飛ばし屋の暗躍
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ううん? このニュース映像、あの駅の近辺じゃないか?
うわあ、思った通りに家のすぐそばじゃん。やだねえ、事故報道で自分がいつも歩いている道が映されるっていうのは。こうでもないと、もろもろの事故が対岸の火事のように思えてしまうのも確かではあるけれどさ。
事故の原因。こいつは、事故に遭った本人でなくては分からない。
事情聴取をしたりして、これこれこのような事情があった……と公にされても、あくまで他人の判断だ。当事者が口裏をあわせて本当のことを隠している恐れもゼロじゃない。
へたに正直に話すと、正気を疑われてしまうケースもあるだろうしね。自分だけが嘘をついていないと実感が持てる体験……貴重だけれども、言いふらすのに抵抗が生まれがちなのが悲しいところだ。
かくいう私も、小さいころにちょっと不可解な事故体験をしたことがある。
つぶらやくんなら、まじめに聞いてもらえるだろうかね。少し耳に入れてみないかい?
あれは私が自転車に乗れるようになった、小学校低学年のころか。
他の道具と同じように、自転車も練習による馴染みがないと、なかなか乗れないもののひとつだと思う。練習していても転んだときの怖さを経験したりして、及び腰になってしまうこともあるだろう。
けれど、いざ乗りこなせるようになると、漕げなかったころの自分を想像しにくくもなる。私も当初の恐れを忘れてびゅんびゅん飛ばし、行動半径を大幅に広げていったのだけど。
あるときから、自転車帰りにふと二の腕を見ると青あざができていることが、増えたんだ。まだ当時の私のおしりから消えていなかった、蒙古斑によく似た色合いだったよ。
押してみると、それなりに痛みがあるからぶつけたりしてできたのは間違いないだろう。けれど、私にはとんと心当たりがなかったからね。不思議に思っていたよ。
腕の動きに支障が出るほどでもなく、一日もすれば自然と治っている。
はじめのうちは重く考えることはなかった。どうせたいしたことなく済むから、と夏休みに入ったことで時間ができたのも手伝い、私はまた毎日のように自転車を飛ばしていったんだ。
だが、あざの発生以上におかしい体験を私はしていくことになる。
記憶の喪失。ごく短時間だけれども、私は自分が何をしていたのか分からない時間が生まれるようになってしまったんだ。
私自身の感覚としては、時間が飛んだかのように思える。ある点からある点までの距離を瞬間移動しているかのように、はじめは感じたよ。
でも、そうではなさそうだと判断できたのが、自転車のタイヤ。飛ぶ前は無事だったそれが、飛んだあとにパンクしてしょぼくれてしまっている。本当に瞬間移動のたぐいなら、このような変化は起こり得ないだろう。
私は確かに移動した。移動しながらその間のことがすっぽり頭から抜けている。その間、パンクを引き起こすトラブルにも遭遇している……となると、以前からの腕のアザについても疑いを持たざるをえなかった。
――ここまで私は、アザのできる瞬間のみ記憶が飛んでいるんじゃないか。
といった感じでね。これまでは飛ぶ時間がかなり限られていたがために、疑いを持てずにいた。
アザは毎回ではないが、しばしば現れ続けている。そしてやはり、一日と経たないうちに私の腕から消えていく。
飛び飛びの、記憶の存在。
それを悟ってから、私は試しに外へ出ることを控えてみた。親に頼まれる用事のときのみ外へ出るも、それ以外は家の中で過ごす。
ちょうど夏休みの宿題も溜まり気味。これをかたすにはいいタイミングであるのと同時に、記憶の飛ぶ瞬間が屋内でも訪れるかどうか調べてやろうという、もくろみがあったんだ。
狙いが定まっているぶん、私も注意を払いやすい。そして家には自分以外の家族もいるし、第三者の目があれば異常にもより気づきやすいかもしれない。
私はあえて、母親がほぼ常駐している居間や台所を勉強場所に選び、課題をこなしていったんだ。
母親も、普段は自分の部屋で勉強するタイプな私がこのあたりを使うのが珍しかったようで、いぶかしげな眼を向けられたよ。
母親に私のもくろみを話しとこうか、ほんの少し迷ったけれど黙っていることにした。ヘタに意識されると、かえって例の現象と出くわさない可能性もあったからね。
普通に過ごしながらのほうが、かえってその異様さが際立って印象深くなり、後で何があったか教えてもらいやすくなるだろう……まあ、若さからくるインパクト重視な発想だったねえ。大人は手堅いものこそ、ありがたく思うというのに。
その私のもくろみも読まれているのかと思うほど、時間は静かに流れていく。
一日、二日と時間は過ぎていき、三日も連続で家にいるとなると、やはり怪しく思われてしまったよ。これまで雨さえ降らなきゃ、毎日外へ出ていた身だからね。
その日の朝も、洗濯物を干し終わった母が台所へ戻ってきたときも、私はもくもく宿題のドリルに取り組んでいたからね。
「あんた、少しは外で遊んだら?」
母親も昔は外で遊ぶのが大好き人間だったから、引きこもりな日々には思うところあるだろう。
私もその声を受けて、ひょいとドリルから顔をあげたよ。
そこで見た。台所の入り口からこちらを見る母、その肩の後ろあたりに浮かぶ、黒い球体の姿をね。大きさはピンポン玉くらいだが、それはちょうど私の腕にいつも現れていたアザと同じくらいだった。
「危ない!」
そういいかけた……いや、すでに「いった」後だったのだろう。
母はすでに私の目の前に立ちはだかっていたし、私を隠すように広げた腕の左側の袖が破けている。それはちょうど、私がいつも青アザをこさえる位置と同じだ。
「……なるほど、あんたもこれを見ていたんだね。妙なことをしたがる気持ちも分かるか」
母親は、本来なら私がこさえていただろう腕のあざに対し、氷枕の要領で冷やしタオルを用意し、患部を冷やし始めた。
どうやら、私自身は聞き取れなかったものの、母親は私の声を耳にしており、あの黒い球の存在にも気づいた。すでに球は母親を越えて私へ向かって飛翔し始めており、はたき落とすことができずに私をかばう格好になったという。
母親が子供のころにも、この黒い球体らしき存在は幾度か目撃されている。母親のまわりでは「飛ばし屋」と呼ばれていたようだ。
勢いよく飛ぶさま。狙われた者は一様に、時間を飛ばされたようと語り、回避も防御もままならないさま。それと当時、ゴルフが人気だったこともあり、そこでロングドライブを放つ人の俗称を重ねて、飛ばし屋とついたとか。
「こいつらは、いつでもどこでも現れる。ま、被害に遭う人が時間を飛ばされる感覚に襲われるから、ぶつかられても事故を事故とも思えない……なんていうのが普通さ。今回はひとえに運がよかったってこと。
繊細さが要求されるタイミングで、こいつらが現れないことを願う。それくらいだね、今のあたしたちにできるのは」




