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1.世界一不運な物語


 ――その日、白々式水連(しらじらしきみれん)は人類史上最大最悪の不幸に見舞われた。


 歴史に名を残した殺人鬼でも、見知らぬ他人の尊厳を平気で踏み躙る悪人でも、世界を滅ぼす魔王でさえ、こんな終わり方はしない。


 前世にどんな大罪を犯せばここまで罪になり得るのか。


 それは筆舌に尽くし難い空前絶後の不幸である。



 ――白々式はすっかり会社員の通勤が収まったビル街を悠々と歩む。


 目的地は某国首都に位置する新都心大学。入試という狭き門を潜り、ありふれたキャンパスライフが始まったのはほんの数週間前のこと。


 短いようで長いような通学の道のりで白々式は空を見上げた。ビルの隙間から覗く青空の眩しさに目を細める。


 彼にとっては、田舎での下校返りの茜空も、コンクリートに切り取られた青空も変わりなかった。場所も身分も白々式に新しい刺激を与えることはなく、灰色に染まった価値観がどこまで続く。



 歩く速度は誰よりも早い。人の隣に並ぶことは想定されていない。次々と追い越し、目の前に人の姿がなくなるのが常だった。



 視界の右側は鉄色の壁が続いている。ビル建設工事が行われており、看板に油性ペンで竣工が今からおよそ二年後だと記されている。


 数百メートルは上であろうビルの最上部にはクレーンも見えた。よくもあんな高さにクレーンを設置できるものだ。クレーンでクレーンを持ち上げるとは一体誰が考えたのだろうか、と不思議に思う。



 道路を挟んだ向かいには有名なカフェが見えて来る。店外に若者が屯し、スマホを片手に笑っていた。白々式の同回生かもしれないし、そうでないかもしれない。


 視界に映るだけの情報と化した人を無視して道を進んだところで、足下の影が蠢いていることに気づく。


 水面に浮かぶ浮き輪のようにゆらゆら、と。


 心なしか影が大きくなっているような気もする。


 影は概ね太陽光に照らされてできるもの。ということは、上に何かあるのだ。



「はっ――」



 顔を上げることはなかった。一呼吸、踵を返して走り出す。想像力を働かせれば、起こり得る展開は見なくてもわかった。


 次の瞬間、弾けるような轟音が首都に響き渡る。アスファルトの破砕音が雑多な喧騒を一瞬で失わせる。


 背後を振り向けば先程まで自分のいた場所に鉄骨が刺さっていた。

 冷たい汗が背中を伝う。



「死ぬかと思った」



 平然とした顔で漏らした正直な感想。


 普通に生きていても体験できない低確率の事象を引き当ててしまった。無事に生還できただけで幸運というものだろう。



 その時、女性の叫び声が上がった。黒板に爪を立てたような甲高い恐怖の悲鳴だ。


 反射的に音源に視線を向けた瞬間、車がカフェに突っ込んだ。国産の電気自動車である。



 思わず、鮮やかに砕け散る硝子を目で追った。僅か数メートルの直近で腰を抜かす大学生が聞くに堪えない絶叫を上げていた。


 今回ばかりは静寂だけでは済まない。車両は半ばまでカフェにめり込んでいた。


 明確に被害者が存在する。十数秒前まで人がいたのだから。



 車両は落下して道路を塞いだ鉄骨を避けるためにハンドルを切った。無茶な進路変更がこのような事故を招いた。しかし、ドライバーを一方的に責めることはできない。



 転調は続く。半壊したカフェの奥が緋色に染まっていた。

 白々式は咄嗟に腕で顔を覆い、息を止めた。刹那、爆発が巻き起こり、白々式のいる場所まで爆風が押し寄せた。



「あッ――!?」



 頭部に稲妻でも落とされたような衝撃が走り、膝から崩れ落ちる。こめかみ辺りの感覚が消し飛んだ。


 あまり痛みは感じないが、良くないものが滲み出る不愉快な感触が頬を伝う。



「……最悪だ」



 吹き飛んで来た瓦礫が頭に当たってしまったのだ。ブラックボックスを傷つけて、意識もはっきりし、身体は動く。これで済んだのは幸運だ。


 鞄からハンカチを取り出し、頭を抑える。



「何だよこれ――」



 白々式は絶句した。


 意識が飛んでいたのはたった数秒、そのはずなのに光景が一変していた。

 カフェは跡形もなく爆散し、車両は鉄屑と化している。


 被害はそれだけに留まらず、周辺に災禍を撒き散らした。爆発に巻き込まれて横転した車が多数、倒れている人間は数え切れない。


 そして、火の粉は未だに燻っている。次の爆発まで秒読みだ。



「こんなの現代で起こって良い事故じゃない……」



 覚束ない足取りで道を引き返す。


 交通の麻痺が本格化する前に自宅に引き返す為だ。こんなところで何時間も電車を待つなんて冗談ではない。


 傷は浅く、既に血は止まり始めている。後で最寄りの整形外科にでも行けばどうにかなる、と冷静に考えた。もしくは、現実逃避かもしれない。



 ゴンゴンゴン――という凸凹な金属の塊を転がしたような重低音が降って来る。



「次から次へと……」



 白々式は何故か致命的な歯車が外れたような感覚に陥った。常識外れの出来事から生還した時にはもう、遅かったのかもしれない――。



 想像力を働かせる暇もなく、耳を劈く金切り音が全ての思考を零にした。反射的に両耳を抑え、首を固めてが音圧に逆らう。


 高音の狭間に鈍い破壊音が聞こえた直後、巨大なコンクリートの塊が次々落下して来た。


 各々一メートルはある物体は瓦礫と呼べるもの。グズグズに崩壊した断面から飛び出した鉄筋は人間離れした力で捩じ切れられていた。



「……ここは高架下――」



 落下物に気を配りながら顔を上げれば、暴風に前髪が吹き上げられた。


 視界全体を電車の先頭車両で埋め尽くされた。落下する電車を下から眺めた人間は史上初めてだろう。


 硝子越しにへばりついた運転手の表情は絶望に染まっていた。


 乗り物という視点から外れれば電車など頑丈に作られてしまった鉄の塊でしかない。


 十両の列車が如何なる理由か脱輪し、高架線路から落ちて来たのだ。



 理解不能な事象を目にしていたのは白々式だけではない。同じように駅に向かっていた女大学生二人組が茫然と立ち尽くしていた。


 白々式には残された刹那に横に飛ぶだけの心の余裕があったが、彼女らは回避の選択肢すら思い浮かんでいない様子。



「――あ」



 飛び出せば助けられる――そんな思考に残された時間を消費してしまった。

 線路を仕切る外壁は電車の数十メートルという巨体に擦り付けられ、容易くコンクリート片と化す。障害が突如消え、車体のほとんどが空中に投げ出される形だ。


 目測とは僅かに軌道がずれた。



「――」



 車両は息を止める間に白々式の十数センチ先を通り過ぎた。音源直撃で耳は使い物にならなくなったが、幸運にも生き残った。


 風圧に煽られて尻餅をつく。何が起きたのか理解するまでどれだけ時間を要しただろう。


 女大学生の姿は見えない。ただ、赤黒い液体が瓦礫の山に線を引く。

 助けていたら白々式も死んでいた――ならば、見殺しにしたのは正解だった?


 秩序の崩壊。


 常識は通用しない。


 倫理観は機能しない。



「駅も駄目なら歩いて帰らないと……一〇時間くらいかな」



 白々式は引きずるように身体を動かす。


 あれだけの悲劇の中心にいながら五体満足で生還するという奇跡の体現者。


 しかし、そんなもの彼には意味がない。


 巻き込まれないのが一番の幸運だ。


 知らないのが最善だ。



「ぐッ……流石に無傷、って訳には行かなかったか……」



 硝子片が右太腿に刺さっている。今頃になって麻痺していた感覚が戻って来た。


 歩く度に内側から引き裂かれるような激痛に見舞われるものの、叫ぶ元気もなかった。


 生命が死に近づく感覚を身体で理解する。



 さっきから耳がおかしい。ゴウンゴウン、という大音響が鳴り止まない。鼓膜が破れたせいか、と思ったが、実は脳への過負荷なのかもしれない。

 視界もだんだん暗くなっていた。意識もはっきりしている、身体も動くのに不思議なこともある。


 白々式は足の限界で崩れ落ちた。ビルに背を預け、顔を上げた。

 灰色の青空は見えなかった。ああ――と、諦めの溜息が漏れる。



「――飛行機……こればかりは……」



 耳も目も正常だった。壊れていたのは世界の方。


 鉄の塊と言うにはあまりにも大き過ぎる。落ちて来るのなら、文明破壊兵器としか呼べない代物が降っていた。



「世界はどうしても俺を殺したいみたいだな」



 鉄骨を落とされて死んでいればただの不運な人間だった――。


 爆発に巻き込まれて死んでいればただの不運な人間だった――。


 電車に轢かれて死んでいればただの不運な人間だった――。



 今の白々式は世界で一番不運な人間だ。単に死ぬことではなく――あり得ない幸運を引き続けた上で死ぬことが。


 まるで、白々式の死というシナリオが始めから決まっていたかのようだ。どれだけ抗おうと結末は決まっている。飛行機を回避できても次は火山が噴火するだろう、隕石が降るのだろう。



 衝動のまま叫ぶはずが、掠れて変な嗚咽が漏れた。日頃から発声していないといざという時に助けが呼べない、というのは本当らしい。


 最期の瞬間、妙に納得してしまった。


 そのお陰で散り際としては多少、恰好がつく。



「死ぬ時は一人か……それは――」



 流線型の塊の風圧に押し潰され、人としての形が保てなくなると共に白々式は死




 ◎


 意味のわからない音が聞こえた。


 妙な抑揚が、音の正体が言葉だと教えてくれる。こんなにも嬉しさに溢れ出す声音を聞いたのはいつ振りか思い出せない。



 懐中電灯を直接向けられでもしない限り味わえないだろう眩しさに晒され、瞳は固く結ばれる。それでも、かっ、と見開けば白飛びした光景に女性の顔が映し出される。



 女性は笑みを浮かべてはいたが、顔からは疲労が感じ取れ、まるで懐胎直後のような汗を掻いていた。


 ――ようなではなかった、と気づくまでにそう時間は掛からなかった。


 また低い確率を引いたらしい。


 意識が残ったまま生まれ変わるなんてあり得ない。あり得ないから起こってしまった。



 ――で、いつまで続くの?



 世界への問い掛け。


 不幸の輪廻は終わったよ、なんて言ってくれない。


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