6.放蕩娘から始まる学院生活
◎
「――やっぱり、何回見ても私可愛いわ」
汚れ一つない姿見の前で感嘆の漏らしたのは陽光のように煌めく金髪を垂らした少女。続けて前髪を弄り、満足気に頷く仕草はまるで乙女そのものだった。
――新生暦一七年、レーゼイン・アスタ・ヴァイススターは一五歳を迎えた。
あれから――八年が経った。
理不尽に抗う力と助けたい誰かを助けることのできる力を手にした『白々式水連』の願いは叶った。異界に来ても色褪せなかった後悔の記憶は薄れ、安らぎを手にした。
悲願を達成した白々式の精神は時を経るに連れ、肉体に宿った本来の精神であるレーゼインに溶け込んだ。元あるべき姿に戻った、と言うべきなのだろう。
一二歳を迎える頃には前世が男だった実感も失われ、記憶も曖昧なものとなっていた。有していた強靭な意志力も喪失し、正真正銘の乙女になったのだ。
少女は鏡に映った自分に酔いしれる。はっきりと発色するロイヤルブルーを基調とした軍服を想起させる衣装――所謂、制服。
『ゾルステア王国』では一五歳を迎えた貴族の子女は学院へ入学しなければならない。ただの学院ではない、魔法使いを育成する学院――なんてことはレーゼインにはどうでも良いこと。
制服を着られることの方が遥かに重要だった。
「私超可愛くない? ね? ノア」
レーゼインはわざとスカートを靡かせて振り向いた。
美貌をただ事実として受け入れていた八年前とは違い、今は見せる相手がいる。
礼儀正しく手を組んで主の背後に立つ長身の女性。レーゼイン専属のメイドは凍り付いた表情のまま望まれた言葉を口にする。
「とても可愛らしい、と思います」
「やっぱりそうだよね」
ノアと呼ばれるメイドは、八年前に起きた誘拐事件の被害者の一人だった。事件解決後、行き先がない少女をレーゼインが拾い、新たに名前を付け、専属メイドにした。
年齢はレーゼインと同じく一五歳なのだが、肉体の成長は不相応に早かった。
既に身長は一七〇あり、女性としてはかなり高い。プラチナブロンドの長髪を主人の好みに合わせてハーフアップに纏めている。
顔の美しさもさることながら、スタイルも極上のものとなっており、日々レーゼインからセクハラ染みた接触を受けている。
レーゼインはもう一度鏡に向き直り、自分を見つめ直す。しばらくしたら、鏡に映る自分に誰が最も美しいのか問い掛けるかもしれない。
太陽のように煌めく淀みない金髪。
生まれたばかりの赤子のような柔肌。
本能的に守りたくなる生来の甘い顔付き。
粧うまでもなく艷やかに光る唇。
肢体の細さと相反する溢れんばかりの胸囲の成立。
どこからどう見ても完璧過ぎた。
ただ一点を除いて――。
受け入れなければならない現実を前に、先程までの跳ねた声は失せていた。
「――何でこんな身長低い?」
レーゼインはとても身長が低かった。一般的な低身長より更に二回りは小さい。童顔も相まって年齢詐称を疑われることもしばしばある。
鏡越しに理想的なスタイルをしたメイドと目が合う。
「小さくて可愛いらしい、と思います」
「それはそうだけど、ロリキャラはなんか違うじゃん?」
「そうなのですか?」
「……可愛ければロリでも良いか」
決めポーズをすると観客から拍手が上がった。
ロリの需要の奥深さはレーゼインも認めるところだった。ランドセルを背負う覚悟はできている。スモッグはまだ早いかもしれない。
「――レーゼ様、もうすぐ出発の時間です。準備は終わりましたか?」
ヴァイススター邸宅前には絢爛豪華な馬車が停まっている。まるで建物かのようなキャリッジに二頭の馬が繋がれていた。今頃、馭者が立派な鬣を撫でつけていることだろう。
「私が準備するものなんかないじゃない」
「心の準備ですよ」
必要なものを荷台に詰めるのはメイドの仕事。むしろ、レーゼインは準備を待っている側だった。自分を可愛がることで退屈を紛らわしていたのだ。
「心の準備も何も。私はずっと前からこの家を出たかったから」
「……そうでしたね」
レーゼインはノアを連れて玄関まで来ると、妙齢の女性に呼び止められた。彼女はこの邸宅でドレスを纏うことが許された数少ない人物の一人。
実母――ジゼルは常に持ち歩いている東洋の扇子を閉じた。よく似た丸い瞳同士が視線を交わす。
「もう行くのね」
「お見送りですか? お母様。ありがとうございます」
「レーゼまでいなくなると寂しいわ」
「年一回は顔を見せに来ますから、そんな顔しないで下さい」
ジゼルが実の子を学院へ見送るのはこれで三度目になる。慣れたものだが、三人目のレーゼインまでいなくなると流石に寂しいらしい。
「学院に行ったら色々煩わしいこともある、と思うけどあなたはあなたらしくしていれば良いわ」
「お母様……」
「あなたはしっかりしてるから私の心配なんていらないかもしれないけど」
「そんなことないです、とっても嬉しいですわ。大好きです、お母様」
レーゼインはジゼルに抱き着いた。どうしても視線の高さは合わなかったが、抱擁すれば互いの温度だけでなく想いも伝わる。
離れると優しく頭を撫でられる。いつまで経っても親子の関係が映す影は変わらない。
「レーゼは本当に甘え上手なんだから」
「お母様が甘やかし上手なんです」
「ノア」
ジゼルは視線を上げ、娘の専属メイドの名を呼んだ。
「レーゼのお世話、お願いね。変なところで行動力があるから、よく見てあげて」
「畏まりました、奥様。全霊を持って尽くさせて頂きます」
念を押さなくとも、ノアがレーゼインの味方であることはわかっていたが、どうしても言いたくなるのが親心というものだった。
ノアはその意図を感じ取り、心からの言葉を返した。
馬車は御伽噺に出てくるような絢爛な様相。職人の手による意匠は金箔がふんだんに使われ、一目で乗っているのが財力のある人間だ、とわかる。
玄関を出ると煉瓦道が真っ直ぐに続く。その左右は庭園となっており、見渡す限りを花々が彩っている。
馬を撫でていた馭者は現れた貴族に気づくと帽子を脱いで礼をした。
「結局、あの人は見送りにも来ないのね」
ジゼルは扇子を煽りながら邸宅のある部屋を見遣る。
視線を追うまでもなく執務室を見ていることがわかり、レーゼインは今にもため息を吐きそうになった。
「お父様とは昨日話したので大丈夫です」
「話した、ね……怒号が私の部屋まで聞こえて来たわよ」
それは数時間前のこと。記憶に新しく、仔細までよく覚えている。
――昨晩、レーゼインと実父ヒースレインは執務室で相対していた。二人の間には最早、親子という関係性はあってないようなものだった。信念を持ってお互いをお互いを容認できない仇敵として捉えていた。
『明日、ノアと共に首都に立ちます。ヴァルム兄様、リリシア姉様に言伝があるなら承りますが』
『…………』
『そうですか、では失礼します』
報告は最低限の礼儀だった。挨拶に行くかすらも迷ったくらいだ。用を終え、踵を返す寸前、ヒースレインが口を開いた。
『お前は何も知らない、学院は甘い場所ではない。今までのような性根でやって行けると思うなよ』
忠告ではないことは害意の宿った瞳から伝わった。
馬鹿にされている、つまりレスバの開始である。
『変わりませんよ、何があっても。貴族としての人生を歩むつもりはありません』
『まだそんなことを言うか!』
ヒースレインは声を荒げ、机を叩いた。
今にも噛みつかれかねない怒りに満ちた覇気。しかし、レーゼインは揺れない。まるで鏡のような眼球には何も響かなかった。
貴族としての誉れなど馬鹿馬鹿しい。限りある生をやりたくないことに使うなど容認できない。
前世の知識を持ち出し、ヴァイススター家の発展にも貢献した。それが恵まれた環境への感謝も含めた最大の譲歩だった。
『愚かな考えは捨てろ、と何度言わせれば気が済む!』
『私に期待しないで下さい、と何度も言いました。さっさと諦めて下さい』
『レーゼインッ!』
間に机がなければ殴られていただろう。親子はそれ以上、言葉を交わすことなく別れた。
思い出すだけで頭に血が昇り、邪魔なもの全部壊したくなる衝動に襲われる。手が出そうになっていたのはレーゼインも一緒だった。
「――相容れないことはわかっていました。こうして離れるのがお互いのためになるはずです」
「そう……」
ジゼルは憂いを帯びた瞳を伏せた。
貴族としての立場と親としての立場、どちらかを選べないジゼルにはどうすることもできない。良い方向に進むことを祈るばかりだった。
メイド長シシリーがキャリッジのドアを開いた。
レーゼインが乗り込むまでの僅かな時間、ノアと言葉を交わす。
「ノア、くれぐれもレーゼイン様にご無礼のないように」
「はい」
「お嬢様は特別です、否が応でも危難に巻き込まれるでしょう。あなたは心を見失うことなく己の役目を果たしなさい」
「わかっています。いざとなればレーゼ様の盾になる覚悟もあります」
シシリーはノアにとって、メイドとしての作法を教わった師ではあるが、自他に厳しく、口煩いところがある。正直、好感は持てなかった。
ノアは何度も繰り返し唱えた、仕える者としての心得を口にした。少なくともこれで叱られることはない、と学んだからだ。
「あなた自身も守りなさい」
いつものように厳かに首を縦に振るだけかと思われたが、今日は違うようだ。『実は心配している』とは微塵も考えなかったが、この瞬間にこう言った意味をノアは考える。
「……わかりました、自分のことも守ります」
「えぇ、そうしなさい」
見慣れた首肯、表情は僅かに明るかったかもしれない。
母親との挨拶を終えたレーゼインが馬車に乗り込む。ノアが続き、ドアを閉めた。馭者が馬を走らせれば、庭園は瞬く間に過ぎ去り、故郷は遠くに消える。
「そう言えば、昨日私の後にお父様に呼び出されてたよね」
「はい」
「何言われたの?」
昨晩、ヒースレインに呼び出されたノアは『レーゼインの監視』という使命を与えられた。学院内で不審な行動を取り始めた時には速やかに報告することになっている。
勿論、このことはレーゼインにバレてはいけない、と厳命されていた。
「――レーゼ様の監視です。妙な気を起こしそうになったら報告しろ、と言われました」
「いつも通り、って訳ね」
ヒースレインはノアが既にレーゼインに精神的・肉体的に従属していることを知らなかった。
◎
ヴァイススター邸を出発して一時間程が経った辺り、馭者は馬車の速度を緩めた。ノアの柔らかな膝を枕にしていたレーゼインが上体を起こす。
小窓を開き、身を乗り出せば進行方向にある灰色の要塞がよく見えた。
「危ないですよ、レーゼ様」
「大丈夫大丈夫。久し振りに見たよ……八年振りくらいかな?」
ヴァイススター領の資源の一つである質の良い石灰岩で作られた巨大要塞。要塞が守っているものは『転移門』である。
『ゾルステア王国』東端に位置するヴァイススター領から首都まで、馬車で行こうとすれば約二週間は掛かる。この長距離の旅を劇的に短縮するのが空間魔法《転移門》だ。
首都側にある転移門と接続することで長距離を一瞬で行き来できるようになる。門の特徴としては、最大数千人を一度に飛ばすことができる点だろう。
如何にも悪者に乗っ取られそうな施設に対し、レーゼインは邪な期待をしていた。
通常の転移魔法を習得してからはほとんど興味を失っていたレーゼインだが、初めて見た八年前は目を輝かせて見上げたものだ。見上げるのは今も同じだが。
ヴァイススター家の管轄の転移門なので当然顔パスである。要塞の格子を抜け、広々とした空間へ通された。
直径の異なる円の軌跡を描いた魔導レールが天井から垂れ下がっている。また、如何にも電撃を放ちそうな巨大アンテナの中心には鋭利な針。
転移門の維持には莫大な魔力を必要とするため、使用時のみ起動する。馬車一台の場合は最小レベルでの起動になる。
転移管理者の男がシークエンス開始のスイッチをオンにすると魔導レールに魔力が流れ込んだ。呼応して放たれた電撃が魔力燐光を散らす。
接続先とのコンタクトが取れ、空間歪曲の法則が成立。ぶわっ、と転移門が開いた。奥行きが見通せない極彩色の魔力面が出現する。
馭者は躊躇なく馬を走らせ、転移門を潜った。
「――」
一呼吸もしない間に一行は『ゾルステア王国』首都フォームフォーラルへ到着した。首都側の転移施設を出れば、活気溢れる街の只中だった。
忙しない人の営みを眺めたレーゼインは再度、ノアの膝を枕した。
「――こんな気軽に行き来できたら旅、って感じしないよね」
「良いことではないのですか? 第二爵位家にだけ許された特権でしょう?」
「野宿するよりはマシだけどさぁ」
ヴァイススター家は『ゾルステア王国』が国として成立する前から王に仕えていた数少ない一族。特に『八円剣』と呼ばれる八つの家系は王家に継ぐ権力を許されていた。転移門の管理も特権の一つである。
だからこそ、代々王家に仕える誇り高き貴族としての振る舞いが求められた。現当主としてヒースレインは栄誉と伝統を守るために子息にも厳しい教育を行った。
その結果が放蕩娘の誕生なのだとしたら、親不孝も良いところだ。
レーゼインとしては、貴族としての責務を放棄すると宣言しておいて、甘い汁を啜っている現状に思うところがないでもなかった。
「ま、あるものを使わないのが一番勿体ないよね」
それらしい言い訳を口にして、ノアの腹部に顔を埋めた。
――魔法学院への入学日は翌日を控え、レーゼイン達は首都にある別荘で一夜を過ごすことになった。本邸ほど広大な庭園はないが、建物としての規模はほぼ同等である。
レーゼインは何十人の使用人の礼を通り抜けて足を踏み入れた。その日は親類への挨拶等をこなし、養成のために早めに眠りに就いた。
そして翌日、制服姿のレーゼインとノアは並び立って学院の校舎を見上げる。




