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3.暗躍の時間

 



 ◎




 これもまた薄々予想していた展開ではあった――。




 お茶会を終えたレーゼインが自室に戻ると、扉の脇でシシリーが手を前に組んで待っていた。レーゼインが何も言わずともドアを開ける。


 共に部屋に入ると、老女はドレスを脱がせた。一人では着られない服は一人で脱ぐこともできない。


 レーゼインとしては溜息でも吐きたいところだったが、シシリーを前に横柄な態度は取れなかった。


 この老女はヴァイススター家に最も長く勤めるメイドであり、本来ならこの館の主であるヒースレインの側仕えをしている。


 しかし、天才児が悪魔と謗られていることを憂いたヒースレインがレーゼインの世話を命じた。


 変なことをすればヒースレインに報告されるのは請け合いだ。彼女の前ではできるだけ普通の子供のように振る舞う。


 メイドに手伝って貰いながら、ステレオタイプな感が否めない白青のブラウスとスカートに着替え直した。軽くなった肩を回し、シシリーに一言。




「ありがとう」


「滅相もございません」


「もういいわ」




 メイドはお手本のように頭を下げると、足音立てずにレーゼインの部屋を後にした。


 一分程待ってから、お茶会している間にメイキングされた天蓋付きベッドに飛び込んだ。枕に緊張と疲労の溜息をぶつけた。


 子供の身体は自覚ない内に疲労が蓄積し、気づけば眠くなってしまう。


 今日はお茶会とは名ばかりに遊び回っていた。何処の世界でも男子というものは外遊びが好きらしい。それに付き合って、庭先を走り回ったせいで予定よりも身体が重かった。




「それでも止められないものがあるんだよな」




 早々に起き上がり、レーゼインが向かったのはヴァイススター邸の図書室。


 歴史古い貴族だけあり、収蔵している書物の数も尋常でない。


 部屋に立ち入った一歩目から、見上げる程高い本棚が数十と連なっている。


 初めて来た時は背の低さと遠近感の狂いで半刻以上迷ったものだが、三歳から通い詰めていれば目印一つなくとも目的の本棚へ向かえた。


 部屋の最深部は正方形に空いており四人掛けのテーブルが置かれている。細やかな読書スペースだ。目的の本を片手に椅子を攀じ登る。


 レーゼインは動物の皮で作られたであろう装丁の古書を開いた。軽く引っ張るだけで千切れそうな頁を捲ると、びっしりと幾何学模様が描かれていた。




 視線を落としながら宙に浮かした指先で円を描く。その軌跡に白い光が走った。曲線は消えるペンのように数秒維持された後に霧散する。


 人が自由に光を発するなど人ならざる所業――しかし、この世界では当然のように扱われる。


 星の誕生以前から存在するあらゆる自然法則を内包した概念を『自然律』と呼ぶ。


 そして、自然律では収まらない非現実の事象を引き起こすの未知を法則を『魔法律』と呼ぶ。




「この世界には魔法がある――」




 懐胎された直後、白飛びした視界の中で捉えたのは助産婦と母親の顔だけではなかった。宙を漂う淡い煌めきを柄にもなく綺麗だと思ったのだ。


 その瞬間から薄々予想はしていた――知らない法則が働いていることを。




 目を凝らせば今も舞っている燐光こそが魔力と定義されるもの。そして、意志を持って力を込めれば身体の内から溢れ出すオーラもだ。


 魔力を適切に配置することで法則に従った現象を起こす行為が魔法。


 ここは誰もが夢見る神秘と魔法の異世界なのだ。




 自由に操ることのできる力にレーゼインは首ったけだった。夢に見る、という程ではなかったが、自分の意思で力を操るという体験はゲームのような脳汁が滲み出した。


 この経済的に保証されている時期に好きなだけ学べる環境に齧りつき、酔う程魔法を覚える。真っ先に言葉や文字を習得したのもこのため。


 レーゼインは強さを求めてまた新たな魔法を模索する。誰よりも速く階段を登る。








 ◎




 レーゼインが顔を上げたのは暗さで文字が読めなくなったからだ。窓から覗けていた澄み渡る青空も気づけば、茜色に染まっている。あれから数時間、読書に没頭していたらしい。


 赤ん坊の頃から成熟した意識があったせいだろう、長い長い退屈に晒されたことで気が紛れるものがあるとすぐに没頭してしまう身体になってしまった。




「……《追憶》ねぇ」




 今回学んだ魔法は《追憶》――。


 とりあえず習得してから使い道を考えるつもりだったが、やはり思いつかない。首を捻りながら、本を元の場所に戻し、真っ暗な図書室を悠々と出て行く。


 全体重を掛けないと開かない木製の扉の前に立ったところで、向こうから声が近づいて来る。この二人の女性の声には聞き覚えがあった。噂好きのメイド達だ。


 レーゼインの悪名も声高に話し、シシリーに説教されていた若いメイド。


 声の大きさに自覚はないようで、壁に耳を当てるまでもなく聴き取れた。




「――ねぇ、ヨード街の事件の話聞いた?」


「あ、聞いた聞いた。最近、子供が失踪してる、って話でしょ?」


「そうそう、今日買い出しにヨードに行ったんだけど警備兵が凄い顔つきでうろついてんの。関係ないのに睨まれて怖かったわぁ」


「うわぁ、さっさと犯人捕まえて欲しいよね。あ、そう言えば昨日のことなんだけど――」




 声は遠退き、耳を澄ましても何も聞こえなくなったところで図書室を出た。


 廊下は壁に掛かっている光を発する魔石――『魔光石』によって照らされている。夕方にこの灯りを点けて回るのもメイド達の仕事だ。




 燃えるような夕暮れは山嶺に沈み、天地の境界は淡青色に変ずる。廊下の窓から身を乗り出すと、メイド達が口にしていたヴァイススター領のお膝元にある大きな街――ヨードが見えた。




「失踪事件……暗躍の香りがする事件だ。ちょっと遊びに行っちゃおうかなー」




 貴族令嬢として転生したからには無断で市井に降りる、というイベントはこなしておきたかった。


 というのが半分で、本音のところは純粋な正義感。


 力を持ったことでできることが増え、欲張りになってしまったらしい。


 正常な倫理を持つ人間として、人攫いなんてものが平気で起こる世界は許せない。








 ◎




「――ゆっくりおやすみなさいませ、レーゼインお嬢様」


「えぇ、ありがとう」




 湯浴みも早々に眠りに就く振りをしてシシリーを追い出したレーゼインはベッドの横の小さな箪笥の前に膝を折る。上に乗っている魔光石の燭台が揺れないように注意しながら、入れておいた普段着を取り出した。




 何の変哲もない子供用のブラウスとスカート。散策に適した服装ではないが、レーゼインが怪しまれずに用意できるのはこの程度のものだった。


 最後にストレートヘアーを頭の高い位置で結ぶ。


 何となく鏡の前に立ち、右手を首に添える。




「流石に可愛いな」




 SNSで何となく流れてきたイラストをブックマークするような気軽さ。この少女が自分という自覚はまだなかった。


 両開きの窓の淵に登り、思い切り飛び跳ねた。レーゼインの部屋は二階。地上まで概算で十メートル弱の高さがある。


 跳躍は一秒も持たず、引力に従って大地へ落ちる。


 妖しく光る三日月に照らされながら、レーゼインは不敵に笑った。掌に白線で描かれた幾何学模様が浮かんだ。




「さてと――《飛行》」




 魔法陣を握り潰すと魔力は燐光と化して散る。魔法的エネルギーが大気に干渉した。レーゼインの落下を殺し、それどころか身体を浮き上がらせた。


 一般に中級風属性に分類される操作魔法――《飛行》。


 邸宅から飛び出したレーゼインは高度を上げ、ある高さで静止する。番人の如き半透明の壁が視界に広がっていた。


 邸宅を覆う半球状のは魔法により生み出された結界。不正な方法で脱出するとアラートが鳴るように条件付けされている。


 この世界では、貴族の館には当然のように張られているらしい。




 結界に掌を押し当て、魔力を発露した。破壊のためではない、感知効果を一時的・局地的に誤認識させるための干渉だ。この技術もまた図書館にあった本から得た知識である。


 干渉完了と同時に掌は結界をすり抜けた。《飛行》を行使し、一気にヨード街へ飛ぶ。




 街の端に降り立ったレーゼインはすぐに息を殺した。


 ――まさか、ここまで上手く行くとは。


 レーゼインが見たのは身体の大きな男が簀巻きにされた子供を馬車の荷台に転がす瞬間だった。一人が見張り、一人が運搬、一人が馬車で子供を受け取っている。


 誘拐の理由として考えられるのは人身売買くらいだ。


 山岳から吹き込む肌寒い風。音もなく行われる犯行。果てしない暗夜。それぞれの要素が心臓の鼓動を加速させる。




「怖がってるのか、俺……」




 誘拐犯に気取られない程度の深呼吸。誰にも負けないために力を培って来たのだ、恐れる必要はない。


 この三人は運び屋のようなものだろう。根本を叩かなければこの連鎖は続く。




 わざとらしい足音を鳴らして彼らの視界に入り込むと、六つの眼球が吸い寄せられるようにレーゼインを捉える。言葉なかった。男達は一斉に飛び出し、少女の身体を革袋で拘束、荷台へ詰め込んだ。




 ガタゴト、と馬車が揺れる。アスファルトのように綺麗な道でもなければ、車輪は真円から程遠いもの。小一時間乗っているだけで体中に痣ができてしまう。


 レーゼインは暗闇の中、子供達の啜り泣きを四方八方から聞かされた。これでら気が滅入るばかりだ。


 葉っぱが風で鳴る音が数十分、馬車が止まった。



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