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14.少年が大志を抱く時

 




 ◎




 明滅する視界、張り裂けんばかりの喉、味わったことのない痛み――ゼントの世界は狂いに狂い、夢と現実の境界線が溶けていた。


 そんな幻は次の痛みで掻き消された。ヴァルカンの蹴りで闘技場を転がされ、その度に吐血し、耐え難い痛みに晒される。




「ッッ――ぐ、ぁ……」




 偶然、選手入口に立っているセレナとレーゼインが視界の端に収まった。


 セレナが悲しそうな顔をしている。それだけで立ち上がらなければならない、と沸き立つ。


 レーゼインの硝子のような眼球にゼントはただ映っているだけだった。それだけで心が折れそうになる。




「俺はまだ何もしていない……」




 悔しい心が原点を呼び起こす。


 あの人のように誰かを救いたい、それだけで。


 汚れていない純粋な気持ちがゼントの背中を蹴飛ばした。立ち上がり、剣を構え直す。出血に伴う体温の低下により雑念は失せ、ここに来て最大の集中力を宿した。


 今ならレーゼインが教えてくれた全部をこの手で表現ができる。




「生意気なんだよッ! 平民風情が!」




 衝動のまま地を蹴ったヴァルカンの縦振り。


 見切れないが剣筋の行く末は予測できた。隙がようやく見えた。斬撃を受ける振りをして回避、隙だらけの腹部目掛けて斬撃を見舞う。


 ――躊躇するな、振り向け!


 人体なら間違いなく真っ二つになる横薙ぎ。刃はめり込み、ヴァルカンの顔面が痛みに歪んだ。




「ぐッ、おお……貴様ァ――!」


「足りなかったか……!」




 腹を抑えながら距離を取ったヴァルカンは伸ばした掌に魔法陣を描いた。


 追撃への牽制、遠距離からの一方的な砲撃だ。これは考え得る最悪のシナリオ、絶対に止めなければならない。


 わかっているというのに、ゼントの身体は今にも崩れ落ちそうだった。


 後一歩でその腕を薙ぎ、魔法陣の行使を止めることができるというのに足は微動だにしない。




「あ――」




 その時、ぬるり、とした熱味が背中をなぞった。


 溶けるような甘美な感触が全身に絡みつくと、全身の痛みが嘘のように消え去る。


 想い望んだ一歩は容易く為され、ゼントの斬撃が瞬いた。胴を逆袈裟に裂かれたヴァルカンが瞳を見開き、そのまま仰向けに倒れた。




「試合終了、第二回戦、勝者ゼント。これにより『連覇術技ストライク・プレイヤー』の勝敗が確定。勝者ノア・ゼント・セレナ」




 茫然と立ち尽くすゼントの前に現れた審判は無感情に『連覇術技ストライク・プレイヤー』の終了を告げた。


 カラン、と少年の手から剣が取り落とされる。


 ゼントは俯いたまま選手出入口へと歩みを進め、笑顔のセレナに迎え入れられる。




「――ゼント君、おめでとうございます! とっても凄かったですよ!」


「ああ……」




 おざなりに相槌を打つと二人はそのまますれ違い、ゼントは闘技場を出て行った。


 取り残された三人の少女は顔を見合わせる。


 セレナは不思議そうに首を傾げる。




「どうしたんでしょうか」


「……どうしたんだろうねー」




 レーゼインは白々しい返事をした。








 ◎




 学院は逢魔の夕陽に包まれる。影は不気味に色を増し、昼とは様相を一変させた。


 木の葉が風の揺れがやけに鼓膜を揺らす。


 試合終了直後、闘技場を後にしたゼントは宛もなく学院内を歩いた。辿り着いたのは敷地の外れに鎮座した銅像の前。


 一体いつからここにいたのか自分でも覚えていなかった。




「――気づいたみたいだね」




 不意に声がした。足音一つしないままゼントの背後を取った何者かが言った。


 幼くも、迷いない一筋の信念が宿った高音。


 この一週間で聞き慣れたレーゼインの声だ。




「知っていて……いや、気づいていたのか、君は……」


「それだけべったり香りを漂わせてたらね」




 意識的にか、無意識的にかは知れないがゼントには自分の所有物、と主張するようにセレナの魔力が塗りたくられている。


 吐き気を催す程の甘い芳香。どれだけの感情を向けられたのか、あまりの闇深さにレーゼインですら底を見透かすことができなかった。


 レーゼインはセレナに直接触れることで不可視の力を知覚する術を開発した。ゼントが知覚できるようになったのは魔力を五感で捉えようという意思を強く持ちながら、セレナから流出した力を浴びたからだろう。




「この感覚、前にも感じたことがあったんだ。ここに来る前から――」


「大人よりも大きい熊と戦った時ー? それとも誘拐犯を相手にした時ー?」


「っ、そこまでわかっているのか……本当に凄いよ、君は」




 本当に意気消沈している者に嫌味を言う程、レーゼインの性格は悪くなかった。しかし、良くもない。必要ならば徹底的に現実を突き付ける。


 ゼントは強く拳を握り、台座に叩き付けようとしたが直前で力を抜いた。




「目の前の人を、助けを求めている人を助けようと思ったんだ。守りたかったから、できることをした。お礼を……言ってくれる人もいたんだよッ」




 ゼントは悔しそうに奥歯を噛み締める。


 彼の脳裏に過ぎる勇気を振り絞って強敵に立ち向かった記憶――。


 盗賊に囲まれことがあった。


 人食い熊に立ち向かったことがあった。


 街道を襲撃する怪鳥と相対したこともあった。


 その全部、ゼントの後ろにセレナがいたのだ。


 彼女はいつも頑張れ、と言ってくれた。


 だから、守らなければならない、と思った。


 そして、追い詰められた時はいつも知らない熱が身体に灯った。身体が軽くなって、何でもできてしまった。本当はそんな実力あるはずもないのに。


 皆、『ありがとう』と言ってくれた。自分が誰かを助けることができたのが心の底から嬉しかった。




「でも、俺がやって来たこと全部……俺の力じゃなかった。この試合もセレナとレーゼインに力を借りたからどうにかなっただけ――俺自身は何もしていなかったんだ!」




 今度こそ、銅像の台座に拳を叩き付けた。


 皮膚が破ける痛み。しかし、次の瞬間に淡い光に包まれ、傷は塞がった。


 認識してしまった以上、気の所為にはできない。


 こうして、セレナにいつも救われていた。ゼントが齎した『救い』はセレナによって演出されただけの張りぼてだったのだ。




「無謀な夢を追うだけ追って、助けられるだけの道化……これが俺の正体だった」




 レーゼインは夕方の凩に吹き付けられた前髪を抑えながら。




「ゼント君、それは誰もが経験する挫折というものだよ。理想と現実の相違、平凡の受容……理解しつつ目を逸らす何でもないこと」




 どんなにロマンティックに彩ろうとも、誰もが等しく体験する乖離。規模は違えど、必ず行き着く残酷な現実でしかない。


 そうして人は大人になる――。


 レーゼインにはそんな人生を送って来たかのような感覚がある。そのやるせなさは痛いほど理解できた。




「当たり前……どうしようない現実を――認める」




 茫然と呟くゼントの瞳から光が失われて行くようだった。現実を知る、ということは夢を捨てる、ということに他ならない。


 過去を、現在を、未来を――憧れを。


 そして、残るのは意味なく続く停滞した人生。




「それでも――!」




 話はまだ終わらない。


 レーゼインは知っている、歯車に身を窶した人間が変わった瞬間を。


 輝かしい未来へ羽ばたくことができたことを。


 その機会を刮目していれば、いつか必ず叶うことを。


 何かを求めて振り向いたゼントへ言葉を掛けた。




「それでも、何か残っているとしたら――それが誰でもない君そのものだよ」


「残ってるもの……」


「力なんて関係なかったんでしょ? 力がなくても助けたい、と思ったんでしょ?」


「――そう、だ」




 助けを求める全てを守りたい、と思った気持ちは誰かに与えられたものではない。


 幼い頃、自分を助けてくれた英雄のようになりたかった。これはゼントが心で決めたもの。幼い憧憬を引きずったまま歩いてきた彼が選んだ道の原点。


 力を与えらなければ進むことができなかったとしても、信じる正しさに力を使ったのは間違いなくゼント自身の選択。




「後悔なんてしてないんでしょ?」


「ああ」


「誰かの力だと知っていても、助けるために使いたいんでしょ?」


「ああっ……!」


「なら、それで良いんだよ。何一つ間違ってないんだから」




 気づけば、ゼントは涙を流していた。


 たった一言肯定されただけで感極まり、救われてしまったのだ。


 思えば、生き方を肯定されたのはこれが初めてだった。正義の味方なんて、余りに恥ずかしくて誰にも言えなかったからかもしれない。




 例えば、セレナに言っても肯定されていただろう。


 だが、この瞬間に意味が生じたのはレーゼインだったからだ。辿って来た道の意味を理解させてくれなければ、自分自身を肯定しようとは思えなかった。


 何の力もなかった自分を知って、それでも認めてくれた誰か――それがどれほど尊く、救いになるかゼントは初めて知った。




 レーゼインは崩れ落ちたゼントに手を差し伸べる。子供のように泣きじゃくる少年に仕方なさそうに息を吐いた。




「どれくらい嬉しかったのか知らないけど、そんな目腫らしてたらセレナに心配されるよ」


「っ、あぁ……そうだ、な……」




 手の甲で涙を拭ったゼントはレーゼインの手を取る。


 その瞬間、小さく温かな掌と西日に照らされた金髪が朧気な記憶に重なった。


 助けてくれた人。


 道を示してくれた憧れの人。


 全てを理解する。


 腕を引かれるまま立ち上がり、ゼントは泣き顔のまま照れ臭そうに微笑んだ。




「――そっか、初めて会った時に言わなくちゃいけなかったんだな」


「ん?」


「レーゼイン、助けてくれてありがとう」




 あの時は頭が真っ白になって言いそびれたが、ようやく伝えることができた。


 セレナのついでであったとしても、学院ここに来られて良かった――きっと、この瞬間の為にここにいるのだから。








 ◎




 ――日が完全に落ち、空に彩られた星々に見下ろされながらの帰途。


 先にゼントを帰らせたレーゼインは隠れていたノアと合流を果たした。静かな帰り道、レーゼインの一歩後ろからノアは問う。




「どうしてあんな言葉を掛けたのですか?」




 ノアが盗み聞きしていることを今更責める気もなかったレーゼインは何とはなしに口を開いた。




「……大人としての役割かな。迷える子がいたら導いてあげるのが理想の大人でしょ?」


「本当にそれだけですか?」


「……何であっても、終わりは悲しいから……少しでも世界に喜びが満ちれば良い、と思ったの。私みたいな変な奴よりも、ゼント君みたいな人がいた方が皆幸せになれるだろうから」




 他人を救う、なんて自惚れたことを言うつもりはない。


 全部綺麗事だ、行く先のない。希望を仰いだ台詞のせいでいつか本当の挫折を味わうことになるかもしれない。


 それでも、人が夢を諦めて歯車のような人生を送るのは辛い、と思った。


 諦めなければ誰でも夢を叶えられる、と信じたかった。




「それなら良いのですが……」




 憂いを帯びたノアの呟きが闇夜に溶けた。



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