11.叫喚(きょうかん)(4/4)
>>―Side B― 国定視点からの続き。
-Side A-
白金の瞳は天を凍らす。
魔を持つ瞳が空間を抉る。
眼鏡が、否、強力な【魔眼封じ】が外れた瞬間、視界が凍った。
騎士の蒼い瞳を圧倒する畏怖。
白金の双眸。そこにいつもの、日本人らしい漆黒の瞳は無く、ただ他者を圧倒する異様な輝きが見える。
全てが、物事の有らん限りが、服の下も、皮も、肉も、腸も、骨も、心もそして、魂すら見透かされるような極光の砲口。
この魔眼。魅了や忘却の類でなく、この世界。すなわち本質そのものすら革変させる禁断級の魔眼。
魔女の間の通称は、『秘眼』
「……見切った」
一言、鮮烈なまでの異界の輝きで唯一、己の輝きを失わない可憐な、桜色の唇が動いた。
次の瞬間、抱き抱えた私を放すと同時に、真後ろの壁に両方の掌を叩きつける強烈な掌打。
女子高生だと言う事を忘れさせるような、強力無比な衝撃音の伝播。鉄球がコンクリートにそのままぶつかるような、そんな表現しか出来ない凄まじい轟音の響きが満ちる。
それは魔眼封じが取れた瞬間に起こった霊気装甲の超流動。眼を媒介に全身に広がる膂力。
鼓膜が破裂するほどの衝撃の直後、壁の中から鮮血が吹き出た。ホラー映画のワンシーンのような、それでいて間の抜けた画。
壁から覆面の男の顔が出た。
「な、……何ッ……故?」
コキリと魔術師の首が傾いた。
ジョウチョーは腰に片手を当てながら、さも当然と言うようにもう片方の手をあげる。
「箱の中の猫みたいに誤魔化そうと、私の眼を誤魔化す事は出来ない。私の瞳は魂を見るための瞳。私の眼の前には如何なる視覚を対象とした幻術も、科学的な光学迷彩も、物理的な遮断物も意味が無い。視界、視野など関係無しに魂ごと、本質を捕捉するのだ。つまり、眼鏡を外した状態の私はな、三百六十度上下左右斜め、位相、異界、結界、『何処にも死角が無い』と言う事だ。どうしても私から隠れたいのなら、魂を亡くす事だな。まぁ、それは死と同義だがな」
しかし、と白金の瞳の彼女は続けた。
「貴様の魂は腐って、濁り過ぎて、人とは認識しにくかった。目的を違え、冥府魔道に堕ちると言うのは、かくも醜き事か……」
ゆっくり歩いて近づいたジョウチョー。微かに、撫でるように触れた程度の掌低は瞬時に魔術師に痙攣を起こした。壁に仰け反るようにして気絶をさせて、そのまま沈み込ませる。
呆けかけていた私から眼鏡を受け取って掛け直すと、ジョウチョーは少し、体勢を崩した。
慌てて支える私に「久しぶりに少し、見慣れないモノと認識過ぎただけだ」と眼鏡の位置を直しながら、軽く笑みを浮かべた。
「……魔女として君に会うのは初めてだな。封印級秘眼の保持者、斐川 常寵。関係者には通称、王魂の賢察者の常寵と名乗るようにしている」
魔眼には、見るモノを特化した魔眼と視界として認識した世界に影響を与える魔眼の二種類のタイプに分かれる。
見るモノに特化した、遥か遠くを見通す千里眼や霊体などの見えないモノを視る妖精眼、未来を観る龍眼に結界を見通す見破の魔眼。
世界に影響を与える、見た者を呪殺する邪眼や相手を催眠状態に陥らせる魅了の魔眼に、見たモノを石に変える石化の魔眼。
この二種類に分かれるのだが、彼女の魔眼の特徴は基本的には前者であるのに加えて、前者と後者の特徴を多く保持している。保持者としても珍しい魔眼を同時に幾つも保持しているのだ。
視界を拡大する魔眼に、透視を行なう魔眼、霊体などを含めて、魂を認識る魔眼、威圧を与える縛鎖眼などなど。
もし、普段から常に魔眼を晒していれば、更に魔眼は強化を重ねていただろう。
「インチキだ」
私は驚いた顔に反して吐いたのは、思わずムスッとした声。
まったくインチキだ。そう、彼女はその眼で、私が魔女だと言う事に気付いていたに違いない。それに在りえない、いや、在ってはならない神話の類で語られるような魔眼の保持者が、魔眼封じを身につけて、魔女の目の前で隠れていたのだから。しかも気付かせないなんてインチキにも程がある。
「インチキとは……まぁ、失礼したね。実は大分前から君の事は魔女だとは認識知っていたのさ」
口元に浮かべた微笑につられて、私もようやく苦笑が漏れた。
私も中々未熟だ。仮にも友人の擬態に気付かなかったのだから、もう少し魔法やらの前に観察能力を持った方がいいのかもしれない。
確かにそうだ。魔道書に対する言及に、帰り道の警告。全ては私の身を案じた事だったのではないだろうか?
・
・
・
「お嬢さんに加えて魔女。この世で語らう『最期の言葉』は吟味した方がいいぞ」
タイルを叩く金属軍靴の音階。
両手に携えた剣を揺らしながら、亡霊が迫る。
「ふむ、貴公が今までの連続殺人の、いや『魔女狩り』の主か」
呪いで禍々しく威圧する蒼い瞳に対抗する眼鏡越しの峻烈なまでの白金の光。
それを青い炎が否定する。
「残念ながら私は主に非ず。一介の雇われ騎士に過ぎぬ」
遠くを見通すような瞳は何故か、残念そうだった。
「なるほど、魔術師が雇用者と言う事か。私の推理とは幾分か違っていたようだな」
騎士の大双剣が持ち上がる。
「どちらにしろ。魔眼保持者は霊気装甲のある時点で魔女ともなり得る。抉り出すのは心臓の代わりにその眼だがな」
頭の真上、大上段と肩と同じ高さに並んだ剣達。
「魔眼で動きを捉えられようと、今度は身体が追い付かぬだろう。死神を圧倒した私の剣技でその心の臓と両の眼、頂こうか?」
「貴公は何かをお忘れでないかな?」
返す言葉。爆発直前だった噴火のような剣撃を、巫女のように鎮めるジョウチョー。
「……なに?」
「何かをお忘れではないかと言ったのだ。彼女には、『最強の守り手』がいるのだぞ?」
皮肉げに曲げられた、美麗な唇が真実を紡ぐ。
私も気付いた。そうだ、彼女は『彼』の事を認識知っているのだと。
次の瞬間、何かが反対の塔から爆発した。
* * *
-Side B-
眼を再び開いた。目の先の先には守るべき人が友人と共に騎士と対峙している。
俺の出番のようだ。
人が敵わぬなら、人を超える者、魔を帯びた超人の出番だ。
月明かりが分厚い雲のカーテンで遮られる。灯りのまったくないこの場所では視覚が遮断された事と同義である。それ故に体内の血の一滴までが感覚によって捕捉が可能である。
軍用射出機に備えられた戦闘機にように、魔力を全身に秘めながら静かに佇む。しかし、俺が戦闘機と違うのが、その攻性能力が護衛戦艦と変わらない事だ。
通常、魔力や霊力を魔法の類によって使う際に効果を表すまでは、消費する魔力などは体内に留めておく。それは異種の霊気装甲が接触した際に起きる反応、『拮抗』を防ぐためのものである。例えば、低能力な術者が体外で魔力などを固定化させようとすると自然界の霊気装甲に反応し、強い方、大抵は自然界の霊気装甲によって反発され、押し潰される。在姫などの高濃度の装甲を持つならその圧力に均衡するだけの力を出せる。それは能力者同士でも起りうる現象でもあったりする。
そして、俺が利用しようとしているのは……
点呼開始。
――伍、霊気装甲、全装甲駆動開始。
――肆、装甲濃度出力八拾七%
誤差発見、装甲濃度出力低下状態、現最大値二十七%迄移行。
――参、対衝撃装甲結界展開。
――弐、同時展開、魔力放出走行準備。
――壱、肉体制御、推力、平衡感覚統制。
――零、発射。
自らの霊気装甲を反応させて【推進起爆剤】にすることだ。
急激な加速に負けそうになる身体。それを支える足で思いっきり地面を踏みつける。地面から浮き上がらないようにするように。
留まる事は無い。最初の一歩を踏み込めば後は容易いものだった。
顎が摺れるほど身体を前傾させながらも、足が接地するより先の身体は揚力を受けた翼のように空気と密着しながら進んでいく。
目前。崖の高さを考える前に、あの日、あの夜、傷付いた俺を見て、泣きそうな少女を思い出した――
* * *
-Side A-
「……なんだ?!」
ジョウチョーの言葉で固まっていた騎士の動揺を、さらに何かが引き出した。
反対側の塔からの爆発音。直後のあまりの衝撃に反対側の塔の内側から、それを越してこちら側の塔の外側から、ガラスの全てを破砕した。
それは何かと何かの霊気装甲が『拮抗』したモノだと、私は理解した。
しかし、今までに見た事が無いほどの最終戦争神話級の反応規模だ。
神話時代、神と呼ばれる存在同士が戦ったような戦争の咆哮。戦の始まるを示す鏑矢。
眩みそうな光の中を小さな、速い何かが飛来した。
着地。爆発には比べようも無いほど小さなモノだったが、人では到底耐えられないような圧力を両足に受けて、直前に、再び霊気装甲によって相殺する。
濛々と立ち上がる煙と沸騰した空気熱がビル風で轟と吹き荒らされ、散らされる。
その中心に居たのは、小さな魔人。
「未熟者が居なかったから余裕だったな。さて待たせたようだが在姫、後は任せろ」
「馬鹿、女の子を待たせるとは何事だ!」
小さな魔人は苦笑する。
その影で、蒼い炎が揺らめいた。
「国定、左ッ!」
その私の言葉よりも早く、騎士によるタイルから更に下の階まで突き抜ける剣撃、爆撃を国定はかわす。
「くっ」
吹き荒れる暴風が、魔人の戦闘域から離れた私達にまで風塵を巻く。
風を受け止めるために交差した両腕の隙間では国定はまだあの槍を握っていない。
徐々に、人の視認を超える動きを亡霊が見せ始めた。
それは振り切った残像なのか、それとも振り上げた残像なのか分からない。ただ二つの剣があまりにも速すぎてより多く見えるだけだ。
国定はその剣撃の範囲から僅かに抜け出すように後退しつつある。しかし幾ら抜け出せても、騎士にダメージを与えるのには徒手空拳では不可能だ。あの呪いの凝り固まった鎧ごと、貫く、もしくは破砕するような武器が必要だ。
槍を出す暇は無い。
もしも、私が『何かを作れれば、呼び出すのではなく作り出す事が出来れば』……。
国定と騎士が止まった。国定の後ろには瀕死の死神が居る。後退は、出来ない。
「再び、終章へと導こう、魔人」
必殺の一撃だと宣言する騎士に、
「いいだろう。亡霊の鎮魂奏を、貴公が終える最後まで聴き惚れよう」
国定は未だ素手で迎える。
私達は手を出す事が出来ない。竜巻に生身で飛び込めば打ち砕かれるように、この闘いは超人同士、人外同士のみの殺し合いだ。
でも、国定の手には何も無い。どうするの、国定?
無音。しかし、物質的な段階でなく、心の水面下では闘いが繰り広げられている。
素人の目にも見えるように、互いの見えない、心が打ちかかる残滓が見える。
普通なら、武器の無い段階で負ける騎士の一閃を、国定の心が『何か』で受け止めて返す。
騎士にもそれが掴めない様で、苛立ち、そして、遂に爆発した。
あの時の、普通の剣撃の十倍の威力と速度に相当する爆撃が始まろうとしている。
一撃でも、国定は素手で受ければ死ぬ。
武器、何でも良い。あの超重武器である双剣を打ち落とし、なおかつ重装甲を叩く『 超重兵器 』が必要なのだ。あの国定ならどんな兵器でも扱える。長大な槍を奔らせる技量と膂力がある。後は、武器のみ。
国定は身体を崩さずに後退する。初撃の、それ以前でさえ爆殺させることは必死の剣撃に怯まず、ただ直前に避けるためだけに後退する。
だが、後はもう無い。国定の後ろには傷付いた死神が倒れていた。いくら死神とて、この剣撃をまともに受ければ斬殺される。
「いくぞ」
双剣が莫大な呪いと魔力を纏って踊る。卑怯と言う間もない戦術。
「1、!?」
その爆撃の直前、国定は身を屈めると同時に、『それ』を手に取った。
直後に膨大な力と力がぶつかり合い、それが熱量に置き換わって二人の間にあった空間が広がるように胎動する。あまりの急激な空気の流動に私は眼を瞑る。爆風が髪とスカートをたなびかせ、駆け抜けた。
――静寂。国定の断末魔の叫びも、何も聞こえない。
恐る恐る眼を開けた時には、双剣は同じく無骨な鉄塊に止められていた。
無骨な、叩きつけるための武器は『 死神の使っていた鉞 』。
「どうした? 手が震えているぞ?」
不敵に、いつも通り不敵に笑う国定だが、今回はいつも以上に相応しいものだった。
この間とは逆転して、国定の握る鉞の圧力に堪えているのは亡霊の方である。双剣は唯一つの鉄塊によって止められ、身長も、体重も、武器の重さも、魔力も、全てが上回りながら、国定の鉞によって止められている。
「ばかなッ」
つい先日までは圧倒に近かった実力は当然の摂理のように凌駕していた。
千年の魔人と六百年の亡霊騎士では格が違うという事か?
「手元がガラ空きだぞ?」
国定のその一言と共に火花が散る。
鉞による零距離からの力任せの一撃で吹き飛んだ騎士は、両足と双剣を真下に突き立てて、タイルにしがみ付くようにしてギリギリ、ビルから飛び出る直前にその場に留まった。
幾ばか離れた間合い、国定は鉞を肩に担いで、斜に構える。
「次はどうするんだ?」
騎士の双眸が燃えた。呪いの大気侵蝕によって全てが歪んでくる。冷水の混ざった熱湯のように、異なる大気と瘴気が平衝して明確な境界が不明確な視界として表れる。
そこに表れるはずの恐怖は最強の守護者が全てを受け止めている。
大剣が磁石の両極のように呪いを渦巻いて、騎士は再び国定に打ち掛かる。
「1、2、3、4、5、6、7、8、9、10!!」
十連続の閃光。しかし、国定はそれを鉞の側面の鎬や柄で巧みに反らし、逆に騎士の体勢を崩した。
「であぁぁやぁぁぁッ」
そこに獣声が轟いて、閃光を国定が掛け返す。
身体を丸ごと捻りながら、駒のように、それ以上に速く廻る。打ち掛かる。
疾風迅雷。超重武器には似合わない形容で身体ごと飛び込むように国定は刃を振るった。
それに初めて畏怖した騎士は一歩下がりながら双剣を十字にして受け止める。
しかし、氷の軋むような音と同時に剣が弾けるように砕けた。
「輝ける陽光が?!」
騎士の呟きは剣に付けられた名だろうか? 砕け散った剣は呪いと言う枠組みから消えて大地に塵以下になって落ちた。
肩に鉞を担いだスタイルが当然であるように佇む国定から、素手の騎士は人外の速度で離脱する。後ろ向きにも関わらず、視界から一瞬で失せて、ガラスの割れたビルの縁に立っていた。
「逃げるのか?」
「負ける戦いはしない」
騎士の国定の更に奥を見つめるような遠い目は、何故かは分からないが何かを憐れむようにも見える。
「終わりが近いのだな」
「…………」
終わり? 終わりとは何のことだろうか? いや、本当は分かっている。私は、ただそれを認めたくないだけなのだ。
「敵ながら天晴れと言ったところか? その献身に私は称賛をし、今回はココで退こう」
「……能書きは良い。今ここで俺が妄執の亡霊を倒すだけだ」
「それは無理だ。ここで私を倒せたとしても後に残る魔術師から魔女を『誰が守る』?」
国定は瞳孔を開きながら、獣の眼差しで騎士を威嚇する。その奥には終わった瞳。
「貴様――」
「分かっているはずだ。たかだか思いの塊が、六百年も恨むのも、あるいは千年も無意味に生きる辛さを。貴公もこの世界への固執も薄れ掛けている。加えてその霊気装甲、後五日間持つか否かと言ったところか?」
「……それだけで十分だ。最後の仕事を終わりにさせて、俺は」
「敗北思想だな。私も貴公も、この無意味な円環を断ち切ろうと言うのか……。忘却と呪詛、互い似て非なる、か……」
遮るように語る騎士。国定が何かを言い返そうと噛み締めて固くなった口を開いた直後、騎士は流れるように後ろに向かって飛ぶと、階下へと重力に引かれていった。
国定は追わない。いや、ビビッて追えないのか?
「在姫」
鉞を肩から下ろすと、重い荷を下ろすと、国定は疲れたような笑みを浮かべた。
「……スマン、ちょっと限界のようだ」
そして、そのまま地面に向かって倒れこんだ。
「なッ!? ちょっ、ちょっ、ちょっとちょっとちょっと!!」
寸前で私が抱きとめるが、そのまま国定は眠ったように身動ぎもしない。
ただ眼を瞑って、まるで止まったかのように。
「くに、さだ?」
無言。しっぽを引っ張られた猫型ロボットのように、スイッチの切れたパソコンのように、発条の使い切った空繰人形のように、鳴声の止んだ蝉のように、国定は止まった。
国定は止まった。魔人が止まった。
……死んだ?
「え、な、なに? どうし、え、ちょっ、まだ、私――」
「落ち着け在姫。私の『眼』では彼は生きているように見える。おそらく、ただの一時的な機能停止だ。とりあえず、今はココを去ろう。死神ならともかく、この騒ぎだ。人の警察に余計な記録は残したくあるまい」
ジョウチョーの諭すような言葉に私は我を思い出す。確かにそうだ。このままゴタゴタに巻き込まれても都合が悪いだけだ。
動揺する私に「私が死神の彼を負うから、君が彼を負え」と的確に指示をする。まったくこれではどっちが神秘に属しているのか分からない。だが指揮するほど統率力の無い私に比べて、ここはジョウチョーに従った方が無難だろうと、私は彼女に従う。
私とさほど変わらない身長でありながら男の子だけあって国定の体は重たい。
彼女ほどの筋力でも重いのか? 背中に死神を乗せたまま器用に、鉞の刃に近い重心の部分を気合と共に持ち上げて、両手で持ちあげる。
「むぅ……、これは、一苦労だな。うっかり足に落としたら開放骨折だな」
「表現がグロイって……、うーん、別に置いて行ってもいいんじゃないかな?」
「死神に助けられた義理もあるだろう? 彼……、とにかく死神に助けられたのだ。容疑者に逃げられて、死神の鎌の現場放棄、更なる始末書処分と言うのも可哀想だろう。死神殿に助力の一つは差し上げようではないか、無償の葬査貢献だよ」
それもそうだと納得するように頷くと、非常階段からこそこそと逃げ出した。
階下で待ち構えていた表の警察の特殊車両群。大きな騒ぎになったためか? かなりの台数が待ち構えていた。機動隊の影もチラホラと見える。
傷だらけの子供に包帯姿の怪人、加えてジョウチョーの両手には言い逃れの出来ないような馬鹿デカイ凶器とくれば、職務質問や補導だけで済まされないだろう。
「裏口が確か反対側にあったな」
「えっと、あっちの方は鍵が掛かっていたはずだけど?」
「大丈夫だ。ヘアピンさえあれば魔眼で透視でも行使すればディスクタンブラー式の錠前は大抵開けられる」
物凄くこの友人の将来が気になった。本を専門で盗む泥棒とかになったりはしないだろうか?
途中の通路の角で遇った警察官達。指先を突きつけて残り少なくなった私のフィンの一撃で昏倒させたり、ジョウチョーの魔眼で目を眩ましたりと、申し訳ないながらも色々な手段で回避をさせてもらった。まぁ、狐にでも化かされたと思ってもらえれば好都合だ。そんな保障は何処にもないが、まぁ、政霊都市和木市なのだから、それくらいの事例の一つや二つは有ってしかるべきだろう。
裏道で見かけたタクシーの運転手にジョウチョーの魔眼で催眠を掛けて、色々と記憶に残りそうな事を真っ白にさせておく。
帰り道の車内で私とジョウチョーは互いに無口になりながらも、大体は目で会話をしているような状態だった。
視線の先にはこれからの事をどうしようかと、ジョウチョーですら漠然とした不安として語ってはいた。
いつもの乗降するバス乗り場の手前に何事もなく到着をする。財布の口がスッポンよりも固い私に代わって「釣りは取っておけ」と二倍近い金額を渡すジョウチョー。まぁ、シートが血で汚れたし、これくらいはサービスだ。私は払ってないけど。
おかげでスムーズにあの昇り坂の手前は帰ることが出来た。ちなみにココから先は車両進入禁止であるためにタクシーが乗りつける事は出来なかったのだ。
「面倒だな」
「仕方ないよ。でもこの辺りは安心して。昔は今よりも多く魔女が住んでいたから、協会による普遍の結界が効いているよ」
「なるほど、不審な行動をしても気に止まらないと言う魔女の結界坂か」
「そう言うこと。まぁ、昔はそんな感じでも、この辺りで今も住んでいる魔女は……」
私だけと、続けようとした。だが、それを遮るように、その音の届く先には一人の少女が立っていた。
既に暗く濡れた夜の中で光る金髪。西洋の全寮制私立学園にありそうな、ネクタイ付きの黒い制服に身を包んでいる。その全体的な姿は私よりも幼いながらも、僅かな曲線を描いた胴体部や手足は危険な色気を発する。月明かりに照らされた紅い双眼が閉じられて、妖艶で無邪気な笑みを浮かべる。私達を、私を迎えるように両腕を開いた。
「待っていたよ、在姫お姉ちゃん」
背筋を電気が駆け登る感覚が『彼女は敵だ』と告げた。
「――魔術師?」
「ありゃ、バレちゃったか。そうそう、私はシャラン。苗字は斜めで、名前は花の蘭って書くの」
魔術師の彼女、シャランの手には、小さな人形が握られている。彼女をそのまま小さくしたような雪色の肌に淡い金糸の髪。しかし、双眸に当たる部分には黒い布を巻かれて、その上から釘が刺されていた。
「かぁいいでしょ? ドロシーって言うの、さぁ挨拶してドロシー」
『こんにちは、【魔術師】のお供の、忠実で矮小な下僕のドロシーなの』
人形に語りに些か驚いていると背後のジョウチョーから「ただの腹話術だ」と覚らされた。
その驚きが可笑しいかのように小さく笑うシャラン。
それにしても、こんなに、私よりも遥かに幼い少女が魔術師だと言うのだろうか?
「あぁー、その『こんな幼い可憐な美少女が魔術師なのか』ぁ、ってな視線はまるっきり私を子供扱いしているなぁ?」
私の視線から考えている事を予測したのか? 微妙に違うけど。
警戒する私達に対してシャランは人形を抱えると、突然クルクルと廻り出した。
「い・かすざぶ・おぷと・んおと・すえいはあぉ・よるぉこ・るぃういあ」
「旧エノク語?」
私達魔女が使う簡素な現代エノク語ではなく、複雑な文法と難解な語句、加えて聞こえた音通りとしか言えない筆舌し難い発音を持って構成される難語である。身体性能を著しく拘束する【静止―レスト―】や全ての事象を停止する【停止―ハルト―】、力を持った言葉を使う魔法使い、物理系の言霊使いには劣るが、旧エノク語を操る魔法使いは私のように現代エノク語から更に英語に変換して呪文を使う魔法使いに比べて絶大な世界への影響力を持つ体系に属する。
しかし、霊気装甲の無い彼女、魔法の使えない魔術師には意味が無いもののはず。……、いや、違う。旧エノク語に重ねられたもう一つの役割があった。その【星】との会話を求めた難解性は外界の霊気装甲へと直接の交信を図る記述式となる。つまり、旧エノク語そのものが【魔術】の装置となるのだ。そしてこの【音声魔術】の真骨頂は『外界の霊気装甲に音声を利用して、どんなに離れた場所からでも別の魔術結界などを起動させる事である。』
つまり、生霊などの擬似生命体を使わずに行なう直接遠隔制御である。
組み上げられた体系によって霊気装甲が共鳴現象を起こして、世界の隅々まで意志が響き渡る。
身構える私。しかし、外界、周りへの変化はまるでなかった。
「在姫! 逃げろッ!!」
その鋭過ぎるジョウチョーの言葉に突き動かされるようにして止めていた足を動かした。視界を後ろに向けると、何時の間にか眼鏡を外していたジョウチョーは重荷の鉞を投げ出して死神と共に飛びながら地面を転がっている。
直後、その僅かに闇に沈んだ光景が、ぐにゃりと『光ごと曲げられるように』歪んだ。
熱で浮かされた光景のように白い明滅と背景が鍋をかき混ぜたように混濁する。
かき混ぜるための熱も、混濁させる衝撃も無く、元居た場所には人が丸ごと入れるほどの大穴が空いている。
……洒落にならないッてば! 何、一体何が起ったの?
爆風も、音も何も無く、ただその場所は一瞬にして全てが分解して、空気に溶け込むように消滅したように見える。
「まだまだ行くよ~~! んし・りびえ・ぷあ・くぅろぶ」
今度は私にも分かった。空気を破壊するように、厚い雲を散り散りに引き裂くように、渦巻く何かが中天から降り注いだ。
それは待ちくたびれた月が布を引き裂くように哭いたような――
先程から二割ほど回復した霊気装甲を走らせる。血管が警告を発しながら装甲を纏わせる。スレスレの離脱で、真後ろのレンガ作り道路が消滅する。
「うわぁ、こんなに活きの良い娘は初めてだぁ。狩り甲斐があるねぇ」
何時の間にか、彼女は高い電信柱の上に立っていた。いったいどんな力で飛んだと言うのだ。翼の無い魔術師が飛ぶ。もしかして、この娘は魔術師ではなく人喰いなどの人外で無いかと錯覚させられる。
「うみゅ。もうこんな時間かぁ。良い娘は早く寝なくちゃイケナイしぃ……、終わりにしようかなぁ?」
殺意の一つ無い狂った笑みを私に向ける。ヤバイ、さっきのダッシュで霊気装甲は空になってしまった、次は避けられない!
彼女が不安定な足場で再び廻る。繰る繰る、狂々廻る。
「すんれと・すあぉよ・るお――?!」
彼女が吹き飛んだ。魔術の失敗ではない。電線の上を、あの細い紐の上を有り得ない速度で別の【魔術師】が駆けてそのまま突き飛ばしたのだ。
吹き飛んだ彼女は頭から真ッ逆さまに落ちる。
「いばい・らふ!」
しかし、激突の直前に再び月が哭く。するとまるで魔法のように彼女は『空を飛んだ。』箒も無いと飛べない魔女とは違う、大禁呪一歩手前の大魔法に等しい行為。
再びスカートを押さえながら重力を無視し、その先のもう一つの電信柱に自身の片足を委ねた。
「もぉ! 何すんのよ、このブゥ太郎!」
彼女の視線と私の視線の先に交錯する人影。それは先程の挙動不審としていた太った魔術師だった。
いや、今では挙動不審としていた所作は何処にも無く、一人の戦士として堂々と立っている。見た目に騙されると言うのはこの事を言うのだろうか?
「僕の親類縁者を危険に晒すのであれば、僕は如何なる者との敵となりましょう」
威厳ある戦士の宣戦布告だが、仲間割れを起こすような家族などこの場の何処にいるのだろうか?
「荻お兄様」
私は、背中の国定を地面に落としてしまった。いや、何よりも、戦闘態勢にいる魔術師の前であろうが、その言葉が私は判断力をごっそり落としてしまった。それは地面に頭から落ちて「ぐぇっ」と呻き声を挙げた国定を気にも止めないほどの破壊力を持っていた。
何よりも台詞は、頬を一刷毛の朱で頬を染めたジョウチョーの口から漏れたからだ。
シスタープリンセスならぬ、ブラザープリンスだろうか? 先程まで私を狩ろうと画策していたはずの魔術師が離反をしてまで私達を、いや、巻き添えを食らいそうになったジョウチョーから守ろうとしていたのだ。
「僕は紳士からは程遠い者です。斜蘭、君が彼女、いや彼女達を殺すなら全力で巌の如き楯となります」
「同盟を抜けると言うのですかぁ?」
少女の柳眉を立てた表情は、子供が約束を破られたような顔付きだった。
「元々僕は同盟に入ったワケではないですよ。保隅博士に付いて行ったのも彼女の一面においては師となる方だったからです。まぁ、あそこまで暴走をすれば呆れもしますが……、そして最後の理由は彼女にくっ付いて来た義理による忠義でしょうか。無論、このことで幾らか彼女からお叱りを受けるでしょうけど」
しれっと言い返す魔術師に「うにゅぅぅぅぅ」とワケの分からない奇声を挙げてもう一人の魔術師が電信柱の天辺で地団太を踏む。
「もぉ怒った! 魔術師同盟を裏切ったらセツカの恋人だろぉが何だろうが、後でヒドイ目にあわせるからね! でも、今日は眠いから寝る。お休み、バイバイ、あばよ、くたばれ。……あい・はぷ・あい・みとふ・り」
一瞬にして地上への拘束を失った少女はそのまま星の一つと変わらないほどにまで小さくなって消えてしまった。
な、何だったんだろう? どちらにしろ、あの斜蘭と言う少女は生粋の実力を持った旧エノク語と遠隔操作による『無音の粉砕魔術兵器』を操る魔術師であり、加えて私の心臓を狙っている危険な一人であると言う事だ。
ふと気付けば、電信柱の上と下でシェイクスピアの劇中のように兄妹が視線を交わしている。
「荻お兄様、あなたは在姫を狙っていたのですか?」
「そう言う事、になりますね」
微笑みながら言う彼には悪意の一片も無く、ただ妹へと真実を伝える姿が垣間見える。
「でも、もう無理です。昨日の、常寵と在姫さんの電話を偶然聞いて思いついた計画ですが、既に失敗に終わってしまいました。僕は舞台を降りる事にします。……ごめんね。常寵。僕も君に憧れられるような魔法使いになれれば良かったけど」
「そんな事! お兄様、あなたからの罅割れ、渇いてどうしようもない私へと注がれる慈愛は止め処なく、私の全てを満たす馥郁たる霊泉です。お兄様が魔法使いである必要は古き契約においてのみ。大人となった私にそんな幻想はもう無用なのですよ」
「でも、約束は守らなくてはいけません。兄妹なら、それは尚更です」
指を立てて、月光を背景に語る男は容姿の考慮など入る余地もなく、ただ崇高で気高かった。妹のために魔法使いになる優しい兄。
「在姫さんの『鼓動』は諦めます。とりあえず、僕を同盟へと誘った彼女を説得してみようと思いますが、どこまで出来るかは私の交渉次第でしょうか?」
ジョウチョーはしばらく目を伏せて、それから柱上の戦士へと尋ねた。
「互いに愛する仲でも、魔術師である事は枷となるのですか?」
ジョウチョーは『愛する』と自らの口から放った言葉に瞼を震わせている。嫉妬では無く、ただ相手の穏やかな幸せを気遣うような視線を当てていた。
「えぇ。そして、これは共有する者でしか理解し得ない幻想です。でもまだ別の、心臓を抉られても仕様が無いような悪い魔法使いを索敵する事はこれからでも出来るはずですからね。問題は彼女の深い業を、僕のつたない口先如きで止められるか……」
魔術師の深い溜息と同時に、四散した雲が元の形へと戻り掛けて、徐々に月を覆っていた。
「今日は散々でしたでしょうね、在姫さん。でも、これからはあなたの親友である斐川常寵の愚兄、斐川荻が日陰と日向で一つの楯としてあなたを守ります。宵、夜を」
優雅に一礼すると同時に月明かりが完全に閉ざされる。再び切れ目から漏れた白光は何もない電信柱を照らすだけだった。
「……ジョウチョー」
何も掛ける言葉も無く、私は無体に彼女の名を呼んだ。ジョウチョーは考え込むように、地面の一点を見つめている。
敵であり、同時にその敵の同盟を裏切って妹の友人の味方についた兄を、彼女はどんな複雑な思い出で見ているのだろうか。
不意に、僅かに顔を俯かせていた彼女は顔を挙げて私を見た。その顔はいつも通りの不敵な笑みを浮かべていた。
「まったく、お兄様も強情だ。……さて、死神と魔人を連れて君の自宅、いや、魔女の工房へと向かおうか」
……心配させるほどか弱い少女では無かったようだ。まぁ、日頃の行動を見ていれば当然だろうけど。やっぱり、ジョウチョーはジョウチョーのようだ。
「うぅぅぅっ――」
そろそろ熱気の未だ残るレンガへの雑魚寝を止めさせる頃合だろうと思い、国定を背負って自宅へと向かった。
国定はどうも無事のようだ。でも、亡霊の言い放ったあの言葉。
「終わりが近い」が妙に私の心に根を下ろしていた。
遠い日の約束、国定は、何故【魔人】となってしまったのだろうか?
Mind is killing me.
Body is killing me.
Pain is killing me.
Fang is killing me.
Violate me forever.
I want to forevermore.
But I am nevermore.