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15.焦熱(しょうねつ)(1/2)

 いざと言う時に、思い出はいつも裏切る。

 夏の眠りが午睡に沈み始める。

 彼女へは振り返らない。

 遠い過去をもう一度振り返る……

 

 七月二十四日


            -Side A-


 夢では無い、ただただ何処かに沈み込んで、それでもそのまま漂うような妙な感覚に私は浮かされていた。

 足元は定まらず、ただただ感覚に流されるままに、体を浮かせるようにゆらゆらと動かしながら保っていた。

 指先一つすら動く気配が無いので、仕方なくその任せるままに漂わせているしかない。

 そして、遥か遠くのようで、もしくは私の耳元でボソボソと囁く声達が聞こえる。


「……つまり、あいつの復活は……」

「……無理です。それに、だとしても遅過ぎるでしょう。彼はたぶん変わりません。魔人のままです」

「どうすんだよッ!! このまま、奴の思い通りになるのかよ?!」


 怒り、それと同じくらいに、それぞれの、三人の男の声は各々の感情を秘めていた。

 望み、諦め、怒り。

 何だろう? この声に懐かしさを感じるのは?

 そして、何だろう? 誰か一人、足りないのでは無いか、と感じる喪失感は?


「奴のした【予測】は何処までだ?」

「千年後かと。私でも、それ以上は【予知】では見切れません」

「その時まで、あいつも生きているのか?! 奴を打ち殺した方が早いんじゃねぇか?」

「彼は、奴については公式上死んだ事になっています。足取りも既に掴めていません。おそらく大陸まで逃亡したのでしょう。加えて、千年後まで彼が生きているかどうかは分かりません。ですが、彼は【地獄使い】となったのです。おそらく、その時まで苦痛と忘却と殺戮を繰り返すのは確かでしょう」


 苦痛と殺戮。そのまま言葉どおりに考えれば相反する要素の言葉に思える。だけど忘却と言う中間要素によって、彼の言葉の重みが単純な話で無い事を容易に考えさせた。


「千年なんて、気が遠過ぎるぜ……」

「だが、俺達はやり遂げなければならない。大将とアイツをこのままにしていいのか?」

 沈黙。彼らの言い知れようの無い気持ちをその無音が代弁する。

「では、手筈通り。私の法力で時間を掛けて『彼女』を少しずつ転生させます。千年後は、彼の力が最も弱まる頃、彼が気付けば、もしくは彼女が気付かせれば魔人としての苦痛と忘却と殺戮をどうにか出来るはずです。それを秀武(すえたけ)殿には補正して戴こうかと思っています。次世代へと、己の血をもってして、知識と魂を継承させていくのです」

「お、おいおい、よりよって俺を選ぶのか?! それなら(つな)の方が妥当じゃないか?」

「……実は、俺の命は長くないんだ。核の病だ。もって、五年かそこらだろう。それに【繁殖】なら、お前の方が得意だろ?」

「わざわざお上品ぶって言うな、交尾と言え」

 男達の場の空気に合わないような軽口で僅かに空気が緩む。こうやって、彼と彼らは乗り切ってきたのだろう。

「で、爺と同じ病に掛かってやがんのな。お前」

「黙っていたが、俺と翁は父子の関係だ。血の連鎖、病も血脈を通して伝染すると言う事だ。俺の子供達が次に血と魂を継承する前に死んだらどうする?」

「父親?! 本気(マジ)かッ?! あの爺とか?! と言う事はあいつとは兄弟だったんだな! いや義兄弟か?」

「まぁ、普段から醸し出していた雰囲気からして今更と言う感じですが」

 緩んだ中で再び、緊張を走らせる三人の男達。

「そうだな。代わりに俺は、残りの人生を掛けて、アイツの息子に、武術と、知識の全てを伝えようと思う」

「お前の全て……、伝わるのか?」

「悪いが、アイツと才能は似通ったもんだ。筋が良い。三年もあれば『矢止め』と、その先も教えられるはずだ」

「矢止めの先が、使えるようになるのか?」

「あぁ、あれはアイツの血筋なら出来るはずだ」

「……と、言うわけですが、相模(さがみ)さん。貴女はよろしいのですか?」


  そこで、私はもう一つの気配がある事に気付いた。翳りを感じる女性の気配。それは何故か、感覚的に言えば、私に凄く近い雰囲気に思えた。

「私は……、彼を貶めたようなモノですから償わなければなりませんでも。でも、それ以上に」

 愛しているから、と言うのもあるんですと、ただ真っ直ぐに、素直過ぎるくらいに、騙されてしまいそうなくらいに、彼女は言い切った。

「……と言うかよぉ、『  』ちゃんと同じくらいあの唐変木に強い思いがあるのって相模ちゃんしか居ないんだけどな」

「まぁ、あいつの妻であるくらいだから当然だろう」

「あぁ、腹立つぜ。何であいつはこう良い女に求められるだろうな? 俺の出会いと春は何時じゃッ――!!」

「器の差では無いか?」

「うるへぇ」

「では、決まりましたね。相模さんを母体として、少しずつ『  』様を転写しながら、転生させていきます。完全な復活のそれまでは貴女は一本の木、【クヌキの木】となって、彼女の一部をより分けた魔女を生産し続けるでしょう。完全な彼女を生み出すまではそのままです。その過程で貴女は少しづつ自我を転写で、分け与える形で失います。無論、最終的には彼女の中に霊的に溶け込む形となり、主人格は彼女のモノとなるでしょう。むろんの事、私達は『彼女の完全な転生』を望みますが、それは貴女が待ち続けなければならない苦痛となる可能性があります」

 淡々と事務的な口調で自らの考えを告げる。それは、その法力を行う者として術自身の恐ろしさを知っている故の言葉だった。

 むろん、残りの二人の男達も彼女が拒否をしたとしても責めるつもりはまったく無かった。彼らは同罪だったからと言うのと、待ち続ける事の虚しさを知っているからと言うのが心の中にあるからだ。

 しかし、彼女は柔らかく、微笑んだような気がした。

「確実に訪れる幸せな時を、何故恐れる必要があるのか私はまったく分かりません。私の想いが、ちゃんと届かなかった想いが『  』様を通してあの人に届くなら、それは幸福と言うものです」

 彼女の決意が、千年の間待つ事への虚しさと自我を失っていく己、その全てを肯定した。

「やべ、……俺も負けたわ。ならやってやるさ。俺の転生なら『  』ちゃんより簡単なんだろ? アイツらと相模ちゃんが幸せになるように千年後までせぃぜぇ女の尻の後ろでも駆けずり回ってやるさ」

 下品なようでいて、その癖やたらと陽気な笑い声を挙げる。

 先ほどまでの絶望的な声色の中に、微かな、希望の篝火(かがりび)がまだ奥底で燻っているかのように仄かに暖かさを感じた。

「では、彼の『呪い』を解いて、全てが元に戻るように――」




「どうした、在姫。朝から呆けて?」

 そこで私は覚醒した。左手には水の入ったコップ、右手には歯ブラシで、その先端はまごう事無く私の口内に納められていた。

 鏡には、起き立てたのまま、ぼんやりしている寝巻き姿の私の顔が映されている。左の頬が歯ブラシでプクリと膨らんでいる情けない顔だった。

「ヒョウチョ~、おぁよぉ~」

 しょぼつく瞼を起こして、鏡越しに映る友の名を呼びながら挨拶をすると言う面倒くささを見せびらかしてみてみた。

「どうした、在姫? 朝っぱらからスッキリしないのか? ……キスして欲しいのかい?」

「イランわ!」

 と、そんな朝っぱらからの寝惚けも覚めるあほなやり取りに、「朝御飯ですよぉ」と呼び掛ける本人自体が明らかに楽しそうな曲さんの声が聞こえた。


 今日は朝から雨。昨日から急にふって沸いたような台風予報。近年の異常気象によるモノとの予報らしいが、魔女が言うのもなんだけど、誰かが作ったような気配もしてきそうなくらいタイミングの怪しいものだった。ジョウチョー曰く、「気象なんてモノは混沌の学問だ。晴れを導く数式に気象予報士が匙を投げて、数学に転向するくらいだからな。その辺りは三枝先生の専門ではないかな?」との事。

 和木市は進路とその暴風圏からは多少外れるが、雨は降り頻っている。

 外の風景を透かす窓は灰色に塗り潰されていた。

「昨日の内に遊びに行って正解だったな」

 ジョウチョーは緑茶をまったりと啜り、そう、朝食後の会話を始めた。

 キッチンから几帳面に皿を磨く音をさせるのは国定である。

 曲さんは腰から首元まで包帯をきっちり巻いて、黒い半纏を羽織り、昨日の惚けた状態よりも些かに真剣な目付きをしている。どうやら包帯の巻き方で性格的な部分が変わるようだ。ところでその包帯を巻いた体付きが、昨日の恥ずかしがっていたスクール水着よりも非常にイヤラシイ気がするのは錯覚だと願いたい。

 ちなみにその妙に真面目な視線は、国定に「お残しは許さん」と言われたピーマンの肉詰め、の残りであるピーマンに向けられている。朝食終了したはずの時間から三十分ほど経っているが、曲さんはロダンの有名な彫像の方が躍動的なくらいピタリと動きを止めている。将棋なら長考のし過ぎでアウトになりそうな時間だ。

「遊びか、まぁ、本当にパァッと遊べるのは、事件が終わってからだろうけどね」

 昨日のあの降って沸いたような馬鹿騒ぎが三枝先生の差し金と悪戯だと気付かないジョウチョーに苦笑しつつ、残りの魔術師と魔法使いについて考えた。

「奴ら、ここまで攻めてくるかな? 国定、残りの魔術師について何か知らない?」

 ちょうど洗い物を終えて、手をエプロンで拭く国定に問いかけた。

「鞍路慈恵についての情報なら昨日上書きされた差分がある」

 椅子に座って、食卓にごく自然に腕組みのまま腕を置く。ちなみに私と同じように身長が合わないためか、若干肘の位置が高めの気がする。

「奴の魔術の名は【磔刑(たっけい)】、奴が欧州で魔術を発生させた時に、その魔術を受けた者の体の何処かに『十字』の紋様(サイン)が刻まれる事から名付けられた。詳しい作動原理は分からないが、欧州ではその魔術によって千人単位で昏睡状態に陥り、二日程(うな)された後に衰弱死している。加えて、鞍路 慈恵と言うのも本名なのか怪しいらしい。どうも【双頭蛇(アヌピスバナブイエ)】と言う別の魔術師結社にも過去に属していたらしい。既に自ら破門したらしいがな」

「あー、聞いた事あるなぁ、それ」

 確か、人の体から人外へと転生させる方法を研究している大きな魔術師結社の一つだ。ちなみに人から人外へと転生に公式に成功しているのは、目の前にいる国定のような魔人転生と、その隣でようやく泣きながらピーマンを咀嚼し始めた曲さんの死神公社の死神転生、そして双葉宮 咲が行った純粋なエネルギーと概念の塊にする神転生のみだったはずだ。奇しくもその成功の二例が顔を付き合わせて、片方が御飯を作って、片方がそれを食べている図は結構凄いと思う。

 双頭蛇は神秘院に属する正式な団体であり、言わばモグリの魔術師が多い中で、きちんと組織に属した魔術師を輩出している結社であるのは魔女協会の中でも知れ渡っている。バイオなんちゃらとかを使って新しい転生生命体を作り出す研究だった気がする。

「でも、彼は人体改造系や環境操作系って感じじゃないよね。能力的に」

「どうもその様子だと記憶などを操る輩のように感じるな」

 ジョウチョーの眼鏡がキラリと光る。前から気になってるけど、それ、どんな作動原理なの?

「でも、記憶とか操るタイプの魔術師って人外とかに転生なんか出来るの?」

 その私の問いに曲さんが「可能だ」とようやくピーマンを飲み込んで口元と目元を拭きながら答えた。

「公社では『寄生』、『乗っ取り』、『肉体交換』などで実質上妖魔の体を我が物にしている奴らは少なくない。無論、私達によって彼らは『人外として』手配、検挙も、それ以上の事もされているがな、中々鬱陶しいものだ」

 曲さんは包帯の締め付けによる性格の引き締め効果(?)のためか、些か厳しい口調で返答をする。

「でも、磔刑に掛かった人は衰弱死したって話でしょ? 魔術って効果が限定指向性だから、一つの効果しか及ぼせないんじゃないかな? 衰弱死させる事と妖魔の体を手に入れることなんて関係あるかな?」

「未熟者。魔術による効果は一つでも、それを利用した『結果』は応用によって様々に引き起こす事が出来るだろう? 例えば、【轢刑】の摩壁 六騎は機像兵の使い手だが、それを利用して自らの義手、義足を操作していただろう。同様に【流刑】の保隅 流水は物体をすり抜けると同時に、前回は気付かれなかれる事はなかったが、魂を直接見る【魔眼】以外の様々な電子、及び霊的な探知などをすり抜ける事で様々な探知を無効化していたのだ。偶々彼らが自然に魔術の効果を応用していただけだが、それぞれ実際は凄い術式なのだぞ。特に君は侮っていたようだが、保隅の魔術を使えば人体から血も一滴も出さずに心臓を瞬きの内に抜き出す事だって可能だったんだ。俺は魔術師の中で一番危険だと思っていたのは彼だったのだからな」

 ……マジですか? あのちょっと別の次元に逝っていたおっさんが本当の意味で危険人物だったとは俄かに信じがたかった。

「戦力分析がどちらにしろ甘い。もっとよく考えろ」

 まったく、この三日間で進歩したかと思ったら、云々と続く国定の苦言にイライラを募らせながらも、コホンと咳払いをして「ところで今後の対策だけど……」と切り出す。それに合わせてさり気無く自分の履いていたスリッパを国定の脛に飛ばす事も忘れない。

「どうしたんだ、国定さん?」

 予想外の攻撃だったのか、それでも最後の砦のためか「別に何『とも』ない」と脛を摩りながら曲さんに返答するクールフェイスの国定。流石に「何『でも』ない」と言わずに、皮肉を返せるくらいの気力はあるみたいだ。

「私が思うに、積極的に魔術師を探した方が良い様な気がする。何ていうのかな? 何だか、魔術師とか、その背後に居る魔法使いとかを超えた、魔女狩りよりも、もっと大変な事が起こっているような気がするの」

 そう言う私に同意するようにジョウチョーと曲さんも相槌を打つ。

「魔女の予感と言う奴だな。確か、異世界の理を操る、この世界の外から外観を観測する事に長けた魔女の能力と言ったところか。公社でも信用に足るモノとして、魔女の予感による事件予知も有力情報として処理しているし、有力な判断となりうるな」

 曲さんの付け加えるような言い方にも関わらず、国定はウンともスンとも言わずに、眉毛の間をくっ付けるような難しい顔をしていた。

「……もし、在姫が自ら魔術師を足で探したいと言うなら、俺はその考えに賛成できない」

「なっ!!」

 何で、とも続けられない。彼の射抜くような瞳が私を見据える。

「魔女狩り以上に大変な事が起きる可能性があるなら尚更だ。魔人や死神のように霊的処理を施した体なら関わらず、君は生身なんだぞ? 流石に魔女狩りの枠組みを越えるなら、人の世界の事柄と言えども公社は動かざるを得ないはずだ。双葉宮 咲貴の事例もあるだろう。まぁ、あれは担当死神の暴走行為による無許可の【斬殺】だったらしいがな」

 死神の手によって人が死んだ事例が死神にとっても痛い事なのか、曲さんは口をへの字に曲げて納得のいかない表情をしている。私の方からしてみれば双葉宮は噂に聞く限りは色々トンでもない事をやった魔術師との事なので斬殺されても仕方がないだろうし、それの報いを受けるだけの事はやったはずだ。むしろ、殺される事位は彼女の想定の範囲だったかもしれない。公社が人が死ぬ事を気にする事の方がおかしいくらいだ。何でも噂では千年も生きている、実は妖怪だろうと言いたくなる様な魔法使いや魔術師もいるらしい。

 人にはそれぞれ、個人が選択した人生がある。それに後悔するのは、選択した時からの全ての自分とそれに関わった全ての人と事柄を否定しているに過ぎない、と私は思う。良い事だろうが、悪い事だろうが、それを完遂した、御祭りが終わった後のような、不思議な疲労感のような気持ち以外は私はいらないと思う。だから私は終わる瞬間まで駆け抜けていたい……

 と、少々思考が脇道に反れて転がってぶっ飛んだが、国定の続ける物言いをとりあえず聞く事にした。

「……と、まぁ、死神をとにかく責めている訳ではない。むしろこの段階では十分な抑止力になるはずだ。しかし、魔女であろうと在姫は諸々の部分に置いて人の領域を超える事は無い。大蛇どもが蠢く巣に裸足で歩かせる事など出来ない。ここは昨日も言ったとおり、曲さんに守られながら大人しくここに引き篭もっているんだ。昨日からの挙動を見た限りは常寵も信頼に値する。俺が魔術師と魔法使いを狩る間は大人しくしている事だ」

 何ですって?

「つまり、何? 私は魔術師に一般人を盾にされたり、学校に侵入を許したりされてコケにされたのに黙って、しかも指を咥えて家の奥で縮こまって見ていろって言いたいの?!」

「君は戦士では無い。戦で死ぬのは魔女の本懐では無いだろう?」

「そう言う事を言いたいんじゃなくて、それに、私は国定を一人にはさせられ……、え?」




 そこで、私は違和感を感じた。

 黒い金属をピタリと後頭部に突き付けられて、それが銃口だと分かるような、そんな硬く鋭い視線。

 それは流血の殺意を十分に含んで、生理的に受け付けられないケダモノがヌルリと撫で回す舌先ような嫌悪感すら感じた。

 私の感覚と、それを拡張する屋敷の魔術的な簡易結界が何かの襲撃を掴んでいた。それが異常なまでの、知覚出来るほどの襲撃者の攻撃衝動の正体だ。

 その視線とは別に、ほぼ同時に館の敷地に忍び込んだ小さな気配。それは玄関に手を掛けて、そのまま入ろうとしていた。封印魔法ごと破壊して押し入ろうとする者。

「どうしたのだ、在姫」

 私の硬直に気付いたジョウチョーがそう言った直後。




 魔女の館に爆音が響く。

 私は衝撃でボールのように飛んで、床に強かに打ち付けられた。

 続けざまに振動がもう一度。

 ピンボールのようにまたしても吹き飛ぶ。

 余りの衝撃と空気の破裂に耳鳴りがして、周りの音も満足に聞こえない。

 ばしゃりと、何か熱いものが私の身体に掛かった気がする。

 爆炎による華麗な閃光のためか、衝撃のためか? 目元も白く濁ってチカチカとして定まらないうえに煙が濛々と漂っている。

「――PGだ、対戦車砲が――、在姫――連れて館の奥――」

 対戦車砲? 何でそんな戦場で使うようなモノが出てくるのだろう?

 衝撃でフラフラとして、残骸を手に立ち上がろうとしていた私の手が滑りつく感触を得た。

 私の身体に降りかかった紅い血潮。まさか、国定!

 それを確認する前に誰かが先に手を掴んで、玄関まで一直線に引っ張る。

「在姫お姉ちゃん、こっち!」

「あ、あなたは!」

 朦朧とする意識と私の寝巻きの袖を掴んだのは小さな魔術師だった。




            -Side B-


「国定さん、しっかりしろ!」

 痛み。

 転げ回りそうなほどの激痛。

 曲さんの言葉に白く濁りそうになった意識が再びはっきりと戻る。気を抜けば、今にも支えと雛形を失ってバラバラになりそうな俺の体と意志を纏め上げる。

 人間なら痛みだけで、精神が活動を拒否して死に向かいそうなほどの激痛を堪える。

 館の外から放たれた対戦車砲。簡易結界とは言え、物理的防護では無いそれはやすやすと弾頭の侵入を許し、さらに屋敷の壁を粉々に爆砕させた。

 その直後、もう一度放たれた、在姫に向かう弾頭を素手で受け止めたために俺の左手は吹き飛んでいた。骨は髄から露出し、肉が筋が垂れ下がるほどバラバラになった左手はもう戻らないが、霊気装甲を集中させた左手は戦車装甲よりも硬かったために弾頭の炸裂で吹き飛ぶ事以外は在姫に傷が付くことはなかった。傷つかない事は良かった。良かったが『奴らに在姫を奪われてしまった』。

「――大丈夫だ。意識はしっかりしている。右手もまだ使える」

 本当なら、あまりの痛みと不甲斐無さに怒り狂いそうだ。だが、爆煙の中から現れた小さな魔術師が在姫を連れ去ったのだ。早くしなければ、あの小娘と隻腕の魔術師に在姫の心臓が抉られる。ここは冷静にならなければいけない……。

 うつ伏せに倒れた状態から膝をついて一気に胴体の力だけで立ち上がる。


 ……死神が居るからと高に括っていたつもりはなかった。雨の日だから、襲撃もしにくいだろうと思ったのも言い訳にならない。ただ、居心地の良い、この場所に皆と居たかった。そう願って、見張りを怠ってしまった俺の大失態だ。

 そんな状態で、冷静になんてなれはずがないッ!

「畜生ッ!」

 残った右手で残骸となった食卓をぶっ叩いた。食卓が砕けて散らばる。

 しかし、いつまでも怒っている暇は無い。開いた壁から打ち降り注ぐ横薙ぎの風雨が、俺の体と荒れる心を冷やし、それに合わせて状況を見極める。

 いや、冷やす必要は無い、熱く焼けた鉄のように、痛くなるほど雪のように白く輝いて、キレた中で最速の手段で在姫を助ける。

 それにしても館の外から飛来した爆発性の弾頭の命中精度。混乱する俺達の隙をついての在姫の『拉致』。見事過ぎる連携の手際だった。

 そして、……奴らは俺達を騙したのだ。

「常寵さん! しっかり!」

「……うっ、拙い、な、……これは」

 キッチン側に横たわる常寵の鳩尾の下辺り、吹き飛んだ館の破片である、小さな鉄柱が刺さっていた。

 幸い出血は少ないが、動かせば鳩尾の真下にある胃の過敏な神経を刺激して、悪化するかもしれない。

 彼女もそれを知っているのか、身じろぎもせずに、目を瞑って静かにじくじくたる痛みに耐えていた。人間でしかも、戦闘はあっても戦慣れはしていない中で、この冷静さは逆に驚嘆させられる。

 死神の曲さんは黒い半纏、もといあらゆる物理的かつ霊的な攻撃に耐える不壊黒縛衣の守りのために、対戦車砲程度で傷ついてはいなかった。

 呼吸が整った。糸が更によれて切れそうなくらいの中で俺の意識と枠組みが整われた。

「……曲さん、在姫はどっちに!?」

「玄関を通ってそのまま南の高速道路方面に向かった。現在は道路工事と言う名目で封鎖中のために他に人は、あっ! 国定さん! 彼方も治療を!」

 曲さんの制止を振り切って、左腕の付け根から漏れる霊気と仮の肉体から零れる血とそして崩れていく枠組みを抑えながら在姫を追った。




            -Side A-


 空を飛ぶのは非常に難しい。

 昔の人は船により水の境界を乗り越える事は出来たが、気球や飛行機が出来る以前は空は隔たりよりも厚い異界と考えていたと言われている。届かない空は天空の、神の、人以外の領域だった。それ故に人は天にまで届く塔を作ったり、蝋で作った羽で飛んだりと、神のいる座まで届かせようと様々な努力をしていた。しかし、それは人故に道具を借りるのが常だった。

 何かの力を借りる、それが箒だったり、魔獣だったり、鉄パイプだったりするのが人の限界である。人が何の力も借りずに単体で飛ぶとしたら、それは魔法すら超えている。潜在意識化の頚木すら引き千切る、『人は何も無しに飛べない』と言う常識を打ち壊す。トンでもない大魔法に属するだろう。

 それを小さな魔術師である斜 蘭が必死な顔でしかも魔法よりも汎用性に劣るはずの魔術で行っている。作動原理が不明とは言え、見た目はただ彼女の力で飛んでいるようにしか見えない。

 私を抱えて山側の国道に沿って飛行を続ける。流石に私を持ち上げているためか、若干速度は以前見た時よりは遅い。それでも疾走する車よりは早いはずだ。

 私達の周りには不思議な事に雨が降ってきていない。見上げてみれば、雲の一部がポッカリと開いて、見えない何かの力が私達を牽引しているようだった。


 そして私達の沿う国道を疾走する一台の外車。その左ハンドル席に座るのは、三枝先生だった……。

「セツカは怒りに惑わされているの。今は誰も止める事が出来ない」

 斜蘭は私を抱き抱える事とは別の、他の苦痛に耐えるような顔をしている。

 私は訳が分からなかった。何故、昨日まで親密にしていた先生が仇でも追うように私を追うのか?

 私が何か悪い事でもしたのだろうか? そんなはずは無い、私は三枝先生を慕っていて、無礼を働いた事やましてや殺されるほど理不尽な事をした覚えない。

「どうなってるの? 本当に……」

 思考の迷宮とやらが存在するなら私は今現在彷徨っているところだ。私は一体どうすればいいのだろう?

 何気ない関係だったはずの教師が生徒の私を殺そうとしている、頭がこんがらかりそうだ。

「――在姫お姉ちゃん、今は逃げる事に集中して、お願い」

「……うん、分かった」

 その状況を察した斜蘭によって促され、ようやく気が動転している状態から抜け出した私は噛み切り馴れた親指から血を滴らせて詠唱を始めた。

「I summon one from blow universe in Ithaqua' name. Derive Sylph, Hippogriff! (我はイタクァの名に於いて風界より素を呼ぶ。出でよ、風霊素、ヒッポグリフ!)」

 世界に不可視の大きな扉を作り上げて、光の尾を引きながらヒッポグリフを呼び出した。

 羽ばたいて寄ってきたヒッポグリフ。

 しかし、斜蘭の負担を減らそうと彼に飛び乗ろうとした瞬間、彼は私を制するように鳴き声を挙げて旋回した。

「あれ?」

 その途端、彼と私を結ぶ線上を閃光が駆け抜ける。

 後ろを向けば、運転手側の扉を羽のように上に向かって開き、黒い車体から黒い銃身を先生は覗かせていた。

 ヒッポグリフの鋭い視線が彼女の発砲を見切ったのだ。片手での照準の保持に関わらず綺麗な射線。それは死を描くには、美し過ぎる殺戮の方程式だった。

「愛用のスコーピオン?! セツカ……、本気で殺す気なのね……」

 そう斜蘭は呻くと僅かに速度を挙げて、蛇行と旋回を混ぜ合わせるように立体的な飛行をする。

 そして、私も彼女に甘えてるだけにはいかない。

「Go!(ゆけ!)」

 私の魔力の篭った一言で全てを従者は理解すると、ベッドほどの面積もある片翼をそれぞれ翻して三枝先生、否、魔術師へと立ち向かう。

 射線外に相当する左の運転席の反対側、助手席の右側から回り込んで車の天井に降り立つと、私の胴体なら軽々と掴める前足の鉤爪を突き立てた。鋼鉄の天井にバターにナイフでも突くかのようにあっさりと抉りこむ。

 だが、天井が爪で捲り上がったと同時に、彼は勢い良く飛び立った。

 捲くれ上がった天井から光の線が十数発、映画で聞くものより甲高い銃撃音を立てて飛び出した。

 天井に向けられた銃口が硝煙を雨に吸わせていた。

 怒り狂った彼女を止める手段はあるのだろうか?

 車に体当たりして彼女を止めると言う手も考えたが、流石に時速百二十キロ以上で車が横転したら大惨事になるのは目に見えている。何があったのかは知らないが、彼女を殺す気には私にはなれない。

「まったくどうなっているのよ?!」

 悪態付いても仕方が無い。とにかく今は逃げるのが先決だった。

 風切り音。

 頭蓋を撃ち抜かんと迫る弾丸群を体を傾けて斜蘭は避ける。

 華麗なる機動性で魔術師が縦横無尽に飛び回る。

「セツカ、お願い、正気に戻って……」

 少女の小さな叫びは届かないのだろうか……。




            -Side C-


 彼女は右足でアクセルを踏み、ハンドルを左足で御しながら、残った左片手で、口にくわえた(さそり)の名の付く銃に、弾の詰まった弾倉を込めると言う器用な事をしていた。車の運転と弾込め作業である再装填(リロード)を同時に行っているのだ。

 それを終えると、銃の手入れのためにつけたあったガンオイルにも気にも留めずに、この五年間の今までで無いほどに潤った唇をぺロリと舐め挙げた。

 舌先が化粧っ気の無い口唇をなぞると、セツカは歓喜に震えた。

「あぁ――、やっと、ブチ殺せる」

 口に咥えていたガンオイルの光沢でギラギラと脂ぎった口唇が怖気を巻き起こすほど淫靡だった。

 興奮で鼓動は高まり、血流はアドレナリンをヘモグロビンと混ぜ合いながら、瞳孔を収縮させ、呼吸は性的な興奮を得たかのように明滅を繰り返していた。

 五年間。魔術の研鑽を積みながらも、あくまで確率の高い手段の一つである、魔法を捜し求め、それでも見つからずに奴らを倒そうと放浪を続けて、五年、ようやく手の届くところに獲物は現れたのだ。

 加えて獲物は心臓まで背負っている。

 彼女の活発な生体反応に比例しつつ、心が在姫の白肌を切り裂き、顔を砕き、命乞いの大叫喚(うた)を聞きながら嬲り殺すと思うと、セツカは一種の快感にも似たおこりに応じて、身体も雨の冷気を吸ってゾクリと震えた。

 冷たい雨など問題にならないほどに、彼女の肉は燃えていると言うのに……。

 再装填(リロード)終了。左肩からスリングベルトで銃を下げ、左足がギアをシフトさせるためのクラッチへ戻り、残った片手が猟犬の鼻先を決めるステアリングに添えられる。が、今一度ステアリングから離すと、額から眼帯のように右目のポッカリと空いた眼窩を隠すように袈裟懸けに掛けた、少年漫画の忍者のような鉢金を軋む音を立てながらながら掴んだ。残った左の瞳をいっぱいに開いて痛みに耐えるように鉢金を掴む。


 例えば、それは犬に噛み殺された親族と自らの噛み千切られた身体を心に刻み、世界の犬も、犬の子すらをも憎み、自ら牙を持って犬を追い回して惨殺する感覚に似ていた。

 まさしく、犬を憎みながら狗へと成り果てた復讐の走狗である。


 あくまで狩る側と言う圧倒的な立場にある彼女は、例え元凶で無くとも、更に子であるにも関わらず、在姫を酷く憎く感じられた。

 憎悪を憎悪で塗り固め、復讐の彼岸に旅立って対岸に降り立ち、殺意で殺意のキャンバスを狂ったみたいに塗り潰し、もはや、彼女は人のなりをしていながら、自身の執念に凝り固まった化け物だった。

 そう、彼女は魔術師で無く、化け物だった。

 その彼女の無くなった右目の奥で、その光景は何度も再生されていた。人形のようにバラバラに玩ばれた両親の骸、その一部始終を忘れずに、右目の奥が痛みとなって幻視させる。

 そして、痛み。踏み潰され、千切り取られた右二の腕の中心からチリチリと、成長痛に似た鈍い痛み、幻痛を感じている。

 いつまでも続く過去の疼痛。


 しかし、其処(右腕)とは違う痛みも何故か同時に体が覚えていた。心臓から広がる染みのような小さく、か細い(いたみ)


 だが彼女は、強烈な右腕の痛みと鮮烈なまでの右目の記憶と、信頼と友諸々の全てを裏切った小さな矛盾を無視するかのように獲物を見据えた。

 開かれた天井から左目が最適な仰角とタイミングを、左手が最速でアグレッシブな射線までを位置づけた。

 蠍が二十発の毒を放つ。

 前方から襲い掛かろうとしていたヒッポグリフが甲高い声を挙げながら、翼に走った痛みと負傷で飛翔を鈍らせ、そのまま高速道路の看板を避けきれずに激突。

 魔術師は絶妙な荷重移動でハンドルを切って、目の前の地に落ちたヒッポグリフを轢かんと後輪を滑らす。普通なら横転の危険もある事も、狂った彼女には邪魔する相手を殺す事しか思い浮かばなかった。無論、仮に横転したとしても今の彼女は在姫を殺すまで追い続けるだろう。

 しかし、ヒッポグリフはその巨体に似合わないスピードで転がり、その轢殺を回避した。

「…………」

「――――」

 一瞬の交錯。

 鷲の上半身に天馬の胴体を持つ魔獣。その異様な体には似使わない知的な鳶色の瞳がサイドミラー越しに隻眼と交わった。

 それはまるで悲しみを、狂気を理解し哀れむかのような瞳の色だった。

「そこに佇んでろ化け物、貴様の主人は私が殺す――」

 その言葉はまるで、決意を、無理に塗り固めるような、言葉の戒め。

 三ヶ月の教師の思い出を、八年に及ぶ復讐者の重さで押し潰す。

 小さな少女が、教師だった彼女に投げかけて憧れの視線を、頭から取り除く。

 その間の思考と言うには短過ぎる時間は雷鳴よりも早く頭から消え去った。

 高速道路の防音壁に軽く掠るボディはフットブレーキを駆使した高難度のドリフトとステアリングを切るカウンターでかわされる。片腕故にサイドブレーキの使えないセツカが体得したドリフトだった。雨が降り、必要以上に滑りやすくなっている路面を魔術師は確実にタイヤから情報を読み込んで、操作に反映させていた。

 再び、道路のど真ん中に戻る車体。

 左手を胴体に食い込ませるように窮屈にシフトレバーに伸ばして、利き手の反対に位置するギアを止まらない早さで一段階挙げた。

 一トンを越える黒い悪魔が更に甲高い咆哮を撒き散らし、エンジンの回転数と速度を上げた。




            -Side X-


 空間作成は魔法でも奥義に当たる物である。

 通常空間とは僅かに異なる層である位相空間や、まったく別の地点と地点の距離感覚で騙す圧縮空間などがある。大抵の場合はその場にあるものを用いて、それを応用して感覚器官から受ける認識や印象を変える空間などの、有り合わせのモノで作られるのは空間魔術である。


 しかし、魔法による空間『作成』は違う。

 世界は無数の可能性とその分岐点と時系列によって成り立っており、そのどれかが違う世界を異世界(パラレルワールド)と呼ぶ。異世界は無限であり、同時に決して他の世界とは交わる事、世界線が交錯することが無いために、その存在性を保っている。

 だが魔法は、その邂逅を、既存世界と異世界を接合する事を可能にする。

 魔法使い達は無数の特異点の中から自らの同期するモノを見つけ、それを魔力で引き寄せるのである。

 それはあたかも自らの望んだ世界を作るように見えるため、空間作成と呼ばれる、との事だ。


 身体の内の能力、零から始まる事が可能な魔法使い。

 身体の外の技術、コンマ壱からの飛躍をする魔術師。


 言うなれば才能のある芸術家と技術の有る職人のような違いだろうか?


 残念ながら、魔術によって空間を作成する事は不可能に近い。

 存在を証明し真似る事は出来ても、現実界と異界とを邂逅させる手段が無いのである。


 それを文字通り、容易に成し遂げる食人騎(しょくじんき)と言う異世界の騎士もいるが、彼らの場合は、それは魔力の制約のある魔法ではなく、ただの能力であり、彼らは呼び出されるのでは無く、望む世界へと侵入するのである。懐かしい思い出、と言ったところだろうか?




「では、例えば、邂逅させる事無く、改変、つまりこの世界を再び創造する事は可能だろうか?」


 そんな疑問が魔術師の私の心の中に去来した。


 世界は何か、人などでは計り知れない、トンでもない何かの存在によって成り立っている。運命を定めたり、時に流れがあったり、記憶が失われたり、何かが簡単に滅びてしまったりする事。それらを司る【時守(ときもり)】と呼ばれるモノどもが世界の、秘密を支配しているようだ。

 しかし、彼らとて、むろん世界最大の宗教機関である教会の神とて、その名状しがたい、万物の根源とも言える存在を超えることは出来ない。彼らも、また人によって作り出された神も、その神とすら呼ぶにおこがましい、全ての一である夢幻にして無限の夢を見る【ジュー・ショクァッ・キュキ】と名付けられたモノを超える事は出来ないはずなのだ。


 だが、混沌で有る故に世界に綻びはある。


 それを利用し、まず、【私】はこの世界の【神】となる。


 私はこの三千世界を遍く統べる万能者と成り代わるのだ。

 神とは純粋な力である。

 雷神、風神、水神、守り神、邪神……。

 力の純な傾向を示すのに、その冒頭に自身を形容する言の葉が付くだけなのだ。

 そして、私が目指すのは【魔】、そのものの神である。

 神となり、巨大な魔の純結晶の概念と化した私は、世界の綻びに伝手に巨大な穴を開ける事出来るであろう。

 それは世界の望む場所を裏返すための穴。

 改変と同時に、私は名状しがたいもの【ジュー・ショクァッ・キュキ】を支配下に置く。

 そして、私は、私の知り尽くした世界も、その先の世界も統べる真の神と成り代わるのだ。


「まずはそのために、この肉体を捨てねばな」


 幾度と無く肉体を捨ててきたが、今度は人間である事が最後である。

 千年にも渡る計画も大詰めとなってきていた。


「六人中五つでも魔方陣の形に問題は無い。五芒星(セーマン)六芒星(ドーマン)であるかくらいの違いだからな。神へとなるための、穴さえ開けられれば良い」


 この駆け引きで私の予測が想定範囲内であれば、今日中に彼らのうち、三人中二人は必ず死ぬ。

 志低き魔術師とは本当に小賢しく、それでいて愚かで、弄りがいのある玩具である。

 いや、玩具とは失礼か。むしろ奴らは道具だ。実用に適さない玩具と使える道具は分けるべきだろう。

 道具である者どもの魔力の無い心臓が必要不可欠である。

 空洞の骸、空の心臓は無限の負の穴、そこを通すだけなら流れを作るのに都合の良い代物だ。

 空虚は無への奈落に結界を落とす綻びなのだ。


「逆月の宴まで、後、九日、……か」


 瞼を開けた瞳に雨が突き刺さる。その一つ一つの飛沫が、自然の事象が終わる事が、私の計画到達への秒読みのように感じられた。

 全てが満ちている確信をしながら、私は豪雨と暗雲の奥の、蒼天で白い隠する更待月(ふけまちづき)を見据えた。




            -Side B-


 走る。

 全力で走る。

 圧力で砕けかけている足が魔力の供給が追いつかずに一歩踏み出すごとに震える。

 既に人の出せる速度では無い。皮膚を叩く暴風と瞳に当たる雨飛沫を意に返さず走っている。今にも足場から砕けそうな脆い歪さ。それでも倒れない。それでも転げない。それでも崩れない。

 針一本の上に自らの爪先を合わせて乗るくらいのバランスで、拙いほどの感覚を手がかりに足を運ぶ。

 地面を蹴りこむような走りは身体を必要以上に浮かせてしまう。それでもそれを押さえつけるように獣の感覚で着地、同時に力の解放。


 車の走行能力など問題にならないスピードで俺は駆けていた。


 肉体の痛み以上の心の苦味。自らの油断が胸の奥の全てを掻き乱す。

 怒りだけに任せて、ただ猛り狂うように吼える事も出来たが、俺の一角の理性がそれを押し留めた。

 単純な衝動よりも優先させるモノが俺にあったからだ。


「在姫、在姫、在姫……」


 俺には生前の記憶が無い。故に、この身に時折甦るあの狂った記録が理解出来ない。

 実感のある俺の記憶だと断定できないものは例え、頭に残っていても何かに記しただけの記録と変わらない。

 歴史に名の残る人物でありながら、俺のその実態は判然としない。霞の掛かった山の麓のように、その裾を垣間見る事が出来ないのだ。

 魔人となり、一つを残して、全てを捨てた。

 ただ、その残した理由も目的も失い、存在するだけの者になってしまった。

 残る一つはただの狂気である。


 怒り、憤怒の記憶、悪夢。


 立ち塞がる父親を殴り殺し、呆然としながら子を抱く母親を切り倒し、残されたか弱い嬰児を踏み潰す。

 焔が舞う。狂った舞人は俺を焦がし、地に熱風を轟かす。

 広がっていく紅い風景。それはあまりの小気味の良さに喜劇のようで、


 顔に張り付いた笑みが零れていた。



 それ以前の何か、一つ、大事な事を忘れていたような気がするが、欠片も思い出す事が出来ない。

 そう、何かを失って、もう二度と失いたくなくて魔人となったのに、なった途端に、掌の指と指との間から水が毀れていくように足元へと消えていった。


 とにかく、今度は失ってはイケナイのだ。


 俺は、普通の魔人の分類とは異なる。

 通常、魔人は内部の魔力を失えば、その枠組みが崩壊して完全に消え去る。

 それは『菅原 道真』や『平 将門』、『織田 信長』や『天草 四郎』も例外では無かった。

 しかし、俺だけはどうやら別枠のようだ。

 地獄の門番と同時にその使い手である領主となった俺は、地獄の負の力によって引き寄せられて何度も魔人転生を繰り返すような摂理に囚われている。

 再び魔人となるからには、その力を再生されると同時に初めからやり直し。つまり転生前の記憶は全て失われるのだ。

 だからもし、俺と親しき人となった者でも、力を失って地獄で転生すれば、何も覚えていない。


 そのお陰で俺は何度も裏切りを繰り返したようだ。そのつもりはなかったのに、魔人として再び召喚された時には立場が変わっているのだ。そして、それも覚えてはいない。

 ある時は親しい友となった者を殺し、

 ある時は育てた子供を置き去りにし、

 ある時は慕っていた部下を裏切り、

 ある時は恋仲となった女を騙し、

 ある時は最も嫌悪した敵に捨て駒に使われた。


 俺は既に矛盾を何度繰り返したか分からない。

 一度で存在が消えれば良いのに、何度も繰り返している。

 存在の否定は認められない。終焉である死は在り得ない。存在の否定理由を俺は再認できない。それは何が間違いなのか分からないからだ。遠い過去、最も望みながら、最初に失った誓いの記憶。

 俺は何度も地獄の住人達に慟哭のように問うたが、彼の者は一様に「彼方が最も望んだものだ」と答えた。


 俺はそこまでして何を求めていたのだろうか?

 俺は何をしたかったのだろうか?

 俺は何者だったのだろう?


 記憶喪失とは違う。記録はあってもその記憶が無いのだ。俺には何も手がかりは無い。全てが知覚出来ないほど細切れで、しかも破片が足りない。

 例え記録があってもそれが俺だと断定できなければ、それは朝焼けと夕焼けが分からないと同じだ。記録と記憶は等しくないのだ。俺の転生の初めから続いている連続した感覚の記憶、実感が唯一俺自身だと断定できるのだ。


 だから、俺がまだ転生していない、この残された時間、と実感が全てだ。


 思えば十六年前、まだ特捜室でなく、特別捜査準備会と呼ばれていた頃の、十代で異例の大抜擢により室長となった馬鹿に間違って召喚されなければ、あの灼熱の大地の底で燻っていてあの魔女との出会いも無かったはずである。

 あのいつまでも柔らかな風の吹く幻想の大草原の真ん中に生えている、大きな『くぬき』の木の下で、二人の魔女と小さな魔女候補を迎えた。

 二人は見送り、一人は門を通った。

 その一人の女と俺は、俺自身の名を掛けて約束をした。



『地獄から王の持ち物を持ち出すのは重罪だぞ。古き付き合い故に、直々に門を開けてやると言うのに、俺の物を盗むとは不愉快な女だ』

『その時は、その時、人間、誰でも死ぬ。だから、『元は人間の』お前でも死ぬはず』

『ふん、魔女如きが。門番にして、王となった【魔人】と闘り合うのか? 不愉快を通し越して愉快だ。この間の暗殺者と女騎士を思い出すぞ』

 彼女は俺の不意をつくように、背伸びをしながら片手を俺の頬に掛けた。

 その表情は何故か記憶も無いのに懐かしく感じた。

『悲しい人。未だ……、囚われている』

 人を忘れ、自らを忘れ、誰からも忘れられる時を過ごした俺は、その言葉に、肯定するしかなかった。

『…………世迷いごとを……、俺は昔から、地獄の底に、奥底にただ独り、

 叶えられなかった夢のため、

 永遠に続く復讐を求め、

 最後まで失敗した覚悟によって、

 自らに科した業を背負い、

 過去を捨て、

 それらに続くモノを使って、ただ生き延びるのみ、

 故に俺は【地獄使い】と呼ばれるのみだ。貴様こそ、下らない世界の秘密に執着したまま、同じ底で死ぬがいい』


 女は清々しく、俺の真後ろのアカイ。壊れた空とは比較にならない、蒼い空のように笑った。


『じゃあ、あるかもしれない決闘のため、約束。もし私、死んだら、『あの娘』、責任取って、―― 守って』

 その魔女の覚悟に負けた俺は頷いた。

『了承した。王と、境界の門番たる【国定】の名にかけて、命を賭けてあの娘を必ず守ろう』



 彼女は死んだ。

 彼女の約束のため、いや、この残る記憶のために彼女は守らなければならない。


 また零れ落ちる事を俺は許さない。妥協しない。諦めない。

 途方も無い繰り返しを俺はしているはずだ。断片すら残らない記憶の中で、俺は何度も己の悪意に際悩まされる。

 それでも、俺はやらなければならない。

 俺は一本の槍にならなくてはならない。折れても、曲がっても、朽ちても、貫かねばならないのだ。

 たとえ刃先が無くとも、俺は貫く。

 意志の無垢なる刃を秘めて。


 雨が一段と酷くなった。

 下からも雨が降るような激しい豪雨。その路面で足元が滑り、俺は無様に転げた。

 四輪駆動の限界走行と変わらない速度で駆けていたのだ。それは形容すべき車体の座席から路面に放り出されたのと同じようなものだ。

 皮が背中から削げる。しかし、そのまま受身を取って転がったままから再び走り出す。

 曲がった道路標識、爪痕、道路に残る護謨(ゴム)の跡。散らばる薬莢。

 それを手掛かりに彼女らを追い続ける。


 在姫は誰にも渡さない――。




            -Side C-


 私、斜 蘭の人生は生まれから狂っている。

 私は家族の繋がりを求めて、それを断絶された故に世界を彷徨う事を決めた。いつか、私が心地よいと思える繋がりを求める為に。


 私の家族はそれは仲が良かった。

 父は優しく、母は思いやり深かった。

 父はあの少しおかしくなってしまった物理学者の保隅 流水とも親しく、高名な物理学者として名を成し、母はそれを手伝っていた。

 共に愛し、睦まじかった。

 誰もが羨む家庭だったと思う。


 ただ一つ、夫婦二人が実の兄妹であると言う以外。


 何時だろう? 私の家族は突然狂った。

 母が父を罵り、父は母を皮肉った。

 愛情は憎悪の裏返しとも言えるが、激しい憎悪の棘が殺意すら巻き起こした。

 それは身内であるだけに近親憎悪と言うだけでは言い切れない、凄まじいものとなった。

 三人だけの小さな世界だったのに、その殻が壊れた。父が女に入れ込んだと母が言い、母が父に隠れて密通したと父は蔑んだ。私はそのどちらも目撃しておらず、どちらも奇妙に思えた。それを言っても互いは納得せず、互いと、それを指摘した私への憎悪だけが倍加していった。

 時に暴力が振るわれ、私はそれを受け入れた時があった。


 殴られ、時には陵辱すらされた。

 でも、良かったのだ。私が我慢すれば、再び二人は元に繋がり合うのだ、とそう盲目的に信じ続けた。それ以前に私は、信じる事しか出来ないほど幼かったのだ。


 両親は互いに刃物で刺し合い、私の目の前で死んだ。

 死ぬ直前まで、私すらを呪っていた。

 私はそれから、時が止まったかのように成長すらしなくなった。

 本当は二十代などとうに過ぎた年頃なのに、私の身体は大きな心のショックで、元々よりも更に壊れたようだった。




 見えない繋がりを信じていた。

 それは父と母が研究していた重力のようなもので、目には見えないけど、確かにあるものだと思っていた。

 とりあえず、埋葬も終えて誰も居ない家で、私は両親の研究を続けた。何もする事がなかったが、それでも両親との繋がりが欲しかったのだ。私は彼らの残した研究に没頭し、気付けば重力を自在に操れる装置を作り出していた。

 それでも、作り終えても繋がりは感じ取れなかった。

 茫然自失で佇んでいたところに、何処から嗅ぎ付けたのかは知らないが、悪い魔法使いは私の研究を横取りしにきた。

 別に取られる事はどうでも良かった。研究の成果は全て頭の中に入っていたし、繋がりはそこには無い事を知ってしまったからだ。

 ただひたすら老衰を待つ老人のようにそのまま終えるつもりだった。

 だが、繋がりを無い事を確認したそれを、そのまま自分だけの物にしようとした魔法使いを許せなかった。私の繋がりだと錯覚でも思ったのは私のものなのに、その見えない繋がりとそれを信じた、私の命すら奪い取ろうとした。


 許せなかった。

 でも、抵抗する力は無かった。

 繋がりなんて何処にも無いのだろうか?

 繋がりなんて幻想(たわごと)なのだろうか?

 そう、思っていたとき、悪い魔法使いの体が吹き飛んだ。

 散弾を喰らって床に叩きつけられ、更にそこから逃げようとした魔法使いを、身体の丸い男が足で繋ぎとめた。


 二人の魔術師、オギとセツカ。あの巨大な院に許可された、人道と魔道を無視した人間に対する各国家間の密約によって完全殺人許可を持つ三百六十五人の、国際的に合法化された魔術師と魔法使い専門の殺し屋の内の二人。

 人体創術師(ボディメイカー)のオギと連続修士(コラテラルマスター)のセツカ。

 彼らが追っていたのはテンプル騎士団の流れを汲む極悪の魔法使いの団体で、その大元まで追いかけ、手掛かりまで近づいて来ていたと言うのだ。

 無論、それだけで無く、彼らには目的があった。

 『魔法使い』になる事。

 私の研究を横取りしようとした悪い魔法使いから心臓を取り出し、魔法使いに生まれ変わろうとしていた。

 しかし、私を殺そうとしていた魔法使いの心臓はもう使い物にならないほどのギリギリの許容量で、ぶっちゃけて言うならあまりにも魔法使いの才能は無くて、そのまま捨てられた。


 彼らに私は教えられた。

 『魔法使い』は見えないモノすら作り出せると言うのだ。


 私は彼らにくっついて行くことにした。

 彼らの見つめる先に、もしかしたら、見えない繋がりがある事を信じて……。


 子供のように狂ったように面白おかしく過ごす日々が楽しくも感じられた。

 いつしか演技は日常となり、それが私自身となった。

 最年長のはずの私が、何時の間にかセツカとオギの子供か妹のように、くっ付いて廻るだけの存在になっていたのだ。


 そして、私は在姫と出会った。

 彼女には見えない何かがあるように感じられた。

 確信にも満たない、それはただの予感。それを信じる事にしたのだ。


 私は、日常を捨てて、重層可変子(マルチレイヤー)シャランへと戻る事にしたのだ。




 雲の切れ目から光が降り注いでいた。私は橋上手前で在姫と分かれて、田舎町と都市部を分ける太臥河の橋の上に居た。辺りの道路から跳ね返る雨の冷気が火照った身体を灌ぐ。

 目前には狂ってしまった魔術師。いや、それは私もか。


 静止軌道上に打ち上げられた私の重力制御衛星が水を、雨を弾いている。

 グエーザーと呼ばれる重力の束。レーザーが光を励起させ位相を揃えたものなら、グエーザーは特定の重力子を励起させて位相を揃えたものである。物体の固有振動数に位相を合わせる事で特定の対象を分解させる事も出来る。一昨日、在姫に警告代わりに放ったのもそれだ。重力子は狙った物質以外は無傷で通り抜け、素粒子レベルまで分解させる。勿論、それを逆転させて、私の身体周辺などを対象にして重力の位相を反発させて無重力状態、そして牽引して空を飛ぶようにすることも可能だ。つまり衛星軌道上で捕捉させれば、例え核ミサイルでも放射性物質まで分解させ、無効化可能させたり、飛ぶ向きすら変える事も可能なのだ。


 それをセツカに放たなければならない。

 黒い、オギのランボルギーニ・ディアブロGTが文字通り悪魔のようなスピードで襲いかかってくる。

 完全に私すら轢く気だ。


「ぷあ・んくろ・ぶ」

 エノク語を通して衛星軌道上から黒い悪魔に狙いを定める。搭載済みの量子コンピューターでの軌道計算と地磁気やローレンツ力などの影響を受けない重力子の超直進性により、誤差の修正まで一秒以内に片を付ける。重力の影響は光の速さで伝わる。演算処理の一秒は流石に縮まらない壁とはなってしまったけどね。


 悪魔は音も立てずに崩れ、形を失う。

 鋼のみを分解した結果、エンジンと外殻を失った車体の残骸。

 衛星の重さの関係上、射出口は一つしか設けられなかったために、雨を弾くためのグエーザーの効果範囲から外れた私はバケツをひっくり返したかのように雨に塗り潰された。


「――――?!」


 車外に慣性の法則で放り出されるはずだったセツカが見当たらない。

 そうだった。

 日常から外れ始めた今頃になって、彼女の『魔術』を思い出した。

「とぴ・り、ど・んあどり・すれ・い」

 二節のみのエノク語で私の方へとすぐさまグエーザーを戻す。その際に弾く、いや消すのは水と鉛である。

 目前で鉛玉、もとい銃弾が粉以下の物質になって掻き消えた。


 どうやら直前で間に合ったようだ。


 時折横薙ぎに降りつける雨の中で、硝煙を漂わせる銃口を向けるセツカと対峙した。

>>―Side C― 魔術師視点へ続く。。

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