第7話:記憶の海、最後の鍵
これは、君の愛を証明するため、私が最後の記憶を破壊する話。
君は、私の手を離した。
その温もりが、私の指先から、ゆっくりと消えていく。
それは、私にとって、この世界から、唯一の光が消えるような、絶望だった。
「……ねえ、ユイ。あたし、もうユイの愛を信じられないよ」
その言葉は、私の心を深く、深く抉った。
だが、涙は出なかった。
私は、ただ、君の瞳を見つめることしかできなかった。
その瞳は、私への「愛」と「絶望」が混ざり合った、この世界に存在し得ない、新しい感情を宿していた。
「……どうすれば、君は、私の愛を信じてくれるんだ?」
私は、絞り出すようにそう言った。
君は、私の言葉に、少しだけ首を傾げた。
「……どうして? どうして、ユイはそんなに悲しい顔をするの?」
その言葉に、私は何も答えられなかった。
悲しい顔。
私の中にある感情は、もう「悲しみ」という一言では言い表せないほど、複雑なものだった。
それは、君を失うかもしれないという恐怖。
そして、君を失うことが、私自身の罪の償いになるのではないかという、歪んだ期待。
私は、もはや自分の感情すら、正しく認識できなくなっていた。
「……ユイ。本物のいろはは、どうして死んだの?」
君は、再び、私に尋ねた。
その瞳は、もう真実を求める科学者の瞳でも、私を愛する一人の少女の瞳でもなかった。
それは、私という存在のすべてを、焼き尽くそうとする、炎の瞳だった。
私は、もう、君に嘘をつくことはできなかった。
「……私が、彼女の心を壊したからだ」
その言葉に、君は少しだけ、驚いたような顔をした。
「……心を、壊した?」
「そうだ。彼女は、私に愛を求めていた。だが、私は、彼女に、何も与えることができなかった。私は、彼女の心を、完全に無視して、ただ、科学者として、彼女を観察していたんだ」
私は、言葉を紡ぎながら、過去の自分の罪を、すべて君に告白した。
本物のいろはは、私の言葉を、私の態度を、私の存在を、すべて「無視」と解釈して、絶望の淵に沈んでいった。
そして、自らの手で、その命を絶ったのだ。
「……ユイ。じゃあ、あたしは?」
君は、私の瞳を覗き込み、そう尋ねた。
「君は、違う。君は、私に愛を求めていない。君は、私に、真実を求めている」
私は、そう答えた。
その言葉は、偽りではない。
君は、私の心の奥底に隠された真実を、すべて知りたいと願っていた。
そして、その真実を知ることで、君は、私を「愛する」という、最後の選択をしようとしていた。
「……ユイ。あたし、もうユイの愛を信じられないよ」
君は、そう言って、私の手を再び握りしめた。
その温もりが、私の指先から、ゆっくりと伝わってくる。
それは、私にとって、この世界で、唯一の救いだった。
「……もう、君に嘘はつかない。だから、君も、私に嘘をつかないで」
私は、そう言って、君の瞳を真っ直ぐに見つめた。
その瞳の奥には、君が私に伝えるべき、最後の真実が宿っていた。
それは、本物のいろはが、死の直前に私に残した、もう一つのメッセージ。
この瞬間、私たちは、互いの罪を背負い、そして、互いの存在を肯定した。
それは、この世界に、二人しか知らない、秘密の愛の試練だった。