5.幻想を手にする時
『減衰結界』に対する『反・減衰結界』と同等の現象。
『追憶』に対する『反・追憶』――。
実用性皆無、戦闘では絶対使われない魔法を防ぐための結界が初めから体表面に張り巡らされていたのだ。
――心が読まれた? その割には結界を透過した時は本当に驚いていた。一体何が起こっている?
「わからない、わからないわからない――!」
動揺はオリジナル魔法のエッジ・シールドを使われた時の比ではない。
首領は結界を自ら蹴破り、魔力の刃を纏った腕を空中を漂うレーゼインの顔面目掛けて突き放つ。
一切の容赦ない殺害行為にレーゼインの息が止まる。狙い見定め、首を傾けた。真横を通り抜ける斬撃を右眼の端で捉える。
追撃を警戒して距離を取った瞬間、首の感覚が消し飛んだ。
「はッ……」
不意の一撃に意識が飛び、魔力制御を失った。幼い子供の身体は容易く投げ出された。レーゼインの首筋から噴水のように血飛沫が上がる。
首領の周囲に舞い戻って来たエッジ・シールドの一片が赤い残像を描いた。視界外からの一閃がレーゼインの首を掻き切ったのだ。
七歳の子供は踏み固められた地面へ激突する前に意識を取り戻し、四肢で着地する。首の傷口から魔力燐光が灯っていた。
「治癒魔法が間に合ったが……ぐッ、あッ……」
子供が出してはいけない呻き声を漏らし、震える膝で立ち上がる。
治癒魔法で血液を補填することはできたが、一度に失った血液が多過ぎた。子供の身体は素直に生命の危機を運動能力で示す。
レーゼインは地を蹴って、転がるようにその場を退避する。数刹那前に立っていた場所にエッジ・シールドが突き立った。
首領に殺意は一切衰えず、幼子が終わりを迎えるまでその手を緩めることはないことがよくわかる。
「《強化転身》ッ――!」
咄嗟に出た魔法。《飛行》+《結界》+《装填式鋭刃盾》という基本セットアップを習得してから使わなくなっていた身体強化魔法を用い、次弾を跳び避けた。
止まることは許されず、負傷した以上は被弾を完全に抑えることもできなかった。擦り傷が刻まれ、苦悶を滲ませる。手足を伝った血液は地面に汚く飛び散った。
猛攻から逃れようと飛び込むように階段の裏に身を隠した。エッジ・シールドが一斉に鉄製の階段を貫いた。
ガギン、という硬質な金属音――《合金鉄鋼》による文字通りの鉄壁が刃を弾いた。
黒鉄の障壁に背を預けたレーゼインは肩で息をし、滂沱の汗を流す。魔力が残っていても、体力は限界だった。
「《結界》を張る時間は稼いだが……稼いで何になる……」
唯一考えられた打倒の手段も敢えなく失敗に終わった現状、レーゼインに打てる手は残されていない。
中には自ら除外した選択肢もあった。魔力量に物を言わせた超広範囲攻撃を行えば撤退させることはできる。そうした場合、牢獄に囚われた何人もの子供達も巻き添えになる。そこまでの犠牲を払ってまで生き残る覚悟はなかった。
「また死ぬのか俺は? 知らない奴に知らない因縁つけられて? 冗談だろ……」
自分で足を突っ込んでおきながら後悔していた。
これが安い正義感の竹箆返しだ、と言うのか。
苛烈な攻撃の末、鉄壁に亀裂が入った。結界を強固に張り直す。簡単に死ぬつもりはないが、徐々に熱が引いて行く感覚がじわじわと広がっていた。
また、あの時のように――死を待ちながら座り込んでいる。
「生まれ変わったのに繰り返してる。こんなことにならないために強くなったのに」
不幸の輪廻に囚われて死なないために――。
この世界ならそれができる、と思った。
七年という膨大な時間を努力に費やすだけの精神をレーゼイン――否、白々式水連は有していなかった。それでも、続けて来たのは深奥にある恐怖に突き動かされたに他ならない。
そして、鋼鉄の壁が完全に砕け散り、首領のエッジ・シールドはレーゼイン最後の足掻きである結界に突き立った。ガンガン、と叩き付ける破壊音が遠い記憶と重なった。
高架下、瓦礫が降り注ぐ光景は色褪せることなく瞼に裏に焼き付いている。脱線した電車に轢かれそうになって――。
「…………あぁ」
ふ、と思い出すことがあった。
白々式は最期、考えていたのは死の恐怖だけではなかった。ほんの少しの後悔があったのだ。
助けられそうな人がいたのに動かなかったこと――。
考える前に手を伸ばせなかったこと――。
「……同じ後悔をして死ぬのは嫌だな」
切っ掛けは安い正義感かもしれない。それでも、最期の最期まで忘れられないのならきっと――。
気づけば、静まっていた精神がぐつぐつ、と煮え滾っていた。恐怖で染まっていた心奥、根源は激しい怒りに染まる。
「そうだ……何もかも許せなかったから俺は馬鹿みたいに魔法を学んだんだ。今この瞬間、嫌なこと全部否定するために」
――確かに灰色だったかもしれない。歯車として使い潰される人生だったかもしれない。それでも、ビル街の曇り空も生暖かい夕方の空気も嫌いじゃなかった。詰まらない生涯だったけど、勝手に奪われる程落ちぶれてはいなかった。
どうしようもない理不尽を打ち砕くために力と技を磨いて来た。不幸の輪廻も、誘拐犯の首領も――略奪者共を纏めて穿つために。
「勝算がないなら、今ここで発明すれば良い。俺が続けて来たことが無駄ではない、という証明を!」
啖呵を切ってもいきなり覚醒はしない。
ただ、記憶の深層に語り掛けるのみ。あるはずの解を得るために、その手段を組み上げる。理論を、知識を総動員して神の一手を創造する。
レーゼインの脳内でイメージとイメージを具現化する叡智が交錯した。
「誰よりも速く――全ての瞬間よりも速くッ!」
結界に入った亀裂は放射状に広がり、光と化して砕け散った。無防備なレーゼイン目掛けて一斉に撃ち出される流線型の刃。
首領は油断はしないまでも、感じ取った魔力に魔法陣を形成する予兆がなかったため、勝ちを確信した。
なればこそ、これから始まるのはまだ誰も知らない反撃だった――。
立ち上がったレーゼインの瞳のレンズに起源のない魔力が映り込む。それは、虹の極光を放つ未知そのものだった。
子供の小さな掌に突如として現れた光に触れたエッジ・シールドは分解され、大気に溶け込んだ。あらゆる障害を輝く星の砂に変え、そこにいる少女を祝福するかのように彩る。
「……何だこれは?」
地球儀程の大きさの虹のスペクトルを放つ発光体。
覗き込むと一切の加工がされていない純粋情報体が幾重にも流れ込む。たまに、今世と前世で見聞きした何かが垣間見えた。
生み出した本人すら理解できていない概念。
それでも説明しようとするなら――。
「――あまりにも強固なイメージを一箇所に、瞬間的に送り込んだことで魔法律がオーバーフローした? だとすれば、これは魔法律よりもっと上の……」
全てに満ちる『自然律』。
魔力を司る『魔法律』。
レーゼインが到達したのは全てのエネルギーを支配する法則――『幻想律』。正確にはその初歩の初歩。
魔法とは一線を画する力を体感したことでレーゼインの魔法に対する理解は限界突破、齢七歳にして全盛期を迎える。
運命の到達点。
辿り着くべき終着点。
異世界における極致。
「文字通り、全てを思い通りにする超高次元の力――これなら、どんな魔法も使える! 何でもできる! 欲しいものが手に入る!」
まるで世界一高い場所から街を見下ろしたような愉快な気分。全部が掌の上にある全能感に酔いしれ、快感の笑みを湛えた。
溢れ出す極光自体が結界のような働きをすることで首領のあらゆる干渉を防ぐ。その度に光の玉がジジジ、と揺らいだ。
「完全な支配は無理か」
「――そんな都合の良い力、許されるものか!」
怒号をぶつけて来たのは今まで沈黙を保っていた首領である。淡々と殺害行為に及んでいた男がここに来て激情を見せた。
再生成したエッジ・シールドを周囲に展開、自らも《魔力刃》を纏ってレーゼインに斬り掛かる。
「随分と鬱憤が溜まってるみたいだな! それはこっちもなんだよ! だから、今ここでお前を倒す魔法を持って来る!」
レーゼインは光球の中に思い切り右手を突き込んだ。その時点では情報の塊であり概念そのものでしかない幻想の球体の中で何かを掴み、引っ張り出した。
情報体は自然律と魔法律の世界に適応した形を得る。
炎のように揺らめくスカーレットの魔法陣。常時不定形。思いつくことすらできないであろう埒外の術理。
「――この魔法の名前は……〚人為因果解放戦線〛としようか」
「死ね――」
魔刃による横一閃。目にも留まらぬ斬撃は冷ややかにレーゼインの首を切断した。中空に放物線を描く、金髪ショートカットの顔面は自信に漲った表情で凍り付いている。それでは飽き足らず、残された小さな胴体をエッジ・シールドで徹底的に蹂躙した。
そこまでしてようやく、首領は息を吐いた。激情と共に昇っていた血が降下する感覚を覚える。
◎
そして、首領は思い出したかのように周囲を見回した。少なくとも視界内に敵の姿はない。二階への鉄階段はひしゃげて曲がり、本来の用途を失っていた。
感覚を研ぎ澄ましていたからか、一点。矮小だが、妙な魔力を感じ取った。
首領はとある牢獄に歩み寄る。最早、彼に子供を監禁する理由はなかった。『もしかすれば』そんな予感に駆られて殺意を抱いた。
その時――。
「――ッ!」
ざ、と背後からした擦れ音に飛び跳ねるように振り向いた。周囲に視線を巡らせる。誰もいなかった。こんな時に聞き間違いをするなんて言うヘマはしない。
結界を張り直し、エッジ・シールドをどこからでも撃ち込める位置に誘導する。
「どこに隠れている、レーゼイン……」
レーゼインは男の真後ろから結界にぺたり、と張り付いていた。幼く、艷やかな掌が結界に干渉し、スパークする。
「そこかッ!」
首領は魔力の稲妻に反応して、翻り様に《魔力刃》を振るう。冷ややかな刃に確かな感触が走る。レーゼインの身体は頭から下半身に掛けて真っ二つに分かれた。
血と臓物をばら撒いて倒れたレーゼインを踏み付ける。
そこまでしてようやく、首領は息を吐いた。呆気なさを覚えつつも、目的達成の安堵感で肩を竦めた。
◎
そして、首領は思い出したかのように周囲を見回した。少なくとも視界内に敵の姿はない。思考と肉体のコンディションの乖離に違和感を抱きつつ、警戒は緩めなかった。ここまで来て油断で足下を掬われるのは勘弁だった。
首領はひしゃげた鉄階段に険しい視線を向ける。
「……誰かが隠れていた?」
アハ体験のような微妙な違和感に不気味さを覚え、エッジ・シールドを防御展開する。
その内側に既に入り込まれていることには気づかなかった。小さな掌が結界を砕くまで――。
振り向いた首領とレーゼインの視線が交錯した。先に攻撃を喉元に突きつけたのは男の方だった。魔刃がレーゼインの骨ごと首を貫く。
重力に従って、ずぶりずぶり、と傷口は顔面まで昇った。レーゼインは呆気なく死んだ。
魔力を完全に抑えることで探知から外れていたようだが、防御を捨てた以上、気づかれれば確実に致命傷を食らう。
「……こいつは――レーゼインか?」
首領の表情は自然と曇った。
◎
そして、そして、そして――。
◎
そして、首領は倉庫の中心で視線を彷徨わせる。
頭の中には疑問で埋め尽くされていた。
「誰だ……私は誰を探していた!?」
目的を見失い、呆然と立ち尽くす。
数年前から何かのために計画をしていたことまでは覚えている。だが、その最終目標だけが不鮮明。切り取られた部分を周りを引き延ばして埋めたような感覚。
喪失の穴が大きさに比例した動揺が首領を襲う。頭を抑え、おかしいおかしい、と繰り返した。平静とは程遠い情けない姿を晒す。
「――ようやく、か」
半狂乱に叫ぶ男を、レーゼインは二階の手摺に座って見下ろした。彼女だけが唯一、首領に起こったことを理解している。
確実に勝利するためにこの瞬間を待っていたのだ。
「――〚人為因果解放戦線〛」
レーゼインは改めて使用した魔法の名を口にした。
「まさに因果から解放される超次元の魔法だ」
因果とは何か――この魔法が指す因果は、魔法を呼び出したレーゼインの考えを深く取り込んでいる。彼女が定義した因果とは人間関係だった。
因縁を確実に絶つための――そして、勝つための魔法。
その効果は、対象がレーゼインを記憶するために消費しているエネルギーによる蘇生。
レーゼインを殺す度に、蘇る度に、首領からレーゼインの記憶が消えて行く。その範囲は脳細胞、魂にまで及ぶ。
そして、九回の殺害を経て、首領の中からレーゼインという存在は完全に失われた。知らない相手を警戒できるはずもない。
手摺からふわっ、と飛び降りたレーゼインは右腕に纏った《魔力刃》で首領の胴体を突き刺した。
男は振り向こうとしたが身体の軋んで動かないようだ。
「ッぐ、貴様……何者だッ……!?」
「お前に名乗る価値はない」
剣を引き抜き、蹴り飛ばした。壁に叩き付けられた首領は更に血を吐き出す。
無様に転がる男は震える指で魔法陣を描いた。光りに包まれた次の瞬間、姿を消してしまった。
「あ? 転移魔法か!? そうだ、この世界にはあるんだった。忘れてた忘れてた……ま、因果は断ち切ったし、逃がしても問題ない」
因果は絶たれた。首領にどんな生存フラグが待っていてもレーゼインの目の前に現れることはない。
レーゼインは晴れ渡った表情で天を仰いだ。鉄骨が交錯しているだけだが、万来の星空まで見透かしているかもしれない。
首領の背後にいた五人が倉庫に足を踏み入れたが、一瞥するとすぐに踵を返した。『幻想律』を体感したレーゼインの魔力は極まっている。分が悪い、と考えたのだろう。
「ようやく……ようやく、俺は自由になれる」
自由。
誰にも侵されない力。
不幸の輪廻からの解放。
ずっと続いていた終わりの物語がようやく終わり、真の異世界人生が始まる。
今日こそが、始まりの日――。
「これから何しようか、何ができるんだろう」
レーゼインは……白々式は子供のように目を光らせる。
いつかに置いてきた果てしない未来への期待。解放がこれほど心昂ることなど知らなかった。
「でも今日はもう眠りたいな。家に帰って騎士団に連絡して……あー、流石に無理かな。まぁ、良いや」
疲れもピークに達しているが、脱走したこともあり、説明責任は果たさなければならないだろう。面倒だが、それくらいはしても良い気分だった。
帰路は足が軽そうだ。
その時、細やかな泣き声が聞こえた。魔力に当てられて囚われた子供達は皆気絶している、と思ったが、起きている者がいたらしい。
レーゼインはその牢屋の前に立った。鉄格子の向こうで女の子と男の子が身を寄せ合って静かに涙を流していた。
「…………」
中にいたのは少年少女だけではない。細長い生物が宙でクルクル、と回り、光の塵を落としている。
『幻獣』という言葉が脳裏に過った。ドラゴンではなく龍だ。光る龍がティラノザウルスのような貧弱な前足で空を掻いている。
縋り合って泣いていた七歳くらいの少女がレーゼインに気づき、顔を上げた。
「――」
レーゼインは目を見開き、動きを止めてしまった。
色素の薄い真珠のような金髪、サファイアのような碧く煌めく宝石の瞳。美し過ぎる顔面の造形に息を呑んだ。
幼い顔付きだ。しかし、将来国を傾けかねない美貌を感じさせる。
自分のことをこれでもかと可愛がるレーゼイン自身よりも美しい、と思う。
気づけば、閂を外していた。レーゼインはゆっくりと少女へ手を伸ばす。
――この感情は何と言うんだろう。
それは恋かもしれない。
精神的隷属かもしれない。
単にロリコンなのかもしれない。
ただ一つ言えること――それは、運命の出会いだった。




