はじめまして、勇者様
「あなたのように下賤な者が神の祝福を受けられることを感謝しなさい」
貴族出身の聖女は、平民のサイファーを汚らわしいものを見るように見下ろしそう言った。
(これが聖女……?)
驚いた。
サイファーはまだ十五歳だった。
腕っぷしが強く、生まれた町ではいつもその強さを褒め称えられ、ついには勇者候補として国の命を受け討伐の旅に出ることになったのだが、教会にて聖女の祝福とともにその言葉を投げつけられたのだ。
若干、舞い上がっていたその時に、冷や水を浴びせられた気分だった。
若い彼にとって、聖女は神のような聖母のようなものだと思っていた。目の前に居たのは美しい見目をしただけの醜悪ななにかだった。
(国による命と言ってもこのような扱いなのか……)
それはサイファーにとって苦い思い出になった。けれど悪い出来事ではなかった。彼らは気を引き締め、その後の旅を驕ることなく慎重に進めることが出来たのだから。
そして今度は十七歳のとき。
新たに旅仲間を増やした。強い剣士だ。出立させるときに、また国の命でその者にも教会で祝福を受けさせることになった。
「あんなのいらないだろう……」
「まぁまぁ命令ですし。ここは心を無にして」
「そうです。無です。僕だって行きたくないですよ」
「え、なんか怖いんすけど。俺何が起きるの!?」
聖女の生態を知っている、仲間の魔法使いと狩人がなだめるように言うと、新しい仲間の剣士が慌てている。剣士はサイファーが旅に出たときと同じ十五歳だった。
「見れば分かる」
「怖い……」
怯える剣士を連れて教会に行くと、剣士だけが壇上に立つ聖女様の前に案内された。サイファーたちは教会に入ってすぐの出口の側でその様子を見守っていた。
剣士が跪くと、聖女の装いをした女がとても優しく微笑んだ。温かな眼差しで、慈愛を感じさせるように彼女は剣士を見下ろしてる。
(……あれ?)
と思う。サイファーが知っている聖女とはその微笑みはまるで違うものだった。思わず仲間と顔を見合わせてしまう。
「道迷うものを導く力をあなたに授けましょう。愛する神からの祝福を」
彼女は少しも嫌がる様子もなく、微笑みながら剣士の額に触れる。そうすると、その場所から光が広がっていき……しばらくするとその光は消えた。
(いや、あんな光あったか!?何もかも違うんだが)
困惑するサイファーたちを置き去りにしつつ儀式は進んでいく。
剣士が驚いたように顔を上げると、聖女は少しだけかがんで剣士の顔を覗き込むようにして言った。
「どうか旅のご無事をお祈りしております。お気を付けて行って来てください」
(……あれが、聖女だ)
サイファーは、自分がかつて思い描いていた、聖女というもののイメージそのものの人がいることを知ってしまった。頬を上気させ、瞳を輝かせるように聖女を見つめる彼の姿は、まさに恋に落ちた少年そのもののようであった。
教会を出ると、剣士が楽しそうにはしゃぎながら言った。
「なんですかあれは!女神さまですか!すごく綺麗な声で可愛くて、優しくて、お花の香りがしました……」
興奮しきって話し終わってから首を傾げていた。
「なんで教会を嫌がってたんすか?」
「私たちのとき、怖かったのよ」
「あれほどの蔑みの目で見下ろされたのは初めてだったな」
「なんすか、そんな聖女いるんすか……」
サイファーは離れがたい気持ちを抑えられず言った。
「ちょっと待っててくれ」
「え?」
「彼女の名前を確認してくる」
「へ?」
「はぁ!?」
「なんでまた」
「恋に落ちた」
「!?!?!?」
旅の終わりにまた戻ってくるつもりだったが、名前だけでも確認しておきたい、そんな気持ちで教会に戻ると、裏庭のあたりで声が聞こえた。
「レイ、遅いわよ!」
「あなたみたいな平民に仕事を与えてあげてるのよ。分かってるでしょう」
「はい、おねえさま方……」
盗み見ると、他の貴族然とした聖女たちに、彼女が辛くあたられているようだった。彼女は平民だったのかと思いながら、レイ、という名前を手に入れた。
彼女の姿は、サイファー自身にも重なった。
サイファーは今まで以上に強くなりたいと願った。自分だけでなく、より弱き者を助けられるように。そんな人間になりたいと心から願ったのは、たぶんこの時が初めてだった。
今の自分には何の力もない。けれど強くなって必ず戻ってこようと。
それが、彼の初恋であった。
『悪魔』と呼ばれる存在がいる。
それがどこから生まれどうしてそうなるのか誰にも分からない。
見た目は、完全なる異形であった。人の形をした泥というのが正しいのかもしれない。崩れ落ち続ける泥を放ちながら、大地を汚し、そうして触れた人さえも浸食して悪魔にしていく。
突然生まれ、世界を脅かすその存在を、教会で聖女の祝福を受けた者が倒すのだ。20体殺したときに、国によって『勇者』の称号と、名誉と、そして褒賞が与えられる。
「なんか、剣士の剣が一番楽に悪魔を倒すわよね……」
魔法使いが言った。それには全員同意した。
「聖女の祝福の違いなんだろうか」
「そんな気するよなぁ」
「おかしいですよね。俺よりサイファーの方が強いですもんねぇ」
サイファーの言葉に狩人も剣士も同意する。まぁ、そんなことは小さな問題だった。サイファーたちはその後三年、旅をしながら悪魔を倒して過ごした。サイファーたちが二十歳、剣士が十八になったとき、全員で20体倒した。
教会を経由して、倒した件数を把握してもらい、国王に謁見し、褒美は何が良いかと聞かれた。
狩人と魔法使いはすでに夫婦になっていたので、家や爵位、そして報奨金が授けられた。
剣士は故郷に帰るので爵位はいらないと、報奨金と、褒美品をもらっていた。
サイファーは、報奨金と、そして聖女に求婚する権利を希望した。
「王命で婚姻を結ぶのではなくていいのか?」
「教会の中にいらっしゃる聖女様にはお会いする機会にも恵まれません。なので、会うための権利と、意思を確認する時間を頂きたい。また求婚に成功した際には教会から出ることを許してもらえれば」
王はその返事を面白がっていたけれど、慌てていたのは教会側のようであった。
なんと、聖女レイは、すでに聖女を解任されていた。聖女は二十歳までと任期が決められていたのだ。彼女は三か月前に誕生日を迎えていた。今は行方知らずなのだと言う。王すら不思議がっていた。
「解任されたとは言え行方不明になどならんだろうが」
「平民であるが故、市井に紛れ、私どもでは探し出せなくなってしまっているようです……」
サイファーは聖女レイを探す旅を始めることにした。
仲間たちが付いて来てくれた。
「ここまで来たらあなたの恋の行方を見守りたいわよ」
「僕だって最後にお礼言いたいっすよ」
「振られたらなぐさめないといけないじゃないか」
分かっている。振られる可能性が高い。もうとっくに聖女ではなくなっているのだ。あれだけ美しい娘が平民の中に紛れ込んだところで、美貌は隠せない。求婚者が後を絶たないだろう。くそ。もう少し早く旅を終えていれば。サイファーは深く後悔していた。
そう、この時はまだ、この『全員が勇者パーティー』は、ただサイファーの恋の行方を知りたいやじうまの集まりのようなものだった。サイファーですら、振られたらすっきりと諦めて終わりにしようと覚悟していた。
これが終わらない旅の始まりになるだなんて、誰も知らなかったのだ。
聖女レイは、実家に戻っていなければ、連絡すら取っていなかった。
田舎町にある、農家を営む彼女の父母は言った。
「教会の人に攫われるように連れらされてから十年、手紙すら出しても戻って来てしまいました」
「僕らも教会に掛け合いましたが、相手にもされません」
「あの子は今どこに……?」
「お金なら、出来る限りお支払いいたします。どうか、あの子を探してください」
彼らはサイファーたちに深く頭を下げた。彼女の弟妹を育てている父母らは探しに行くことも出来ず、本当に何も知らないようだった。
ならば、同時期の引退した聖女仲間ならば何かを知っているかと連絡を取ってみたが、
「聖女のなかに平民出は彼女だけだったの。あの子と話すような子はいなかったと思うわ」
勇者の称号を持つサイファーたちを邪険にすることはなかったが、瞳の中の嫌悪は隠せないようだった。またなんの手がかりも得られない。
「どうして聖女さまって平民出はほとんどいないんすかね?」
「貴族が聖女の箔が欲しくてお金で聖女にしてるのかしら?」
「そもそも聖女ってなんなんだ?」
ここに来てサイファーたちは、聖女という存在そのものに疑問をもって行く。悪魔について知らないのと同じように聖女に付いても知らない。まばゆい光で祝福を与えた彼女の力は、おそらく本物だ。聖女という存在には確実に何かの意味がある。そしてその力は、悪魔を倒すのに役立つ。
「なぁ、俺たちは、ずっと何も知らずに悪魔を倒して来たのか……?」
とっくの昔に勇者の称号を得た後で、遅すぎる疑問をサイファーは初めて口にした。嫌な予感だけはして、ぞわっと鳥肌が立つ。勘だけに頼って戦って来た彼らは、こういう勘が大体当たるのだ。
時間を掛けて、彼女に関わりがあり、汚職していそうな神官を洗い出していった。
聖女レイは、街にはいない、実家にもいない。悪魔討伐の旅で、五年かけて世界中を旅して回ったサイファーたちには恩を売った人たちのたくさんのコネがあったが、そのどこからも目撃者すら出てこないのはあまりにおかしかった。
つまり、彼女は、任期を解かれていない、もしくは神官たちによってどこかに売られたりしたのではないか、と。
「とはいえ、汚職だらけね……」
「この金はどこから生まれてるんだ?」
「最近一番の金の流れがありそうなのは、神官長っすね!」
神官長の動きを見張り、彼の部下が度々訪れる、田舎町の小さな邸宅の存在に目を付けた。
人里離れた場所にある、海の近い石造りの建物だった。
夜になり、サイファーたちはその場所に忍び込んだ。彼らが聖女を探しだしてからもう一年過ぎていた。
兵士のように装備を整えた警備たちが厳重に守っている、おかしな建物だった。
よく見ると外から見る限り窓もない。備蓄用の倉庫と言われるとしっくりと来るが、ここに誰かが監禁されていてもおかしくない。
サイファーたちは、おそらく、人間たちの中では誰よりも強かった。悪魔を倒しているうちにまるで彼らの力を吸収しているかのように、人外に強くなっていた。目につく人を声もあげさせずに気絶させていく。
建物の最奥部に辿り着いた時に、彼らは慣れ親しんだ悪寒を感じた。
体の底から恐怖を感じるような、闇の波動と呼ばれるもの。悪魔が生み出す、その空気の振動。
「え、悪魔?」
「ここに?」
「いまさら!?」
魔法使いの光魔法で照らされた最奥部の部屋で、サイファーが目を凝らすと、ドロドロと解け始めていた異形があった。
けれどその異形はまだ『半分』人の形を残していた。
サイファーは一目で分かった。その残された半分は、彼の恋する少女のものだと。片方だけ残された愛らしい大きな瞳は、ポロポロと涙を零している。
その瞳ははっきりとサイファーたちに向けられ、焦点が合ったあとに、声が聞こえた。
「……して」
「え?」
「ころ……して」
「…………」
小さなつぶやきが繰り返される。ころして、ころして……。
半分は美しく可愛らしかったあの日の聖女のもの。だけど半分は、倒し続けた悪魔のもの。
笑いながら倒す日だってあった。早く倒して飯を食いに帰ろうぜ、と最後はもう何も考えずに倒し続けていた。最初は恐れていたソレを、最後には臭いゴミみたいに思っていた。
泥のような異形のなにか。
「…………人だったのか」
そう言ってしまった。
思いを形にしてしまった。すると同じ認識が彼らの中に広がっていくように、全員が恐ろしさに包まれた。
「っ」
「ぐえ……っ」
「う……」
振り向くと仲間がみな嘔吐している。サイファーはその様子を静かに見つめた。
そうして改めて『聖女』を見つめた。
ポロポロと悲しそうに涙を流しながら同じ言葉だけを繰り返している。「ころ……して」
こんなはずじゃなかった。聖女レイに出逢えたら、自分の名を名乗って、好きだと告白して、どうにか好きになってもらえないか、同じ時間を過ごして考えてもらいたかった。すでに恋人がいるなら諦めて、次の恋に巡り合うのを待つつもりだった。
可愛らしく美しい微笑みを浮かべた聖女だったのだ。
綺麗だった。あんなに焦がれた人は彼女が初めてだった。
パリンと、サイファーは自分の心が鏡のように割れたのを感じた。
もう二度と、あんなふうに、柔らかい気持ちで人に恋などできない。
美しいものを美しいものと思うことも出来ない。サイファーは穢れてしまった。違う、すでに穢れていたことに、気が付いてしまった。
サイファーの初恋は、自分の罪を突き付けるだけのものだった。
悪魔の波動がピリピリと肌を焦がすように震わせる。彼女は正しく、悪魔なのだろう。
どれくらいの時間が経ったのか。呆然と悪魔を見つめ続けるサイファーに声が掛けられた。
「ねぇ、倒すの?」
「俺……出来ないっすよ」
「……生かしておいては、可哀そうなだけだ」
狩人の言葉に、確かにその通りだと思う。目の前の悪魔は、自ら死を望んでいる。言葉が話せるだけでも、まだ知性がいくらかは残されているのだと分かる。殺すべきなのを分かっていた。生かしておいては、彼女にとっても、サイファーたちにとっても、世界にとっても脅威と苦しみになるだけだ。だけど……。
「殺せない……殺さない」
気が付いたらそう言っていた。
「殺させない!」
「だけど!」
「可哀そうよ!」
「見てられないすよ……」
少女の瞳からはポロポロと涙が流れ続けていた。
気が付くと、サイファーの瞳からも何の感情のものか分からなかったが涙が溢れていた。
「魔法で封印できるか?」
「!出来るわ」
「いやそんなことしたって……」
「一時しのぎじゃないっすか」
サイファーは首を横に振った。
「封印し続けてくれ。時を止める。その間進行しないはずだ。人を悪魔にさせる理由と、それを戻す方法を調べる。彼女を必ずもとに戻す。俺の生涯をかけて、必ず成し遂げる……けれど、先に俺が死んでしまったときには、彼女の処遇はお前たちに任せる」
「……」
サイファーたちは混乱状態だった。普通ならばそんな願いを聞かなかったかもしれない。けれど、彼らはサイファーの初恋を知っていて、彼の恋の成就を見守るためにここにいた。だからそうするのが正しいことのようにも思えていた。
魔法使いはそっと悪魔に近寄ると封印魔法をかけた。悪魔の姿は消え、コロン、と小さな四角い石の塊のようなものが床に転がった。魔法使いがそれを手に取ると、サイファーに手渡した。
「出来るだけ小さくしたわ。真っ黒に濁っているでしょう。悪魔である証よ」
「……ああ」
大事なもののようにサイファーがそれを握ると、彼らはその石造りの建物を後にした。その場所に、もう悪魔はいなかった。
サイファーら勇者パーティーを、国を落とすための旗頭として担ぎ上げようとする政力があるのは知っていた。幾度となく声を掛けられていたからだ。
サイファーにとって「教会を解体すること」と「悪魔について調べること」ほぼ同義であった。
彼女をあんな目に合わせた教会を許すつもりはない。
教会を解体するために、もし国を手中に収めなくてはならないというならば、それすらやって見せるつもりだった。
サイファーは力を得るために、思い付く限りの人たちに連絡を取った。
「お前たちはもうここまででいい」
サイファーは仲間を修羅の道に引きずり込むつもりなどなかった。
「ねぇ、私たち……今まで通り生きて行けると思う?」
魔法使いは伴侶である狩人と手を繋ぎながら言った。
「子供を産んで、普通の夫婦のようにどこかの街で……幸せに暮らしていけると思う?」
サイファーには質問の意味が良く分からなかった。
そんなサイファーに魔法使いは力なく笑った。
「……無理よ。もう無理なのよ。たくさんの人を……自覚なく殺した。何もせずに何もかも忘れて幸せになんて……望んだって無理なのよ」
「僕も同じ意見だよ。自分に出来ることが残されているのなら、何かがしたい」
その気持ちは痛いほど分かった。何も知らなかったころには戻れないのだろうと。
「俺も……妹の結婚式があるから一度村に戻らなきゃだけど……両親に伝えてすぐ戻ってくるっす」
剣士がそう言うと、結婚式……魔法使いがポツリその言葉を繰り返した。
魔法使いが以前に言っていた。旅が終わったら、故郷に戻って家族たちを招待して結婚式を開くのだと。サイファーもいつか誰かと結婚して幸せになる未来を夢見ていた。
けれどもう、そんな普通のささやかな幸せを夢想をすることは出来ない。あまりにも今の自分には縁遠い言葉を聞いたように感じた。
サイファーは封印石に閉じ込めた悪魔を、ネックレスのようにしてずっと胸に抱えて過ごしていた。
そうしてことあるごとに、彼女に話しかけていた。
「俺が必ず救う。待っていてくれ」と。
ある日、神官長を拉致して、口を吐かせた。
「ひぃぃぃ。や、やめてください。私は敬虔なる信者です。何も悪いことはしておりません」
「ずいぶんと肥えているが、敬虔なる信者は人の倍食べて生きているのか?」
サイファーはその人外の強さで、神官長を床に転がし、手加減して蹴り上げる。
「ひぃゃぁぁぁ」
「聖女とはなんだ?……動くな。いいから、答えろ」
「……その心を、力に出来るもののことです。素質あるものを教会の魔具を使いその力を開放させます」
「心を力に出来るとはなんだ」
「感情を魔法の力にすることが出来るもののことです。教会では、清らかな乙女に清らかな祈りを捧げてもらい、聖なる力を活用しております」
「……感情を魔法の力?」
「そうです、ひぃぃぃ。やめてください。痛い痛い。聖女に生まれついたものが幸福であればあるほど、その感情は聖なる力を生み出します」
「祝福のことか?」
「そうです。治癒もそうですが、なにより、悪魔を倒すのに絶対に必要な力!」
「悪魔とはなんだ?」
「悪魔は世界を呪う者……助けて!!痛い!!」
「あれは元は人間だったはずだ」
「はぁぁ……!聖女のなれの果ての生き物!世界を呪うだけの存在!」
「なぜ聖女が呪うのだ」
「あああ痛い、やめてくれ」
「答えろ」
「聖女の幸福を願う力だけを教会は必要としている……成長過程で悪魔になったものは、勇者らに消してもらっている。聖女から自由を奪い続け、結婚や出産の機会を奪えば必ず世界を呪うものへの変化していく。だから二十歳で必ず引退することを義務付けている」
「聖女レイは二十歳を越えていた」
「平民だった!悪魔になっても構わない存在だった!だから二十歳を越えても祈らせ続けた。二度と外の世界に出て行けないと知った彼女は絶望して悪魔になったのだ!」
「お前らが自ら悪魔を作ったというのか」
サイファーが話を聞いたのはそこまでだった。もう彼に用はなかった。
教会で裏を取り、神官長が言っていた言葉が正しかったと知ると、サイファーは教会、そして国を亡ぼすことを心に誓った。
もともと、国は腐っていたのだろう。
あのような教会を野放しにし、汚職がはびこっていたのだ。けれどあの日の王は何も知らないようだった。知らないことは罪だ。勇者を量産している時点で、同罪だ。サイファーは許すつもりなどなかった。
圧政を行う国の有様に不満を持つ政力を味方に付け、反乱軍を結成し、国に攻め入った。
王族を拘束し、処遇を民意にゆだねることにした。処刑になるのだろうが。
味方に付けていた貴族たちは、サイファーたちを傀儡の王にするつもりのようだった。けれど、サイファーたちは勇者と呼ばれるだけの力があった。誰よりも強く、賢く、荒波にもまれる人生を送り続け、抜け目もなかった。
サイファーは新しい王として君臨すると、貴族たちの反対を押し切り、聖女と悪魔の真実を国民に公表した。
そうして、信者を失っていく教会を、権力と武装でもって解体するとともに、悪魔になった聖女を元に戻す方法がないか調べていたが、そんな事例がないということだけが分かった。
王として過ごす日々の中で、寝る前の短い時間を、胸の上の封印石を握りしめ過ごしていた。
毎日、何かを話しかけていた。
育った街のこと、剣術が得意だったこと、勉強をさぼってばかりいたこと、それで両親に怒られていたこと、初恋が聖女だったこと、悪魔を倒してしまったことを後悔していること、今でも叶うならば最初の出会いからやり直したいと思っていること、たくさんの血を流した自分はもう許されることはないと思っていること……。
何も隠すことなく、自分自身のことを赤裸々に封印石に向かって語り続けた。
「少しは休んだら?」
三年程したころ、魔法使いがサイファーを心配して言った。
「げっそりやつれているわ。分かってるの?」
「……分かっている」
悪魔を人間に戻す方法が、今も見つかっていない。定期的に封印をし直し、聖女レイは未だ封印石の中に閉じ込められたままだ。
サイファーはいつものように、胸の前で、聖女の石を握り締めている。彼がふっと笑った瞬間に、何か輝くものが石の中に吸い込まれていくのを魔法使いは見た。
「……え?ちょっと見せて?」
「なんだ?」
手に取り封印石を確認すると……色が薄くなっている。以前のような闇色ではない。黒に近いけれど灰色のようにも見える。
「……いつからこんなことになってたの!?」
「え?」
「色が!薄くなってるのよ!悪魔の色が薄くなっているのよ!」
「……」
「これが白くなったときに、もしかしたら、人間に戻れるかもしれない……!!」
魔法使いは必死に頭を回転させて考える。
もしかして時間が解決するものだったのだろうか?呪いの気持ちが薄れればよかったのだろうか?それとも封印石に閉じ込めたことの効果なのだろうか?
「ちょっと聞いてるの、サイファー?」
なんの反応もしないサイファーをじっと見つめれば、彼は感情の動かない瞳で見返した。
人でないようだと、思った。まるで人形のようだ。
(まさか……)
さっき見たばかりだ。光が封印石に吸い込まれるのを。サイファーの生命力や心と言われるものが吸われている……?
「サイファー、だめよ。あなた自身が、この封印石に奪われているわ。ああ、ずっと気が付かなかった!なんてこと!」
魔法使いは忙しさにかまけて暫く会ってなかったことを悔いた。子供を三人育てている。
サイファーは妃を娶る気はなく、おそらく子供は作らない。
そのため、同じく国を興した、魔法使いと狩人の子供たちが、次代を継ぐものとして育てられている。
「このままではあなたが死ぬわ!」
魔法使いの嘆きに、サイファーは幸福そうに笑った。
「……そうか。彼女の為に俺にも出来ることがあったのか」
ああ……と魔法使いはその場にへたり込んでしまう。
サイファーの望みはたった一つなのだ。王になりたいわけじゃない。幸せになりたいわけじゃない。初恋の人を悪魔から人間に戻すこと。ただそれだけ。
旅を続けている剣士が、封印石を持って帰ってきた。
今の世界には、悪魔を倒す勇者はもういない。各地で悪魔騒動があれば、封印符を持たされた剣士が出向いて封印してくる。
「そろそろ、終わりですかね」
「そうね。貴族の元聖女は把握しているし、生き残ってる平民出の元聖女は少ない……。あとは地方で教会の魔具が残ってなかったらね……」
「聖女を生み出すための道具がなければ、悪魔も聖女も生まれないんですよね」
「たぶんね……」
けれどその技術があることを知っているものがいれば、いずれまた同じことをするものが生まれるのかもしれない。彼らの世代ではそれは許すことはないけれど。
「サイファーに会ったか?」
狩人の言葉に、剣士は顔を歪める。
「……死にそうな顔してたっす。なんすかあれ」
「おまえにもそう見えるか」
「封印石に何かを吸われているの。でも、それで、いつか人間に戻れそうになってるの。どうしたらいいの……」
「サイファーなら、本望って言いそうっす」
「……」
はぁ、とみんなでため息を吐く。
「仕事は……問題ないのよ。彼は、いつも正しく平等で、判断を間違えない。比較的穏やかな国政が続いている。でも、どんどん心を失っているように見える……」
「俺はちょっと羨ましいっす。だって、そこまで思える人に、出逢ったことないから」
剣士の言葉に、初めて会った日の聖女レイの姿を思い返す。
美しく、可愛らしい、だけど普通の少女だった。
決して化け物などではなかった。なれの果てなどと呼ばれる存在ではなかった。
「私たち、サイファーの初恋を見守ってただけなのにね……」
小さく叶うか、儚く散る、一人の少年の恋の話であったはずだった。
なのに二人は、言葉を交わすこともなく、地獄のような道をたどることになった。
「それでも、叶ったらいいのに……」
心から願う本音を零してしまう。教会が解体された今、何を信じたらいいのかも分からない。神は存在するのだろうか。神は、あんなにも苦痛を与えられる生き物が地上に生まれることを許したのだろうか。
「俺たちみんなそう願ってますよ」
無理だと分かっていても。それでも。ただ神に願うのだ。
「他の封印石、どこに保管してるんすか?」
「それがねぇ、どうしようかしら」
魔法使いはため息を吐きながら言った。
「うちの子供たちがおもちゃにしてるのよね」
「へ!?」
「様子を見ないといけないから私の部屋に置いてあるんだけど、気が付くと子供たちのところにあるのよ」
「……大丈夫なんすかそれ」
「いまのところ何もなさそうなんだけど……サイファーたちを見てると、封印石そのものに誰かが触れ合っていた方がいいのかしら、と思わないでもなくて。健康に問題でも出たら触らせないんだけど、そんなことも全くなくて。時々ならいいかしら、と悩んでるわ。ごっこ遊びなのか分からないけれど、会話してるのよね。石と」
「……いやそれ話してるんじゃないすか?」
「友達だって言ってるわよ……」
「……」
未だ独り身の剣士は少しだけ笑った。
「子育てって大変すね」
狩人が少し考えるようにして答える。
「そうだ。大変なんだ。親の小さな言葉にもよく反応して、影響を受けていく。白い紙が染まるように。透明な水が濁るように。小さなきっかけで、善にも悪にも転ぶ」
「それって……」
「子育てをしていると、聖女様たちのことを考える。いつだって誰だって、悪魔になり得るのだと」
狩人の言葉に、魔法使いが彼の背中を撫でる。
「私たちだって自分たちの子供が悪魔になったら……人生を懸けて助けるわ」
剣士が言う。
「愛って凄いすね」
勇者サイファーがその何の名誉もない称号を貰ってから13年。
賢王としてその名が知れ渡っていた。
寝ている彼の胸の上の封印石がパリン、と割れた。
そうして美しい女の裸体が、彼の上に現れる。
女は驚いたように目を見開き、ペタペタとサイファーの胸を触る。サイファーはゆっくりと目を開き、女を見つめた。
三十三歳になったサイファーは、痩せ衰えてはいたが、元々持っていた整った容姿と美しい金髪に、王者の品格があった。対して、女は二十歳で時が止まっていた。瑞々しく張りのある肌に、大きな目と愛らしい顔立ち。
女はサイファーと目が合うと、はにかむように笑った。
「初めまして、勇者様」
最初の数年は意識が混濁していたが、封印石の中で、彼女は意識を保っていた。本来ならば気が狂いそうなその場所の中で、彼女は少しも孤独を感じていなかった。いつでもサイファーの心と繋がっているのを感じていた。
「私の名前はレイです。聖女をしていました。悪魔になった私を……助けてくれてありがとう」
レイはずっと見ていた。
自分の為に、国と教会を罰し、悪魔を人間にする手段を探してくれた人がいたことを。
レイは田舎町に生まれた平凡な娘だった。
毎日太陽の日差しと、家族と、食事の恵みに感謝して生きていた。たまたま聖女としての才を見出され教会に連れてこられたけれど、その本質は変わらなかった。
自分に辛くあたる人たちに囲まれたけれど、生かされていることの小さな恵みに感謝し、大好きだった家族を思いながら生きていた。ただそれだけだったのに、誰よりも聖女としての力が強いと言われていた。そうしてそれがレイを悪魔にするという悲劇を生んでしまった。
サイファーによって、たくさんの人の命が失われたことを知っている。その善悪はレイには分からない。けれど、自分の命を救おうとしてくれたのはこの人だけだった。
自分に恋をしてくれたのも、求めてくれたのも、この人だけだった。
良いとか悪いとかではなかった。レイにとっての唯一の人だった。
レイは封印石の中から、ずっと前から彼に恋をしていた。
レイだけはずっとサイファーを肯定していた。自分のための彼の行いの何もかもを受け入れていた。レイの中でも、それはもう愛と呼ばれるようななにかだった。初めて挨拶を交わす、この瞬間のもうずっと前から。
けれど、彼は何の感情も映さない瞳でレイを見つめている。知っていた。彼はレイのために全てを投げ出してしまったのだ。その命と心の全てで、レイを助けようとしてくれた。
もう、今の彼は何も感じることが出来なくなっている。
ただ王として生き、レイという封印石を守るためだけの存在になってしまっていた。
……悲しい。悲しんではいけないのに。それでも。あの生き生きとした人を自分が人形のようにしてしまった。
剣士を祝福した日のことを覚えている。遠くから、キラキラと瞳を輝かせるようにレイを見つめていた人がいた。背が高く、強そうな体躯の、生命力に溢れた男性だった。素敵な旅の仲間がいるんだなって羨ましかった。
その日はいつもよりドキドキしていた。もしかしたら、あんな人と恋が出来たらいいと、心のどこかで感じていたのかもしれない。
ぼろりと涙が溢れる。
あの日は今はもうあまりに遠い。思い出すだけで眩しすぎる記憶だ。
すると、頬にサイファーが手を宛てた。
労わるように頬を撫でるその手つきがとても優しい。そして温かい。……生きてる。
こうして自分たちが触れ合えるのは、まさに奇跡なのだと改めて感じる。
(私のことが分かるのかしら……?)
レイは自分の手をその上に重ね、そうして、治癒魔法を彼に掛けていく。封印される前に使えていた魔法は、問題なく使えるようだ。
(反応がある……手ごたえは、ある。体の奥に届いている)
目の前の彼の表情は人形のように変化はないけれど、時間を掛ければ、彼の心も戻ってくるかもしれない。彼が私に費やしてくれたのと同じだけの時間を掛ければもしかしたら……。
ああ、彼が私の為に過ごしてくれた時間。
あんなにも愛おしい時間と同じものを、私は彼に返せるのだろうか。
封印石の中、罪深いと言う彼からは愛と優しさしか感じなかった。
ポロポロと涙が溢れる。サイファーはまっすぐにレイを見つめていた。
レイは祈るような気持ちで、彼に言葉を紡ぐ。
どうか、私の気持ちが、少しでも彼に届きますように、と。
「生かしてくれてありがとう。殺さないでいてくれて、ありがとう」
それは、殺してと言ったあの日とは真逆の言葉。
彼を地獄に突き落とした元凶のレイが本当は言ってはいけない言葉。だけどレイにしか言えない感謝の言葉。
「あなたは私を救ってくれた、本当の勇者です」
サイファーの瞳をまっすぐに見つめて伝えても、彼の感情は動かない。それでも。
「大好きです。勇者様。私はあなたと一緒に生きたいです」
涙を流しながら、泣き笑いの顔でそう言うと、彼はレイを大きな両腕でぎゅっと抱きしめた。
レイはそれだけで嬉しかった。
彼が心を取り戻したときに、サイファーが思っているような清らかな聖女ではなく、ただの普通の女のレイとして好きになってもらえるのかは分からない。
本当に通じ合うのには、長い年月がかかる。だけど、同じ時間をこの先は一緒に生きて行けるのだから。何も急ぐ必要はないのだと、レイは感じていた。
十年後、幸せそうな笑顔を浮かべ寄り添う国王夫妻の姿があった。
自分たちの娘と手を繋いだ彼らには笑い声が絶えなかったと言う。
奇跡の聖女と呼ばれた王妃は、封印されていたかつての聖女たちを元の姿に戻す偉業を成し遂げた。
王妃は、それは自分の力だけで出来たのではないのだと言っていた。
自分に幸福を与えてくれた人たちが、生きることを支えてくれた人たちが、その力を分けてくれたのだと。自分はただ与えられたものを返しただけなのだと。
聖女と悪魔の支配する呪われた時代は終わった――彼らの治世においては。
タイトル、勇者の初恋と迷いました。
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