ終わらない。

 土煙と爆音。




 その戦闘の間、巨大な蟲を相手にしていた綱と秀武の二人は巨蟲の天空からの体当たりを何度も食らいながらも、刃を腹や甲質と甲質の間の柔らかい場所に突き立て、斬り付ける事で幾度と無く貴族達の乗る舟への侵攻は防いでいた。

 綱は当たる直前に一陣の風となって目前から消え、僅かにズレた場所から高速で通り過ぎる大百足の柔らかい部分だけを見極めて斬り付ける。

 そこまでの技量の無い秀武は片方の刀と腕で超重の突撃の衝撃を防ぎながら、自らの吹き飛ぶ瞬間、自らの体が蟲と当たる事で一体となり、ほぼ同じ速度となった状態で通り過ぎる大百足に刃で抉るように突き立てる。

「イデェェェェェェェ! イデェェェェェヨォォォォォ!! チビドモガァァァァァァ!!」

 黄色の体液を噴出させて身悶えをしながら空へと戻り、蟲魔特有のイカれた闘争心で大百足は再び突撃を繰り返す。無論、体が大きい分だけ生命力も旺盛で、人と同じ大きさの化け物なら七度は殺せる斬撃と刺突を幾たびも受けながら、些かも衰える事もない速さで迫る。

「綱よぉ、しばらく休ませてくれよぉ。突進を抑える時に受け止めた左手の青痣が痛ぇぞ、泣くぞ、喚くぞ、騒ぐぞ、このヤロウ!」

「泣き言を言うな。秀武の突きの方が俺の斬撃より効いているぞ。ちゃんと動け」

「どの動きを見て言ってんだよ、……って来るぞ」

「知ってる」

「ところでよ、なんか俺の唾液が付いた時にデカイ奴の動きが止まった気がするんだけど、気のせいか?」

「……試してみるか」

 二人は同時に竹筒を開けて口に唾液と水を混ぜ合わせて含み、それを刃に吹き掛けた。

 直後、予め決められたような動きで、再び大百足に刺突と斬撃を浴びせる戦士達。

 巨蟲の動きが目に見えて減速した。


 その間、貞光は陰陽寮の者達が使う日本の呪とも大陸の呪とも異なった異言を唱えていた。

「い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす……」

 繰り返される異言に合わせて、複雑な図とも絵とも字とも似つかないモノを、屋敷の全てを囲むように錫杖で地面へと一心不乱となって描いていく。

 その線と音は世界に意志を響かせるために生まれた旧き言葉、慧埜駆(えのく)語である。陰陽寮長から直接その指南を受け、更に密教の高僧、万物を操る法力を使いこなす彼らは現代で言うなれば『魔法使い』である。その魔法使い達の中で一角の地位を築いた天候操作術の達人にして、今で言う魔女協会認定の第二位、大魔導師級(メイガスクラス)の仁海から「百年に一人の傑物」と言わしめられる素養を持った貞光にとって、自らの想像する魔法の効果を更に現実に深く広く及ぼすには絶大過ぎるほどだった。

 彼の組み上げているのは【溶解呪法】の一つ。自らの『養分』にするために、生物を、それこそ妖力や霊力などと呼ばれる霊気装甲の塊のような『人外』を溶かし尽くすための左法(さほう)、外道の術である。

「い・てみねどん・あじいれ・ずりりてす・ぶおどん――えじ」

 始まりと終わりが繋がる無限の円環。錫杖の先が描かれきった陣を突きながら、当時の日本最高の魔力を打ち込む。

 魔法陣が完成した。

 霊気のみの見えない、そして皮膚には触れない強い風が渦を巻く。

 大気が澱む。急に大気中の水分濃度が四十倍に増えて、温度が春先から初夏に移動したような飽和感。そうとしか表現し得ない、肌を通しての胸糞の悪さを貴族達は感じた。

 種族の違う人にそれだけ影響を与えるのだから、


「アデ?」


 人外なら尚更である。


「ウギェァェェェェァルラォォォォォォォゥッ!!」

 甲質の体の内側が火脹れのように膨れ、同時に灰色に腐食して崩れていく。最も柔らかい部分だった片方の瞳が弾ける。触手と顎と無数の脚が痙攣を繰り返しながら、全身を掻き毟るように小刻みに揺れ動かしていた。殻の間から黄色い汁が音を立てて滝のように迸る。

 しかし、大百足が居住区である殿の一部を破壊しながら落ちると突然、その精気の吸収が止まった。

「ここまでが、限界ですか」

 その精気を吸っていた本人である貞光。彼の右半分の体は真っ黒に爛れて裂けた皮膚に変わり、片方が目玉は黄色く濁り、胴体と四肢のいたる所から皮膚が裂けて血が噴出していた。魔方陣の効果も止まった。

 異種である霊気装甲を略奪した代償は自らの身体に受け入れられずに毒となって自滅をし掛ける事となっていた。

「いやはや、流石に触媒無しでは無理のようで……」

「当たり前だ。バカたれ、無茶しやがって」

 そのまま倒れこもうとした貞光は秀武に受け止められた。流石に強力な魔法使いだけあって、その身体は既に自らの血で浄化され、罅割れた皮膚から血液を脈打ちながらも身体は再生を促している。

「金太郎の方も、終わったようだな」

 太刀を静かに納めながら、綱は獣と蟲の戦場跡を眺めた。




「蟲の王よ、貴公の自慢の鎌は腕の外側を向いている。故に突き抜ければ暴風圏からは過ぎていたのだ。その腕の内側に入ればコトは済んでいた」

 地面に大穴を開け、地面に形どおりにきっちりと埋まっていたのは霧宮。

「今ここで引けば、現在の交戦規定通り、貴様の部下にもこれ以上は手は掛けない。さぁ、……()ね」

「……きんタ、ろう」

 荒い息を挙げながら蟲の王は地面から身体を引き抜きながら、その魔法陣の溶解などは自らの展開した装甲結界で歯牙にも掛けず、ただ禍々しい、殺戮に特化した憎悪の瞳で金太郎を見つめていた。

 だが、圧倒的な投げ技によって負った衝撃は身体に完全に伝播していた。大げさに言えば、富士山の頂上から二呼吸で地面に到達する速度で投げ落とされたくらいの衝撃である。技でなく、とにかく勝つ事を運命付けられたような、呪いのような相撲だった。並みの妖魔なら地面に叩きつけられた段階で全身が砕けて、体の部品が飛び散っていただろう。しかし、身に纏った驚異的な妖気が層を成した鎧、【装甲結界】がその身を辛うじて形を保っていた。しかし、それでも甚大な被害を受けた事に代わりは無い。

 無言の睨み合いは数瞬で終わると、部下である大百足の頭によろよろと四つ脚で寄りながらも乗って、大百足も満身創痍で飛んで逃げ帰った。




「流石だ! 素晴らしい! 一条天皇陛下に闇殺舎の設立を進言したのは無駄では無かったな! 十分な成果だ」

 常人なら夢まで見てビビるはずの化け物に席巻しながらも、手放しで部下を褒めている藤原道長の方が流石だと金太郎たちは思った。

 やっぱり、従兄弟の影を踏む勢いなら頭くらいも軽く踏めると権力簒奪宣言したり、京都を騒がす亡霊にばったり内裏で会って「あんた誰?」と訊けるほどの豪胆な男だ。

「被害はいかほどに?」

 澄ました顔で綱が問うと、馬鹿でかい百足に潰された本殿と馬小屋に居た護衛が二人が死んで、女中が三人怪我しただけだ、と答えた。

「被害が出たのですね」

 淡々と、努めた無表情で貞光は言った。頼光もわずかに眉毛を揺らした。

「なぁに、大事な賓客も、特に前院には怪我一つ無かったのだ。十分な働きだ」

「「…………」」

 喋るとボロが出ると分かっている金太郎と秀武はしっかりと口を結んでいた。

 しかし、それに目敏く道長は気付いて、「失礼した」と一言漏らした。

 流石に人の命に軽重は無いだろうと、当時の貴族としては理解はしかねながらも彼は察して部下に詫びた。

 この辺りが彼の強力な人望を支えている部分なのかも知れない。

「とにかく、お陰で租税の無駄使い、内裏のお荷物とも言われていた【闇殺舎】の実力を公で、しかし、陰ながら示すことが出来た、礼を言うぞ。皆の衆」

「はっ、(かたじけの)ぅございます」

 ようやく終わったんだ、と一堂は息をついた。

 惨劇は終わった。色んな意味で。

「例と言っては何だが、私個人の宴会の第二幕(二次会)にお主らも招待してやろう」

「ありがとうございます。道長様」

「「「「「………………………………えっ?」」」」」

「つまり、私の歌を披露出来ると言う事ですよね?!」

 喜びをキラキラと煌く瞳で現した光を誰も止める事は出来なかった。


 惨劇は終わることはなかったようだ。


 何故かその時、彼ら四人は脳裏に「私は頼光、侍大将~♪」と(邪威闇罹災足:ジャイアンリサイタ)ると言うよく分からない言葉が浮かんだと言う。


 その日の二次会以来、光に歌の披露をさせる事を道長は固く禁じたと言う。


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