4話 現実
退院して一ヶ月以上経ったが、培養した臓器の移植の話は出てこなかった。
彩愛を撃った犯人もいまだ捕まっていなかったため、彩愛の祖父、龍之介は警察は何をしていると悪態をついていた。
食事を取らない生活に慣れて、サイボーグの身体を彩愛は受け入れはじめていた。
「彩愛たちは修学旅行のアルバム買った?」
凛は学校の掲示板に貼られていた、アルバムの配布日が書いてあるポスターを指を差した。
彩愛は数日前にメールで、配布日の知らせが来ていたことを思い出した。
初夏に行った修学旅行のアルバムの配布日になり、購入者は高校にある購買に取りに行く。
朝から配布されていたようで、クラスメイトの何人かが持っていたのを見かけていた。
アルバムは冊子とデータの両方がある。
冊子を見る人はほとんどおらず、データがほしい生徒が大半のようで、両方配布するようになったそうだ。
「あっ、申込み忘れちゃった!」
なな実は中学校のころは、修学旅行に行ったことがなかったようで、高校の修学旅行を人一倍楽しんでいたのに、アルバムのことは忘れていたようだ。
生徒のほぼ全員が日常的に写真を撮っていることだし、プロに頼まなくとも自分たちで撮ればいいとアルバムを買わない人も多い。
がっかりしているところから、なな実はアルバムがほしかったらしい。
「データ貸してあげるよ」
「ありがとう、彩愛!」
三人は昼休みに購買へ行くと、数人が並んでいた。
引換券を購買へ渡すと、袋に入ったアルバムが手渡された。
廊下には待ちきれずに、アルバムを広げて談笑する人たちの姿も多かった。
彩愛たちは教室に戻って、アルバムを広げた。
「私たち、写ってるかな?」
三百人近くいる生徒をこの一冊にまとめるのだから、何枚も写っているということはないだろう。
自分たちを探していると、動物園のペンギンの前でポーズをとっている写真があった。
「これ、なな実じゃない?」
凛が指差した写真は、ソフトクリームを食べている他の班の子たちをメインに写しているが、なな実の後ろ姿らしいものも写り込んでいた。
「多分、私!」
「ここのソフトクリーム美味しかったな」
彩愛は甘くて濃厚なソフトクリームの味を思い出して、無性に食べたくなった。
サイボーグの胃になってから、久しぶりの感覚であった。
「また食べに行こうよ。お金貯めて、卒業旅行とかで!」
凛が言うと、なな実は他のページを開いてここ行きたかったんだと言う。
「修学旅行で行けなかったところもたくさんあるし、三人で行こうね」
「うん。行こう」
卒業まで一年はあるが、三人は卒業旅行に行く気になっていた。
なな実が三人で行った場所を挙げて、思い出話をし始めて彩愛は酷く懐かしい気持ちになった。
「卒業までに行きたいところ、行けるかなぁ」
凛がぶれねっとに撮り溜めた写真を開いて、レーザーウォッチに映して眺めていた。
「卒業しても会おうよ」
彩愛が言うと、二人は笑顔で会おうと言ってくれた。
友人たちと話していると、移植手術も不安にならなかった。
臓器も犯人の捜査も進展がないまま、時間だけが過ぎていった。
その日の朝は、入院して初めて目が覚めたときのような全身が気だるい感覚がした。
龍之介に言おうとしたが、彩愛がリビングに行った時には、すでに出勤してしまっていた。
仕方なく、龍之介と華菜に体調が優れないけど学校に行くとだけ、連絡を入れておいた。
華菜からすぐに返事がきて、無理しないようにと短い文が送られてきた。
学校についても身体の重さはとれず、むしろ頭が朦朧としてきた。
彩愛の異変に気が付いたなな実が病院に行こうとしきりにいうので、早退しようと席を立ったとき、足の力が抜けた。
「彩愛!!」
凛の焦ったような声は、彩愛に届いていなかった。
プツリと何かが途切れた感覚があったあと、急激に頭がクリアになり身体が軽くなった。
すくりと立ち上がり、手のひらを握ったり閉じたり感覚を確かめてみたが、おかしいところはなさそうだ。
「立って大丈夫?」
「なんか、身体が楽になった」
凛はほっとしたような表情になったが、なな実は何故か呆然としたように彩愛を見ていた。
なな実の反応を訝しんだ彩愛と凛は、彼女の顔を覗き込む。
「なな実?」
「…病院に行こう。私も付き添うから!」
なな実は、机に入れた筆記具やタブレットなどを、急いで鞄に詰め込む。
彩愛もなな実に圧倒され、鞄に貴重品を入れると教室を出た。
廊下ですれ違った現代文の教師に、早退を告げ、早足のなな実の後ろについていく。
「待ってなな実。この時間、バスないし、まだタクシーを呼んでないよ」
「タクシーを呼んだ。彩愛。身体の調子はどう?」
「朝よりよくなったし、すごく調子がいいよ。本当になんだったんだろう?」
「…」
学校の正門でタクシーを待つ間、なな実は無言だった。
タクシーに乗ると、なな実は誰かに通話し始めた。
「あっ、ツバサ?今から中央病院に来て。えっ?どうせ、バイク乗り回して暇でしょう?」
ツバサというのはどういう人なのか。なな実の口から学校以外の友人の話を聞いたことがなかった。
聞けずにいると、病院に着いてしまった。
受付に向かおうとした彩愛を、なな実がこっちと入院病棟の方へ足を向ける。
エレベーターに乗り、なな実は迷わず三階のボタンを押す。
三階でドアが開くと、壁や床だけの白い空間が広がり、消毒液の臭いが漂っていた。
エレベーターホールから角を曲がると、病室が並んでいた。
前から来た女性の看護師が、彩愛の顔を見ると驚いた顔をして、立ち止まった。
「まだ病室にいますか?」
なな実が看護師にたずねると、彼女は頷いてからまた歩きだした。
また角を曲がると、一つの病室に人だかりができていた。
その中のスーツ姿の男性に、彩愛は見覚えがあった。
「おじさん…?」
振り返った伯父は、幽霊でも見たかのように口をポカンとあけ、交互に病室の中と彩愛を見た。
「なんで…。生きている?お父さん!彩愛が」
彩愛は不安が押し寄せ、病室へ早足に向かうと龍之介が出てきた。
龍之介もまた驚いた顔をして、彩愛を見ている。
「なんで、動いている?」
「何言ってるの?おじいちゃん。何が起きたの?」
人の合間から病室内を覗くと、女の子らしき人が数多のコードに繋がれてベッドに横たわっていた。
女の子の姿や顔は毎日のように見ていたから、誰だかわかる。
「わたし…?」
龍之介は何度も首を振り、ため息をついた。
「等々力華菜め。余計なことを。お前、来なさい」
彩愛は自分が呼ばれたことに気が付かなかった。
龍之介は彩愛をお前などと呼ばない。いつもの優しい眼差しはなく、冷たくモノを見るような目つきだった。
「なんなの…?」
ぐっとなな実に彩愛は腕を引っ張られ、走り出した。
「待ちなさい!!彩愛を…アレを捕まえろ!」
龍之介の荒げた声も言葉も、彩愛はすべて信じられなかった。
「なんで…」
エレベーターに飛び乗り、廊下を走る音が扉で遮られると、なな実が大きく息を吐いた。
「だから、話せって言ったのに」
「どういうこと?なな実は何を知っているの?」
「ごめん。うまく話せる自信がない。ハ…等々力先生のところに行こう」
エレベーターの扉が開くと、なな実は周囲を確認しながら、走りたい気持ちを抑えて早足で出入り口へ向かう。
病院の出入り口付近にある送迎用の駐車スペースに、タクシーや車が並んでいる中、一台のバイクが停まっていた。バイクの横に二十代くらいの金髪の若い男が立っていた。
「呼び出しておいて、どこに行ってたんだよ、ナナミ!」
「ごめん、ツバサ。この子をハナちゃんところに連れて行って。追われているの」
この男がツバサらしい。彩愛は知らない人であった。
彩愛もツバサも困惑してると、伯父が病院から出てきた。
「待ちなさい!」
伯父が走ってくるのが見えて、なな実が彩愛の背を押した。
「早く!」
「ナナミはどうするんだよ!」
ツバサが叫びながらエンジンをかけると、彩愛はおっかなびっくりしながら後方にまたがる。
「私は平気だから!行って」
ツバサがスロットルを回すと、彩愛は後方に倒れかけた。
「俺に掴まれ!」
「わ、わかった。私、ヘルメットしてないけど」
「そんなこと言ってる場合かよ。マジメかっ」
生まれて初めて乗るバイクのスピードや風を切る音に、彩愛は身を縮めながら必死にツバサの胴にしがみついた。
バイク走行時はヘルメットの着用は義務であったが、警察に止められることなく、目的地にたどり着けたようだ。
ビルの地下にある駐車場へ、ツバサはバイクを進める。
「ついたぞ。大丈夫か?」
彩愛はふらつきながら、地面に足をつけ、乱れた髪を手で梳かした。
「ありがとう、ございます」
「で、何が起きたんだよ」
「私も、何がなんだか…」
ツバサは仕方ないというように、頭を振ってからバイクから降りた。
「俺は、油科翼。ナナミの…ダチだ。あんたは?」
「宗方彩愛です」
「ああ、あんたか。ナナミが言っていたクラスメイトのお嬢って」
「お嬢って…」
翼の小馬鹿にした言い方や表情に、彩愛はムッとなった。
「お嬢だろう?じいさんは製薬会社の社長だか、会長だろう?
アポトーシスの連中に金を渡している」
「おじいちゃんは、あんな人たちにお金を渡したりしないもん!」
「それはどうだか。みんながアンドロイドになったら、製薬会社は儲からなくなる。だから、ムネカタ製薬は、アポトーシスを支援したって聞いたぞ?
だけど、そんな製薬会社の偉い人の孫娘がアンドロイドだって、笑えるな」
「わ、私はアンドロイドじゃないもん!」
すると、翼がツカツカと寄ってきて、彩愛のシャツを捲し上げた。
「何すんの、やめて!」
抵抗しようも力強い手で腕を掴まれ、思いっきりヘソあたりを押された。
痛みはなく、代わりにカチリと蓋が開くような音がした。
無意識に目をつぶる。
「見ろよ」
見たくはなかった。
捲れたシャツがこんもりと盛り上がり、灰色の金属がちらりと見える。
「そんな…。これは、違う。臓器がサイボーグになっているから…」
「手でも切ってみろよ。血が出るか確かめてみろ」
「…」
切っても血が出なかった指先が脳裏に蘇る。
違う違うと、口の中で繰り返す。
ポタポタと涙が頬を伝い、拭って涙を翼に見せる。
「涙が出るもん」
「そりゃあ、タンクに水が入っているからだ。お前はサイボーグでも、生身の人間でもない。
アンドロイドなんだよ」
アンドロイドでもショックを受けるのだろうか。
AIは自分が生命体ではないと理解しているものではないのか。
「こんなの、嘘だよ!私は生きている!人間だよ!」
彩愛はその場に座り込んで、動けなくなってしまった。
今後、投稿ペースは週一回の予定です。これからもよろしくお願いします。