2.異世界TS転生とは
◎
――新生歴二年。
その日、〈ゾルステア王国〉ヴァイススター貴族領、ヴァイススター邸にて一人の子が生まれ落ちた。
助産婦によって取り上げられたその赤子は懐胎されてから、ただの一度も泣き喚くことなく、眩しそうに周りの人間を見回した。
今までの子供と何かが違う、と判断するには早かったものの、生まれながらに何かが違かった。
異常性の片鱗を見せ始めたのは生誕から二年経った頃。言語を解し、積極的なコミュニケーションを諮り始めたのだ。
その前から言語を解するような仕草はあったものの、舌足らずな発音や物理的制約で伝えることができなかったものが、二年の歳月を経て形になった。
三つ上の兄、二つ上の姉と同等以上の成長速度に誰もが感嘆を漏らした。
三歳になる頃には本を所望し、文字を習得、文法も理解した。その子供らしからぬ知能に不気味さを覚える者は少なくなかった。
――悪魔に取り憑かれている。
そんな噂が広まるのも致し方ないことだった。
しかし、風聞とは裏腹に父――ヒースレインは類稀なる天才だ、と持て囃した。英才教育を施されたその子は間もなく神童と呼ばれることとなる。
――新生歴九年。
神懸かり的な才能の歩みはまだまだ止まらなかった。
天才児は身の丈の二倍以上ある立て鏡の前で首を左右交互に傾けた。真逆の方向に揺れる夕陽色の前髪を鏡面越しに眺めながら唸る。
「これは……どこからどう見ても可愛い幼女だな」
未だに慣れない背中まで伸びる髪の重みを感じながら少女――レーゼイン・アスタ・ヴァイススターは呟く。
七年前に壮絶な死を遂げたはずの青年は何の因果か、ヴァイススター家次女として異世界で生まれ変わった。
「異世界転生したのでも驚きなのにTSまでするとは……」
本来輪廻転生とはそういうものなのだろう。動物や虫、植物になっていた可能性も零ではなかった。人として生まれ変わったのは幸運の部類に入る。
前世の記憶は鮮明に残っていた。今のところ、それが恣意なのか偶然なのかはわからない。
神には会わなかった。使命も課せられていない。
「まだ悪役令嬢の線も残ってる訳だ」
物語のお約束というものもよく覚えていた。前世の知識を活かし、神童として道筋を辿るのも定番だ。
その場でくるりと回り、着せられたドレスの意匠に息を吐いた。関心半分呆れ半分。
「やっぱり、動きにくいな。機能性よりも装飾華美絢爛豪華ですか……如何にも旧時代、って感じだな」
今や見ることが叶わないであろうソメイヨシノに似たピンク色のドレス。
手元に広がる袖口には職人の拘りを感じさせる花模様の刺繍があしらわれている。
胸のリボンの中央に緑宝石がはめられたブローチが掛かっていた。
全体的にふんわり、と広がったシルエットは年相応に幼い印象を受け、激しい抵抗感を覚えた。
お約束や例に漏れず、レーゼインのいる世界の文明は現代とは比べるべくもなく遅れている。『近世ヨーロッパ』風の世界観と言えば、説明は終わる。大凡、電気分野の発展は皆無だった。
当たり前のように布かれた王政。富と権力を示すのは外面だ。貴族は当然のように豪奢な生活を送り、華美な衣服を纏う。
一般庶民の精神では、この価値観にはとても着いて行けなかった。
扉がノックされた。『レーゼインお嬢様』と扉越しに枯れた声で呼ばれる。
頭と同じ高さにある取っ手を掴み、扉を開くと老年のメイドが礼をして待っていた。長年、ヴァイススター家に仕える老女――シシリーは綺麗な所作で面を上げる。
「殿下がお庭に到着致しました、ご挨拶の準備を」
「いつでも構わない」
「承知しました。では、こちらへ」
「ええ」
偉そうな振る舞いが性に合わないレーゼインは半端に不遜な言葉遣いで乗り切っていた。
一定間隔で絵画や陶器が並べられている目の眩む廊下を行けば、道行く使用人が壁面に身を寄せ、頭を下げた。
はっきり異常な光景だ。二十年近い現代生活で培われた倫理観が今更抜けるはずもなかった。
先行したシシリーは庭へ続くステンドグラスの扉を開いた。吹き込んだ人工の香りが薄い、暖かで柔らかな風はレーゼインの艶やかな頬に吸い込まれるようだった。
深呼吸一つしたレーゼインは意識のギアを上げる。自分は貴族令嬢と内心で言い聞かせた。
件の客人は既に、庭園の中央に鎮座するのは『東屋』を連想させる屋根付きのスペースに到着している。
芯の振れないモデルの歩みでガーデンテーブルまでの煉瓦道に踏み入った。
席には来客と実兄、実姉の三人。その脇には給仕のメイドが二人。
ヒールではないので足音は軽いものだが、出で立ちは精神に引っ張られる。到着前から来客の視線が自身に注がれた。理解しながら態度には出さず、大理石から直接切り出した白亜のテーブルの三歩手前で両踵を付ける。
僅かに下げた瞳を上げ、客人に相対する。不相応の妖艶な笑みを湛えて挨拶した。
「ご機嫌麗しゅう、レイザー・ルーン・ゾルステア殿下」
この世界観だと淑女はスカートの端を持ち上げて挨拶するそうだ。誰に教わったこともなかったが、見ていれば理解できる。視線を下げ過ぎなければ怒られないらしい。
「こ、こちらこそ歓迎感謝致します。レーゼイン嬢もいつにも増して麗らかですね」
席から立った当の客人は辿々しく挨拶を返した。
レイザー・ルーン・ゾルステア――齢一〇歳、ゾルステア王国第三王子としての教育を受けている真っ最中の少年。社交の場に慣れていない感がありあり、と滲み出ていた。
精一杯頑張っている赤顔の美少年に心からの微笑みが漏れる。
「どうも。お元気そうで何よりです、レイザー君」
「レーゼ、とても可愛いドレスだね。今日も綺麗だよ」
「お世辞ばかり上手になっていますわ」
「そ、そんなことないよ! 本当に綺麗だから!」
からかい甲斐のある少年だが、この国で一番偉い家系。下手に気分を害せば一族諸共放逐されてもおかしくない。
実兄のヴァルムとは幼い頃から友好な関係を築いているので、あやかって姉のリリシア共々恩恵に預かっていた。愛称で呼び合ったり、餓鬼だけで定期的なお茶会をしているのがその裏付けでもある。そこに大人達の思惑がどれだけ含まれているかはこの際考えないでおく。
メイドによって準備された芳醇な香りの漂う紅茶と砂糖をふんだんに使った菓子折り。こんな生活を続けていたら碌な大人にならない、と勝手に危機感を覚えてしまう。
「これ美味しかったよ、レーゼ」
「本当に美味しそうですね」
リリシアはお菓子を妹の取り皿に載せた。お礼を言いながらちらり、とリリシアの空色のドレスを見遣ればクッキーの欠片が零れていた。
レーゼインはトランス脂肪酸をクッキーで挟んだものを頬張り、わざとらしく粉を落としてみる。
「あ、レーゼ。ドレスが汚れちゃうよ」
妹らしくするのもレーゼインの役目だった。転生者であることは知られても良いことはない。あくまでも、ヴァイススター家次女としての振る舞いが最優先だ。
「ありがとうございます、お姉様」
「ううん、どういたしまして」
何馬鹿なことをしているだ、という気持ちになる時もあるが、子供の笑顔には変えられない。レーゼインは大人として役割に徹し、幼さを演じた。同じ目線には立てないが、見守るために。
それが役目だとさえ思った。まさか異世界転生して大人としての自覚を得るとは――。
レーゼインは楽し気に会話する三人の声を聞きながら山向こうを眺めた。青空を切り取るどこまでも続いていそうな美しい山嶺に未来を馳せる。
遥か遠く世界で見た灰色の空を思い出した。




