17.幕間 鉄囲線五
――雨音は痛みのようだった。
思い出が残す痛みを奴らが笑っていた。
渇きだけが喉を掻き乱す。
その渇きを奴らは楽しんでいた。
雨の中、駅の売店で売っているような安い透明なビニールの傘を差して、二人の怪しい男が居た。
二メートル近い、黒いローブを白い素肌の上に直に羽織った大男に、その横にへらへらとした笑顔を見せるサラリーマンのようなスーツを来た若い男が居た。
その男の見つめる先には、荻が、荻だったものが河川敷で膝をついて座っていた。
彼の右目と丸太のように太い右腕は無く、鍛え上げられた高密度な上半身には心臓のあるべき場所にポッカリと穴が開いていた。
その足元には半分に分かれたズタズタの小振りな心臓はあったが、その持ち主の姿はなかった。
「どうやら彼、右腕と右目を彼女に挙げてから心臓を移植したみたいですね」
「そりゃ、先に心臓を挙げたら残りのパーツは挙げられないからな。まぁ、片手、片目で大手術を短時間で終わらせたのは彼の驚異的な集中力だろうね。【予測】どおり、彼女は自分の心臓は置いていったみたいだな。過去を捨て、自らの新たな生を得る、か。魔術師らしい」
本来なら有り得ないことである。心臓を取り除いても、十五秒以上意識を保って生き続けた記録は医学上はありえる。しかし、それはあくまでの低次元での肉体の反応であり、人間的な、意志を持った活動が出来る事など到底有り得ない。ましてや、自らの心臓を自分の意志で引き千切り、他人に渡すなどは狂気の沙汰である。
しかし、彼はやり遂げた。そこには彼女に生きてもらいたいと言う一身の願いがあり、同時に綿に包まれた中にある針のような、武人らしい剛毅な覚悟と彼女に対する強い芯のある想いがあったからだった。
故に奇跡が起きた。
彼は自ら瞳を抉り彼女に与え、腕を切り取り彼女に取り付け、最後に自ら心臓を取り出し彼女に詰め替えたのだ。
その正座した膝の上に置かれた血塗れの左手には一種の、愛故に形作った狂気があり、同時にそこには神聖な、人として何か感動を与えるような、静けさがあった。
黙した彼はまるで淡々と正座をして禅を組んでいるようで、死んだようには思えないほど穏やかで晴れやかな顔だった。
たった今、心臓を愛する相手に与えたとは思えないほど、痛みの無い安らかな表情だった。
「……それにしても素晴らしい、彼は根性があるよ! 彼は誉むべき魔術師だ! その心意気、いや、その愛ゆえの狂気、この最高の『魔術師』である私が評価し、感動してやろう! 確かこの国の、今代の総理大臣も言っていなかったか? 痛みによく耐えた、とな」
その彼だった骸にパチパチと拍手を巨大な黒い男、脱皮者が送り、それに申し訳程度にスーツの男、鞍路慈恵は続いた。
不可視の神聖さを二人のイカれた男が穢していた。
冒涜を文字通り、自らの興のために行っていたのだ。
悪を行いたいが故に神聖さを汚す。悪のための悪があった。
目的も、意味も無く、ただ純粋に悪になるための行為であり、在り方なのだ。
「……それにしても計画は怖いくらい【予測】通りに進んでいますね?」
「当たり前だ。この私が千年間も考えたのだぞ? あの自称『大魔女』の邪魔さえなければもっと早く始められたのだが、まぁ、『彼女』を『人質』に取る事で上手くいったようなものだがな」
彼は白い歯を見せながら、ゲラゲラと、世界で隣に居る男くらいしか心地よいと思えないような黒い笑い声を挙げた。
「騎士もどきのアレはどうなっているのでしょうか?」
「私の居城にいる。魔人が来た時に捕らえて、魔人を君に渡す手筈だ。その後はどうでも良い。儀式に滞りさえなければ好きに弄って構わん」
「そうですか……、橋の上の彼女ですが、僅かながら蘇生処理は施しました。予定通り、魔女の戻り坂まで運び、それから『心臓』を摘出します」
「魔人が左手を爆砕した時は冷や冷やしたが、私の読みどおり、風の揺らぎで僅かにそれて心臓は無事だったようだな。逆に惜しいのはあの復讐鬼モドキの心臓だ。割れたのは惜しいが、あれだけ思いが強ければ組織片でも多少は使える。拾っておこうか。逆月の宴、その前日まで彼女が見つからなければ、儀式はセーマンで行う」
「……それなら後は私の『心臓』だけですね。で、どうしますか? 魔女(彼女)自身は?」
黒い男は敢えて、答えは既に決まっているのに、意地悪くそれでも考えるような素振りをした。
黒い影に白い、かみそりのように整えられた歯が下弦の月のように見えた。
「そうだな、君の魔術で魔人を捕らえて、彼女に彼の事を教えてあげるのはどうだろうね? 喧嘩別れしたままは可哀相だろ? 絶望する前に彼の事で希望を残さなければならないからね。絶望だけでは闇は出来ない。適度な希望の明かりがあるからこそ、その後の絶望がより暗くなるのさ」
「ふふっ、彼方は本当に弟子思いですね?」
「一度も魔法を教えた事が無いけどね」
げらげらと嫌悪感を煽るような二つの声が木霊した。
――Well, Let me tell you one folktale.
Once upon a time, one infant who was like a beast lived in some mountain.
He lived alone in the natural dark, feed on beasts, and they were followed as it like his shadows.
Even though bear could not grapple with his force, he was top of lives in the mountain.