18.悪意の告白
◎
「――レーゼ様っ! 止めて下っ――やんっ……!」
朝っぱらから艶めかしい悲鳴が部屋に響く。
ノアはワンピースタイプのパジャマの裾を抑えていた。スカートを捲り、侵入を試みる不届き者がいるからだ。
レーゼインは小さな身体を活かして太腿の間、という暗がりに頬を寄せて深呼吸する。
「ああっ、良い。すっごく良いよぉ……」
「これから学院に行くんですよ、落ち着いて……んっ」
股下で暴れるレーゼインに窘めの言葉は通じなかった。ノアは主に思うがまま、朝から変態趣味に付き合わされた。
ノアは内腿に走る快感に立っていられず壁に音を立てて寄り掛かる。口許を手の甲で塞いでいるようだが、色の濃い吐息が漏れていた。
「あー、うわぁ……」
酸欠でレーゼインの頭はおかしくなっていた。
そのままノアのお腹の中に還ろうか思案したところで、ドンドン――と扉が叩かれる。
ノックではない、となると穏やかな要件ではないのは明白だ。返事よりも早く、扉が開け放たれた。
反射的にノアは来訪者を見遣り、顔面を蒼白にさせる。
「あ――」
「さっきからドンドンドンドン五月蝿いのよ! あんたら朝から何やっ……て――」
隣部屋の住人――ミコノが着替える途中だったのだろう、ブラウス姿で乗り込んで来た。
スカート下から『ぷはっ』とレーゼインは飛び出したことで、三人は固まる。
見られてはいけないもの。
見てはいけないもの。
二つが重なり、最悪の状況が生まれた。
「…………」
何秒か何十秒か経ち、ミコノが死んだ目のまま自室へ戻って行った。扉が閉まる乾いた音が響いた。
「……着替えようか」
「はい」
二人は虚無顔で制服に着替える。
寝惚けていた意識は完全に覚めていた。
◎
朝の一件でノアと顔を合わせ辛くなったレーゼインは『魔術概論』の講義には混ざらず、第三教練場で時間を潰すことにした。
邪魔にならないように天井付近を彷徨いながら今朝の出来事を振り返る。
「音を立てちゃったとは言え、返事もなしに部屋に入るのはどうなの?」
初っ端から思い切り他責していた。スカート捲りごっこがさも当たり前の世界観の視点である。
しかし、責任の所在を誰に求めようが、それを口にしなければ何でも良い。ミコノの前ではきっと悪いことをしたような態度を取る。それで世界は平和に回る。
「おい、お前。飛ぶな! 気が散る!」
剣術講師アルティが呑気に回っていたレーゼインに苦言を呈した。『はーい』と嘗めた返事をして地上に降り立つ。
足は自然とゼントの下へと向かう。彼を虐めることくらいしかやることがないのだ。
「……ゼント君、そんな剣上手だったっけ?」
剣筋に揺らぎがなく、型の流れも極めて滑らかだ。
深い息を吐いてゼントは素振りを中断した。
「ここに来るのは『連覇術技』以来となると二週間も前だろ。少しは慣れたよ」
「……慣れ、ねぇ」
慣れ、と言うにはあまりにも馴染み過ぎている。
見覚えのある不条理な速度での習得。
セレナから与えられた神聖力はともかく、剣術でここまでの成長があるのは理解し難い。
とは言え、素人剣術から卒業した程度で『基本剣術』の本懐を遂げた、といったところだ。
凝視しても型は乱れない。精神方面の成長に由来するもの、と思われた。
「レーゼインは何でそんなに強いんだ?」
一通り、型を終えたゼントは汗を拭いながら尋ねた。
「純粋に気になったんだ。力を得るのに理由がいるなら、レーゼインにはどんな理由があってあんな強くなったのか」
「理由――」
そんなこと考えるのはいつ振りだろう。
レーゼインは強さを追い求めていた。
自分らしく生きるため、『自由』のために――譲れない絶対法理を自分で定めた。
「欲しいものがあったからでしょ、やっぱり」
「欲しいもの……手に入れたのか?」
「途中かな。いついかなる時も欲しいものを手に入れられたいから」
「魔王みたいなこと言うな」
ゼントは冗談で言ったつもりだろうが、『預言の書』による魔王復活の話を聞いた後だと、運命的なものを感じざるを得ない。
『聖女』と幼馴染の少年がまるで勇者みたいなことを言う。レーゼインはどうにもそれが苛立たしい。
「邪魔するなら魔王でも殺す。相手がゼント君だとしても――」
「……は、初めから俺のこと敵視してたよな、何故か……」
真面目な顔で言われ、ゼントは真っ当に狼狽えた。
少女はふぅ、と深呼吸のような深い息を吐く。あまりにも手応えがないので苛立ちが通り過ぎた。
「本当にわかってないんだね。ここまで来ると清々しいよ……いや、やっぱり罪深いね、鈍感なのは」
「最近までこの力に気づかないくらいだから、鈍いのは認めるしかないな……」
吐き出す溜息も残っていない。
――このタイミングで物理の話をするかね?
鈍感の振り系なのではないか、と疑ったこともあったが、その尻尾を全く掴ませてくれない。
レーゼインは意を決した。欲しいものを手に入れるために禁じ手を使う。
「私はセレナのことが好き」
「うん、見てればわかるけど」
「それ、って友人として好き、とかでしょ?」
「そりゃ……そうだろ?」
「だから、私が言ってるのは、恋愛とか性愛とかの意味の好きなの」
途端にゼントの表情は険しくなる。そのまま受け取れば良いものからない真意を見つけ出そうとしているのだ。そして、考えが纏まらないまま、思ったことを口にする。
「セレナを……? レーゼインが? 一体どういうことなんだ? 女子同士で?」
「――」
「ッ!?」
瞬間、少年の背中が冷感に侵される。レーゼインのゴミでも見るような零下の眼球を覗いた瞬間、頭が真っ白になった。
笑って流してくれる、と思った何気ない一言が地雷を踏み抜いた。
――違う、違う違う違う。これは駄目な奴だ、全部がぶっ壊れる奴だ。
取り返しがつかなくなる、と直感してゼントは小さな少女よりもなお低く頭を下げた。
「ごっ、ごめん……」
乾き切った喉から出た本音。
焦燥に駆られる。今すぐにでもレーゼインに断絶される予感がした。
夢の象徴であるレーゼインに無価値と判定されれば、ゼントのアイデンティティに大きな傷がつく。下手をすれば歩みが止まる程の。
頭を下げる少年を前に、瞳を閉じたレーゼインは軽く肩を竦めた。
「……まぁ、すぐに謝れるのは君の長所だ、と思うよ」
「レーゼイン……」
「そういう訳だから、私のものにするね」
きっと、こうでも言わなければ伝わらなかった。
同時に、勝手にわかって貰おうなどというのは傲慢だった。
故の宣戦布告。これで正々堂々とセレナを恋人にすることができる。
「最初から俺のものではないよ、セレナは」
「セレナはゼント君のこと好きだよ」
「あ、あぁ……俺も好きだよ」
「だからぁ、そういう意味じゃないから。恋愛的な意味だから」
「は?」
想像通り過ぎる反応にレーゼインは白けた視線で少年を貫く。ゼントの中に女性の機微という概念が存在していない、と確信した。
「あれだけアピールされてるのにね」
「それは、家族みたいなものだから……そういう意味はないだろ」
「私がセレナのこと好きなのも気づかなかった癖によく言えるね」
「それは……――」
幼い頃から傾国の美少女と過ごして来た弊害で女性に対して妙な免疫ができてしまった、と言う説もある。だとすれば、今更まともな健全男子少年の精神を獲得できるかは怪しい。
授業終了を告げる鐘が鳴った。続きの言葉を待つことなく、レーゼインは教練場を後にした。
「だとすれば俺は……」
ゼントの呟きは雑踏に掻き消えた。
帰寮すると、先に帰っていたセレナが駆け寄って迎えられた。いつもの優しい笑顔を向けられた瞬間、ゼントは視線を逸らす。
自らの反射的行動に驚き、言葉を失した。まともに挨拶もできない自分が信じられなかった。
「……っ」
「ゼント君? どうかしましたか?」
「いや、何でもない。少し、疲れてて……」
「そうなんですか……部屋で休みますか?」
「……シャワーを浴びるよ。だから、セレナは先に晩御飯、食べてて良いから」
「わかりました……困ったらすぐ行って下さいね」
人の顔を見て話せないことがこんなにも心苦しいなんて知らなかった。
少年は降り注ぐ冷水に全身を濡らしながらレーゼインの言葉を思い返す。
レーゼインが好きな人。
セレナが好きな人。
独立していた人間関係が自分を基点として繋がっていた。レーゼインの全ての発言を信じてる訳ではなかったが、もしそうなのだとしたら――。
「どんな顔して合えば良いんだよっ……」
拳を壁に叩きつける。帰って来たのは痛みだけだった。
◎
「――ゼント君……」
「どうしたの? セレナ」
一人で食事するセレナに合流し、当たり前のように正面に座った。そこはゼントがいつも座っている席。セレナは顔を上げざるを得ない。
ここから、セレナとの距離を一気に詰める。最大の障害は排除した。ゆっくりと心を解いてゼントの居場所を奪う。
「……ゼント君の様子がいつもと違くて、疲れているだけなら良いのですが」
「なるほどね、私も気に掛けてみるよ」
「ありがとうございます、レーゼ様」
レーゼインの唇は三日月の弧を描いた。妖艶な笑みの向こうに影が満ちる。
その瞬間から、本格的なセレナ攻略が開始された。
――ゼントの精神の不安定さに比例して、セレナとの心理的距離は近づいた。
恋愛という感情の向き合い方を知らない――という訳ではないだろうが、セレナと向き合えなくなったゼントは自然と一人になることが多くなる。
そんな彼が、セレナの表情まで曇っていることに気づけるはずもなかった。傷心に浸け込んでレーゼインはセレナの心を侵す。
「――こうなることは期待してたけど、露骨に顔に出し過ぎではないかね……」
気掛かりは、セレナの憔悴具合いがレーゼインの想定を超えていたこと。ゼントを人間関係の中央に据えていたことはわかっていたが、まるで全てを委ねていた。
依存と言い換えることもできるが、レーゼインは執着と判断する。ゼントに何かを求めている。絶対に譲れない何かを。
そのためにも神聖力を注いでるのかもしれない。
「ゼント君にできて私にできないことなんてないのにね。いや、私に付いてないものはあるけど……」
ゼントとセレナの関係――その原点を知らなければ、心を掴み取ることはできない。彼女らが共有して来た過去に因果の始まりが必ずある。
「王子様を待っているのかな?」
セレナのためなら人食い熊も人攫いも一撃で屠る羅刹にもなれる。その代わり、全部欲しい。自分のものにしたい。
◎
「ゼント君……私はどうすればあなたの力になれるんですか……どうすれば、あなたは私の――」
「――」
不安定に浸け込む悪意を持った人物はレーゼインだけではない。セレナの類稀なる才能に目を付けた暗闇の住人が姿を現す。
真夜中、一人出歩くセレナの後ろからに影の魔手が伸びる。




