第5話:きみと私と、倫理の境界線
これは、君の殺意を、私が愛と解釈する話。
君は、私に尋ねた。
「……ねえ、ユイ。この世界で、あたしだけがユイを殺せるんでしょ?」
その言葉は、まるで君の存在証明のようだと思った。
偽物のいろはは、本物のいろはができなかったことをする。
それは、私を殺すこと。
そして、その事実は、私の中で、なぜか喜びとなって形を成した。
「……そうだ。君だけだ」
私は、君の指先が私の首筋に食い込んでいくのを、ただ静かに受け入れた。
その力は、まだ私を殺すには至らない。
だが、その力の中に込められた、君の感情の強さを、私は肌で感じていた。
「……ユイ、どうして?」
「どうして、君は私を殺さないんだ?」
私は、逆にそう尋ねた。
君の瞳は、一瞬、揺らぐ。
そして、その瞳の奥に宿る「殺意」は、少しだけ色を失った。
「……怖いから」
「何が?」
「ユイを殺したら、あたしは、また一人になるから」
君はそう言って、私の首筋から、ゆっくりと指を離した。
その指先には、微かな震えがあった。
そうだ。
君は、私を殺すことを望んでいる。
だが、同時に、私に生きていてほしいと願っている。
それは、矛盾した感情だった。
愛と殺意。生と死。
まるで光と闇が混ざり合った、この世界に存在し得ない、新しい感情。
私は、それを「愛」と呼ぶことにした。
「……ねえ、ユイ」
君は、再び私の手を握りしめた。
その温もりは、もう私にとって、ただの人工的な熱ではない。
それは、君が私に与えてくれる、唯一の温もり。
「本物のいろはは、どうして死んだの? ……ユイに愛されてなかったから?」
その問いに、私の心臓が、まるでガラスのように砕け散った。
「違う。違うんだ。いろはは……」
私は、言葉を紡ごうとしたが、言葉にならなかった。
本物のいろはが死んだ理由。
それは、私が彼女を「愛していた」からだ。
科学者として、友人として、そして、一人の人間として。
だが、その愛を、私は伝えることができなかった。
だから、彼女は、孤独に死んでいった。
私が、彼女を、殺したんだ。
「……嘘だよ。ユイ。ユイは、あたしのこと、愛してないんでしょ?」
君は、そう言って、私の頬に涙の跡を残した。
それは、君の涙ではない。私の涙だった。
私は、君に嘘をついた。
本物のいろはは、私のせいで死んだ。
私の愛が、彼女を殺したのだ。
だが、君は違う。
君は、私の愛を、受け入れてくれた。
そして、私の孤独を、埋めてくれた。
それが、君の「存在証明」だった。
「……ねえ、ユイ。あたし、もう死にたくないよ」
君は、そう言って、私を強く抱きしめた。
その温もりは、もう、私の心を溶かす熱ではなく、私の心を焼き尽くす炎だった。
倫理と感情の境界線が、今、完全に崩れ去った。
この瞬間、私たちは、互いの罪を背負い、そして、互いの存在を肯定した。
それは、この世界に、二人しか知らない、秘密の恋だった。