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14.幕間 鉄囲線四

 夜が来る。

 欠け始めた月が澱んだ空で笑っている。

 男が悲劇の伴奏を始める。

 男は今宵から始まる事を知り尽くしている。

 生温い水槽を、巨大な、アロワナのような魚が悠々と泳ぐように、三つの影が歩みを進めていた。

 二人の女に一人の男。

 内、二人は大人で一人は子供。

 内、一人は片腕、片目で、後の二人は健常者。

 女性の隣にくっ付く様に足を進める子供は金髪に緋眼と言う瞳。故に、黒髪の日本人である男女からは生まれ出る事は些か難しく、詰まる所家族のようにはまったく持ってして見えない。

 しかし、彼らには目に見えない、同じような独特の雰囲気があった。

 何か決意を秘めた、空気と言うものか、そうとしか表現しえぬ何かが纏われている。

 チグハグな彼らに共通する言葉はただ一つ。


 魔術師、である事だった。


「在姫お姉ちゃん、結構、いい人だったね」

 金髪の少女、蘭の問いかけに、独眼を細めた笑みを浮かべ、石火は頷いた。

「ラン、私は前々から彼女に関しては『良い子だ』と何度か言っていたはずだが?」

「何さ、魔女を狩るって決意した直前まではあんなに嬉々とした顔していたのに、急に相手が在姫お姉ちゃんだって分かったらデレデレしちゃって。何だか、ちょっと妬ける」

 焼きたて餅のように膨れた面を浮かべる蘭を、荻と石火は柔らかい視線で見つめる。

「ふふ、彼女を非常識の世界の住人だとは分かっていたが、まさか狩る対象になるとは思わなかったさ」

「教師になって初めて質問しに来た子だって石火は言ってましたよね?」

「荻君、君はどうでも良い事を覚えているのだな? まぁ、偽造の教師免許で三ヶ月もったモノだとは私も思うさ」

「石火が優秀だからさ」

「ふふっ。世辞はそれくらいにしておけ」

「(あ~ぁ、バカップルが始まったよ)」

 ちなみにそんな風に彼らがまったりとした空気を醸し出しているのは、先程在姫達が遊んだ海辺側の都市部にあたる神南町の小さな公園の一つである。

 彼らは無断で魔術師同盟を脱退したので、今までの住処とその痕跡を消してただ今宿無し街道をまっしぐらに進んでいる。現在は先程まで濃厚に感じた、おそらく牽制のために態と目立たせていた死神達の尾行は消え去り、緊張はしていても緊迫した状況ではなかった。死神達は人を守るための機関であるため、死神側により近い、死神公社のお偉いさんの一人が同時に治める魔女協会所属の、在姫を守ると言う名目で魔術師達を監視していた。しかし、本来は人である魔術師達も対等に守られるべきなのである。もっとも、彼らの同盟者達が出した被害、公共物(学校と道路の一部)と建造物の破損(季堂ツィンタワー)のペナルティと言う事で彼らは放免され、同時に魔術師同盟からの追撃による被害も、亡霊騎士さえ関わらなければ死神公社からは度外視されると言う状況に陥っている。仮に亡霊騎士が出なくても、魔術師同士の争いはイコール人同士の争いとなるので、結局のところ公社は介入すら適わないのである。

 未遂ながらも襲撃を行った蘭はともかく、荻は流水に抱き込まれただけであり、石火に到っては襲撃すらまだ加担していないために蘭等からのばっちりみたいな罰である。無論、それでも笑って許すのが、蘭と荻に対する石火の立ち方なのだが。

 ともかく、そのために彼らは魔術師同盟の追跡から逃れる手段の一つとして、ダンボールハウス群の中に身をしばらく潜めて、それから街を出ようと画策しているところである。

 つまるところ、リアルにホームレスな状態である。

「むぅ、……ブゥ太郎、喉渇いた。抹茶コーラでいいよ」

 蘭は唐突に渇きを訴えると、その台詞に「やれやれ」と頭を振りながらも少し遠めに離れた自販機まで荻は歩みを進めた。幸いお金だけは魔術師らしく非合法なくらいあった。この辺りも魔女や魔法使いとの違いとも言える。

 蘭と石火はベンチに腰を掛けて、身を寄せ合った。

 ムッとする真夏の空気すら介さずに、ただただ二人の間を埋めあう。

「ランはどうする? 私達と一緒に来るかい?」

 最近、欧州で予言の書が現れたと言う話で、教会と吸血鬼機関の間で緊張が奔っているとの事だ。おそらく、彼らの異界の理を狙って、隠者である邪悪な部類の魔女達も乗り出すはずだと荻と石火は睨んでいた。

「どうしようかなぁ? もう二人とも子供とか欲しいでしょ? 私とか居たら邪魔じゃない?」

 とぼけたように言う蘭に、石火は少し悲しそうな表情を浮かべる。

「邪魔だとは思わないよ。ランは……、私と同じだからね」

「…………」

 片腕のみでギュッと蘭を抱き締める。それは『孤独』を埋める為の方法の一つだった。

「あのね……、セツカ。在姫お姉ちゃんはね、私達と同じで、でも違うと思うんだ」

「私達と同じで、違う?」

「うん、たぶん、在姫お姉ちゃんも、最初は『孤独』だっただと思うんだ。同じ匂いがするの。でもね、強いんだ。立ち向かうの、それでも、何だか知らないけど、とにかく根拠も無くガンガン進んじゃって、気付いたら、友達とか居るの。私達みたいに、似た者同士で身を寄せ合う必要なんて無いんだよ……」

 眼差し。魔眼とは関係無く、ただただ強い意志。挫けそうになっても、押し潰されそうになっても、何時の間にかケロリと克服する。そして、ただ単純に貫く。

「やはり魔女でなければ、出来ない事なのかも知れないな?」

「……うん。ところでさ、抱っこされるの好きだけど、ちょっと暑くなったの、セツカ」

「あぁ、済まない」

 身を離しても浮かされた温い空気が揺らいだだけで、むしろさっきと同じでも構わないように思えた。

 夏の熱気で妙に鮮やかな彩色を散らす月を見上げる。

「とにかく、二人でいる時間は作った方がいいよ。夫婦は夫婦でいるべきだぞっ?」

「私達は法的には、まだ赤の他人なのだがな」




 足音が高く鳴り響いた。公園のレンガを打つ皮のブーツの音。

 急に、予報では聞いていたはずの雷雲が、今まで気配すら見せなかったにも関わらず、それに引き連れられるように、従うように迫ってくる。

 雲が月の周りを包囲するかのように風が一陣と薙いで覆い出し、直後にまったく、自然すら緊張して動けないかのように全てが凪いだ。臥待月が、暗黒の雲海に囲まれ、逃げる事が出来なくなった。

 男が居た。

 その場に居たのが当然であるかのようにその男は居た。突然、男を照らし出したスポットライトであるかのように月明かりが降り注いでいる。煌々した月光で輪郭だけが縁取られて、巨大な黒い男が聳え立っていた。

 黒いローブは魔法使いらしく羽織られ、左右に伸びる鎖骨と白い肌が何かの祭壇のようにその狂った神性さを主張している。その祭壇さえなければ、影絵のような男だ。

 男の左手には、全身が血塗れになった荻が首を掴まれて、白目を剥きながら痙攣を繰り返していた。

 誰も一言も発しない。発せられない。

 ただ周りの空気が鉛に変わったかのように、彼女らは眼球一つとして動く事が出来なかった。

「楽しい夢は見れましたか? 裏切り者ども」

 男は楽しそうな声色でそう言った。

「モ、脱皮者(モルター)……」

 搾り出すように、蘭は呟く。

 一度として、本当の声は聞いた事は無かった。だが、その声色は聞き覚えがあるようで居て、耳に覚えのある相手の印象とはてんで違っていた。だが、例えがこれが凶器だと教えなくても、ゾッとするような怖気を感じるように、血に塗れた刃物を曝すような、言い知れようのない明らかな存在感と圧迫感があった。

 この存在は議論する余地すらなく、中世の頃に常人と魔女を問わずに二万人に実験をし、心臓を抉り出し、魔術師から魔法使いへとなった究極の実践者。魔術師の皮を脱ぎ捨てる事すら出来た最高の元魔術師。【脱皮者】。

 直後に、ゴミの回収員が投げ捨てるような気軽さで、百三十キログラムを超える男を片手で石火の足元まで放った。

 首から落ちた時に、彼の首元から、何かが不自然な圧力で砕ける嫌な音が響いた。

 彼女は思う。

 あれほど愛した男なのに、今は何も、何も考えられ無いほど、何も感じない。

 可笑し過ぎて笑っちまいそうなくらいなのに、何一つとして、心に去来するものがない。

 踏み潰すかのような圧倒的恐怖で心の機能が麻痺でもしたのだろうか?


「おそらく、君が思っている事とは違うはずです。単純な事ですよ。君が愛していたと思っていた男とそれに伴う事象は、錯覚だったに過ぎなかったのです」


 魔法使いに口を押さえられて、無理矢理粘りつく濁った液体を飲ませられたような、胃の気持ち悪さ。

 思い出と名のつくモノが愛の名の下から地の底へと崩れ落ちていく。

 悲しみを思うはずの感情が狂って、あれほど近くにあったはずの存在感が急速に離れ離れになるように感じた。


「いや、錯覚に過ぎないが『愛』と名のつく仮初の衝動はあったかもしれませんね。それよりも、今の君を生かす、より強い衝動があったのを忘れたのではありませんよね?」


 その言葉が引き金となった。

 石火は頭蓋の内側から発する鋭過ぎる脳の痛みに片手で頭を抑えながら、ベンチから転がって地面に臥す。声すら挙げる事は出来ないほどの痛みともう一つの感情の嵐。

 いつもなら駆け寄れるはずの蘭は、無敵とさえ思っていた荻が廃棄物のように投げ出され、ただただ増大してく魔法使いへの恐怖に身を震わせて動けなかった。

 そして、石火の脳裏を抉るのは、いや『実際に抉られていた経験』で疼くのはあの光景。




 吹雪く雪原、周りには何もなく、白い粉が肌に痛いほどの風で胎動する。

 それに混じる赤く湿った粉。

 それを発する中心には千切り取られた首から、鮮血をスプリンクラーのように振りまく、父と母と呼ばれたモノの抜け殻。

 その中心には血粉をただのシャワーのように浴びて、先程までの鋭い目つきを緩め、恍惚とした表情を浮かべるセーラー服姿の少女が立っていた。それを見つめるのは、まだ同じ程の少女と言っても過言でない頃の石火。

「気ぃん持ちいぃ~~、この暖かさ、最っ高」

 赤い舞台の上をくるくると少女が廻る。その両手には、掴まれ、砕かれ、捻り取れて、歪んだ、肉親だったモノの頭部。

 石火の口からガチガチと歯の根の音が絶え間なく流れ出る。両足は既に彼女に折られ、普通では曲がらない方向に曲がっている。逃げられはしない。

 辺りに散らばるのは大量の、既に消費された重火器とその残り香を発する薬莢、使えないほどの魔力の残滓しか感じられない魔女の遺産。そして、肋骨を素手で観音扉のように開かれて撒き散らされた母の臓物と、肩と股関節から先をそれぞれ虫のように捻り取られた父の残骸が白い野原に突き刺さって散らばっていた。

 ロシア、モスクワ郊外で暴れると言われていた魔獣。それを討伐し、サンプルを取るために大統合全一院、通称神秘院から三枝家の派遣の命が降りた。まだ中学を卒業したてにも関わらず、その魔術の頭角を同年代から引き離す程に現した石火を連れて、三枝家はその場に乗り込んだ。

 しかし、彼らに取って酷く残念な誤算があった。その場に居たのは魔獣では無く、もっと賢く、厭きれるほど強く、そしてより残忍な生物だった事だ。

「見て見て、ほらほら、清里 鋼音(キヨサト ハガネ)のリアル首人形劇ぃ始まり、始まりぃ」

 そう言いながら、肉を掻き入れる鈍い音を立てて、首の切断面から頭部に向かって手を押し込んで鋼音が玩ぶ。手を押し込まれて反対にダラリと出てきた、母の舌。その下顎部が、イカレタ少女、鋼音の手でカパカパと、まるで手袋を使った人形劇のように動いた。

「『おねがぁっ、セツカをごろざないでぇぇぇ、げふ』、……ハイ死亡。ってこれって死んでるのか、もう。……笑えない。冷めた。あんた要らない、ぽぃ」

 そう言いながら、片手を横に振って、雪原に石火の母の頭部を投げ捨てる。人を超えた力で投擲された頭部はあっと言う間に真っ白な背景からは見えなくなった。

「さぁ、次はお父さんだよぉ。『馬鹿な! 魔術が効かない、セツカ逃げろ、がはっ、ぎゃっ、痛ぃ痛い痛いいだ、ごぅっ、ぉ』……、逃げろ? プッ、ごめん、無理。この子、全然長生きできません。……ひゃは」

 鋼音は自分よりも明らかに大きな石火を、寝そべって動けない状態から片手で引き揚げる。

 彼女の顔の目前で、それぞれの目が意志を失って別の視線を向けている彼女の父だった肉塊を使い、垂れ出たままの舌と供にカパカパと口を動かした。

 石火は見る影も無い家族の姿に目を瞑って顔ごと逸らす。

「はぁいよく見てねぇ、て、目ぇ瞑っちゃダメでしょ。お父さんなんだよ、あなたのお父さんだっただよぉ。そら、よく見なさいなぁ? ね?」

 固く瞑ったセツカの瞼に少女の細い指が引っ掛かり、勢い良く引かれる。瞬間、右目の奥まで何かが入り、そしてコードが切れるような音が耳の奥でした。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 雪原に埋まるように、ぽとりと落ちた彼女の一部。

「ほらぁ、ちゃんと目ぇ開けないから、指が入って眼球が抉れちゃったじゃん、あらら。えいっ」

 その落ちた球体を鋼音は踏み潰した。ぐじゅりと中の水晶体を撒き散らす。その動作は、あくまでついで、と言った感じの挙動だった。たまたまその場に有ったから踏んだ、その程度の理由だった。

 ピクピクと震えながら、セツカは両手でがらんどうとなった肉の穴を押さえる。

 眼窩に滑り込んだ際に目玉をぐるりと囲む、頭蓋骨の一部である眼底の骨すら砕かれ、脳も直接傷が付いていた。それでも生きていたのは運が良いとしか、いや悪運が強いとしか言いようがなかった。

 滂沱の血涙とただの涙が赤と透明の一筋の流れなって雪原を潤ませる。

 まるで世界の捩子が締め上げすぎて狂ったようだった。


 しかし、その確実に常識が狂った状況で転機が訪れた。圧倒的なまでの生命の蹂躙。尊厳の剥奪と陵辱にも等しい暴行。それに対して、心は抵抗を生み出すために恐怖の変わりに一つの感情を生み出した。

 殺意。

 恐怖を殺意で塗り潰した。

「……良ぃ感じじゃあん。人間だったら、あのすちゃらか兄弟達を引いたら世界で一番強い殺意だよ。でも、そのままにしとくのもウザイから、終わらせてあげるね? きしししししししししししししししししししししししっ」

 もう一つの頭部が雪空を飛んでいく。父だったモノも無くなった。

 鋼音の指先が、人外の殺意として顕現し、その形状をそう言うモノだったかのように、『常識』を従わせるように形を凶器へと変えていく。爪が煙を上げ、音を立てて、指と一体化した獣の鉤爪のように変えていった。歯茎から抜けるように漏れる笑い声。まるで虫がゾロリと這いずるような、掻き毟りたくような笑い声。

 痛みは恐怖を塗り潰すと同時に、セツカの中で生まれた奇妙な脳の快感物質でとうに失っていた。しかし、気概はあっても、その暴力に立ち向かう術は無い。

「じゃあ、死ん、うあっわ」

 鉤爪がセツカに届く刹那、鋼音の体が吹き飛んだ。

 少女の居た場所には、肥満、否、屈強な筋肉で覆われた男が飛び蹴りを終えて、赤い舞台へと乱入して居た。

 鋼音は倒れた状態から地面を叩いて、足を伸ばしたまま勢いだけで立ち上がる。

「――きみは邪魔するの? ねぇ?」

 男、斐川 荻は少女の問いに答える代わりに親指で後ろを指した。

 そこには枯れて年輪すら刻まれたような、それでも妙に筋骨の発達した小柄な老人が、僅かに老人よりも背の高い、一人の灰色のコートを着た女性の肩に手を置いていた。

 付け加えて言うならば、老人は肩を押さえている相手が身長と体重が三倍ほど違っても、軽く手を置くだけで体の自由の全てを奪い続ける事が出来た。

「鋼音、実験は終わりだ」

 老人の気が少しでも変われば八つ裂きどころかこの世から消滅させられる事すら可能なのにも関わらず、女性は、双葉宮 咲貴(フタバミヤ サキ)と呼ばれる最悪の研究者は表情を一つとして変えなかった。淡々と、惨殺のそれが実験である事すら疑わず、怒りを煽る事すら分かりながら、言い切ったのだ。

「えぇー、お母さん、こいつらぶっ殺しちゃってもいいんじゃない? ねぇ、殺しちゃおうよ、ひゃは」

 そう言う鋼音に「いや」と短く答える。

「鋼音は、まだこの老人、【大災害】に勝てるほど進化はしていない。大人しくここは退くんだ」

 彼女は常人では数日で発狂するほどの複雑な思考を持ちながらも、答えは簡潔なものしか言わない。そしてそこから導かれるのは全か無か、二者択一。そして、彼女の選ぶそれは大抵正答であり、覆された事は殆ど無いに等しい。

 つまり、鋼音はこの面子に勝てない、そう言い切ったのだ。

「む、それは遺憾。でもお母さんが言うならしょうがない、撤退、撤退、……とその前に」

 倒れたままの石火。右目を押さえていた右の腕が鋼音の見た目に似合わない豪腕で引き伸ばされ、そのまま二の腕を踏み潰された。

 千切れ飛ぶ。痛みは、悲しみは、今蹲る永久凍土よりも凍結していた。

 そして、ぶつ切りにした腕の断面から鋼音はボリボリと咀嚼し始めた。腕を食っているのだ。石火の指先はまだ反射だけを残しているのか? ピクピクと薬指が震えていた。

 石火は叫び声すら挙げずに、その光景を決して忘れないように瞬きすらせずに、鋼音を見続けていた。

 それと目を合わせながらウットリとした視線で、まるでこれから樽で熟成するワインの味を想像するような、目の前で膨れ上がり後々に爆発する憎悪をただただ楽しむように食事をしながら眺めていた。

 そして指先までを飲み込む。喉が揺れ動いて、三十秒弱で、少女の腕が同じく少女の胃の中に収められた。

「女の子の生の腕おいしぃー。じゃ……、お母さん。私は帰るね」

 そう言うが早いか、次の瞬間に、背中のセーラー服をズタボロにして、背中から捩子くれた、羽のような、同時に触手のようなモノが生え出でる。地面を扇ぐが早いか、一振りで風と雪が舞い踊る天空へと消えていった。

「治療しようか?」

 実験のために、とでも付け加えられそうな咲貴の言葉に、痛みと湧き上がる憎悪、甚大な被害で動く事すら適わない石火に変わって、大災害は「いらぬ」としゃがれて、それでも深みのある声で返答した。

 そのまま、徒歩で、ロシアの雪原から立ち去ろうとする咲貴が不意に立ち止まり、石火を見据える。

「この世界の常識では私の子供達は殺せないよ」

 彼女とその家族が、家に先代が魔女として残した遺産で作り上げた、世界の常識に属する魔術では役に立たなかった。

「魔法使いでもならなければ無理だ」

 雪原と向こうへ彼女は消えていく。同時に流れ出すぎた血で朦朧としていた中で、それでも三枝 石火はその心に穴が開くほどに刻んだ。


 イカれた女の作った子供達。十二人居ると言われ、【死を裏切る者】と呼ばれる者たち。

 蟻登 啄木(アリト キツツ)

 偶院 刹那

 偶院 未来

 偶院 永久

 宗我部 八重(ソガベ ヤエ)

 真藤 夏彦(シンドウ ナツヒコ)

 他の名も亡き者達に続いて、

 そして、最後の、最高傑作と呼ばれる、最悪な殺戮者、清里鋼音。


 こいつらを殺し尽くすと誓った。


 誰も邪魔させない。家族を奪い、腕を奪い、目を奪い、先祖の功績である魔術の意味を奪った女とその眷属達。

 奴らを殺す、と誓ったのだ。

 一人ずつ、殺す。

 同時に親類縁者、形振り構わず殺す。

 出来る限り、生かしながら殺す。

 もったいぶったように最後に、傑作を殺す。

 そう誓った。

 穏やかな毎日で埋もれそうになる中で、決して、一時足りとも忘れ得ない執念。




「そんな貴女に朗報です。この街に、貴女の宿敵である眷属の男の一人娘が居ます」

 脱皮者の声に、たった一つの目が爛々と、月明かりすら無視するほどに明るく見開かれた。

「魔人殺し、漆黒の覇者、千の闇を飲む破顔、そして、闇の神である事の知られている極悪兄弟テロリストの弟、偶院 永久に娘が居たとは誰が知りえるでしょうね?」

「名前を、言え……」

 スイッチが入る。そこに居るのは、知的な数学教師でも、恋人と戯れる女性でも無く、灰色の瞳をした復讐者にして、魔術師の(かお)をしたセツカが居た。

「母の名は、九貫 愛媛と言うのですよ?」

 はじめて、反応すらなかった蘭の顔が強張る。まさか、こんな偶然があるのか? まるで仕組まれたような、計画されたような、望むように切り取られ、分かったように嵌められるパズル。そして、知りえたように組み上げるような悪行の絵図。

























                「九貫 在姫、それが娘の名です」




 復讐者の歓喜の叫び声が、畜生のように、街を、月を揺らがせた。


 二十四分後、市内の緊急病棟に一人の異常に筋肉質の男性が搬送された。

 直後に、その男性を運んだ少女が病院から行方を絶った。

 男は七月二十四日、午前三時十四分現在、未だ昏睡状態のまま眠っている。


 When it come to push, memories alway betray me.

 Summer's memory begin to rest.

 I don't look back to her.

 I retrace once again deep past events...

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