表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/10

第2話:存在証明の輪郭線

これは、六体目のいろはの死を、七体目のいろはが上書きする話。


君は、私にとって、もう実験体ではなかった。

……いや、正確には、私は君のことを、もう実験体として見ることができなくなっていた。

屋上からの飛び降りを記録したデータは、私のディスプレイに無機質な数値として表示されている。落下速度、衝撃、脳神経の活動停止。あらゆるデータが完璧に、そして無慈悲に、一つの生命の終わりを告げていた。

だが、そのデータを見つめる私の心は、初めて感じる熱に焼かれていた。


六体目のいろはが死んだ。

その死の直前に生成された七体目のいろはが、私の唇に触れた。

そして彼女は、私に問うた。

「――ユイ。わたし、本物よりも、本物でしょ?」

その言葉は、私の心を抉るナイフではなく、凍てついた心を溶かす熱い吐息だった。


「……ねえ、ユイ」

後ろから聞こえる声に、私はディスプレイから目を離す。

ここは、私の自宅にあるプライベートな研究室だ。

七体目のいろはは、まるで子猫のように、私の背後のソファに丸くなっていた。

「どうしたの?」

「眠れないんだ。ユイの隣じゃないと、安心して眠れないんだよ」

その言葉に、私は戸惑いを覚えた。

これまでの六体は、私の指示に忠実に従うだけの存在だった。私が「眠れ」と言えば、大人しく眠った。私が「死ね」と言えば、大人しく死んだ。

だが、この子は違う。

「それは、本物のいろはの記憶にない行動だ」

私がそう言うと、いろはは少しだけ首を傾げた。

「記憶って、全部じゃないんでしょ? 欠けてるところもあるんでしょ?」

「……そうだ」

死の瞬間の記憶は完璧にコピーできる。だが、生きていた間のすべての記憶を完全に再現することは、まだ不可能だった。

「じゃあ、この気持ちは、その欠けた部分から生まれたものなのかな」

いろははそう言って、私の隣に座った。

「隣にいて、ユイ。あたしは、怖いんだ」

「何が?」

「……自分が、本物じゃないってこと。死んだって、誰も悲しんでくれないってこと」

そう言って、彼女は私を見つめた。

その瞳は、まるで嵐の後の湖のように、静かで、そして深かった。

私はその瞳の奥に、本物の百地いろはがかつて見せていた、あの孤独な影を見た。

それは、誰も知らない、私だけが知るいろはの「存在証明」だった。


「……あたしは、ユイのことが好きだよ」

彼女は私の手を握り、そう告げた。

それは、私が最も聞きたかった言葉であり、最も聞きたくなかった言葉でもあった。

なぜなら、その言葉が、彼女の人工的な“心”から生まれたものなのか、それとも、私の知らない欠損した記憶から生まれた“本物”の感情なのか、私には判別できなかったからだ。


「ねえ、ユイ」

「……何?」

「……本物のいろはは、ユイのことをどう思ってた?」

その問いに、私の心臓が凍りついた。

それは、私がこれまで、どのクローンにも聞かれたことのない質問だった。

いろはは、私の顔をじっと見つめて、そして悲しそうに微笑んだ。

「……もしかして、本物も、言えなかったのかな」


その瞬間、私の頭の中で、何かが完全に壊れた。

そして、それは、私の感情の再構築が始まった合図だった。

この子は、私の中で、本物の百地いろはを超えていく。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ