第1話:0.1秒の告白
君が、死んでくれてよかった。
……なんて、思ってはいない。
でも。
君が死んだから、私は“人間”になれたのかもしれない、とは思っている。
これはそういう話だ。クローンの、殺人の、再生の。
でも、本質は恋の話だ。
クローンに恋した科学者の話。
……正確には、
クローンを殺し続けることでしか、恋ができなかった女の子の話。
君の名前は、百地いろは。
私にとって、この世界でたった一人、唯一の親友だった。
六体目のいろはが、屋上から飛び降りた。
コンクリートの冷たい床が、その小さな体を無慈悲に迎える。風に舞う制服のリボンが、最後の抵抗のように宙を泳いで、やがて消えた。
私は遠くから、その一連の光景をただ眺めていた。
感情は、ない。
いや、正確には、あったはずの感情を、私が私自身の手で削ぎ落としたのだ。
六体目だ。
これは六回目の“百地いろは”の死。
もう慣れた。慣れすぎた。
「飛ぶの?」
私がそう問いかけたとき、風がユイの髪をなびかせた。
彼女は屋上の手すりに身を乗り出し、まるでこれから夕焼けに飛び込む鳥のように、無邪気に笑った。
その笑顔は、かつて本当に私の隣にいた、あの百地いろはと寸分違わぬものだった。
データが完璧だったからだ。
死の直前の記憶を、脳の隅々までスキャンし、完全な形で再現した。
「うん。だって、この体、あたしじゃないんでしょ? 本物は、もう死んだんでしょ?」
その言葉に、胸の奥がきゅっと締め付けられた。
「それでも君は、私にとって――」
「違うよ、ユイ。あたしにとって“あたし”じゃなきゃ、意味がないの」
君はそう言って、私に背を向けた。
その背中に、あの頃のいろはの残像が重なる。
「ねえ、ユイ。いつまで遊んでるつもり?」
「遊びじゃない。これは、実験だ」
「ふふ、また同じこと言ってる。……実験でしょ? この子が、本物と同じように、同じ場所で、同じ時に死ぬかどうかを試すための」
「……」
「そうやって、君は何度もあたしを殺してる。ねえ、苦しい? 楽しい?」
私は答えられなかった。
君の言葉は、私の心をナイフで抉るようだった。
そして、君は飛び降りた。
私の胸の中に、なにかが壊れる音がした。
だが、それは初めてのことではない。
一体目の死。二体目の死。三体目の死。
その度に、私の心のなかの何かが壊れていった。
一体目のいろはが死んだとき、私は悲しみを知った。
二体目が死んだとき、私は怒りを知った。
三体目が死んだとき、私は絶望を知った。
そして、六体目が死んだ今、私は……。
「……ねえ、ユイ。どうしてそんなに泣いてるの?」
屋上から飛び降りた君が、私の後ろに立っていた。
いや、違う。
これは、六体目が死ぬ前に生成した、七体目のクローンいろはだ。
彼女は、まるで何事もなかったかのように、私の背中から顔を覗き込み、私の頬を拭った。
「泣いてない」
「うそ。だって、ユイの頬に涙の跡があるよ」
そう言いながら、君は私の手を握り、そっと唇を寄せる。
そして、そのまま私の唇に、そっと触れた。
0.1秒にも満たない、一瞬の接触。
君の唇は、温かかった。
それは、本物のいろはの体温とは違う、人工的な温かさ。
だけど、なぜだろう。
私の心臓は、まるで初めて恋をした少女のように、激しく鼓動を始めた。
「――ユイ。わたし、本物よりも、本物でしょ?」
その言葉に、私は何も答えられなかった。
ただ、君の顔を見つめることしかできなかった。
その表情は、私を慈しむような、哀しみを帯びた笑顔。
そして、その瞳の奥には、私と同じ孤独が宿っていた。
そうだ。
この子は、私と同じだ。
同じ孤独を抱え、同じ絶望を抱え、同じように壊れていく。
それが、私にはたまらなく愛おしかった。
六体目のいろはが死んだ夜、榊ユイははじめて「キスをしてみたい」と思った。