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13.大叫喚(だいきょうかん)

 悠久から私はココに。

 彼方は未だ己自身を背けている。

 耳を澄まして。彼方はまた戦いに行くのかしら?


 私はココ。さぁ、早く見つけて、私と立ち向かおう。

 七月二十三日


            -Side B-


 (からだ)が燃えている。

 全てを捨てて来て、それでも残り滓が燻っている。

 元の体温を思い出して、疼くように躯が呼吸と鼓動に似た燃焼を繰り返している。

 灼熱のようで、燃え残りのような、炎の織り成す呼吸と体熱の鼓動。

 燃えながら、そして、その燃え滓をボロボロと零しながら落ちていく。アノ感覚。

 俺は底まで永遠に堕ちている……






 目を覚ませば、天井に小さな、橙色の灯りが付いた和室に俺は寝かされていた。

 半自動的な霊気装甲の流動によって魔術師との戦いから体自体の調子は幾分か回復はしている。

 しかし、その流動に回復だけでなく丁寧に傷ついた脇腹と骨が肉から飛び出る開放骨折を起こしていた両腕にはきちんと骨が戻して包帯が巻かれて、昨日までは筋断裂によって酷い熱を持っていた頬などには湿布が貼ってあった。

 誰かによる丹念な治療が功を相したのか? 傷の具合はまったく戦闘に影響しないほどになっている。


 ……そうだ、在姫は何処だ?


 俺は布団を跳ね除けて立ち上がると、襖を開ける。

 急激な光が俺を駆け抜けて、同時に俺の眼が素早く対応する。

 そこには、日差しの具合から昼頃、その暑苦しい中で、扇風機にあたりながら食卓で極めて平和的にくつろいでいる湯呑みを持った在姫と常寵が居た。

「遅い、もう何時だと思っているの?」

 湯飲みから匂い立つ緑茶を啜って和み、目を細くして見つめながら在姫は俺を嗜めた。

「……すまん、寝過ごした。俺の失態だ、すまない」

 まったく、俺はどうした事だろう? 護衛対象を放置するとは特捜室官失格ではないだろうか?

 もし、この間に残った魔術師が総じてやって来たときには彼女を守る事なんて出来ない。

 幾度も失敗を繰り返すのだろうか? 失敗を忘れ、それを繰り返すのは懲り懲りだと言うのに、なんて俺は馬鹿なんだ。

「い、いや、別にそんな欝っぽい顔で素直に謝られても……」

 昨日はアレだけ頑張ったんだし、別に良いわよ、などとブツブツと在姫は顔を背けながら小さく言い放った。

 いつもは俺の上司でも軽く出来ない俺の心境を、たったそれだけの言葉で魔法のように胸を少しだけ撫で下ろさせる。俺はそれを微妙に不思議に思いながら、在姫の対面に座る。

 在姫は横に据え置いたポットから自分の分の新しいお茶と俺の分を入れ始めた。

「ふふっ、想像以上に二人とも仲がよろしいのだね」

「別に、普通よ」

 在姫はやたら不機嫌な表情で返した。何故そこで怒るか? それが現代の乙女の作法とやらなのだろうか?

 そしてその表情を導いた、何故か家長が座る、もしくはお誕生日席と呼ばれる位置にやたら堂々と座る常寵を俺は見つめてしまった。

「在姫。ところで何故、彼女はココにいるのだ?」

 在姫は熱過ぎた緑茶に息を吹きかけながら上目遣いに応対する。

「あぁ、昨日あんたが倒れてから季堂タワーの反対側で何が遇ったのか言っていなかったよね」

 そして、彼女は順序良く語り始めた。


 魔術師の改造獣人による空前の無差別殺戮劇を寸前に召喚魔法で止めた事。

 その魔術師には負傷したはずの、戦闘不能だったはずの亡霊騎士が護衛で付いていた事。

 それを死神が止めたが、逆に討たれて死に掛けてしまった事。

 その間に常寵と魔術師が戦った事。

 そして、俺が駆けつけて倒れた事。

 そこから上手く逃げ出した事。

 新たな魔術師との出会い。

 そして、俺の戦った魔術師にして、常寵の兄が同盟から離反した事。


「つまり、常寵。君は殺戮寸劇に参加しようとした魔術師の親類、と言う事になるのだな?」

 俺は話しの途中で、その眼鏡の奥に隠された金色の魔眼を射抜くように俺は視線を向けた。

「そうだ。……やはり、君は私を疑っているようだね」

 淡々と俺の睨みを外して語る常寵の反応を見ると、在姫はテーブルに両手を叩きつけて、

「ジョウチョーを疑うなんてどう言うことよッ!」

 と俺に啖呵を切った。お茶が零れてるぞ。

 まったく、この未熟者は何処まで暢気なのだ?

「当然だ。昨日今日で在姫に魔術師の関係者がいるのだ。間諜(スパイ)か何かだと思わない方がおかしいだろ」

 俺の核心を突いた物言いに閉口して、それでも在姫は「ジョウチョーが、……そんなはずがない」と言い訳がましく言い放つ。

「そこまで私を信じてくれるのも嬉しいが、彼の言う通り君も少しは私を疑って欲しいものだ。君はあらゆる意味で潔癖過ぎるのではないかな? 無論、私も疑われたら反論はさせてもらうがな」

 自信タップリに口元を歪めて常寵は湯呑みを啜り、そして反撃の狼煙を挙げた。

「さて根拠として、たかだか魔眼が使える程度の人間が【地獄使いジャックインザボックス】の居るところに行く愚行をするはずが無い。そして、もし私が本当に在姫を狙うのであれば魔眼と言う切り札を見せる事は無いはずだ。切り札は最後の最後、敵の油断と隙を見せる直前までは取って置く物。まぁ、この状況ですらを演技と言うのであれば魔法でも何でも使って自白なり何なりさせると良い。それでも私がこうして余裕で居られるのは詰まる所、私は在姫側、『シロ(味方)』だと言う自信がある、と言う事に他ならない。以上だ」

 澱み無く言い切り、光の加減で眼鏡を光らせる少女。余裕ぶった態度が妖しさと清廉さを半分半分に醸し出す。俺と言う存在からしてそこにノコノコと出てくるのも珍しいと考えると、演技である可能性を考えて今はシロに限りなく近い灰色。敵味方不明と言う立ち位置に彼女を相関図の片隅に置いておいた。

「納得はいかないが、その言葉は考慮に置いておこう」

「物分りが良くて助かる」

 と、そんな会話を進める中で一人、首を傾げて躓いている未熟者がいた。

「あのさ……、じゃっきんだぼっくすって、何?」

 君は……本当に魔女なのか?

「その名は俺の二つ名、いわゆる仇名のようなモノだ。東西問わずに魔女から異常なまでに恐れられているはずだが、それを君は知らなかったのか?」

 あまりの知識面の薄弱さに俺は目を細めると、

「いや、意味は覚えているはずなんだけど、(もや)が掛かったみたいに上手く思い出せないのよね?」

 何でだろう? と不思議そうに再び短い首を傾げていた。

 それはこっちが聞きたいくらいだ。

「ところで、先程の話題で死神が出てきたが、彼はどうなったんだ?」

 在姫の指先が二階を指し示した。

「和室に国定が居たから私の部屋のベッドで一緒に寝かしたの」

「俺と違って随分待遇が良いのだな」

 ……ちょっと、待て。

「『私のベッドで一緒に寝かした』だと?」

「そうだけど? 何か問題が?」

 俺は恥ずかしげなく、小首を傾げて言い返す在姫に、逆に目を白黒させながら言い返す。

「だ、だから、君は死神と一緒に寝たのか?!」

「そうよ。霊気装甲が怪我で急激に低下していたから『一緒にくっ付きながら』寝て、直接身体を通して魔力で代わりに回復させてあげたの。言わば湿ったスポンジを乾いたスポンジにくっ付けて湿らせるような感じ? とにかく緊急手段なのだから仕方ないじゃない」

 大胆な事をした割にシレッとした物言いは脳を直接棍棒で強かに叩かれたような衝撃にも近く、俺は緑茶を一気に飲み干して湯飲みを静かに置く。

 そして、そのまま食卓に頭から倒れこんだ。その直前にしたり顔をした常寵の顔が見えたがどうでも良いものだ。

 しかしなんて事だ! 嫁入り前の婦女子が『見知らぬ者』と一夜を共にするなど、道徳が狂ってしまっている。まるであの頃の貴族達と変わらないでは無いか?! いや、自ら進んでやる分に彼らよりも問題だ!

 守る対象が、穢れてしまった……

「ど、どうしたの? ね、ね、国定」

 近代道徳観の破壊していた魔女があたふたと驚いているが、俺には毛ほども同調しえない。それほどまでに、打ちのめされた。

 君はもっと貞淑な人間だと思っていたのだが、失望した。

 あの包帯のざらざらした感触に特殊な感性が働いたのだろうか?

 何を持ってしてそんな下品な事が起きたのだろう?




                「一体、何事ですか?」




 男性っぽい女性の声が真上から響いた。俺は面を上げて見てみるとそこには見知らぬ女がいた。

 一重の少し垂れ眼気味の瞳に長い睫毛、紅を差したようにやたら厚く艶っぽい唇が日の光を浴びた事の無いような肌にボンヤリと浮いている。

 階段から降りてくる女性は黒い『半纏』を素肌の上に何も着ずにただ羽織っている。ヒラヒラと揺れる隙間からは在姫は論外として、発育の目覚しい女子高生の常寵ですら圧倒する体の凹凸具合が垣間見え、男性として目を釘付けにしてしまう光景は絶句と言う表現に相応しい。とりあえず、下は茶色のズボンを穿いているようだ。黒く、艶やかな髪は食卓に座る髪美人の二人に負けず劣らずの色合いで、その髪は二人よりは些か短く、肩より少し長いくらいまでで止まっていた。倦怠感の漂う妖艶な美女と言った感じだろう。

 とそこまで、あくまで人物の観察をしていると途端に額に打撃。額から衝撃を生じさせた物体が食卓に落ちる直前に受け取る。その猫柄の湯飲みは明らかに在姫のモノで、何をするのんだ、と問い質す前にその嫉妬に酷似した視線に口先から出る俺の言葉を止めさせられた。

「……えっち、どこ見てるのよ」

「これくらいの反応は正常な誤差の範囲内だぞ、在姫」

 嗜める常寵の意見、いや異見など露知らずに在姫は眉を潜めた視線を向けてくる。

 幸い、相手の女性は俺が僅かに向けた不躾な視線には構ってはいないようだ。

 ここまで勝手に暴走されると既に埒すらあかないので、ちょうど階段を降りきった女性に言葉を向けた。

「国連特捜室下の魔人、国定 錬仁と申す者。貴女の所属と名前を聞こうか?」

 彼女は無造作に、半纏の中に手を入れる。かなり危ういところまでギリギリ見えるほど開くと、半纏の内側のポケットから小さな免許書のようなモノを見せた。

「日本国冥府 死神公社 本社 死霊課 課長 若原 曲、と申します」





 …………何?

「黒い半纏……、死神?」

「だからそうだ、って言ってるじゃん。気付かなかったの?」

 在姫の言っている事はご尤もだが、

「昨日のように包帯を体中にグルグルギチギチに巻いて、まさか女性だと気付くはずも無いだろう!」

 その言い方に些か怒りでも覚えたのか? 在姫はその小躯をいっぱいに伸ばして俺に指を差し向ける。未熟者、俺にフィンの一撃を食らわせるつもりか。

「何それ、あぁ――――! もしかして、さっきしどろみどろになっていたのって私が、『男』の死神と一緒に寝ているって思ったでしょ?! こっんの不潔! そんなふしだらで猥褻かつ淫逸な繁殖未然行為を誰構わずするはずないでしょ!?」

 そう言われても男装を見抜けるほど、残念ながら俺は観察力のある人間ではない。

「女性と想像するのに(かた)かったのだ!」

「硬いのはあんたの頭の中身でしょ?! 何処をどう考えればそんな風になるのよ?!」

「それは『かたい』違いだ。この似非日本人が母国語をもっと勉強しろ」

「あの……、お二人方、高々私の事で喧嘩はしないで頂きたいのですが」

 昨日の僅かに垣間見た高圧的な印象とは思えない、肩を僅かに竦めてしょぼくれた死神の言い方に二人で思わず口を閉じる。加えて何時の間にか二人とも同時に立ち上がった状態からもう一度睨みあって、同時に席に付き直した。

 在姫は俺の方を納得のいかないように睨みながらも、丁寧な手つきでお茶を入れる。しっかり手元を見ろ、零れるぞ。

 急須から一度も茶葉を変えていないのは在姫の貧乏性だ。白湯になるまで使い切るに違いない。そこまで頑なで無駄な信念で、どっちが頭の硬い人間だか。

 そこまでで思考を区切る。

 死神は常寵の対面である一番下座に席を付き、俺は背筋を直して改めた。

「この度の件は特捜室の独断専行による越権行為と魔女協会サバト、三重遥(みえはる)派からの突然の要請に寄るもの。本来なら然るべき外交手続き後に【合同葬査】を行なうものでしたが、差し迫った事態故に甚だ申し訳ないと存じ上げます。今更と言った形ですが、死神公社としての意見を上司である貴女の立場からお聞かせ願えないでしょうか?」

 美しい死神は若干俯き加減で、こちらを前髪の毛の間から覗くように見ている。その様子がまるでこちらが叱っているようにも見えなくもない。

「公社本部の朱月 永女(あかつき ながめ)副総監はいつものように激怒しながらも、特捜室の、彼方の上司に当たる方との直接交渉で、現場の死神公社 神南支部との共闘を条件に今回の件を水に流していただくようです。今回、私は季堂のとある方に個人的な用事があって訪問しただけで私自身はその事情に聡いワケではありません。あくまで中間管理職者として情報を軽く通して貰っただけですので、この程度の情報しか知りません」

 なるほど、彼女はたまたま巻き込まれただけで、この事件とは関わりは無かったのか。

「ですが、私は結局関わってしまいました。公社の一定の規定で、非常勤であっても、少しでも関わった事件には例え労災無しのタダ働きでも管轄に協力しなくはなりません。それに……、これほどの多大な被害を出したままだとおそらく神南町の交通三課辺りに飛ばされるのも時間の問題でしょう。人にも、奇堂のおじ様にもご迷惑を掛けてしまいました」

 昨日と打って変わって、自信の無さが面に出ている女性に慙愧の思いを重ねてしまう。それもこれも、早目に魔術師達と亡霊騎士を仕留めなかった俺の責任とも言える。

「すまない。特捜室の一員として、今回の件を私的に迷惑を掛けた一個人である貴女に謝罪したい」

 彼女は長い睫毛を揺らし、「そんなに自分を責めないでください」と弁明の言葉を返してきた。

 何故か、見詰め合う形となってしまう。昨日の包帯越しには分からなかったが、綺麗な、深い瞳をしていた。

「……さて、在姫。かなり面白い状況だが、どうするかな?」

「知らない」

 お子様は一人だけ話に見ざる聞かざる言わざるの態度で緑茶を啜りながら、どこから取り出したのか少女漫画を開いていた。まったく、未熟者め。

「私たち公社側の情報網では敵の正体もまったくとして判然としません。唯一分かったのは敵に魔法使いの指導者と亡霊騎士が憑いていると言う事だけです」

「それは情報不足は当然でしょう。敵は海外から渡ってきているために海外の部署との兼ね合いが悪いと聞く公社では、島国である大和(やまと)の外から情報を仕入れるのは難しい事でしょうね」

 国内の情報と言えど死神公社はあくまで対魔機関。諜報機関とは違い、善悪問わずに各組織から柔軟に情報を仕入れて、さらに偽情報を流して内外から戦力を操作、相殺などと対応する、と言うのは特捜室と違って困難なはずだ。死神公社はあくまで妖魔人外による犯罪への対応力であって、事前抑止力、事件を未然に止める力になる訳ではない。犯罪が起こってから動き出す為に常に後手将棋をやるようなものだ。

 しかし、それでは情報戦と言う手段を無しに先手を打つにはどうするべきか? つまる所、地道な情報収集により相手より上手に立つしか方法は無い。

 さて、気は進まないが、手持ちから足りない情報を室長から聞き直すか。

「在姫、電話を借りるぞ」

 魔女は未だ少女漫画を睨むようにして見ながら、顔を合わせずに「好きにして」とのたまった。そろそろ大人になれ。

 千年生きた中で近年普及しているパソコンとインターネット並に使うのは電話である。特捜室としては次世代を担う汎用精神通信網を開発しているらしいが、まだまだ工作員の強行使用に耐えられるほどでは無いらしい。よって特捜室では独自の静止軌道衛星から電波送受信をする衛星携帯電話を支給されている。だが、どうも最初の騎士との闘いでその電話を落としたようだ。また経費で機体の代金が落ちる事を願いながら、受信者支払通話(コレクトコール)サービスに取り次ぐ。そして、オーストラリアの上級工作員のみが知りうる特捜室室長室への緊急用回線を開いた。本来はあのいけ好かない男から協力を仰ぎたくはないが、どうも差し迫った状況のようだから仕方ない。おそらく、電話番号への自動追尾機能で在姫の家から電話を掛けている事は覚られるはずだ。よって、その機能に連動した自動識別機能で滞り無く俺の上司、椋 緑牢(むく ろくろう)室長と電話が繋がる。

「室長、俺だ。国定だ」

[Hello, my friend. どうやら色々と梃子摺っているようだね。流石の魔人でも、また例の症状で、霊気装甲不足で縮んでは仕事がやりにくいかな?]

 まるで今までの事を見たように言うこの男は魔法使いだ。が、その技量は三流どころか地を這う勢いで、それに反比例して諜報能力と作戦指揮の絶妙に優れた出来る上司の鏡と国連の各機関で言われる。それでも人間としては一番最低の男である。

 おそらく自前の特捜室の最新の科学技術と最先端の錬金術の粋で組まれた偵察衛星で映像から密かに俺の仕事の様子でも確認しているに違いない。公私問わずしてあらゆる情報は『機関の内外の人、人外問わずに』この男に捕捉されているはずだ。俺を含めて、この男からしてみれば大抵の人と人外には私生活など有ってないようなものだ。

「そこまで分かっているなら再度情報交換をしたい。任務中の事故で幾つかの記憶に欠損が見られる」

[おやおやそれは大変だね。病院に行って注射でも脳に打ち込んでもらったらどうかな。まぁ、君は嫌いだったかな? それはどうでもいいか、ところで護衛対象の自宅から掛けているようだけど、情報漏洩諸々の危険性は無いかな?]

「それ以前に貴様は漏洩しても組織が痛く無い情報しか俺にすら渡さないだろうが」

[当然だよ。それが僕の危機管理と言うモノ。全体を把握するのが僕だけで、その僕自身が部屋から出なければまったく持って情報は機密性と蓋然性を保たれるのさ]

「俺にはただの引篭りと底意地の悪さにしか思えないがな。で、情報の再確認を願おうか」

[あぁ、ちょっと待ってくれ。うーんあのメモは何処に……、あぁ、有った有った]

 脳裏には特捜室の電子情報化が進む中で、覚書を記した紙のみの箱庭を形成している室長部屋は特捜室の全体の情報改革に逆走を図った様相だろうと思い出された。あのアナログ人間め。俺ですら五年前から電子機器の使用を必死こいて覚えたのだから何とかして貰いたいものだ。おかげで長年の紙埃であの部屋にはあまり立ち入りたくはない。

[アイオーンについてのメモが十二項目まで全部、じゃなかった、これとこれを含めて十四項目全部あるけどどれが知りたい?]

「全てだ」

[切羽詰っているね。じゃあ、今から暗号化した音声データで君の脳内に直接ダウンロードするから受け取って]

「了解」

 受話器越しにキーボードを叩いて情報を直接入力する音。それと同時に受話器から不協和音に似た音の塊が零と一のデジタル情報として流素で生成された義体の耳小骨を通して、俺の脳内へと直接情報を送り入れられる。無論、こんな事が出来るのは魔人である自分くらいだろう。



 魔術師能力。既知の背後関係。亡霊騎士戦力。魔術師の履歴。統率者情報、現段階での『A計画』詳細……



「情報受信完了。まったく負傷によって記憶破損があるとは初めての経験だ」

[あまり聞かない事例と症例だね。特研のエヴァちゃんに魔人体組織や生体反応でそんな現象が起きるのか調査しておこう]

「あぁ、頼む。ところで死神公社との連携は? 正式な交渉はしたのだろ?」

[勿論ね。ただ、あ~んな漫画でしか見ないような押しの強い婆さんに会った事ないよ。TV会議なのに画面越しに雷が落ちるかと思って冷や冷やしたね、クワバラクワバラ]

「朱月副総監は火龍系の龍人だから、怒りを表すなら落雷より火山爆発の方が適切ではないか?」

[どっちでもいいよ。まぁ、早く仕事終わらせて帰ってきてくれ]

 早く、終わらせる……か。残り戦闘で、俺の霊気装甲が持つか、持たないか……。

 ダンマリする俺に室長が続ける。

[これは……、命令だからね。命令無視して勝手に敵と刺し違えたりしたりなんてしちゃダメだよ。君は特捜室の貴重戦力で僕の所有物なんだからね。まともに戦えるのが魔人だけ、ってのも国連の組織としてはしょぼ過ぎるとは思うけどね。あそこに戻ったら『これまでの二の舞』だよ。はぁ……、『アノ計画』が成功していればなぁ]

「エヴァさんを責めるな。あの人は努力をしていたのだろ?」

[簡単に言うけどね。うちは研究機関じゃなくて諜報組織なんだから、努力をしても結果を出さないと意味が無いの。そんな姿になって思考まで子供に戻ったのかな?]

「理解はしている。だが、現状でエヴァさんを言葉で貶める理由にはならないはずだ」

[まぁね。彼女も最近は開発部長として失地挽回しているみたいだし、上司としては責める理由は何も無いけどね]

「だったら何故責める?」

[ただの愚痴だよ。現段階ではこの『最重要案件』の不安要素は解決されていないからね。イライラするさ。『尻尾(魔術師)』よりも危険なのは、『(魔法使い)』の方だ。『魔法使いの例の計画』が匿名の情報の通りなら世界規模で……]

 例の計画、その言葉が『何かの呪文(キーワード)』であるかのように、突然電話の音が紙を丸めたかのように割れて歪みだす。まさか、魔術師達はこの辺り一体の電子情報関係まで把握しているのか?!

[特定の波、帯に……電、ぱ攻撃……、以、降の特、そぅ室のバッく、アッぷ……皆無ぽ……任、務の遂、行を……続、こぉ]

「了解した。後は任せろ」

 皆まで言わせずに俺は受話器を下ろした。

 ――厄介な事になったな。

「どうかしたのか?」

 常寵が聞き質すが、この怪しい女の子を信じるには俺の中で至らず、「別に」と素っ気無く返した。

「ところで、二人とも学業の方はどうした?」

 二人は高校の二時限目の始まる時間にも関わらず、暢気に緑茶をしばいている。

「昨日の事件、死神と師父が事件を目撃した人への記憶操作と治療とか器物の修繕とかの隠蔽工作はある程度したみたいけど、ちょっぴり、『無関係者』に漏れたみたいでね。と言うわけで、公社を通して学校とかで戒厳令みたいのを敷いて、ほら、例の二人組テロリストの時みたいに人も人外も満足に外に出れないような厳戒態勢、って訳。つまり、今日からもう夏休みなの。このままの勢いで先生達も宿題を全部忘れてくれたらいいね」

「その事についてだが、先日、兄から私の携帯に連絡が有ってな。私の自宅にFAXの受信が有ったらしい。毒島教諭からの宿題範囲通知だそうだ」

「……うちにはFAXがついてないって事で最後まで押し通そうかな」

「そんな事をしたら休み明けにはここぞとばかりに追求されるぞ」

「あぁー、もっと愛されるキャラになりたいわ、私」

 在姫は食卓に力無く倒れる。死神の曲さんはこの学生をどう受け止めていいのか? そう判断しかねているのか、無表情の顔で微妙に慌てている。その証拠に意味も無く勝ち誇った顔をした常寵と食卓に接吻をしている在姫を忙しそうに見比べている。……意外に良い人なのかも知れない。

「ところで」

 立ち上がった常寵は空の湯呑みを洗い場の水桶に付けながら、こちらに問い掛けた。

「今の在姫の口から出た二人組テロリストとは一体何なのだ? 無政府主義でも気取った低脳集団か? それとも例の北朝せ」

「残念ながら、違います」

 その問いに遮るように答えたのはやはり、と言うか、死神である曲さんだった。

「百年以上前、三人の『人』が死神公社に襲撃を掛けていました。彼らは人でありながら破格の、十五禁名にも等しい霊気装甲と特殊能力で公社に致命的な痛手を与えてきていました。その彼らの名が兄、偶院 刹那(グウイン セツナ)と弟、偶院 永久(グウイン エイキュウ)、妹、偶院 未来(グウイン ミライ)。彼らの内、弟の永久は、副総監の曾孫まで殺す暴挙に出て冥府全体に悲しみを与えたのです。六年程前、ラスヴェガスからロシアまで逃亡した未来を現地の機関と協力で封じ、そして今年の初めに中華人民崇神会の、とある要人を拉致しようとしていた二人を拘束し、封じました。……忌まわしい事件でした。私の友人もそこで負傷をしたりと、まぁ散々な事がありました。嫌な事件です、はい」

 死神に逆らうと言う意味で、【逆神(ぎゃくしん)】と自らを呼んでいた彼らは特捜室でも監視をしていた。無論、その気になれば『俺』と言う手段で彼らを拘束する事も出来た。だが、彼らが過去に失われた十五禁名、偶院の名で近江影との魔王大戦の戦線に加わっていた事。そしてその内一人が、たった一人で、十五禁名の三眷属を相手にしていた、近江影七人衆の一人だった【魔人】である『彼』に止めをさした事。その二つの事実が魔人である俺と彼らとの交戦を室長直々の命によって禁止する理由だった。

 今の状態でも、おそらく吸血鬼達の、例の西欧攻性機関をまるごと相手に出来るだけの実力を俺は持っていると思われる。しかし、それでもあの室長は却下したと言う事は、彼らには魔人を即死させるだけの何かがあると言う事なのだろう。どちらにしろ、現在は公社に彼らは拘束されている以上は公社側に分がある上に、現在の敵とはまったく関係は無い。つまりは脳内シミュレーションの無駄と言うものだ。

「なるほど、あの頃に妙なところで道路工事で封鎖などがあったアレがそうだったのか」

「あら、ジョウチョーってば鋭いんだね、ビンゴ。焼き物は備後」

「その冗句はもう少し捻りを入れた方が良いように思えるな」

「んじゃ、白猫のタンゴは?」

「彼は現在ではむさ苦しいおっさんだから少年少女の夢を壊すべきではないだろう」

 まったく訳の分からない会話を繰り返しているが、どうでも良いだろう。

「ところで朝食は何を食べたい?」

 そう聞いた俺に髪の毛の生え際から一本、はみ出た毛を揺らしながら在姫は一歩先に台所に向かった。

 疑問に思いながら俺も立ちかけたところで、

「あっ、国定は座ってていいよ。まだ昨日の今日でしょ。私が作るから休んでて」

「わ、私も戴いてよろしいのですか?」

「勿論ですよ、曲さん」

「ふむ、私も手伝おうか?」

「ジョウチョーもお願いだから座ってて」

「大丈夫だ。この間の調理実習の時のようにバックドラフトを起こしたり、鶏を蘇生させたりはしない」

 およそ料理とは無縁な不吉な言葉がもたらされたが、在姫が黒糖味のカリントウを常寵に与えて収まる所に収まった。

 では在姫の待つとしよう。それまでの間は、まぁ、色々と情報を集めるかな。

「ところで常寵、君はどうやって、初めて在姫と出会ったんだ?」

 常寵は不満そうにカリントウを咥えていたが、記憶を反芻させるように心持ち上目使いとなる。

「そうだな……、この通り、私の【眼】は魂の色を観る事が出来る。『異を持つ者は異を引き寄せる』。いわゆる『因力(いんりょく)』とか、『縁』とかそう言ったものが私に有った。スタンド使いみたいなものだ。正式な言い方は『輪廻外』だったか? 知らないか? まぁ、故に昔から様々な事件に巻き込まれてきた。だから私は『誰』とも一切関わり合いを持つ気が無かったんだ。坤高校の噂は、いや、政霊都市の噂である『異形の集まる』と言う秘密のようなモノはある程度は知っていた。兄がそれを聞いて普通の街から『ココ』に移り住む事にしたんだ。私に『異を持つ者でもいいから』友達が出来るように、とな。内心『なんて余計なことを』と思った。私の引き寄せるモノで人に迷惑を被るのが嫌だったのだ」

 その瞳に映ったのは慙愧の思い。迷惑だけでは言い尽くせないような、それは『喪失』。

「だから今年の入学式の時、私は『拒絶の仮面』を被った」

 想像に難くない。彼女の冷徹な視線で、まるで出エジプト記のモーセであるかように人波が音を立てて割れていく。整然と、常寵は颯爽と、その人垣で出来た道を通っていって、

「そこで、」

 彼女に会った。

「在姫に会った」

 割れた人波のど真ん中でただ一人だけ、腰に手を当てまるで小さい子供が背伸びをするように、それでもただ一人何かに逆らうかのように在姫は立ちはだかっていた。

「そこで彼女はなんと言ったと思う? 『この身長だから人に巻き込まれて大変だったのよ、じゃ、先導してくれない? 私の名前は九貫 在姫。貴女は?』。そして、手をムリヤリ掴んで握手」

 仕草は子供のようで、態度は怖れを知らぬような魔女の風格。瞳は何よりも意志が強く、気高く。例えるなら大胆不敵。

 彼女は生まれながらに自然と荒野に目立つ、宝石のような輝きと強さを持っているからだ。

「思わず『仮面』を取り落としたわけさ」

 クツクツと思い出して笑う常寵は本当に楽しそうである。どうでも良いが握手のときに別に俺の手を使う必要性は見受けられない。

 とにかく、彼女は出会えたのだ。条件や馴れ初めや、当人の思惑は何にしろ、最高の友に。

 料理を製作中の本人は集中しているようで一切こちらに顔を向けない。しかし、チラリと見えた横顔が心なしか、恥ずかしがっているかのように赤かったが、突っ込んでも玉葱を切っている包丁を顔面に向かって投げられるだけなので止めておこう。


「五目御飯に冷シャブサラダ、ワカメの酢の物お待ちぃ」

「「「おぉ」」」

 俺は常寵と、死神で声を挙げて思わず驚嘆した。

 色合いから見受けられる味の濃淡、配膳と量の配分まできっちり終わらされ、ついでに洗い物も済ましてある。

「すごく、おいしそうです」

 死神さんの口から涎が垂れている。

「ふふん、魔女ですから」

「安易に魔女の名を引き合いに出すと質が落ちるぞ」

 俺の皮肉に子供のような膨れっ面を見せる。

「食・べ・た・く・な・い・の?」

「戴きます」

 両手を付いて、俺は礼を済ますとやや先駆けするように食べ始めた。

 その様子に死神の曲さんは呆気に取られつつ、常寵はクツクツと何かを噛み殺すように笑いながら膳を取った。


 ちなみに在姫の料理の評価は、無理にケチつけようと思えば言える程度の、おおむね合格の、言わば美味いと言える腕前だった。あぁ、残念。


「で、今後の予定だが、何か提案はあるだろうか?」

 本日始まって二杯の出涸らしの緑茶(曲さんは猫舌なので冷たい麦茶)を飲みながら、今後の対策を練る事とした。

「私は」

 緑茶の熱さを絶叫して以来、終始無言だった曲さんの口が開かれた。

「公社に、あくまでも護衛と葬査の一任をして、特捜室には撤退してほしい、と思っています」

 俯きながらも視線を逸らし、口を一文字に結んでから、への字を作り、そこから僅かに歪ませた。

「死神では一度関わった仕事には『最期』までやり遂げる、気風のようなものがあります。だけど私は……、実戦の肉弾戦ではまるで役に立ちません。私の所属する派閥である若原は最も武闘派で、それを鳴り物にしている分家でした。私はその家系でも底辺。下手すれば、そこらの巡査クラスの一級死神に負けるかも知れません。課長とは肩書き上では名乗っていますが、私は……。その資格などまるで無いほど、――弱い死神です。私は無力でしたが、それでも、死神として職務を全うしたいのです」

 ポタリと閉め切ったはずの水場の蛇口から、水滴。滴って、皿をくべた水桶から溢れる。

「無力だなんて言うな」

 俺はその言葉が自然と口について出た。

 そうだ、誰であろうと、小さな力は持っている。そうでないと悲しすぎる。

「曲さんは、曲さんのやれる事をやればいいじゃないか。俺は曲さんがキチンと仕事を果たせるように手伝うよ。それが『若原 曲のお仕事』じゃないか?」

 それしか出来ないほど、人間は不器用で、目の前しか見れなくて、……傷つく。

「弱い強いなんて事は関係無い。何かをしなくちゃいけない時に出来るか、出来ないか。それだけだ。曲さんは俺が来るまでに在姫をしっかり守っていてくれたじゃないか?」

 例え、それが出来なくても、それには意味が無いと空しい……。

「じゃあ、つまるところ公社と特捜室が正式に手を組めば万事OKじゃない?」

「…………」

「在姫、それが出来ないから曲さん達率いる死神の方々は苦労しているのではないかな?」

「ジョウチョー、それを出来るようにするの。現場の状況を理解出来ない上司なんていらないって。まぁ、ぶっちゃけ私もちょっと状況に混乱しているけど、その辺りを踏まえて報告すれば考慮してくれるんじゃない? どうよ? 国定もそうするんでしょ?」

「……ではその報告の前に、在姫の小さな頭脳が混乱してきたからそれぞれの戦力解析と情報分析をしようか」

 両肘を食卓について、手の上に顎を乗せる常寵の眼鏡が光った。君は凄く司令官らしいね。


 自他ともに認める(自らの比率三割り増し)一流の魔女候補である九貫 在姫の心臓を狙った魔術師結社『アイオーン』。そして、それを護衛するのは彼らから不穏な空気を予感し、調査し、確信した室長の命を受けた千年級の魔人である国定 錬仁、つまり俺だ。

 対抗するのは六百年級の亡霊騎士、ガーブリエル・オギュースト。現在は俺の致命的な一撃を二度も受けて離脱中。

 例の結社では六人中二人、摩壁 六騎、保隅 流水の両名は迎撃し、在姫の師匠の双珂院 生羅からの連絡によると彼の城で現在【拘束】されているらしい。

 また、魔眼使いである斐川 常寵の兄、斐川 荻は魔術師であり、彼自身は彼の恋人らしい人物に誘われて同盟を組み、現在は妹を想って同盟から離反中。無論、誰が裏切るか分からない状況下で常寵ですら本当に味方になのか、そもそも兄の命で最初から在姫に取り入っているのではないのかと、失礼ながら疑問に思う。

 未見の敵として存在するのは『斜 蘭』、『女性魔術師 セツカ』、『鞍路 慈恵』。そして、彼らを纏め上げた元魔術師の魔法使い『脱皮者』。

 そして、保隅との戦いで偶々戦闘に巻き込まれ、あえなく負傷した死神の若原 曲さん(女性)。


「と、いう感じかな?」

「あ、後は曲さんが業務連絡で聞いたって言う、魔術師殺しのプロの二人組は?」

「どうも直接的に関わっている要素とは考えづらい。ここまで事態が発展して私達に関わって来ていないのだから、この際は俺達とは無視した形で考えた方がいいな」

 何より、もしこれを物語にして外で見ている人がいたら、登場人物がただでさえ多いのだ。混乱する要素は出来るだけ省くべきだろう。

「とりあえず、当面の敵は亡霊騎士に、斜 蘭、セツカ、鞍路 慈恵だっけ?」

「在姫さん、黒幕である脱皮者の存在を忘れてはいけません。彼を取り逃がせば、同じことは再び起こるでしょう?」

 曲さんが食卓に乗り出して力の篭った宣言をする。

 室長辺りならあえて逃して裏から手を回して知らない内に操る形にするぐらいはやりそうだ。が、俺にはそこまで考える案もやり方も思いは浮かばない。それに珍しく室長が「奴を必ず殺せ」と言っていたので遠慮なくそうさせてもらう。

「では、今後の対応について何か意見のある者は?」

「夏休みにも半ば強引になったし、私の屋敷に死神のバックアップを入れて引き篭もると言うか立て篭もるって言うのは?」

「それが一番安全だな。だが、ある程度は積極的に打つ手を考えないと季堂ツィンタワーでの件もある。君を誘き出す強硬手段に訴える可能性も捨てきれないがな」

 君が、在姫が一般人への被害を度外視出来るなら別だが。

「じゃ、じゃあ! 何処に居るとも知れない敵と戦うために徘徊やら探索をするとでも言うの?」

 一般人の被害などは毛ほども考えていない。むしろ、目撃すらされずに討つ。そんな考えなのだろうか? 未熟者め、そんな事が通用するか。

 ふと、何かに思いついたように緑茶を飲もうとして在姫は目を向け直し、常寵の目をじっと見る。

「私の眼、千里眼の能力で見つけようと言うのか? なるほど、確かに『見つける』『見分ける』事に関しては私の眼ほど都合の良いモノはないな」

「別に、私はジョウチョーを道具みたいに見ているつもりなんて……」

「いや、私をあてにしてくれた事にむしろ感謝しているくらいだ。だが、私の眼は一日三分、いや一分持てば良い方だ。充電のようなモノが必要で、それに使った後は極端に視力も視野も色彩感覚すらも失う。探索だけにあてるのには時間制限が不利だ。それに私は正面からの殴り合いの方が性に合う。光の国の使者以下の活動時間だな、うん」

 騎士は無理にしろ、作動原理が不明である事が強みであり、それを隠す事が勝利である事が多い魔術師に絶大な優位を誇る魔眼使いの常寵を探索にあてるのは勿体無さ過ぎる。だからと言って敵方と通じている可能性を捨て切れない俺はどうしても俺が探索をして、在姫を常寵が守るとは選択できない。死神が居るとは言え、目の前の魔女を半年も一般人として誤魔化してきた女だ。信用が何よりも置けない。それに俺の代わりになりそうな死神さんも結構騙されやすそうな顔もしているしな。

「あの、何か?」

 じっと俺が曲さんを見つめていると、熱風の中で必死こいて回っている扇風機だけでは涼み足りないのか? 何故か顔を赤らめて逸らしながら、長い睫毛を瞬かせて視線だけこちらを見返した。

「で、結局どうすんのよ?」

 在姫は明らかにイラただしいと短い足を突然組んで、踏ん反りかえりながら座りなおしている。一体何がしたいんだ君は?

「敵の動向が分かるまでは暫く待機を」

 しよう、と言う直前。ワレキューレの行進が何処からとも無く携帯電話の着信音として流れてくる。

「誰だ?」

「私は持ってないよ、お金無いし」

「無線なら持っていますが……?」

「私だ」

 それぞれのズレた発言を構う事無く、常寵が昨日からそのままである制服のポケットから携帯を取り出した。二つ折の携帯の背面の常時表示画面を見て着信相手を確認すると、

「……荻お兄様?」

 いきなり背景が桃色で薔薇とかの花に変わりそうな常寵の声色のおかげでで、在姫は緑茶を噴きかけていた。……初めて聞くが、破壊力は抜群だ。しかし、このタイミングで兄からとは? どういうことだ?

 俺の疑惑の視線には眼もくれず「いや、困っ、どうしよう」と片方の拳を口元に当てて、顔を赤らめていわゆる在姫のよく閲覧している日本の漫画で言うところの乙女状態を満喫している常寵。ちょっとばかり普段との差が大き過ぎる。二回ほど落ちた事のあるナイアガラの滝ぐらいの落差はある。

「いいから早く出なよ。お兄さん困るよ?」

 呆れたように息を吐く在姫に軽く同意。

「あぁ、でも、こ、心の準備が」

 今更、何を言っているのか、この娘は。

「……とりあえず、掌にレモンって書いて落ち着いて」

「れ、檸檬だな? れ・も・ん、じ・ょ・う・し・ょ・う・ふ・は・い、……よし」

 難しい漢字で頭が冷えたのか? 十八回目の着信音で着信ボタンを押す常寵。電話連絡に勝敗なぞが関係あるのか甚だ疑問だが、また慌てられると困るので黙っておこう。

「も、もすもし、ひ、斐川 ジョウちょでっす」

「声が裏返っていますね」

「ジョウチョー、言い方もおかしいよ」

 それよりも相手も分かっているのに本人だと名乗る必要は無いだろう。

「あぁ、はい。うん。お兄様も息災で何より。あいや。うん。しかし……」

 二十分ばかり中身が訳の分からない、たまに裏声(女性本来の声か?)の混ざる会話を俺と在姫と曲さんは聞いている。早く、終わらせてくれ。

「分かりました。記憶しました。脳に深く刻みました。思い出になりました。御尤もです。はい、お兄様」

 会話を切ると、盛大に詰まっていた息を吐き出す常寵。何をそんなに苦しがっているんだ。

「で、そのお兄様は何と?」

 死神さんの問い掛けに常寵は訝しがりながらも、こういった。






        「スクール水着を持って海水浴場に来てくれだそうだ」





 俺は椅子を巻き込みながら後ろ向けに倒れ、しばし呆然とその意味を考えると、その意味自体すらまったく理解出来ない事に気づいて椅子を綺麗に戻して座りなおした。

「で、なんと言っていたんだ?」

「だ、だからスクール水着を持って海水浴に来てくれと」

 そんな! と突然大きな声を挙げる曲さん。

「スクール水着なんてもう五年も着てません!」

 死神って年齢不詳だけど、意外に若いんだね、……とそう言う事では無くて。

「しかも、サイズの合うのあるかしら」

 と敵意を持った視線で曲さんの胸元を注視、いや凝視する在姫。……確かに丈の合うのはなかなか無さそうだが。

「いや、そう言う意味では無くてだな」

「私もこんな事があろうかと、スクール水着は常備していた」

 と、眼鏡馬鹿が鞄から本当に『一ねんBぐみ ひかわ じょうちょう』と白い布を付けられた紺色の水着を出してきた。どんな事を予測していたのか?

「くっ、旧式スクール水着とは、ジョウチョー、やるじゃない!」

「ふっ、お子様体型の君の方がお似合いさ」

「それは認めるしかないね、残念ながら」

「貴様ら落ち着け!!」

 俺の悲痛な叫びによって、常寵が後ろから曲さんを羽交い絞めにして常寵のスクール水着を当てて大きさの違いを測ろうとしていた在姫を止めた。何だ、この空間。それよりも、死神があっさり後ろを取られるな。

 早くもこの面子で、魔人にも関わらず、夏風邪をひいたかのように頭痛がした。




            -Side A-


 潮騒の流れる和木市海水浴場は九貫の屋敷よりバスに乗って二十分ほどである。

 中都市に程近いながら、環境に関する様々な取り決め(おそらく近くの河川を取り締まる口煩い河童の一族によるもの)によってパッと見た限りはゴミ一つ無いキレイな海岸を形作っている。夏休みも始まったせいか小学生とその子供の保護者達、ちち繰りあっている腹の立つカップル達が群雄割拠していた。

「本当にココなのか?」

 お弁当とスイカ、木刀とその他諸々を持って更にパラソルを肩に下げて、場に似合わない緊張感を持った発言をしたのは実体化している国定だ。ちなみに白いタンクトップに麦わら帽子、競泳用水着(短パン型)と言う完全装備である。

「あぁ、間違いない。あの海の家『江頭』で待ち合わせと言う事になっている」

 白色の光を照り返す眼鏡。そしてその豊満かつ悩殺で、その肉を分けろと恨みがしい視線を投げ掛けたくなるような体をスクール水着に包んだのはジョウチョーだ。

「本当に彼らはいるのでしょうか?」

 そんな気弱な発言を投げ掛けたのは、私とジョウチョーで嫌がるのも無視して剥いで着させた同じくスクール水着姿の曲さんである。普段から日の当たらない格好をしているせいか、青い血管の浮きそうな白い肌に紺のスクール水着はやたらと映えている。加えて、ジョウチョーをあっさりと超えた大人のボディラインは道行く男性が首の向きを固定するような事態へと発展している。と言うか、その肉分けろ。

「居ようが居まいが、この布陣と攻撃力(色んな意味合い)で負ける事は無いわ」

 そして腕組みをして、一番貧相な体を意識的に隠しているのは私である。無論、スクール水着である。何やら視線を一番集めているような気がするけど、おそらく奇異の視線に違いない。


 で、私達が海水浴場に来たのは訳がある。

 遡る事三十五分前。

 海水浴場に来てくれ発言の後に常寵が補足したのは衝撃の事実だった。


「お兄様が魔術師一人と停戦の交渉機会を設けてくれた。その際に人目について、更に余計な武装の出来ないように海水浴場を指定したのだ」


 この時期であれば、プライベートビーチでもなければ何処の海水浴場も満員御礼である。加えて『常識の外側』にいる私達はむやみやたらな戦闘や秘術を尽くすことの出来ない、持ち札を潰し合った五分五分の状態に持ち込める訳である。無論、それを誤魔化す事の無いように最小限の服装である、水着での謁見を双方が納得の上で望んだわけである。

 人払いの結界と言う手段も閉鎖しやすい学校や廃屋などの一定の空間で有効になりやすいモノなので、開けた海の場合は、沖までまるごと魔方陣でも描かなければ発動はしないだろう。

 幸い、曲さんが応援を入れているのでそこかしらから強い力の圧力を感じる。たぶん、死神の何人かが補助の監視をしているのだろうか? 曲さんのお陰である。

「焼きそばが美味しそうですね、じゅるり」

 昨日からの死神の見た目とテンションを豪快に崩している死神さんの腹ペコ発言を無視しつつ、海の家へと入る。

 あまりの外と中の光量差に、僅かながら暗がりとなった海の家の中は誰が居るのかを判別しがたい。

「突っ立ていても暑さで体力を消費するだけだ。奴らの狙いかも知れん」

 こんな時にも物事を裏返して考える国定に呆れつつ、店内へと入っていた。

 最初に目に付いたのは座席に、脂肪、否、筋肉で弾けそうなアロハシャツを着た常寵の兄、魔術師である荻さんだった。何ですか、机の上に鎮座している腕。二の腕が私のウェストよりもあるんですけど?

「やぁ、どうもお待ちしていました」

 この人の柔和な笑みを見ると、昨日国定と死闘を繰り広げ、更に同盟に離反した剛毅な男とは疑わしく思う。まぁ、世の中には身長僅か百四十五センチ以下の魔女だっているのだ。不思議に思う事なんて無い方がいいのだ。

 その隣に、三枝先生。本名、三枝ミツエ 石火セッカ先生が、いつもの眼帯を付け、白いセパレートの水着とフードの付いた空色の薄手のジャンパーを着て、荻さんに寄り添うように座っていた。

 ……えっ、――石火? まさか!


「やぁ……、君達に学校外で会うのは、そして『こう言った形で会う』のは初めてかな? アイオーンへと荻を誘致したのは私、連刑のセツカに他ならない」

 理知的に見えた灰色の瞳が、圧倒的な勢いで凶器に染まっていくように感じられた。

「やはり、一般人よりも遥かに低い装甲濃度だと思ったら……」

 低い声と同時にパラソルを槍に見立てて構え、体を僅かに沈めた国定は明らかに戦闘態勢だ。

「待て待て錬仁くん、だったかな? 折角の交渉機会を潰すとは、特捜室の浅はかさが滲み出るぞ」

 灰色の、理知的な瞳を国定に向けた三枝先生。

「浅はかさと、ここまで来て言える神経の方が感慨深い」

「まぁまぁ抑えて抑えて」

 いつの間にやら『椅子に座っていたはずなのに国定の背後に居る』荻さんが国定の肩をポンと叩いた。その動作には友愛を示すものしか感じられない。視線では何とか追いつつも、反応する事が出来ずに後ろを取られた国定はしぶしぶと、不機嫌そうに戦闘態勢を解除した。

「さっさっ、皆さんもリラックスして座ってください。冷たいジュースに焼きそばと焼きトウモロコシを頼んでありますから、遠慮なく、召し上がってください。無論、僕の保障する限りで毒など入っていませんが、信用出来ないのでしたらお好きなようにしてください」

「今日は私の奢りだ。学生の身分に景気良く甘んじたまえ」

 ニコリと微笑みかけた三枝先生に、「じゃあ、お言葉に甘えて」と眼前の席に座る。それに納得がいかないながらも、国定は私の横に座る。ちなみに向かいは荻さんで、その更に横には曲さん。荻さんの隣をちゃっかり取って、それでもやっぱり誕生日席にジョウチョーは座った。

 しばらくは無言で食事だった。食事中、国定と私は繁々と、ジョウチョーは努めて無表情で見つめ、曲さんは構うこと無く黙々と食べながら、三枝先生の食事風景を見ていた。

 三枝先生には右手が無い。そのために先生は左手が『荻さんによって』おかずを盛ってもらった皿を持ち、『荻さん』によって食べさせてもらっている。

「(やべぇ、これがバカっプルってやつか?)」

 些か違う気もするが、本来なら左手だけで箸を持って食べればいい訳だし……、やっぱりバカっプルなのだろう。

「荻くん、私はピーマンは常日頃から肌に合わないと主張しているのだが、その箸の間にある緑色の固形物を帰納的に解釈するならば、聞き入れてもらえないと言う意味なのかな?」

「健康に良いですよぉ」

 箸で摘んだ焼きそばのピーマンを三枝先生に三センチ近づけると、その分同じ距離だけ後ろに上半身を退いた。

「健康とかそう言う関係ではない。私はピーマンが生理的に嫌いなのだ」

「好きとか嫌いとかどうでもいいんです。ピーマンを食べるのです」

「荻、私は君の事を愛している。だが、それでも断る。私が好きなのはニンジンなのだ」

 何か、私の想像していた先生のイメージが砂上の楼閣よりも、波打ち際に作った砂のお城よりも早く崩壊しているのですが……。

 食事が終わって暫く、誰と言う訳でも無く、波の音に聞き惚れていた。

 漣。九十九つづらに重ねた潮。

 潮間に消えた残響を耳で浚う。そして、

「……本題に、入りましょうか」

 私は切り出した。先生は答えるように頷いた。

「確かにお腹も満たされて、消化も十分に行われた……、うむ、次はスイカ割りの時間だな」


 浜辺に据え置かれたスイカ。

 自称他称ともに心眼使いの錬仁と荻さんはメンバーから抜かされている。木刀をたどたどしく構えた曲さんは見事に外し、私は微かに掠った。そして、最後のジョウチョーの一撃。『手刀』で真っ二つに割れたスイカを更に空中で細かく荻さんが手刀で分けると、各自に配られた。

「うん、スイカに塩は美味い…………って違うだろっ!!」

 国定が物凄い勢いで地面に白い部分まで食い終わったスイカをぶつけた。その後ろでは『浜辺の美観を守りましょう』の看板が寒々しく揺れている。

「ちょ、国定!」

「なんだい、次は泳ぎたいのかな?」


 カナヅチの曲さんは浮き輪を腰に回して気楽そうに漂い、私は同じく実はまったくカナヅチのジョウチョーにバタフライを教えた。荻さんと国定は泳ぎ対決をし、途中から何故か水面走行対決に変わっていた。と言うか、人って水面って走れるんだ。

「え?! ……ちょっと、何で私達泳いでいるの?」

 国定もその言葉に気付いて急に水面で我に帰って立ち止まって何か言おうとしたが、そのまま海面に沈んでいった。

 私は不甲斐ない国定を無視して、国定が立てたビーチパラソルの下で何やら分厚い本を読んでいる先生へと歩み寄った。

「……先生、先生はこんな衆人環視と死神監視の最中で【魔術】を使いましたね?」

 眉毛を少し挙げて、意外に気づくのが遅かったね、と口元でほくそえんだ。

 予想外の、まさかこう言った形での魔術だとは思わなかった。このタイプの魔術なら人に覚られる事無く、人を陥れる事が出来る。

「いやいや、食事の段階から簡単に魔術に掛かるからついつい遊んでしまったのだよ」

 私の僅かに敵意の篭った視線を独眼の女教師は、若いな、と言う様に目を細める。ところで、女教師って響きは妙に卑猥だね。

「九貫くん、ここまで余裕を持ちながらも、手を掛けてないのだから友愛の証とでも思ってくれても良いものだが?」

 片手で本を保持しながら口で器用にページを捲る。

「人を小馬鹿にするのも大概にしてください」

「ふふ、若いうちは幾らでも失敗出来るのだ。だから馬鹿みたいな失敗や馬鹿自体の内の一つや二つは有って然るべきさ。最もそれは取り返しの付かない失敗には当てはまらないがね」

 本からパタンと空気を漏らすと、今度は浜辺で何処からか持ってきた地引網を対抗するように曳く国定と荻さんを見つめた。

 仕方なく私は質問の矛先を変える事にした。

「……先生は何故、魔術師なんかに?」

 眉毛を微かに挙げて「やれやれ、人の身のみで人外の術に手を出す狂い者だぞ? 普通ならば、その意味の存続理由などは聞き難い台詞では無いかな?」と苦笑をもらした。

 一際高い波音を身体に染み込ませるように先生は目を閉じた。

「私の家系は珍しい事に魔術師の家系だったのさ。エジプトにある、世界規模に展開する巨大研究施設【大統合全一院】の事は知っているだろ? 私の家系はそこに所属する元々は魔女だったらしいが、ある日を境に霊気装甲の因子が急激に退化してしまったのだ。本来なら次世代の血統を弄ることで多少は存続が出来るはずだったが、先代の、私の母の段階で私の家系から全ての霊気装甲が消えてしまったのだ。しかし、私の家系に魔女であった事によって溜まった膨大な【遺産アーティファクト】が残っていた。それからだ。私の家系は魔女では無く魔術師を目指し始めたのだ」

 有り得ない話では無い。元々は魔女の才能、もとい霊気装甲は著しく劣勢遺伝に属するモノだから契りを結ぶ相手を間違えればそう言う事は多くある。そのために魔女は血縁間での婚姻、もしくは『出産だけ』などは多々にあるらしい。そのために遺伝的に先天性の肉体異常、つまり奇形を含んだ子供を孕む確率は非常に高いとの事だ。もしかしたら、先生の片目、片腕も本当は事故ではなく遺伝に寄るモノなのかも知れない。

「つまり、先生は魔術師から魔法使い、魔女の家系に戻したいと思っているのですか?」

「うん、そのつもりだよ。荻くんも『魔女を嫁に貰う』なら魔術師のままでもいいか、とか言っていたしね。魔女の心臓は君のでは無くて、別の、悪い魔法使いのでも戴こうと話をつけたのさ」

 ……どうやらジョウチョーの禁断の兄妹エンドは免れたようだ。アブねー。それにしてもこれは『ゾッコンLOVE』と言う境地では無いだろうか?

「私も彼も、別になりたくて魔術師になった訳では無いからね。気付けば目的と手段が入れ替わっていた観も無きにしも有らず、と言ったところか……」

 そう言うと私の腰辺りで潮風に揺れていた髪をクリクリと指に巻きつけた。

「ちょっ、先生ッ」

 何と無しに気恥ずかしい気持ちになっていると、それを分かっているのか、先生も笑った。

「それに君のハートを奪おうにも、こんなに可愛いければ虐める事なんて出来るはず無いだろうしね。代わりに苛めさせてはもらうがね」

「せ、せんせぇ」

 と、恥ずかしがっている私を笑って見ていた先生の視線が突然、奇妙なモノを見るように私を、いや、私の斜め後ろ辺りを見つめた。

「私のセツカに何してるのよー!!」

 私の身体が何かによって『く』の字に折れながら飛んだ。って、痛ぇぇぇぇぇぇぇ!!

 スナを盛大に撒き散らしながら、二転三転と回転を繰り返した。

 沈黙。

 ――再起動。

 ……何者かは知らない。ただこれだけは言える。次に相手が目の前に立った時、私は『ブッチン』とするだろうと。

 顔を砂地から抜き出して、やや上を見上げてみれば金髪緋眼の少女が、やたら黒と白で統一されたやたら際どい水着で私を見下ろしていた。仁王立ちで。

 それで、ブッチィィィィィィィィィンと、来た。

「中々しぶといじゃない。私の回転飛び蹴りを食らって息をしているなんてやりゅバラッ!!」

 台詞の途中でクルリと前方に回転しながら、その勢いでそのままアッパーカットを見舞わせた。

 若干軌道を変えて斜めから入ったアッパーで、錐揉んで砂地を転がっていく魔術師、斜蘭。

 私と同じように砂地に突っ込んでしばらく倒れている。私は近寄らずにその場で生羅師父直伝のボクシングでシャドーを繰り返して身体を温めた。二秒にも満たない程で砂に埋まっていた金髪を抜き出し、砂を撒き散らし、柳眉を立てた表情を見せた。

「このッ! 人が喋っている時に殴るなんてどぉ言う了見よっ。普通悪人とか正義の味方の口上の時には攻撃しちゃいけないんだからねっ! セオリーでしょ! セオリー!!」

「知るか! 不意打ちした人間に言える事柄か! このパープーリン魔術師。あんたなんて私に飛び蹴りしくさってくれたじゃないの!」

「知らない! 心臓さえ無事なら他はどうでもイイもん」

「そんな適当な考えだから荻さんに横から知らない内に突っ込まれたりするのよ!」

「ブゥ太郎の事なんかどう良いじゃないっ、ハハン、もしかして何? 年上とか他に人が居ないと何も出来ないくち?」

「あんたに比べられれば子供に見えないよ。人をどうこう言う前に態度から滲み出る子供っけを抜いたらどうかしら」

「何だと、言わせておけばくぬぬぬ、そりゃ!」

 よく分からない口喧嘩の末、業を煮やした斜蘭はテコンドーのような片足立ちから中段、上段と分けた二段蹴りを放つ。お腹を狙う中段を私は後ろに仰け反るスウェーバックで避け、反動で戻った頭狙いである斜蘭の上段の踵蹴りを、両拳を顎近くにくっ付けたピーカーブーのガードスタイルのまま右に振り子のように頭を振って避けてから、

「うりゃッ」

 振り戻す勢いでカウンターの右フックをあわせる。しかも拳の捻りと変則的な軌道の加わった裏拳気味のロシアンフック。

 それをニヤリと笑みを浮かべながら、片足立ちで蹴りを加えた足を折り畳んで脛辺りを使って受ける魔術師。

 私はそのまま後ろに二、三歩ステップを使って後退した。

「ふふん」

「ふふん」

 あんまり書くのが早く無い格闘小説の先生とかが好きそうな展開だった。と、なると――

 互いにどちらとも無く自分の間合いに向かって飛び込む。

 振り上げられた斜蘭はその足が指し示す空で故アンディ様が笑っていそうな踵落とし、対して私は死神が背後で笑っていそうな肩越しから拳を切るように打ち込むチョッピングライト。

 互いの全力の攻撃を止められるのはどちらも皆無。だからこそ――

「やぁ、僕のプリンセス達痴話喧嘩は止めぐぼぉあ!!」

 ――無粋な闖入者がそれを止められる唯一の人物くらいだろう。

「師父!」

「あっ!」

 妙に黒光りするビキニブリーフだけを履いて、この場に出現した師父は前後から威力重視の攻撃でサンドイッチされた。

 実は視界の端で大体分かっていたが、止める気はなかった。

 たぶん、斜蘭もなかった。

 変な当たり所のせいか? 水面を切るように横回転を繰り返して弾んで行くと言う、不恰好で不自然極まりない勢いで二メートル近い男が海原を飛んでいった。


 小休止。


「そう、つまり彼女を私が捕らえた事によって在姫の心臓を取られる事が出来なくなったのだよ」

 口から不自然な程に大量の血を吐きながら師父は腕組みをして立ち、私たちを睥睨して『斜蘭を捕らえて無効化した事』を報告した。

「そう言う事! 残念ながら在姫の心臓は取れないんだよね! 本っ当に残念」

「本ッ当に残念、捕虜をネチネチと虐め抜く事が出来ないなんて」

 互いに睨み合って「んふっ」と笑みを浮かべ合う。国定が何故かその様子を見て、肩を縮めてブルリと背中を震わせた。

「まぁ、そう言う事だ。君達も仲良くしたまえ」

「誰が」

「こんな女と」

 ギリギリと空間が圧縮されるようなプレッシャーを掛けつつ、互いに睨み合う。

「急展開だな。今日に入って三人も魔術師を無効化させるなんて、すると、後は鞍路と脱皮者のみか……」

 と中々ブツブツとモノを考えている少年が一人。

「で、師父。コレをどうするつもり何ですか?」

 ビシッと指先を銃口のように突きつけると、相手の小娘はムッとした表情を醸し出した。

「そうだねぇ。私が…………うふ」

 その『うふ』に到るまでにどんな妄想があったのかは与り知らないし、計り知れないが、その時だけはちょっと斜蘭が可哀相に思えた。

 実際、その妙に男の癖に似合わない白い肌に黒い笑みを粗雑に貼り付けられると性犯罪の常習犯にしか見えなかった。

「ウワ――――ン、セッカー!! 助けてー、犯されるぅぅ!!」

 本気で怖がっていた。

 師父はそこに追い討ちを掛けるように、やたらと猥らに指のそれぞれ別に動かして迫る。

「だ、大丈夫、い、痛く、しないからね……――、はぁはぁ」

「うわぁぁぁぁぁ――――ん!!」

 滂沱の涙を浮かべて、恐怖に仰け反る女の子。足に力も入らないのか。そのままヘタリと座り込んでいた。……まったく。

「いい加減に止めんか、ド変態」

 師父の後ろからサッカーボールでも蹴り上げるかのように違うボールを蹴った。

 一瞬、呆けたような顔になりながら後ろに居た私を見て「マイシスター、マジですか?」と呟いて、そのまま砂浜に倒れこんだ。

 KO――、別名再起不能。

「正義は勝つ」

「暴力にしか見えないがな」

 ジョウチョーの冷静な突っ込みに言い返すのも束の間、私に抱き付いて来たのは斜蘭だった。

「えぐ、怖かった。怖かったよぉぉ」

「ちょ、ちょっとぉ」

 困った。さっきまで敵対雰囲気バリバリに出していた魔術師が、こうも無防備に抱きつかれると非常に困った。ちょうど私の状況を例えるなら、先程まで噛み付いていた小さな動物が、逆に服に潜り込むほど親密になった感触を受けているのだ。

「うぐ、在姫は、在姫お姉ちゃんは斜蘭の事、虐めない?」

「…………えっと」

 上目遣いのまま、私の顔をジッと見つめる女の子。白に近い金髪のさらさら髪に、人とは違う種とも言えるアルビノの紅い瞳。小さな顔に均整の取れた体は、同性から見ても可愛いものだ。

 敵意も無く、こうして見てみれば保護欲をそそられるような素敵な女の子な訳で、ここで「だが、断る」などと戯言を言える筈もなかった。

「べ、別に苛めないよ。貴女は、斜蘭はもう私の事を狩らないんでしょ? 三枝先生にちゃんと保護してもらうように言ってあげるから泣かないの、ね?」

 私の目前で斜蘭はコックリと黙って頷く。うわぁー、その動作だけで、今までの事が全部許せそうだね。

 その様子を国定は色々と含めたかのように、それこそ「それは罠だぞ」とでも言いたげに、目を細めて見ていた。

 でも、国定。この可愛さには逆らえないよ。魔性だよ。魔性。魔女の私にも無い部分だよ、これは!

「えへへ、さっきはごめんね。改めて、在姫お姉ちゃんは斜蘭の友達」

 ニコニコと擬音が伝わってきそうな笑みを浮かべて、ぎゅっ、と抱きつく斜蘭。思わず、撫で撫でしてしまう私。かわぇぇ。

「ちなみに私は友達でなく、親友だがな」と、何故か海原を腕組みして眺めながら、勝ち誇った笑みを浮かべているジョウチョー。

 それに何故かカチンと来たのか、眉根を顰める斜蘭が反撃を切り返した。

「じゃあ、私も親友だもん」

「では、私はここで親友の一線を越えようか」

「じゃあ、私はそれすら越えるッ!」

「越すな、バカモノ」

 と、お馬鹿なやり取りをフフッと笑いながら、同じようにホフォと謎の笑い声を挙げながら、二人のカップルが腕を組んで見ていた。


 気づけば橙に染まった夕暮れ時。大禍時おおまがどき、輪廻の軸とその外に向かう力が交錯する一瞬だった。

 そこから、切り取られたように、切り離されたかのように、自ら拒むように、周りから退いて見ていた国定と私の視線がぶつかり合う。

 相変わらずのように、今度はジョウチョーを攻撃対象と認めたのか? 斜蘭は私の胸元で口喧嘩を始めたがその罵詈雑言すら音にもならない。

 私は、ただただ一人佇む、寂しげな国定を見つめていた。

 潮騒がただの一つの境界かのように私達の間を通り過ぎる。

 国定は私の目を見ていない。何処か遠く、億戦を過ぎたの戦場跡を見つめる孤独な戦士の瞳。だが、戦士が本当に渇望する光景はその戦場では無く、戦場の先、人々が求めるあの――――。


「タースーケーテークーダーサ――――イ」

 その間抜けでハスキーな声にようやく気付いた。遥か沖に点になるほど流された、浮き輪付きのカナヅチの曲さんが一生懸命に、半泣きになりながら手を振っていた。

 二人で見詰め合っていたのを思い出したかのように再認して、妙に気恥ずかしくなったので、テレを隠すかのように泳げない死神を助けに行った。




「じゃあ、さようならだ。九貫くん」

「バイバイ、在姫お姉ちゃん」

 何故か白衣を羽織っている三枝先生に、例の外国の制服のような私服を着た斜蘭。

 その後ろにはこの蒸し暑い夕方に、未だに長袖を着ている荻さんが居た。

「常寵は今日も九貫さんのところに泊まるのかい?」

「は、はい、そうです。お兄様」

 何だ。この夕暮れとかで情感を高めるトーンは。

「そうか、僕らはさっき言った通り、このまま欧州に向かおうと思う。どうもきな臭い事が起きそうな気がするんだ。たぶん色んな魔女とかが集まるだろうし、狩りの絶好の時だから、次に帰れるのは何時になるのか分からない」

「はい」

「何か、僕に言っておく事はあるかい?」

 ジョウチョーは少し下を俯いて、チラリと三枝先生を見ると、

「……三人とも生きて、帰ってきてください」

 小さく呟いた。

 荻さんは丸い顔を更に丸く見せるように円を描いた笑顔を見せた。

「約束するよ」


 闇が天蓋を覆う。何かが急いで、カバーを掛けるかのように広げていく。

 ふと、それに気を取られていた瞬間、魔術師達は忽然と目の前から消えていた。


 彼らは本当に行ってしまったようだった。

「気を抜いているようだが帰りも気をつけるぞ。魔術師を敢えて離反させて、隙を作る作戦かもしれない」

「国ぃー定ぁー、あんたの頭には陰謀とか、そう言う言葉しか無いの?」

「可能性の話だ。無論、離反した彼らも、俺は未だ敵だと思っている」

「何さ、あーんなに楽しそうに荻さんと遊んでいたくせに」

「違う。技と力に勝負を掛けた時に真剣にならないのはおかしいだろ?」

「論点がズレてるってば、楽しかったんでしょ、ホレホレ」

「どうでもいいだろ」と無愛想に、パラソルとその他諸々を担いだ国定は言うと先を争うように歩き出した。

 まったく、素直じゃないなぁと感慨に耽っていると「あの」と海に浸かり過ぎて唇が青くなっている死神が私に静かに問いかけた。

「九貫さんは、国定さんの事がお好きなのですか?」

 …………………………………………はっ?

「曲さん、それはどう言う意味で?」

「……昨日から見ていて、在姫は国定さんの事を意識しているように見えて、まるで長年連れ添った夫婦のような雰囲気を感じたので」

 その口ぶりを聞いてクツクツと笑って見ているジョウチョー。貴女は後で荻さんのことを『詳しく、そしていやらしく』聞くから待っていなさい。

「そんなのは誤解ですよ。だって私は国定と会ったのは初めて――」


 何故か脳裏に浮かぶ、三日前のあの草原の夢の光景。本当に私は、いや、その光景よりももっと昔の、一昨日みた夢の、あの若武者と対峙していた光景の頃から、彼の事を知っているのでは無いだろうか?


 遠い昔、千年以上も前の……。


「――そう初めて何だから、別に凄く仲が良い訳では無いですよ」

「あ、そう、なんですか。でも仲が良き事は良い事です」

 その言葉と自らの胸中に釈然としない物を抱えながら、「早くしないと置いて行くぞ」と呼ぶ国定を追って、久しぶりに何事も無く自宅についた。


 国定が夕飯を作り、その間に今日のノリで調子にのって三人でお風呂に入る。

 曲さんが半泣きであがる頃には、国定は何処で見つけたのか捻り鉢巻をして鍋奉行をしていた。

「うむ、土用丑の日に鍋とはこれ如何に?」

「常寵、元々丑の日は平賀源内が鰻屋のために作った宣伝文句だ。元々は精の付くものを食べるための風習だっから、鍋物でも問題は無い。むしろ正解だ」

「確かにそうだったが、あぁそうか、この海では鰻は取れなかったな」

「なんでジョウチョーはそんな事知っているよ」

「……精の付くモノ……、つまり今晩はお盛ん、ムグッ」

 ポロっと言ってはいけない事を言いそうになった曲さんを慌てて止める三人。何処で誰かが聞いて見ているか分かったものじゃないのだから、余計な事は言わないのが吉だ。

 気を取り直して国定が網で揚げた海鮮類の鍋物を突っつきながら、四人で談笑やら学校の愚痴(主に目の敵にする教師に関して)やら、仕事の愚痴(主に自分の失敗や上司に関して)やら、恋の愚痴(主に鈍感な親類に関して)やらを繰り広げられ、

「在姫、中々良いものを持っているではないか」

 と、仕舞いには常寵は私が奥底に秘蔵していた焼酎を持ち出してきた。

「ちょっと、それ。私専用で高いんだからね!」

「あ、在姫さん、並びに常寵さん、貴女方は未成年では無いのですか?」

 曲さんは鍋の湯気のせいか結露して、汗のようなものをだらだらと大量にかいている。

「悪い魔術師達が四人から二人に減ったんだから、パッと少しは羽目を外してみようではないですか? さ? 固いことは言わずに、まぁ、部長、さぁさぁ御一献、御一献」

「私は課長ですッ! はっ! いつのまに私はお猪口をッ!? く、国定さんも何か一言言ってください!」

「ん……、程ほどにな」

 意外な事に青少年育成の為の飲酒は魔人にも認められているらしい。

「な! 国定さん!」

「正気を失うほど呑むのは素人のやる事、この程度で警戒が解けるくらいでは寒空での夜警などは務まらんのです。記録が確かなら、夜警中の適度な飲酒で恐怖を消し、新陳代謝を高めていたものだ。過度でなければ、多少は問題ない。今晩も俺が夜警を兼ねるし、在姫達は羽目を外しても構わないし、俺も多少なら大丈夫だ」

 国定は今日は妙に物分りが言いみたいだけど、もしかして今日の遊んだ反動だろうか?

「国定くんの言う通りだ。と言うわけで、聞き分けの良い魔人にも、さぁさぁ、在姫、ボォとしていないで国定くんに注ぎ給え」

「え、あ、うん」

 いつの間にか用意された徳利を傾け、これまたいつの間にかお猪口を掲げた国定へと注ぐ。

 国定はぬめった液体を一口で呑み干し、僅かに、笑みに見えない程度に口の端を曲げる。

「ん、中々の味だ」

「芋焼酎、九州の富乃宝山とみのほうざん。高いんだから味わって呑みなさいよ」

「あ、在姫さん! そんな事に使っているからエンゲル係数でも金銭的に圧迫されているんじゃないですか?!」

 う、その感も無きにしも非ず。しかし、習慣と言うものは中々変えられないものですよ、と心の中で二秒掛かりで反省して、私もお猪口を傾ける。……くぅー、たまんねー。あれだけ、鍋物食べたのに胃がカッカと熱くなってくる。

「うむ、まぁ、曲さん、反省はとりあえずそれを飲み干してからにしないかね?」

「な、何を!? はっ! いつのまに私は置いたはずのお猪口をッ!? しかも注がれて! ちょ、死神を馬鹿にすると――」

 その時、私はタイミングを見計らったかのように、わざとらしく常寵に問いかける。

「あっれ~、ジョウチョーさん、死神さんが何か言いたいようですね~」

「ふむ、と、言う事は、言いたいことは『呑んでから』ですよね~、在姫さん」

 独特の手拍子と共に一体私達は何処で憶えたのか? クラブなどの盛り場でありがちな一気呑みのコールを掛ける。

「今~なんて~今なんて~」

「え、あの、うぇ、うわ」

「言いたい事は呑んでから! あ、それ」

「パ~ラパ~!!」

「私、弱いので、あの一気飲みは本当に……。そ、そうだ、国定さんも何か言い返して、って何で『ぱ~らぱ~』って国定さんも混じっているんですか?!」

 このまま呑まないと場が冷めると言う無駄に大きなプレッシャーに負けたのか? 曲さんはまるで敵でも見る様に水面に写った自らの顔を睨むと、

「も、もぉ、知りませんからね」

 ぐぃ、と一息で呑み干す。

 そして、その呑んだ合間よりも短い時間で最高の笑みを浮かべて、

「やっぱり、無理です」

 真横に倒れて、真っ赤になりがら、曲さんは目を回し始めた。

「ふむ、一杯でバタンキュウとは、死神もこんなものかな? このまま漏斗を口に咥えさせて注ぎ込んでみたらどうなるだろうね? ふふっ」

 妙に黒い笑みを張り付かせてジョウチョーは楽しんでいるが、流石にそれは犯罪である。でも、死神って戦闘以外で死ぬのかな? 急性アルコール中毒で等々力医院に担がれていく死神もそれそれで面白いかもしれない。

「まぁ、色々と想像通りで良かったけどね、……あのさ。徳利ごと下げて要求って事は、国定はもう一献? 早過ぎじゃないの? 私のなんだから呑み過ぎないでよね!」


 その後よく分かった事は、国定はザルで、ジョウチョーはそこそこで、死神でも下戸は居ると言う事だった。

「では私と曲さんは隣の部屋を借りよう」と取り付く島の無いうちに顔を桜色にしたジョウチョーは未だ顔を真っ赤にして「私ぁ、もぉ、呑めまっせぇん」と唸る曲さんを嬉々とした表情で小脇に抱えながら、部屋に入っていった。あの部屋で何されるのかしら、一体?

 二階の廊下に佇むように残された私とあれだけ呑んだのにも関わらず素面顔の国定。

 頭が酔いで蕩けているせいか、小さな守護者である国定とじっと見詰め合う。

「……今晩はきちんと在姫を守るから安心して寝てくれ」

 始まりの日から変わらない真摯な瞳。

 でも私にはその奥の、底の無い終わった、絶望の続く物悲しい瞳の理由をまだ問う事は出来ない。

「毎晩、そんな事まで心配されなくてもグッスリ寝るんだけどね」

 そう何とか言葉を整えて言う私に柔らかく、今日の中で一番緩んだ顔を国定は見せて「君らしい」と頷いた。妙にくすぐったくなるような、居心地の良いのか、悪いのかよく分からない気持ちが疼いた。

 この男に、もっと素直に笑って欲しいと、私は思った。

「じゃあ寝るね、国定もちゃんと休みなさいよ? いい? 分かった?」

 感情がなみなみのコップから零れる前に慌てて飲み干すように、私は早口で捲くし立ててみた。

「分かっている」

「それから……、色々と……、ありがと。お休み」

 私は頬っぺたが急に熱くなるのを感じて、そしてそれが恥ずかしくて、自室へと駆け足で入っていく。

「……あぁ、お休み」

 国定が扉に背を向けながら私に声を掛けた。ちらりと垣間見た表情は、私の名前を初めて呼んだ時と同じだった。

 私は寝室の扉を押さえるように閉じて、そのまま国定の声に軽く後押しをされて、そして倒れるようにベッドに泳ぎ疲れた体と悶々とする心を預けた。

 寝室の扉に体を預ける音。隔てるモノは壁だけで、それでも、国定は何か別の壁を作っているような気がした。

 今夜は臥待月ふしまちづき、ちょうど寝具に潜る頃、床に臥して待つ頃合に月が顔を出す。

 誰もが見向きもしない頃、ようやく彼が少しだけ本来の顔を見せた気がした。


 The night has come.

 Waning moon is laughing above the stagnated sky.

 The man start to accompany them on tragedy.

 He knows what will happen through and through after this tonight.

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