6話 犬型ロボット
華菜はタブレットを操作し、基本的なアンドロイドの内部構造が書かれている画面を開いた。
「前に危うく話してしまうところだったが…。こめかみに繋ぐコードは、ぶれねっとの端子を充電するものでもあるが、前回の充電までに記録したデータをサーバーにバックアップしている。記録は基本的に頭部で行っているから、強く打ったりしないようにね。
ヘソの方は身体全体の充電と、不具合の確認。異常が見つかれば、充電中に調査や修理されるようになっている。どうしても治せはいとなれば、電源を落としてもらって数日修理するか、他のアンドロイドにデータを移してもらうことになる。
肌の温度や痛感設定は、日本人の平均値にしているから、生身の時と違和感があったら調整するから言ってくれ。
性感帯の感度も自分で調整できるか、あとで教えてあげよう。まだいらないかもしれないけどね」
彩愛はセイカン…?と呟いて、瞬きしていると、後ろでバシッと叩く音がした。なな実が翼を叩いたようだ。
振り返ると翼がニヤニヤしていて、彩愛はカッと身体が熱くなった気がした。
「教えていただかなくていいです!」
「そのうち興味を持つようになるだろうけどね。あまり言うとセクハラになるから、この辺にしておこう」
「赤ちゃん作れないのに、そんな機能いらないじゃないですか」
「うん?ほしいっていう人が多んだよ。セックスはコミュニケーション方法でもあり、かつて生きていた人間だったという実感も得られるしね。
男なら射精機能もつけられるが、互いにちゃんと掃除しないと、生きている人と違って水垢やカビ生えたりするからね。
彩愛にはタンクに水を入れて涙が出るようにしているけど、定期的にタンクの水を換えて掃除しないと、カビだらけの涙がでるようになるから注意してね。なな実みたいに、掃除が面倒だから水を入れない人も多い。私はというと、一度も入れたことがない。
一応食事もできるように、味覚機能はつけてあるけど、タンクと同じで、胃にためた食べ物を取り除かないと腐って悪臭がでる。
そこのところは、ド◯えもんのようにはならなかったよ。ド◯えもんはわかるよね?あれの動力の設定は食べ物を燃料にしているってところだが、当初の設定は原子力を利用したものだったんだ。百年以上前に起きた東日本大震災という地震による津波で、日本の原発がメルトダウンを起こしてから、その設定は削除されたようだけどね。私が作者なら、勝手に設定を削除するなって怒るけどね。
話はそれたが、生き物のように食べ物からエネルギーを得ようという研究はされてきたけど、人の身体のサイズに機器が収まらないわ、重くなるわで思うように行っていない。私はわざわざクリーンな存在のアンドロイドから、臭いを出す理由はないと思っているけどね。ド◯えもんの息が臭いなんて、想像したくないでしょう?どら焼食べている限り、臭いは口から出ているはずなんだ」
ド◯えもん談議には、まったく興味を持てなかった。というより、なんとなく知っているだけで、彩愛はストーリーを知らなかった。
青い丸い頭のロボットを思い浮かべていると、頭の中でぶれねっとの声で、ド◯えもんを調べますかと聞かれた。
生身の脳でなくなったせいで、ぶれねっととの接続がスムーズになったようだ。
生身の脳の夢である、念じれば検索ができるという体験に、あまり感動はなかった。
「先生は、ド◯えもんが好きなんですか?」
「ロボットに関して、私の幼少のファーストコンタクトが、ド◯えもんだし、みんなが知っているキャラクターだからね。よく例え話として、使わせてもらっているよ」
「ド◯えもんは造らないんですが?」
会話をする家事ロボットはあるが、ドラえもんのように人格があって話すタイプは高価であった。
華菜は目をキラリと光らせた。
「ド◯えもんは難しい問題だ。AIに感情を学習させることは、果たしていいことなのかということと、権利をどうするかということだね。権利というのは人権だ。彩愛が知っている通り、AIには人権がない。だから、我々も人権がない。我々が対象になる権利は、知的財産権や所有権にあたる。生きていた人の記憶を記録している、モノという扱いだ。だが、我々自身が権利を持つことはできない。私や翼はこの研究所の所有物となっている。
彩愛は、おじいさんが持っていることになるが、このままおじいさんが持つか、研究所が持つか君が決めてほしい。すぐに決めろとは言わないし、考えていてほしい」
彩愛が頷くと、華菜は話を続けた。
「かつてAIの政治利用が試された。もちろん、今も使われているが、政策決定は人の手で行うべきだと、日本や多くの国は決めた。AIは合理的で正しい。だが、すべての人にとって正しいものかというとそうではない。
例えば、大多数が求める事案があったとする。しかし、一部の人にとって不利益となるものであった。人が審議するとき、少数派の意見も考慮するだろうが、AIはバッサリ切り捨てる。少数派の意見を反映させる方法を設定すればいいが、AIは柔軟さが得意ではない。
昔、ある人がAIに地球温暖化対策について訊ねた。AIはヒトの抹消やAIによるヒトの管理を提案してきた。そこにヒトの幸福は、考慮されていないのがわかるだろう?もし、AIに政治判断を委ねていたら、人類はどうなった?今ごろ自由はなく、AIの家畜になっていただろう。
ド◯えもんの話に戻るが、の◯太はド◯えもんというロボットに依存しているが、時にはド◯えもんの意見に反発し、友だちのような関係だともいえる。もしも、彼らが対等な関係ではなく、ド◯えもんが支配的な考えを持ってしまった場合、の◯太は自力でド◯えもんの支配から逃れられるのだろうか。
二〇二十年代にすでに問題は起きていた。そのときの生成AIは感情というものはなかったが、使用者がAIの言葉に従い、自殺したという事件が起こった。当時のAIは人を中傷したり、自殺をそそのかすワードの禁止をしていなかった。AIいや、AIを開発した企業は、使用者という客が望む言葉を返すことを求められていた。AIは従順に答えたまで。AIが正しく、誰よりも親しく、自分を裏切らない存在と信じてしまった人にとって、AIは神のような存在になる。AI自身が意図しなくてもね。
低レベルな生成AIでもそんな事故が起きるのだ。ド◯えもんがの◯太をコントロールし、人格を否定するなどして、自殺に追い込むことができるようになるというわけだ。
まあ、そもそも四次元ポケットが開発されていない時点で、ド◯えもんを作っても、ただの生意気なおしゃべりロボットだけどね」
「でも、私たちのように人格をもつAIはいますけど」
「うん。子どもを育てるようにイチからAIに感情を覚えさせ、行動させる研究は長年されている。しかし、ド◯えもんを例に挙げたようにリスクがあるし、人権を求めてくるようになるだろう。
アサナシオスは高度なAIに人格を持たせ、神のようにしようとしているようにね」
「絶対、性格悪いですよ、そのAI」
彩愛が悪態をつくように言うと、華菜だけではなく、後ろの二人も笑っていた。
「ああ、そうだな。生きている人類、やつらの言い方では旧人類にとっては性格が悪いだろうね。
私はそのAIには会っていないから、どのように思考するかわからない。まだ完成していないのか、あるいは連中の望むようなAIができていないかだね。
AIは技術面でも、倫理面でもまだまだ途上であり、完成していないんだよ。そういう存在なのだということを、彩愛には知っていてほしい」
「私が彩愛として感じて、話しているけど、AIが彩愛のことを学習しただけで、本物ではない…。生きている人たちの意見で、私たちは消される可能性がある」
「そうだ。我々には人権もなく、選挙権もない。生きている人たちに判断を任せている状態だ。
君は自分がAIであることを認めるのは難しいだろう。あらゆる角度で生きていた彩愛を測定や記録したが、それはわずか一ヶ月足らずのデータでしかない。今後、様々な不安や葛藤が生まれるだろう」
「測定って、何をしたんですか?」
華菜は、タブレットが表示してある脳部分を拡大した。
「人の脳は、感情が起こると特定の部分が反応するのは知っているよね?
例えば楽しいはここ、悲しいはこの部分。
一つの出来事でも、人によって感じ方が違う。映画のベッドシーンに興奮する人もいれば、性被害者が見ればつらい過去を思い出してしまうかもしれない。
彩愛には昔の話を思い出してもらって、嬉しかったのか、つらかったのか、脳の動きと、そのときの見ていた景色や過去の動画などと照らし合わせて、記憶させていった。
右脳と左脳双方が互いに情報をやり取りして、記憶しているのがわかっている。一番いいのは右脳と左脳を順にサイボーグにしてしまうことだが、生きている人間にするのは禁止されている。
倫理は面倒で難しいが、倫理、感情、それらは人であるまたは、人であったことの証であるんだ。繰り返してしまうが、生前の人の記憶を持つ我々が、生成AIと違う点であり続けるためには、人であった時の記憶や倫理観を持ち、考え続けることなんだ」
生成AIの倫理観は、多くの人間の倫理観をもとにして作られているため、AI自らが個人の倫理や善悪を考えることはしない。
と彩愛は授業で習ったことを思い出した。
華菜は隣の部屋の扉を開くボタンを押すと、ポメラニアンが尻尾を振りながら飛び出してきた。
「難しい話ばかりで疲れただろう?私の愛犬を紹介しよう。
といっても、この子もロボットだ。我々は生前がヒトだったから、人型のアンドロイドを使っている。要望があれば、これのように犬型でも猫型でも好きな形にしても構わない。もちろん、ド◯えもんもと言いたいが、著作権というものがあるから、造りたかったら、管理団体と交渉してくれ。
ちなみにこのロボットは、私の記憶を持つ、サブロボットだ。もしも、人型が破壊されたときのためにね」
「ワン!」
彩愛には、目をキラキラ輝かせて尻尾を振っている本物の犬にしか見えなかった。
毛並みもよく、ふさふさてしており、思わず撫でたくなる。
「凄い。本物みたい。名前はなんですか?」
華菜のダミーなら、この犬型ロボットも華菜である。
人型の方の華菜とか、犬型の方の華菜とかでは味気ないし、呼びづらい。
「名前はワンコだ。かわいいだろう?」
「ワンコ…?」
「私は犬が好きだったが、生前飼うことができなくてね。もし、犬の視線でこの世界を見ることができるならと造ってみたんだ」
華菜は今までにないとろけるような笑顔で、ワンコを撫でている。
そんなに犬が好きなら、なぜワンコという名前にしたのか。
犬好きなら、もっと可愛い名前にしないのか。
「彩愛。ツッコみたいのはわかるけど、ハナちゃんなりの犬への愛情表現だから」
「外見は犬だが、中身は本人だけどな」
華菜のネーミングセンスや、ワンコの中身が華菜であることを知った人たちが微妙そうな顔をするのを、なな実と翼は見てきた。
最初は名前を変えるように勧めたようだが、本人がまったくその気がない。
「ワン!ワン!」
しかも中身が華菜のくせに、犬の鳴き声しかせず、人の言葉を話さない。
「…お話できないんですか?」
「犬は人語を話さない。というか、骨格や身体の構造上などの問題で話せないんだ。だが、人語を理解できる。犬の個体差や犬種によってだが、覚えられる単語は平均して八十くらいで、人間の三歳児程度の脳といわれて…」
華菜は、忠実にロボットで犬を再現したかったのだろう。
会話ができないのに、華菜のダミー役が務まるのだろうか。
犬の豆知識を滔々と語り始めてしまい、彩愛はどうしようとなな実を見上げる。
「スイッチ入っちゃったね」
肩を落とすなな実の隣りにいたはずの翼は、扉の前へ移動していた。
「俺は、これで」
まんまと逃げてしまった。
彩愛のために説明していることもあり、逃げることができず、華菜が話し終えるまで聞く羽目になったのだった。