16.懐かしの皇太子
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夕暮れに染まった逸れ者寮への帰り道でレーゼインとノアを待っていたのは細やかばかりの人混みだった。
貴族・平民を問わず女子生徒が恍惚に顔を緩ませている。まるで貴公子でも通り掛かったかのようだ。
通り道のど真ん中で金髪の青年が腕を組んでいる。すこぶる美顔が出で立ちだけで周囲の女子をときめかせた。
基本的に男子を敵と見做しているレーゼインも彼には対応を変えざるを得ない。
「――お兄様……」
往来の中心で仁王立ちしていたのはレーゼインの実兄――ヴァルム・アスタ・ヴァイススターだ。
ヴァルムは妹に気づくと分かりやすく頬を緩めた。
「レーゼ、久し振りじゃないか! 入学したのなら会いに来てくれれば良いだろうに。リリシアも寂しがっていたよ」
「……お久し振りですね。相変わらずお元気そうで」
家族愛の溢れた兄に若干引きながらレーゼインはほぼ半年振りの邂逅を果たした。
昔から見上げていたが、一層身長が伸びたように思う。
「ノアも久し振りだね。元気そうで良かったよ。レーゼのお世話は大変かい?」
「ヴァルム様、お気遣い感謝致します。レーゼ様は相変わらずですよ」
「そうだろうね。もうトラブルを起こしたそうじゃないか、決闘騒ぎになったんだろう?」
ヴァルムは楽しそうに例の蛮行を語った。
手癖のようにレーゼインの頭を撫でながら質問を重ねる。
「学院生活はどうだい? 楽しいことはあったか?」
「少しだけね。でも、清浄度が足りてない感じだから大体詰まんないよ」
「そうか――学院の生徒会として不甲斐ないな」
「生徒会に所属しているのですか?」
「何で知らないんだ。リリシアもいるのに、結構有名なはずなんだけど」
「生徒会なんて存在すら知りませんでしたよ」
「――そうか、こちらではそんなものか……」
意味深に顔を俯けたのは刹那、ヴァルムは破顔して笑った。
「言いたいことも聞きたいことも沢山あるけど、こんなところじゃ何だ。ゆっくりできる場所で話そうか」
「今からですか?」
「そうだよ、今からだ」
「えー」
「行こうではないか」
例え兄でもこの年で我儘は通らないことを知ったレーゼインは半ば強制的にヴァルムに同行することになった。
機嫌が良さそうな横顔のヴァルムを眺めながらレーゼインが行き先を問うと『生徒会室さ』と爽やかに答えた。
学年毎の教室がある『校舎棟』を抜けると『総合棟』へと出る。更に別棟の『研究所』に行く前に階段を昇った先に生徒会室はある。
嫌に絢爛豪華な正面入口は権威主義の塊だ。
ヴァルムは扉を押し開き、中にいる人物に声を投げ掛ける。
「連れて来たよ、私の可愛い妹その二を」
「ありがとう、ヴァルム――」
長身の男子生徒が書斎机から立ち上がった。どこか聞き覚えのある声――記憶から思い返す前に相対することになる。
「約三年振りだな、レーゼ」
「……あぁ」
「何だその忘れてたいみたいな反応は?」
「そういう訳ではないですよ――レイザー・ルーン・ゾルステア殿下」
生徒会長であり、ゾルステア王国第三王子レイザーは満足気に頷いた。
快活そうな美丈夫は腰を折り曲げ、じっくりとレーゼインを見下ろす。記憶にある姿と重ね合わせているのだ。
「相変わらず小さいな、お前は」
「……殿下は随分と逞しくなられましたね」
「最後に会ったのが三年も前となるとそうだろうな」
「器の方は私よりも小さそうですが」
前振りの世辞はこの発言のためだった。
レイザーは目を丸くしたのも束の間、腹を抱えて笑い始める。
些か大きな反応にレーゼインは引いた。
「この私にそんなことを宣う者などお前らくらいのものだろう! 愉快なことだ」
「声と態度も大きくなってるよ」
「皇太子として必要なことだからな」
「はーん」
幼い頃はこうして軽口を叩き合える関係だった。だが、大人になって現実を知れば誰もそんなことはできなくなる。
それでも変わらずに居てくれる人はレイザーにとって快いものだった。
レイザーはポンポン、とレーゼインの頭を撫でる。
「嫌そうな顔だな?」
「別に」
野郎に頭を撫でられても嬉しくはない。思い出の美少年だった時代ならともかく。撫でられるなら美少女の胸の中に限る。
その時、ヴァルムの咳払いがレイザーとレーゼインの間を通り抜けた。
「再会の挨拶はその辺で良いだろう。話さなくてはならないことがあるはずだ」
「そうだな。心して聞かせねばな」
説明も心当たりがもないままレーゼインは王子様と兄に言われるがまま来客用の横に長い椅子に座らせられた。対面にヴァルム、書斎の席にレイザー。
「お前も座るといい」
壁と化していたノアにレイザーは言った。
「いえ、私はただのメイドなので」
「学院では身分差は関係ないらしいぞ」
「それは……」
生徒会長にそう言われて反論することができず、躊躇しながらもレーゼインの隣に腰を下ろした。
ぴたり、と隙間ない距離感にヴァルムは何か言いた気だったが話の前に飲み込んだ。
ホストのレイザーが口火を切った。
「レーゼ、お前はゾルステア王国に伝わる『預言の書』を知っているか?」
「話くらいは知ってるけど、そういうの気にしないタイプだから」
「この国の未来を映した伝説を気にしない、とはな。やはり、風変わりな奴だ。では、改めて『預言の書』とは何か説明しよう。とは言っても、そのままだがな」
ゾルステア王国が建国に当たり、ゾルステア家が重宝したのは現在の『八円剣』ととある預言者だった。
預言者ほ預言は必ず当たり、そのお陰で栄華を極め、建国に至ったのだ。
そして、その預言者は病で亡くなる前にゾルステア王国の行く先を預言した。その記述が『預言の書』と呼ばれている。
「――思った通り過ぎて特に言うこともないね」
「とても貴族の娘とは言えない台詞だな。だが確かに、肝心なのは内容だ。新生歴一七年からおよそ五年は激動の時代になる」
レーゼインは咄嗟に魔法学院は五年制と考えたが『必ずしも学院で事件が起きる訳がない』と首を振る。
あれから八年――何もなかったのだ。都合良くこの先の五年で大事件が続く道理はない。
レイザーは厳かに腕を組んで話を進める。
「そして――直近に起こる事象として『魔王復活』とそれに際した『勇者パーティの設立』とある」
「うわっ、来たよ……」
余りにもありきたりな展開に嫌悪を隠し切れなかった。魔王がいることにも、勇者がいることにも気持ち悪さを覚える。
「ここ五年の内に魔王が復活する、って?」
「預言の書には二年後とある。パーティは神殿聖騎士団により選定され、凄腕の戦士集団が出来上がる。その中に『聖女』という役職の者がいる」
僧侶やら拳士やら魔術師やら、勇者パーティにいそうな役職の筆頭だ。ヒロインポジションなのと定番だろう。
レーゼインは真面目ったらしい顔で、頭の中は聖女の聖水で埋まっていた。
「聖女は魔力とは性質が異なる『神聖力』を操るとされている。また、光属性や治癒魔法に長けている、という」
「…………」
どこかで聞いたことのある設定にレーゼインは自分が呼ばれた理由を完全に理解した。
「『神聖力』は魔力とは異なり観測するには特殊な目が必要だ。通常の魔力の流れが発生しないため、我々には無から力が発生しているように見える」
「そうなんだ。見つけるのは逆に簡単そうだね」
尤もらしいことを口にするとヴァルムに問われる。
「レーゼ、近くにそういう人はいないのかい?」
「近く、ですか。どうでしょう」
隠し切れるようなものでもない。バレる嘘を吐くよりは素直に答えた方が良いのだろう。
しかし、次の展開次第では口を噤むべきかもしれない。
思い出す振りをしながら思案しているとレイザーが薄く笑った。
「レーゼ、お前――気づいていたな?」
「何のこと?」
「無論、『神聖力』のことだ」
恐ろしい勘だ。確信七割といったところだろうが、ここまで自信満々に言われれば、否定する気にもなれなかった。
諦めて肩を竦めてレーゼインは吐き出す。
「神聖力なんて名前なのは知らなかったけど」
「……まさか、決闘騒ぎで彼女を試合に出さなかったのも、知っていたからなのかい?」
まるで妹がフィクサーかのように言うヴァルムに苦笑いを浮かべる。
「まさか。まぁ、そこで確信したんですけどね」
「――セレナ……だったか?」
「……殿下は生徒の名前全員覚えてるんですか?」
「そんなところだ」
入学式に代表として立った際、観客席にいた絶世の美少女が目に留まり、近くにレーゼインもいたから取り分け記憶に残っていたのだ。
「これから『聖女』には試練が待ち受けている。周りの人間も否応なく巻き込まれるだろうな」
「気をつけろ、って言いたいの?」
レイザーは真面目な顔付きで首を横に振った。
「違う。離れろ、と言っているんだ。巷では放蕩娘とか言われているようだが、『聖女』関連で『八円剣』の娘が学院で被害に遭うのは非常に困るんだ」
「何で?」
「神殿勢力といざこざを起こしたくない、それで分かれ」
魔王及び魔族の絶滅は神殿が掲げる至上命題の一つである。
政治的なこととは縁遠いレーゼインには知れない世界の話。とは言え、『八円剣』に生まれただけで発生する権力を考えれば当然なのだろう。
「だから、お前はセレナと関わるな」
「お断り致します。話はこれで終わりですね」
「待て」
真っ向から背反する意見をぶつけられれば誰だって心穏やかにはいられない。
レイザーの鋭い目つきが有無を言わせぬ圧を放つが、レーゼインは無視した。想い人の味方になれないなど到底容認できるものではない。
「レーゼ、お前は理解していない。聖女が辿る道の苛烈さを。どうにかなる、と軽んじていると容易く命を落とすぞ」
昔馴染みの脅しをレーゼインは可笑しそうに笑う。まさか命について説かれるとは思ってもみなかった。
転生者としての記憶が薄れた彼女だが――胸に刻まれた絶対法理ルールは消えていない。
――生存権は自分の力で勝ち取るもの。
この世界に生まれ落ちてから、誰かに助けられるつもりなど毛頭なかった。故にレーゼインは切れていた。
「――私は私の生きたいように生きる。邪魔をする者がいれば叩き潰すだけ。誰かに道を決められる謂れはない」
第三王子に言い放つと、レーゼインは席を立ち上がる。
要件に対する解答は提示した。
王子からの令でも立ち止まる理由には足りない。その判断で害を被ったとしても受け入れるだけ。
「では、お兄様――元気な顔も見られたことですし、私達はこれにて失礼させて頂きます。ノア、行くわよ」
「かしこまりました」
弾頭のような勢いで生徒会室を後にした少女達をレイザーとヴァルムは見送ることしかできなかった。
密度が薄くなった一室に溜息がやけに響く。
目頭を抑えるレイザーにヴァルムは決めていた言葉を送る。
「言った通りだったろう?」
「あそこまで頑なだとは思っていなかった」
「レーゼは――レーゼインはいつからか変わったよ。だけど、自分の行く道だけは絶対に曲げなかった。貴族としての歩みを止めることも、父上との不和も、今回も同じだろうね」
とは言え、妹があそこまでの拒否反応を示すのは予想外だった。知らず知らずの内に、怒りに触れてしまったのかもしれない。
「だが、敵がいることは伝えられた。何もしないよりはマシだろう」
「そうだね。警戒していれば避けられるかも知れない」
心配は尽きないが、十分理解してくれた、と納得するしかなかった。彼らの役目は学院の統治。妹や幼馴染を守ることではない。
二人は切り替えて次の業務に取り組むことにする。
「……レーゼの奴、お前には敬語だったのに私にはため口だったな。全く巫山戯ている」
「君が少し足りなかったからだろうね」
「何が?」
「器が」
「お前ら……」
ヴァルムは堪え切れず声を出して笑った。




