第一章 1
仕事帰りの道を、瞳はいつもより少し早足で歩いていた。
今日は久しぶりに、高校時代の親友と会う約束がある。胸の奥が、なんとなくうきうきしている。
昔はちょっと洒落た居酒屋なんかを予約してたけれど、三十五にもなると、そういう店よりも親父が多くて、安くて、なにより美味しい店のほうが落ち着く。
今日の店は瞳のお気に入りで地下にあって、ビールはキンキン、焼き鳥は絶品。そんな場所が、今の二人にはちょうどいい。
先に着いた瞳が席について待っていると、ドアが開いて、懐かしい笑顔が現れた。
「久しぶり〜!」
「ほんとに!何ヶ月ぶり?」
笑顔でハグしてテーブルにつき、生ビールを注文する。
ジョッキが運ばれてくる。キンキンに冷えていて瞳は満足そうに目を細めた。
瞳がさっそく切り出した。
「旦那さんとは仲良くやってる?」
大きめのピアスが揺れて、相手の真実は、昔と変わらぬ明るさをまとっている。でも、瞳にはなんとなく、彼女の笑顔の奥にほんの少し疲れがにじんでいるようにも見えた。でも彼女は自分より若々しい、いつも色々な事にチャレンジしている彼女を尊敬していた。
「まあね、元気だよ。でもさ、家事はしないくせに、“もっと稼げないの?”とか言ってくるんだよ?どの口が言ってんだって話!」
「うわ、それはちょっとムカつくかも…」
「でしょ?まったく。ま、愚痴だけどね」
二人で顔を見合わせて笑う。
「ところで、瞳は?彼とは結婚しないの?前に会ったとき、“そろそろかな〜”って言ってたじゃん」
ちくり、と胸が痛む。
でも、瞳はそれをお酒の泡で流し込むように、努めて明るく答えた。
「うーん、したいんだけどさ。結婚の準備って、思ったよりめんどくさいんだよね」
「わかる〜!あれって、恋愛とは別のエネルギー使うよね」
「そうなのよ。式場とか親とか、急にいろいろ口出してくるし…」
「そうそう!気づいたら“主役”なのに“指示待ち族”みたいな気分になるし」
ふたりで笑いながら、生ビールをグッと飲み干す。
久しぶりに会って飲むお酒はやっぱり楽しい。
でも、心のどこかで、小さな針がちくちくと刺さるような瞬間もある。
昔は何も考えずに笑っていられたのに、今はその合間に、ふと現実の重さが顔を出す。
瞳はグラスに残った氷を回しながら、もう一杯頼むことにした。
「梅酒ロックでお願いします」
焼き鳥を焼いている店主に声を掛ける。
「そういえばさ、瞳ってチャットGPT使ってる?あれ、マジですごいのよ」
真実が突然、目を輝かせて言った。
「え?あのAIのやつ?」
「そう!スマホに入れとくだけで、ほぼパーソナルカウンセラー。悩みとか聞いてくれるし、文章とかも一緒に考えてくれたりして…もうね、惚れそう」
「マジで?それいいかも。最近ちょっと気分落ちててさ。更年期には早いと思うんだけど、なんかこう…ダルくて」
「わかるって。体は変わってくるけど、頭はまだ若いままなんだよね〜」
「だよねー!」
ふたりでまた大笑い。
気づけば、高校の頃の恋バナや黒歴史に花が咲き、何杯目かのビールが運ばれてきた頃には、心の針のチクチクも、すっかりどこかへ消えていた。