20.憧れに手を伸ばす時
「は? どういう意味?」
「俺がこの男を倒す、ってことだ。わかってるだろ」
ゼントは真剣な眼差しを向けるが、レーゼインは首を振って天を仰いだ。あらゆる理由においてゼントの意思を肯定する理由がない。
少年を無駄死にさせる意義も。
レーゼインを一番に助ける役目も。
「ゼント君さぁ……プライドを履き違えるな、って前教えたでしょ。命よりも大切なものはない。死んだら全部終わるんだよ――次があるなんてあり得ないから」
数ある前世の記憶の中でも、瞬間瞬間まで色褪せずに残っているのは終わりの間近だけ。耐え難い苦痛の中、自分を構成する全てが曖昧に消えて行く感覚は生まれ変わっても刻まれたまま。
レーゼインは死を軽んじる者を許せない。意地や矜持、という詰まらない理由で失われることに怒りを覚える。
数刹那、沈黙が降りた。
ゼントは憧れに向き合う。
レーゼインはいつだって正しい。
自分はきっと間違っている。
その上でも、譲れないものがあった。
「俺は、助けを求める誰かを助けられるようになりたい。強くなりたいんだ。でも……これから先とか、将来とか待ってられない。いつか届くじゃ遅過ぎる」
譲れないのなら想いをぶつけ合うしかない。
どちらかを踏み躙る覚悟をした者のみ前へ進むことができる。
憧れの人物の言葉だった、としても自分の道を突き進む覚悟をゼントは決めていた。
「今できなければ意味がない、今後悔してたら意味がない! だから、愚かな俺を許して欲しい」
折れた剣を拾い、少年は強大な敵へ勇敢に立ち向かう。
――ごめん、セレナ。もう少しだけ待ってくれ。
勇気の一歩だった。蛮勇の一歩でもあった。
レーゼインは冷然と問い掛ける。
「死ぬよ?」
「そうかもな。でも、逃げ出すことを覚えたら……俺はきっと立ち上がれなくなる。俺が俺であるために、君に助けられる訳にはいかないんだ」
少年は矜持の一歩を刻む。
「死んだらセレナは悲しむよ」
「『そんなこと考えてる暇があるなら頭を回せ』――そう教えてくれたのは君だ」
少年は成長の一歩を刻む。
「その在り方は危ういよ、いつか後悔する日が来るよ。アニメで知ってる。それでも、その想い……絶対に曲げない、って言えるの?」
「曲げない。なりたいものがあるんだ……それは――」
ゼントは身を翻し、薄く微笑んだ。それはまさに人々を鼓舞する英雄の笑み。
その瞬間、ゼントの記憶が鮮やかに照らされ、憧れの少女の顔がはっきりと見えた。仕方ない、という風な子供へ向けた呆れ笑いが。
「――こうやって誰かを迎えに来るもんだろ?」
ゼントの満足気な笑みに、レーゼインは特大の溜息を吐いた。呪いの言葉を跳ね除け、己の道を切り開いた少年への称賛の呆れ笑いだ。
「ノア、ゼント君を手伝ってあげて。流石に一人じゃ普通に死ぬだろうから」
「は、はぁ……それは構いませんが、レーゼ様は?」
「ちょっと散歩してくる。それまでに倒せなかったら私が終わらせる」
ビシッ、と人差し指を少年の額へ立てた。
ゼントは噛み締めるように頷く。譲歩の結果であったとしても、レーゼインが自分の想いを認めてくれたことに心から歓喜した。
「ありがとう、レーゼイン。必ず勝利するよ」
「情けない姿見せんなよー?」
パラパラ、と手を振ったレーゼインは道を引き返す。傍観していれば良いものを、律儀に散歩に出掛けるようだ。
ノアはその後ろ姿に一礼してから、ゼントの横に並んだ。
「レーゼ様の命です。今回限り、あなたのサポートを致します。くれぐれも期待を裏切るような真似は慎んで下さい」
「善処するよ……まぁ、装備は心許ないけどな」
「全く」
ノアは物質生成の魔法陣を描いた。飾り気のない鉄剣生み出し、ゼントに渡す。
「不恰好ですが、あなたにはこの程度で十分でしょう」
「いつも一言が多いが、ありがとう。助かる」
「《結界》と《身体強化》は私が代替します。あなたは何も考えず《武装強化》した剣で敵を斬って下さい」
「それは分かり易くてて良いな……!」
死霊術師はゼント達がうだうだ話している内に、レーゼインに付けられた内臓へのダメージを治癒魔法で回復していた。走り出すゼントに合わせ、大鎌を振るう。
刃同士はぶつかり合って、魔力燐光を散らした。
二人は剣戟を重ねた。
戦況、僅かにゼントが押している。ノアの《身体強化》は死霊術師のそれよりも高精度だからだ。
そして、少年は防御の一切を委ねている。迷いない攻勢が術師を追い込む。
「《墓標》」
「うおっ!?」
ゼントが更に前へ踏み出すタイミングが地面から石造りの十字架が隆起し、バランスが崩れる。
その隙を逃さず、死霊術師の斬撃がゼントの肩口に振り下ろされた。
しかし、斬撃はノアが展開した《結界》に阻まれる。
身を引いて、青年は素直に驚いた。
「この結界の硬さ、一年が使って良いレベルじゃない! 見えないのは魔力、馬鹿硬い結界、《魔弾》遣い。お前ら……一体何者なんだ!?」
「それはこっちが知りたいッ!」
ゼントの斬り上げが死霊術師の頬を裂いた。仰け反った体勢になった敵へ、更に連撃を加える。
舌打ちして死霊術師は魔力を衝撃波として発露し、ゼントを吹き飛ばした。
「調子に乗るな、一年共ッ! ――《幽魔大車輪》!」
展開された魔法陣を大鎌で斬り裂くと、弧の刃が真紅に染まった。腕を思い切り背後へ引き絞り、鎌を投擲する。
高速回転した大鎌を横跳びでゼントは回避した。
しかし、躱されるのは織り込み済み。その先にいるノアが本当の狙いだった。
「ノアさん!」
「《結界》」
着弾地点に面の《結界》を展開する。
赫刃は結界へ激突する――かと思われたが、直前で大鎌は形を失って煙と化した。
死霊術師は魔法を発動している。
「――《眷属変換解除》。遣い魔の武装化を解いた……抉り取れ!」
結界を飛び越えた黒骸骨ガヴオンがノアの無防備な背中へ真紅に染まった指先を突き立てる。
体表面に張り巡らされた結界が削れる高音が響いた。
「私は傷つく訳には行きませんから、相応の対処をさせて貰います――《減衰結界》」
「戻れ、ガヴオン!」
ガヴオンは結界に閉じ込められる前に射程から抜け出した。だが、完全に躱し切ることは叶わず胴体の一部を《減衰結界》に食われる。
一立方メートルの立方体に飲まれた部位は魔力を吸い尽くされ、塵と化した。
「……結局、あいつの言う通りかよ、糞が」
死霊術師は舌打ちをし、眷属を回収した。左手を覆っていた包帯を外す。手の甲に無数の裂傷が見られた。
「これだけは使いたくなかったが、止むを得ない――」
傷で魔法陣が描かれていた。魔力を流し込むことで魔法は発動するが、迸る熱により出血を余儀なくされる。
見るからに禍々しい幾何学模様が薄紫色に灯った。
「――《暗澹降魔球》」
魔法陣から染み出した黒が球状に空間を侵食する。球状に範囲を広げる正体不明が館を飲み込んだ。
まるで世界そのものを闇に染めるように、急速にゼントとノアへ迫り来る。
「触れたらどうなると思う?」
「只事では済まないことは確実ですね」
ノアは結界の魔法陣を時計盤のように十二個並べて連結する。中央に魔力が流れ込み、新たな幾何学模様を描き出した。
あらゆる障害を阻む至高の結界――。
「――《天魔隔絶結界》」
虹色のプリズムを宿した結界がノアとゼントを包み込む。途方もない闇へ吸い込まれたものの、外界とは完全に遮断された結界内への影響はなかった。
しばらく、待ってからゼントは大きく肩を竦める。
「……とりあえず、ありがとう。やっぱり君も凄い魔術師なんだな」
「あなたに褒められても不愉快なだけですね。しかし、状況は芳しくありません」
「あぁ……これどうやって出るんだ? 上下も左右も捉えられない」
距離感の喪失。
永劫の暗闇。
身を晒せば、意識さえも簡単に飲み込まれてしまいそうだ。
この暗闇の中に死霊術師が隠れているのかさえわからない。
「そんなことはどうでも良いです」
「何?」
「レーゼ様は私がいれば何とかなる、と思って私をここに置いていったのです。だと言うのに、この体たらく……レーゼ様に顔見せできません」
大袈裟な反応に見えたが、時折垣間見えた激重感情を思えば、致し方ないのかもしれない。メイドと主というだけの関係性ではないのだ。
何と声を掛けるべきか、ゼントが慎重に考えていると――。
「――ですが、レーゼ様が敵の実力を測り違えることはありません。私達なら勝てる、と判断したはずなのです。例え、無限の暗闇に囚われたとしても方法は必ずあります」
「その信頼は俺じゃなく君へのものだろう」
「私が使えるのは結界の魔法だけです、戦闘要員として数えることはまずありません。だから、あなたがやるんです」
「俺が……」
レーゼインからの期待となると自然と顔面が強張る。
この果てない闇の中で自分ができることなどあるのだろうか。逆転の一手を全くイメージすることができない。
ゼントは《天魔隔絶結界》に手を触れた。透き通った壁の先の闇を感じることはできず、完全に遮断されている。
「俺ができること……」
鍔のない鉄剣を握り締める。できることは馬鹿みたいに剣を振るうことだけ。
これしかやって来なかったから。
これだけはやって来たから。
一撃ごとに想いを乗せることだけがゼントに許された唯一。そして、それで良い、と言ってくれた人がいた。
「《武装強化》」
「そんなことしても変わりませんよ、何も」
「俺はそうは思わないよ。アイデアを得られるかもしれない」
「適切な法理があればです。苦し紛れに意味はありません」
「法理か――あるよ、こんなところで立ち止まれない理由なら」
すぐに拡散してしまう魔力をできるだけ刃に圧縮する。
ノアは酷く詰まらなそうな息を吐いた。
「先程言っていましたね……誰かを守りたい、とか何とか」
「子供の頃、誘拐事件に巻き込まれた。本当に怖くて辛かったけど、助けてくれた人がいたんだ」
「……まさか、八年前のヴァイススター領で起きた誘拐事件ですか?」
「聞いてたのか? ……その時、レーゼインに助けられた。だから、なりたいんだ」
「…………」
少年の抱く眩しい憧憬は、真っ当で輝かしいものだ。その中でレーゼインは英雄のように語られた。
だが、彼女の本性を知っていれば笑い草である。
ノアは、ゼントがあの一件を美談のように語ることが許せない。あの少女のことを一番理解しているのは自分なのだ。
「その憧れは初めから間違っています。レーゼ様は善意で誰かを助けるような人間ではありません」
あの誘拐事件で救われたのはゼントだけではない。ノアが人並みの生活を送れるようになったのはレーゼインに牢屋で拾われてからだ。
憧れを抱いた時期もあったが、すぐに間違いだ、と気付かされた。
「利害があり、理合があり、理由があったに過ぎません。助けられたなんて烏滸がましい」
何としても否定し尽くす。
そうでなくてはノアが過ごして来た八年の意味が変わってしまう。ゼントだけが宝石のような綺麗な思い出を持たせる訳にはいかない。
ゼントは苦笑いを浮かべる。
「レーゼインが正義のために誰かを助ける、ってのは確かにイメージできないな」
邪魔するなら殺す、とさえ言われたのだ。良い奴とは冗談でも口にはできない。
都合が良かったから助けられた――これが真実なのだろう。
「俺は……誰かの正しさを自分の理由にすることは止めた。レーゼインは絶望的な状況をひっくり返してくれた。そんな人間になりたい、と思った。この想いは俺が決めたことで、ずっと変わらない」
「それは全て都合です。破壊活動の一端です。勝手に助けだけです。後のことなんて大して考えもせずやったことなんです」
「だろうな。俺はレーゼインに清廉や完璧を求めてないよ。ただ、感謝を伝えたかった……そんな想いをさせてくれたことに意義があるんだ」
実際は様々な柵があり、そんな単純な感情ではいられなかったが根本は変わらない。
進みたいと思える道を示してくれた。レーゼインが違う道を進んでいたとしても関係ない。
「レーゼインが打算で俺を助けたのだとしても……敵として立ち塞がっても――この憧れを後悔することは絶対にない」
「そんな……」
「だって、何度言っても足りないんだ」
言い切ったゼントは真っ直ぐと剣を掲げた。
刃が眩い光に包まれる。本来不可視であるはずの神聖力がノアの目にも確かに映った。
全方位に差した光が刃に収束し、頂へ伸びる。ゼントは一息に剣を振り下ろした。
その斬撃は、結界に傷一つつけることなく、果てなき闇を斬り払った。
斬りたいものだけを斬る光の剣――。
「――聖剣」
ノア呟きは顕になった月光瞬く宵闇の世界に響いた。術式が停止して元の光景に戻ったのだ。
そして、鮮やかな斬撃を同時に浴びた死霊術師が倒れた。
少年の手の中で鉄剣が砕け散る。
「……セレナ」
ゼントは押し寄せる疲労に顔を顰めながら、残る力で館へ乗り込んだ。
耳を澄ますと助けを求める声が微かに聞こえた。辿り着いたのは両開きの扉のある部屋だ。
片側だけ扉は空いていた。血の匂いが僅かに漂う。部屋は紫色の炎に照らされている。
その中央にセレナが倒れていた。
「セレナ……! 大丈夫か?」
「……っ、ゼント君……」
肩を抱くと、セレナは目を覚ました。
怪我はないようだ。
安堵と共に抱き締め、身を委ねたセレナとお互いの鼓動を交換した。子供の頃から変わらない暖かさを共有する。
「良かった……間に合ったんだ」
「うん。ありがとう、ゼント君」
勇者は逆境を乗り越え、姫を救い出すことに成功した。
――やっぱり、憧れは間違ってなかった。こんなにも嬉しい、と思えたなら。
ゼントは夢を抱いた日から連なって来た今日までのことを回想した。新しい記憶はレーゼインの顔ばかりが思い出される。
――憧れとは程遠いけど、いつか自信を持って並び立てるように……強くなるんだ。
少年は幼くも純粋な夢を胸に抱く。いつか叶うかもしれないし、叶わないかもしれないが、何にせよ尊い物語になることは間違いない。




