花散里巻
平安時代は、一月から三月が春、四月から六月が夏、七月から九月が秋、十月から十二月が冬でした。現在の暦より一月ちょっと遅めで、今年は二月十日が旧正月になります。まだまだ寒い時期ですが、梅は咲いているし、寒さが緩む兆しが見える頃です。
光る君たちが韻塞をしたり、密通事件が起きたのは、光る君二十五歳の夏でした。夏の雨とか五月雨というのは、現在でいうところの梅雨です。そういえば、梅雨の後半には大雨が降ることがありますね。
密通事件の前か後かはわかりませんが、この巻は同じ夏のお話です。
『御自身が原因の物思いはさておき、世の中は煩わしいことが多く、心労ばかりが増えていくので、すっかり嫌気がさしておられるのだが、そうも言っていられないことも多い。
麗景殿の女御でいらした方は、御子もいらっしゃらず、院が崩御された後は、ますますお寂しい御様子なのを、大将殿(光る君)の御庇護のもと、お過ごしになっていらっしゃる。』
元女御には、朝廷からのお手当はないんでしょうか。実家はもう力をなくしているのかもしれません。
光る君、縁者でもないのに生活の援助をしているんですね。いいとこあるじゃないですか。
『その妹君の三の君とは、宮中でほんの少し逢瀬を持った御縁がおありなのだが、すっかりお忘れになることもできず、そうかといって特別な扱いもなさらないので、女君は心の底からお悩みになったようである。
光る君は、このところすっかり世の無常に悩まされておられるが、その一つとして思い出されると、お気持ちを抑えられず、五月雨の空が久しぶりに晴れた雲間にお訪ねになる。』
・・・前言撤回しようかな。やっぱりひどいとこもありますね。
紫式部は上品に『はかなうほのめきたまひしなごり』と書いていますが、これを現代語に直訳しようとすると、何のことだか分りません。前後の文脈から推測したかもしれませんが、昔の読者はよくこれで分かりましたね。
朧月夜さん同様、宮中でちょっと関係を持って、その後は、ほぼ忘れていたということなんでしょうね。
『先払いもなく目立たないようにして、中川のあたりを通り過ぎようとするとき、木立などが風情ある小さな家で、和琴をことさら賑やかに弾いているところがある。すこし御体を乗り出して覗いてみると、大きな桂の樹に風が吹いて、葵祭の頃がふと思い出され、なんとなく風情ある様子である。たった一度だけお逢いになった女の家だとお分かりになり、御心がかきたてられるが、ずいぶん前の事なので、覚えているだろうかと、ためらっていらっしゃる。
ちょうどその時、ホトトギスが鳴いて渡り、それが誘い込むように思えるので、御車をおし返させて、惟光を邸内に遣る。
寝殿とおぼしき建物の西の端に女房たちがいて、聞いたことのある声なので、惟光は咳ばらいをして、
「恋しさに耐えかねて帰ってきたホトトギス(男君)が鳴いています。」
と伝える。若い女房達は、誰だろうといぶかしがっているようだ。女からは、
「ホトトギスは分かりますが、どなたかは分かりかねます。」
と返事がある。わざとわからないふりをしている、と見た惟光が、
「ならば結構。垣根を見間違えたのでしょう。」
と言って出て行くのを、心のなかでは、恨めしくも悲しくも思った。
(そのように隠さなければならないのだろう。それも道理なので、これ以上の事はできない。この程度の身分の女の中では、筑紫の五節がかわいらしげであったな。)
どの女性のことでも、御心の休まる暇なく苦しんでいらっしゃるようである。年月を経ても、やはりこうして、契りを結んだ相手への情をお忘れにならないことも、かえって多くの女の物思いの種となるのである。』
筑紫の五節って誰?いきなり出てきますね。今まで全く説明はありませんが、この後で少しだけ登場する人です。
そして、心の中で恨めしくも悲しくも思ったのは誰?文脈から読み解く必要のある部分ですが、この屋敷の女主人だったり惟光くんだったりするんです。私は、女主人ではないかなあ、と思うのですが。
それにしてもまあ・・・呆れたプレイボーイぶりです。言及されてない女性たちが、一体何人いるんでしょう。
『目当ての所は、想像していた通りで、人影もなく静かなありさまをご覧になるにつけ、しみじみと感慨深い。
まず、女御の御方にて、昔の物語などして、夜が更けていった。
二十日の月がさし上ってくる頃で、高い木立の影があたりをより暗くして、近くでは橘の香りがなつかしく匂っている。女御はお年を召していらっしゃるが、あくまで心遣いがあり、優美で愛らしげでいらっしゃる。
「格別にきわだった御寵愛こそなかったが、仲睦まじく親しみの持てるお相手と、院はお思いであった。」
などと思い出されるにつけても、昔のことが次から次へと思い出されて、ついお泣きになる。
先ほどの家のホトトギスであろうか、同じ声で鳴いている。
「橘の 香を なつかしみ ほととぎす 花散る里を たづねてぞとふ
(昔を思い出させるという橘の香をなつかしみ、ホトトギスが花の散る里を訪ねてきて鳴いています)
昔を思い出すよすがには、やはりこちらに参上すべきでした。ずいぶん紛れる物思いもあれば、新たに加わることもございますね。人は時流に従うものですから、昔話を語れるような人も少なくなっていきますし、ましてこちらでは、寂しさを紛らわしがたいことでしょう。」
「人目なく 荒れたる宿は 橘の 花こそ軒の つまとなりけれ
(訪れる人もなく荒れ果てたこの宿は、軒端の橘の花だけが、あなたをお誘いする手がかりとなっております)」
とだけ仰せられる女御のご様子は、やはり並大抵の女性とはだいぶ違っている、と思い比べていらっしゃる。』
五月まつ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする(古今)
(五月に花開く橘の花の香りをかぐと、昔の恋人のなつかしい袖の香りがするよ。)
橘の 花散る里の ほととぎす 片恋ひしつつ 鳴く日しぞ多き(古今)
(橘の花が散ってしまった里のほととぎすは、花をしのんで片思いをしつつ鳴く日が多いなあ)
花って、橘だったんですね。なんとなく桜をイメージしてました。日本原産の柑橘類らしいのですが、現代人にはあまり馴染みがないですよね。御所に植えられていたり、臣籍降下した皇族に姓として与えられたりしているので、元々は馴染み深い植物だったのでしょう。
花散里というのも、そもそもは人ではなく、麗景殿女御の邸を指す言葉だったんですね。もの柔らかい語感から、人柄を示すものかと思ってました。
『目立たないようにして西面を覗いてみたところ、久しぶりである上に、世にも稀な素晴らしい御姿なので、女君は長いご無沙汰の辛さも忘れそうである。光る君があれこれと優しく語らう言葉も、うわべだけというわけではあるまい。
仮そめであっても、光る君がお付き合いなさるのは、並の身分の方ではなく、興ざめと思われるところがないからだろうか、不快に思うこともなく、お互いに気持ちを交わしつつお過ごしになっておられるのだ。
そうした関係を「無益だ」と思う人は心変わりしていくこともあるが、そうしたことは世の常と思うようにしていらっしゃる。垣根の家の女も、そういう類の人なのだろう。』
何年放置したのかわかりませんが、この女君(花散里さん)は水に流してくれたようです。
よくわからないのが、光る君がお付き合いする女性たちがどうだと書いてある部分です。どういう状態を不快と思わないのでしょう。
光る君と長続きする人は優れた人で、並の人は他の男性の妻に収まっていく、ということでしょうか。
大勢いる彼女の一人として、時々逢ったり手紙をやり取りして、そんな関係を不快と思わない女性は長続きする、という解釈があるようです。
・・・それは普通、不安だし不満に思うでしょう。
いくらキラキラの皇子様でも、大勢の中の一人として扱われるなら、より大事にしてくれる人を選ぶのは当たり前です。女性には、気まぐれな皇子様をのんびり待ってられない事情もあります。たった一度だけ関係を持って忘れられてた垣根の家の女性が、他の男性の妻や恋人になっていたのは、全く不思議なことではないですね。
光る君、あるいは平安男性は、だいぶ都合の良いことを考えているようです。




