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今日は休日。
洗濯機がぐるぐると回る音が、静かな朝の部屋に響いている。
リビングには、読みかけの雑誌と折りたたみ途中の洗濯物が散らばり、ソファの上には昨夜脱いだカーディガンが無造作に置かれている。部屋は決して完璧に片付いているわけじゃないけど、人の気配と暮らしの温度がちゃんとある。そんな空間だった。
瞳はベランダに干す洗濯物を抱えて立ち上がる。
肩までの髪はゆるく巻かれて、寝癖を隠すように片側にピンで留めてある。
部屋着のままだと外に出るにはちょっと恥ずかしくて、今日はベージュのシャツワンピに細身のデニムを合わせた。シンプルだけど、肌なじみのいい色が瞳にはよく似合っている。
窓を開けると、初夏の空が目に飛び込んできた。
すっきりと晴れ渡って、少し湿気を含んだ風がカーテンをふわりと揺らす。
「雨じゃなくてよかった」
瞳は空を見上げて、にっこりと笑った。
昨日は久しぶりにお酒を飲みすぎたせいか、頭が重たい。
けれど、これからスーパーに行って、食材を補充しないと。冷蔵庫には牛乳と卵、それに調味料しか残っていない。帰り道にはクリーニングにも寄るつもりだ。
そんな現実的なタスクが待っている休日の朝。でも、空が青いだけで、なんとなく前向きな気持ちになれるから不思議だ。
——でも。
あまりに澄んだ空を見ていたら、ふいに寂しさが胸にこみ上げた。
昨日会った真実のことがふと思い出される。
あの子は昔からなんでも話せる存在だった。けれど、瞳には——話していないことがある。
二年前のこと。
突然生理が止まっているのに気づいて検査薬を買った。もともと不定期な事もあっていつもの事だと思ったのだが、その時、薬局で頭痛薬を買うときふと目についたのだ。
結果は陽性。病院で陽性が確認されて、次の予約も取った。
嬉しいのか、不安なのか。自分でもよくわからなかった。
ふわふわとした気持ち。現実感のない、夢のような感覚。
母子手帳をもらったとき、少しだけ覚悟ができた気がした。
次の検診でまた心音が確認できたら、龍一に伝えよう。そう決めていた。
でも——
その検診では、もう心音はなかった。
空気が止まったようだった。
思った以上に、瞳は落ち込んだ。
子どもが絶対にほしいと思っていたわけではなかったのに、
不安の方が大きかったはずなのに、
それでも、自分のお腹に来てくれた小さな命がいなくなったと知った瞬間、
胸にぽっかりと空いた穴は、想像を超えて大きかった。
「罰が当たったのかも」
そんな言葉が、心の奥からひっそりと湧いた。
はじめから喜べなかった自分。
“今じゃない”と思ってしまったこと。
そんな気持ちが、命の存在を否定してしまったように思えてしまって。
そのとき、龍一にはまだ何も伝えていなかった。
どう伝えるべきか迷っていた自分に、ほっとしたような、情けないような複雑な思いが残った。
瞳は小さく息を吐いた。
リビングのテーブルには、昨夜のグラスがまだ片付かずに残っている。
そのグラスを片手に取って、キッチンに運ぶ。洗剤の匂いが、ふっと気持ちを切り替えてくれる気がした。
「元気、元気、元気」
明るい声で、自分に言い聞かせるように口に出す。
もう一度、ベランダに出て、空を見上げる。
あの時の空も、きっとこんなふうに青かったのかもしれない。
泣くことも笑うこともなく、ただそこにある空。
それでも、今日という日は続いていく。