9話 職業体験
なな実は放課後や休みの日に、彩愛に会いに来た。彩芽がいなくても、研究所には顔を出していたようだ。
彩愛に気を使っているのか、学校の話をしなかった。
放課後すぐ来るなな実が、その日は夜にやってきた。
「彩愛のお通夜に行ってきたよ」
死んだ感覚はないため、なな実から通夜と言われても実感がなかった。
「そう」
と軽く返事をすると、なな実はつらそうな顔をしていた。
「凛は泣いていた。でも、彩愛のアンドロイドがいることは黙っておいたよ。凛のアカウントはまだ消してないよね?彩愛から連絡してほしい」
「わかった。ありがとう」
なな実はアンドロイドの彩愛を彩愛と認めてくれたが、凛がどう反応するのか怖かった。
龍之介のように拒絶はしないだろうが、死んだはずの人間そっくりなアンドロイドがいたら混乱させてしまうだろう。
凛に連絡できずに、一日と過ぎていった。
何もせずに一日を過ごすわけにはいかず、ジェームズからメールで送られてきた職業のリストを見ながら、あれこれ作業を想像した。
世話になりっぱなしになっている、なな実の生身の世話をしたかったが、介護などの仕事は資格が必要であった。
アンドロイドは資格が取ることができないため、諦めるしかない。
病院の清掃やベッドのシーツを替えるのは専用の業者を入れているため、四階での仕事はなかった。
他の階も、トイレやフロア清掃はロボットが行っており、ほぼ人の手によっては行われていない。
掃除するとすれば、各研究室か個人の部屋となるが、研究所の決まりで各部屋の管理者がすることになっている。
研究所から出たAI搭載型アンドロイドでも、家を借りて仕事を見つける人もいるが、差別やロボットと同じように働かされて低賃金だったりして、待遇がいいところばかりではない。
研究所のようにエンジニアはAIになっても、重宝されるようだ。
普通科の高校に通っていた彩愛には、そんな技術があるわけでもなかった。
研究所で暮らす人々の物資の管理は人の手ではあるが、新入りの彩愛に任せられることはない。
セキュリティの面は自動かと思われたが、警備員も巡回しているという。
普通の住居やオフィスビルは、警備員の巡回などはせず、セキュリティシステムに任せてしまう。
厳重な警戒が、この研究所が危険な組織や人々から狙われているかいかにわかる。
「どんなにIT化しようとも、アナログで侵入されるとすり抜けられたりするんだよね。本気でプロが侵入しようとすれば、監視システムをいじられるし、そうなると自動セキュリティは無意味だ。だから、定期的に不備がないか、侵入されたところはないか人力で回ってチェックしているわけ。
病院に携わりたいのなら、サイボーグになった人のケアや、パーツの製作デザインとかかな。AI搭載型アンドロイドになった人も多く仕事をしている。患者の中には、介助アンドロイドは無機質に感じて、嫌がる人もいるからね」
ジェームズが、職業リストにある仕事を説明してくれた。
介助は資格がいるが、相談や話し相手なら資格は不要らしい。ただ、十代のAI搭載型アンドロイドになったばかりの女の子に、相談をする人はいるだろうか。
リストにはなかったが、研究所内には食堂があり、調理もしている。
人間のスタッフ用と病院の患者用の食事を用意する仕事もあるが、決まったメニューはほぼ機械が作り、日替わりメニューや患者個人の特性、例えばアレルギーや嚥下能力などに応じて栄養士や調理師が作っている。
他の病院や学校の給食センターなどでは栄養士がいることはあるが、食材を入力すれば数日分の栄養バランスがとれたメニューを出してくれるプログラムもあるため、資格を持たなくても食堂運営ができるようになっている。
また配膳や食器の洗浄もすべて機械がやってしまうため、ほぼ無人のカフェやレストランも存在する。
日本はかつて、人口減少により労働不足が問題視されていたが、AIやロボット技術により、問題が解決された。
今では労働不足よりも、AI搭載型アンドロイドの登場により、日本そして人類の種の保存が問題視され始めている。
日本では認められていないが、人間とAI搭載型アンドロイドが結婚できる国や地域もあり、そのようなカップルは必然的に子どもができないため、人類が滅びる一因になると考える学者や人もいる。
AIやアンドロイドなど最先端技術を開発している研究所だが、栄養士や生身の人間が多く働いている。
華菜いわく、AIと人が共に社会を動かすことで、新たな創造が生まれるという考えで、生身の人を雇っているようだ。
とはいえ、資格を持った人しか働けない仕事ばかりで、何も免許を持たない彩愛が、食堂などで働くことはできない。
悩んでいると、ジェームズが記憶をAIに移しているときに膨大な作業になることがあるから、手伝ってみるかと言われた。
「データからデータへ移すのは簡単だけど、紙ベースのものは時間がかかるものがあってね。
文章をスキャンすればいいんだけど、癖字やデータベースにない書体や記号だと、文字化けしてしまうから、必ずチェックするんだ」
「それならできそうかも」
例えば、中学高校辺りになれば、文集などはパソコンで打つものが多くなるが、小学校は手書きが多い。
手書きでなくても最後は紙で文集が配布されるため、生徒たちの手元にはデータがないことになる。
彩愛は作業場に行く前に、アンドロイドの作製現場を見せてもらうことになった。
基本的なアンドロイドの身体や内蔵されている電子部品は、研究所の外から買っており、一室に保管されていた。
保管室から、個人の体格や身長に合わせてパーツを組み立てられていく。
灰色の機械の手足は何も感じなかったが、本物そっくりのシリコン製の皮膚が大量に置いてあるのをみて、彩愛は気分が悪くなりそうだった。
「夜に来たくない…」
そう言うと、ジェームズに笑われた。
隣りにある作業室に入ると、人影が見えた。
翼が女の人に身を寄せ、何か言っているようだ。
見てはいけないものを見てしまった気分になり、彩愛はとっさに目をそらすと、ジェームズが咳払いをした。
女の人はジェームズに気が付き、慌てて部品を手にとって作業を始めた。
翼といえば、あからさまに舌打ちをしている。
ジェームズは何事もなかったように、作業室の説明をしていたが、彩愛はちっとも内容が入ってこなかった。
別の部屋に移動すると、多くの本が置いてあり、紙に囲まれるのは新鮮だった。
作業机には二人の男女が並んでいて、黙々と作業をしていた。
「お二人とも、少しお邪魔しますね」
ジェームズが声をかけると、作業をしていた二人がこちらを見た。
女性の方が彩愛に気がつくと、ぱっと笑顔になった。
「その子が新入りさん?」
「そう。宗方彩愛ちゃん。フロア見学がてら、仕事を見てもらっているんです」
「宗方彩愛です。よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げると、二人とも律儀に椅子から立ち上がった。
「はじめまして。私は中本紬よ。隣りにいるのが、夫の悠真。
私も夫も生前は同じ病気で亡くなって、AI搭載型アンドロイドとして、ここで生活しているわ。見た目はアラフォーだけど、中身はおじいちゃんおばあちゃんなの。最近の流行りとかわからないことが多いけど、仲良くしてね」
中本夫妻は、ニコニコと笑みを浮かべて、とても人がよさそうだった。
ジェームズの代わりに、悠真が作業の説明をしてくれた。
「ここでは、紙ベースの資料をスキャンして、データ化しているんだ。スキャン後、原本と同じか、ちゃんと取り込めているか確認作業をする。いくら、スキャンの技術がよくても、稀に脱落や文字化けしたりするからね。
スキャン後の原本は、汚れたりなくさないようにしまって、持ち主に返すよ。それまでがここの仕事。
プライバシーがあるから、ここで見たことは、他の人に話してはいけないことになっているんだ」
「たくさんあって、大変そうですね」
よく見ると棚や机だけではなく、床にもダンボール箱が積まれていた。
「人によってかな。全部データの人もいれば、手書きの日記を毎日つけている人もいる」
「私たちがこの仕事をやってるけど、彩愛ちゃんもいてくれたら嬉しいな。
若い人は、みんなAIやアンドロイド製作の方に行っちゃって、こういう地味な作業をやってくれないもの」
AIやアンドロイドの製作は、研究所の肝であり、花形である。
彩愛も自分のAIやアンドロイドがどう造られているか気になるし、他の人も興味を持ってもおかしくはない。
個人の記録のデータ化は地道な作業であり、プライバシーに関係することから作業者への信頼も必要だ。
依頼者のプライバシーを話したり、SNSに投稿してしまうものなら、作業者個人の問題ではなく、研究所全体の信用にもつながる。
中本夫妻は、研究所からも信用されているのだろう。
彩愛は、人の秘密を進んで他人に話すことはしないが、仲のいいなな実に、面白いことがあったら話してしまうかもしれない。
「私にできるかな…」
「難しいことはないわ。私もたまに他の人に話したくなることがあるけど、依頼者の顔を思い浮かべるようにしているの。この世に実在する人で、これから仲間になるかもしれないと思えば、話すのもやめようって思えるし。変な噂でも流れたら、その人も私たちも気まずいしね」
そう言いながら、紬は積み上げられた資料を見渡した。
「うちはまだないけど、よそで過去に犯罪を犯したときの証拠になるものがでてきて、依頼者が捕まったっていう話は聞いたことがある。そういうときは、ジェームズたちに言って警察に通報するけどね」
悠真がなんだか怖いことを言う。
「製作作業に入る前に、依頼者の人格とか性癖を調べるから、そういうことはないから安心して」
ジェームズがフォローしたが、紬がそういえばと嫌そうな顔をした。
「爬虫類の標本を集めている人の記録とったときは、つらかったわ。さすがに現物は送って来なかったけど、図鑑とか解剖図とかあって。おかげでテレビやSNSで流れる爬虫類の動画を見ても平気になったけど」
「それじゃあ、俺のときも嫌な思いさせちゃいましたね。医師免許も取ろうとしていたから、人体解剖集とかたくさんあったし」
ジェームズがすまなそうにしていると、紬は大丈夫よと慌てて手を振った。
「ジェームズのときは、こんな若くて世の中のために頑張っている人が亡くなってしまうなんてと悲しくなったわ。だから、本人が亡くなっても、AIに生まれ変わって、夢を果たせるように私たちもお手伝いしなきゃと思ったの」
「ありがとうございます」
思いがけないところで、声援を受けたジェームズは少し照れているようだ。
彩愛は中本夫妻の作業を手伝ってみることにした。
ジェームズは仕事があるため、研究室に戻っていった。
彩愛は学校のアルバムのスキャンをさせてもらい、慣れると文集を渡された。
小学生独特の癖のある字だったが、その癖字もスキャニングしていく。
他のページを開いてみて、紬に確認した。
「本人だけでいいですか?」
「とりあえず、本人だけでいいわ。書いた本人が内容や書いたこと自体を覚えていなくても、頭のどこかで残っていたりする。記憶ってそういうことの積み重ねだと思うの。
だけど、他の人の文集を読んでいるかわからないしね。まだ依頼者はご存命だし、確認してもらえばいいわ」
紬は付箋を机の引き出しから出し、本人のみスキャン済みと書いて文集に貼った。
「あとは大丈夫だった?」
「あとは…、誤字があったんですけど、修正しますか?」
「あら、文集で誤字は珍しいわね。先生がチェックするのに。
誤字も本人の性格を表すから、そのままでいいわ。日記もおかしな文章だったりすることもあるけど、私たちは日記の内容をそのままデータにするのが仕事よ。
あくまでも修正するのは、スキャンときに文字や画像の内容が変わってしまった時だけ」
「わかりました」
頼まれた分を黙々とデータ化していく。
飽きるかと思いきや、依頼者の人柄が垣間見えたり、人生を覗き込んでいるようで、悪いことをしているような気分になりつつも、楽しんでいる自分がいた。
「どう?この仕事できそう?」
終業時間になると、紬に聞かれた。
「思っていたよりも、楽しかったです。情報の授業もあんまり得意じゃなかったので、AI関係よりもこういう方がいいかもしれないです」
ぱっと紬が目を輝かせ、悠真がニコニコと笑った。
「よかった!明日も来てくれるかしら」
「はい!」
メールでジェームズに仕事を決めたことを連絡し、翌日も作業場に行った。
悠真から、基本的に週休二日だが、依頼がないときは休みになることがあると言われた。
「逆に膨大な量の原本があるときは、期限に間に合わなくて残業することがあるよ。年に何回もないから安心して」
人間の場合は、一日の仕事の中で休み時間が必要だが、アンドロイドはバッテリーが切れるまで働ける。
AIになってから一日通して働いても疲れを感じなくなったが、彩愛のAIは飽きるということを学習している。
単調な作業は飽きるが、まだ仕事に不慣れなので嫌気が差すほどではなかった。
紬は温厚で我慢強そうに見えるが、結構飽きっぽいのだという。
そのため、人間と同じように昼休憩を入れているそうだ。
人間のように食べたり、飲んだりするわけではないが、悠真とおしゃべりをして、リフレッシュするという。
紬がおしゃべりで、彩愛は聞き手に徹していた。
「ずっと話していると、彩愛ちゃんに引かれるぞ」
見かねて悠真が止めるが、時計の針は十三時前だった。
「あらもう時間?ごめんなさいね。私ばかり話してしまって」
「いえ、聞いていて楽しかったです」
龍之介とは話せたが、家族以外の目上の人と話すのはあまり経験がないため、何を話せばいいのかわからなかった。話してもらった方が気が楽であった。
午後の作業を始めると、ジェームズがダンボールを積んだ台車を押して作業場にやってきた。
「彩愛。これを見てほしいんだけど」
ジェームズが台車の一番上に載っているダンボールを机に置くと、中を開いた。
見覚えのある写真立てや、本が出てきた。
「これ、私の…」
「君の部屋にあったものをおじいさんが送ってきた。処分するかは彩愛が決めてほしいそうだ。
データとして取り込みたいものがあったら、申請しておいてくれ。もちろん、目で確かめるだけでいいなら、それでもいいけど」
「わかりました」
写真立ての下にあった本を手に取る。背表紙は見覚えがあり、このダンボールの中は本棚に置いてあったものだろう。
本の中は日記だった。
日記なのは知っているが、書かれた中身はまるっきり覚えがない。
いや、データがないのだ。
「彩愛ちゃん?」
紬に声をかけられ、彩愛は慌てて日記を閉じた。
「すみません。仕事します」
「いや、その、違うの。ぼうっとしていたから、大丈夫かなって」
「ああ…。これが日記なのはわかってるんですけど、まったく中身のことがわかんなくて。私には過去の記憶がないんだって思って…。
それなのにここにあるものをデータとして取り込むのって、違うような気がしたんです」
「違う?」
問われても、彩愛はすぐにこの気持ちを言い表すことができなかった。
「よく自分でもわからないんですけど、偽物みたいな感じに思えるんです。ぶれねっとのデータは取り込んで、記憶として理解しているのに」
「その日記は彩愛ちゃんのものなのよね?生きていた彩愛ちゃんが日々暮らして、感じたものが書かれている。それは偽物ではないと思うけど」
「彩愛ちゃんは日記に書かれたことを経験したっていう体感がないから、変に感じているんじゃないかな?
だから、改めて過去のデータを入れるのに抵抗がある。違うかな?」
悠真の考えは微妙に違うような気がしたが、近い感じがしたので彩愛は頷いた。
「そういう感じです」
「そういうことね。データとして入れるのは彩愛ちゃんが決めることだから、このまま閉まっておいてもいいのよ。
でも、過去のデータがなくて自分の存在を感じられなくて苦しむ人もいるの。彩愛ちゃんが取り込みたくなったらやればいいわ。
知っておいてほしいのは、目を通して取り込むデータと、このデータを記憶として処理して取り込むのでは少し感覚が変わる。データとして取り込むと、実際に体験したような感覚になるし、思い出として処理される。
目で見るのとは少し違う感覚になるの。
私たちの場合、生きている間に過去の記録たちを見て、インプットしたから経験はないのだけれども」
「過去のデータを入れなくてもいいという人もいるよ。アンドロイドとして人生を歩むって決めた人もいた。
生身の人でも、突然記憶喪失になって自分のことがわからなくなる人もいる。アンドロイドになったから、記憶がなくなったわけじゃない。でも、俺たちはデータがあれば入れるか入れないか決められるんだ。
考え方は人それぞれなんだよ。だから、彩愛ちゃんが自分で考えて、決めるべきなんだ。入れるとなったら、俺たちも手伝うから」
「…わかりました」
彩愛は仕事を終えると、作業場に置いておいた台車を引きながら自分の部屋へ向かった。
部屋の隅に台車を置いて、ダンボールから写真立てを取り出す。
両親と幼い自分が笑顔で写っていた。
懐かしさと愛おしさが湧き起こるが、日記に目を通しても何にも感慨が起きない。
これをデータとして取り込んで処理すれば、家族の写真を見たときのような感情が芽生えるのだろうか。
生きていた彩愛が経験したことなのだから取り込むべきという思いと、わざわざする必要がないだろうという思いがする。
気持ちの整理もつかないことから、ひとまず、不用品がないか仕分けをすることにした。