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19.覚醒当夜

 

 ◎




 ――助けて。


 そんな儚い声が聞こえたのは眠るに眠れずにいた深夜のこと。初めは衣擦れ音にさえ掻き消されるほど小さかった。声は徐々に主張を強め、はっきりと認識した時にはゼントの意識も完全に覚めていた。




「これは……」




 二重三重に連なった声に聞き覚えはない、はずなのに知っている気がした。


 声は止まない。まるでゼントを呼ぶように。


 はっ、として少年は部屋を飛び出した。向かったのは寮の女子部屋。一室をノックし、声を殺して尋ねる。




「セレナ、セレナ。起きてるか? セレナ」




 鍵は開いていた。悪い、と思いつつ部屋に入る。




「いない……」




 壁際にある寮部屋共通の机の上に寝間着が置かれていた。外に出掛けていることは間違いない。


 依然として声が脳内に響く。魔法現象であることは改めて確認するまでもない。




「まさかセレナなのか?」




 ゼントは自室に戻ると制服に着替え直し、腰に木剣を帯びる。武装は持って行くべきだ、と判断した。


 非日常の中で冷静に判断できたのはレーゼインによる教育の賜物だろう。考えなしの無能にできることはない、と何度も精神攻撃のように囁かれた。


 足音を殺して寮を出ると、僅かだが声が鮮明になった。音源に近づくほどに声がはっきりと聞こえて来る仕組みのようだ。


 道標を辿って、ゼントは走り出した。冷たい風が身体を吹き抜け、思考は研ぎ澄まされる。




 ゼントは立ち止まり、学院校舎を見上げた。


 声はこの先に続いている。躊躇なく学院の正面扉を開け放った。




「なっ!?」




 貴族邸宅のような豪奢な学院の廊下はそこにはない。


 息を呑む光景。室内のはずが、扉の先に淀んだ藍色の空が広がっていたのだ。


 振り向けば、慣れた通学路は変わらずある。


 一本の煉瓦道はレイスが住み着きそうな幽玄な館へ伸びている。


 更にはっきりと声が聞こえて来る。ここまで来ればセレナの声だ、と確信できた。




「《眷属召喚》みたいに次元に干渉している?」




 ――学院校舎正面入口を起点として転移門……?


 ゼントにはその原理を理解できなかったが、罠だったとしても進むしかない。やるからには迷わずに進む。


 道の脇に生える緑紫の葉の草木は特有の魔力を浴びた自然界には存在しない植物。


 雲間に瞬く三日月の光に照らされながら、館へと歩みを進めた。


 そして、学院制服を纏った男が門番の如く立ち塞がる。




「――何人たりともここを通すな、と言付かっている」


「誰に?」


「お前には関係ない」




 濃青色の髪で右目が隠れた青年が掌に魔法陣を生成する。陣から取り出したのは三〇センチ程の魔法杖だ。先端には魔力を発する宝石が嵌められている。


 腰に提げている真剣は主装備メインではないようだ。




「魔装具だっけか」




 宝珠などで魔力が付加された武器のことを魔装具と呼ぶ。一般に、魔力放出や魔法の追尾性能を補助するために使われる。


 魔法陣が刻まれた物品である魔道具とは明確に分けられている。これもまた連覇術技に際してレーゼインに教えられたことだ。




「倒さなければセレナを助けに行けないのなら、強引にでも押し通る!」


「一年風情が、調子を乗るな。圧倒的な格の違いを見せてやる――《墓標》」




 魔法杖の先端に展開された魔法陣を地面へ振れば、石煉瓦が隆起し、十字架のオブジェクトが迫り上がる。


 ゼントは木剣を抜いて身構えるが、この魔法に害的効果はなかった。


 次いで、青年が発動した魔法はゼントにも見覚えがあるものだ。




「《眷属召喚》――出でよ、魂を誘いしものガヴオン」




 這い寄るように現れた煙を纏う黒骸骨。下半身はなく、常に浮遊する魔法生物由来の遣い魔。


 骸骨は青年の背後で腕を広げると、直径一メートルはある薄灰色魔法陣を展開する。




「《霊魂招来ホロ・ドグマ》」




 打ち出された白く発光する塊は墓標をすり抜け沈んで行く。ボゴッ、と地面から黒い腕が飛び出した。十字架を引き込んで現れた影の人型。




「これは、死霊術……?」


「死者の軍勢よ、侵入者を轢き殺せ」




 少なくとも三〇以上はいる黒影が一斉に迫り来る。


 死霊は思いの外機敏な動きを見せた。映画の出て来るゾンビのような鈍く本能的な行動ではない。あるのは自律思考。知能は高くないが一つ一つの行動は最適化されていた。


 戦いの素人でも囲まれたら負けることくらいはわかる。ゼントは挟み込まれないように駆け抜けた。


 剣の表面に魔力を流し込む。魔剣術の基本――《武装強化》を発動、身を翻し、敵へ剣を振り下ろす。


 一息で真っ二つになった黒影は魂ごと消え去った。




「できたぞ、魔剣強化術……これなら行ける!」




 型は毎日馬鹿みたいになぞって来た。身体は思い通りに動き、次々と黒影を斬り裂く。


 軍勢が削り取られる光景を眺めた死霊術師は茫然と呟いた。




「おかしい……平民程度の《武装強化》で僕の影を斬るなんてあり得ない。いや、そもそも魔力を感じない……何だこいつは?」




 目の前にいる正体不明の少年の異常性に気づくと、死霊術師はもう一度《墓標》と《霊魂招来ホロ・ドグマ》を重ね、戦闘員を補充した。念入りに五〇は追加する。


 大地からわらわらと昇って来た黒影は怒濤の勢いでゼントへ向かった。弓なりに広がって進撃したのは死霊術師の命令によるものだ。


 大外回りで囲まれ、ゼントは徐々に中央に追い込まれた。




「ならば――《眷属召喚》」




 今のゼントには魔法を複数発動するだけの魔術の練度がない。自然と《武装強化》が途切れた。その隙を逃さず黒影の軍が一気に走り出す。




「出て来い――イデア!」




 頭上に掲げた魔法陣から眩い光が溢れ、『ホロローン』という奇妙な鳴き声が響き渡る。黒影を掻き消す光の柱から白馬が姿を現した。


 暗夜を照らす輝光の如き未完のペガサス。


 ゼントが背に乗ると言葉を介すことなく、イデアは真っ直ぐに死霊術師本人へ突撃を敢行した。


 黒影の軍勢や崩れた墓石という障害物を物ともせず、館へ駆ける。




「ガヴオン――」




 死霊術師は遣い魔に魔法発動の命を下した。


 煙を纏う黒骸骨が魔法陣を展開する。




「――《死霊魂撃ホロ・ブリンガー》」


「イデア……!」




 遣い魔同士がぶつかり合い、凄まじい魔力が吹き上がった。


 イデアは魂を打ち明ける術式により核を揺さ振られる。肉体が部分的に消滅し、薙ぎ倒された。


 それよりも早く背から跳ねたゼントが剣を振り下ろす。《身体強化》を《武装強化》に切り替え、縦に一閃――しかし、遣い魔ガヴオンと死霊術師の二重結界に敢えなく防がれた。




「お前程度の平民では術式の同時発動はできないようだな。貧弱な遣い魔、未熟過ぎる剣の腕――差は歴然だ」


「そんなの、まだわからないッ!」


「どこが?」




 消え行くペガサスを視界に捉えながら、死霊術師へ斬り掛かる。尚早く、骸骨が塞がり、圧倒的膂力でゼントは吹き飛ばされた。


 墓石に躓きそうになり、一瞬振り向いたことで背後も影の軍勢により完全に取られていることを認識した。




「死ぬ前に見せてやる、魔道の真髄を――《眷属武装変換アームズ・ガヴリオル》」




 幽玄の黒骸骨の輪郭が溶け、エネルギーの塊になると死霊術師の掌の中で再形成される。細長く、先端で弧を描くように伸びた。


 草刈り、と言うにはあまりにも殺意が込められた大鎌――『死屍魂鎌ガヴリオル』へと変貌を遂げる。




「眷属の武装化。これが使えないお前は、こちら側に来れない。辿り着いたとしても自力の差は覆らない」




 ガヴリオルの刃から蛍光する白煙が漂う。


 イデアが呆気なく倒されたのは、対処の仕方を知らない魂への攻撃だったからだ。あの鎌も同様の効果があるのだろう。


 あの刃で人間を斬った場合はどうなるのか考えてゼントは身震いした。




 目の前には本物の魔術師、後方には死霊術で呼び出された黒影、およそ七〇――絶体絶命の状況。プライドなどかなぐり捨てて逃げるべきだ。




「だとしても、立ち向かわなくてはならない」




 身体が震えていてもゼントは逃げない。何故なら、助けを呼ぶ声がするから。


 八年前、人攫いに遭って泣きじゃくったあの夜――。


 どうすることもできずに助けを求めたゼントの下にヒーローは現れた。


 涙が溢れてよく顔は見えなかったが、心の底から嬉しかったのだ。差し伸べられた手に希望を感じた。




「……なりたいんだ、彼女のように誰かを助けられる人に――だから、セレナを必ず助ける」


「お前は何も為せずに死ね」




 ゼントが《武装強化》を帯びた剣で死霊術師を斬り上げる――よりも早く、死を纏う大鎌の刃は煌めいた。


 剣ごと身体を斬り裂かれ、ゼントはその場で膝を折る。凄まじい痛みと、生命力の喪失だけが思考を支配した。


 月光によって作り出された影が次の一撃を前もって示す。避けなければ、首を刎ねられる。


 歯を噛み締めながら顔を上げた瞬間――死霊術師が吹き飛んだ。物凄い勢いで玄関に叩き付けられている。


 男は頭から血を流し、苦しげに息を咳き込んだ。




「――この魔法と久し振りに使ったなー」




 場違いな軽い口調が分水嶺に割って入る。


 小さな金髪の少女。


 大きな銀髪の少女。


 レーゼインとノアがまるで散歩とでも言うような優雅さで歩み寄る。




「……どうして?」




 ゼントは思ったままの質問を口にした。




「セレナが黒の組織に拐かされたからに決まってるでしょ」


「レーゼインも声を……?」


「声? は知らないけど、見るからに怪しい《異界接続》された扉があったから」




 《異界接続》という魔法により、校舎に繋がるはずの扉は別の空間に繋がっていた。その先でゼントと死霊術師が戦っており、土壇場で《魔弾》を撃って命を救った、という訳だ。




「沢山いた黒い奴は?」


「全部消した」


「どうやって?」


「胴体真っ二つにしただけだよ」


「……物音一つ立てずに?」


「そう」


「…………」




 最早、レーゼインの全能に疑いはなかった。驚きを通り越して、無反応である。


 胸の傷口が塞がったことを確認してから、ゼントは頭を下げた。




「ありがとう、助かった」


「無茶し過ぎだよ。あれ、多分学院三年生でしょ? 今の君に勝てる訳ないじゃん」




 魔法に対するありとあらゆる理解で劣っていた。地力も知識も場数も、度し難い差がある。何度やってもゼントはこの死霊術師に勝利することはできない。




「それでも……こいつを倒さなきゃセレナを助けられないんだ」


「だろうね。だから、私が来た。私ならできる」




 レーゼインならば死霊術師に対抗し、勝利をもぎ取ることも容易だろう。セレナの救助においてこれほどスマートな手はない。迷わずにレーゼインに任せるべきだ。


 それでも――認めることができないことがある。


 ゼントはレーゼインの前に立ち塞がった。




「……俺に任せてくれないか」


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