賢木巻〜不遇をかこつ人々〜
『年が改まると、宮中では華やかに内宴や踏歌などが行われるが、中宮(藤壺宮)は、何かと感慨がこみあげるばかりである。仏前のお勤めをしめやかになさりつつ、来世のことだけをお思いになっていると、難儀だったことも遠い昔のようである。
そこへ大将(光る君)が参られた。
新年らしい様子もなく、邸内はひっそりして人影もまばらで、ただ近しくお仕えする中宮職の役人たちが、気のせいか少しうなだれているように見える。
白馬節会だけは、昔とかわらず巡ってくるが、以前は所狭しと参上していた公卿達も、この邸を通り過ぎて向かいの右大臣邸に集まっている。これが世の常と知りつつ、やはり寂しくお思いになっていたところに、千人にも匹敵しそうなお姿で、光る君が参られたのを見ると、女房たちはわけもなく涙ぐんでしまうのだった。
客人もあたりを見回して、しみじみ心にしみる様子に、すぐには何とも仰せになれない。出家されて様変わりした御住まいは、御簾の端や几帳も青鈍色で、ほのかに見える薄鈍色や梔子色の袖口などは、かえって優美に、奥ゆかしくお見受けされる。
解け始めている池の薄氷や岸の柳の芽吹きは、季節を忘れないものだと、あれこれ眺められて、「むべも心ある」とひっそり口ずさんでいる光る君は、比べようもないほど優美である。古歌を引いて、
「物思いに沈む尼君がお住まいの、松が浦島の様子に涙がこぼれます。」
と申し上げると、中宮は
「昔の名残さえないところに、立ち寄る波のめずらしいこと。」
と仰せになる。少し近い所にいらっしゃるので、声がほのかに聞こえて、堪えようとしても涙がほろほろとこぼれるが、尼君たちが見ていると思うとばつが悪いので、言葉少なに退出なされた。
「またとなくご立派になられました。何不自由なく時めいていらした時は、どのようにして世の中というものをお知りになるのだろうかと思われましたのに。」
「今はとても落ち着かれて、なんとなくしみじみした様子になられたのが、どうにもおいたわしいことですよ。」
など、老いた人々は、涙ぐみながらお褒め申し上げた。』
音にきく 松が浦島 今日ぞ見る むべも心ある あまは住みけり(後撰集)
(名高い松が浦島を見ているようです。なるほど心ある尼が住んでいたものですよ。)
三十六歌仙の素性法師が、出家した人を見舞ったときに詠んだ歌だそうで、宮城の名所、松が浦島を思わせる庭園を見て、主である尼君を褒めています。光る君は、藤壺宮の住まいを見て、この歌を連想したのです。
そして、「私は何をしても許される。」と豪語していた時は、思いやりに欠ける行為が(特に女性に対して)見られたけれど、最近は落ち着いてきたと褒められてます。
やっぱりちょっと、天狗になってると思ってる人はいたんですね。
『司召のころ、中宮に仕える人々は、当然得られるはずの官職も昇進もなく、嘆く人々が多くいた。
このように出家された場合でも、すぐさま中宮の御位を去り、所得が停止されるものではないのだが、ご出家を言い訳にして、いろいろと変わってしまった。既に捨てている俗世であるが、仕える人々が拠り所なく悲しげであるのを御覧になると、御心が動く折もある。しかし、たとえ我が身を犠牲にしても、東宮が無事に即位なさるならばと、そればかり思いつつ、お勤めをたゆみなくなさっている。人知れず危険を感じて不安を覚えられることもあるが、仏にお祈りすることで慰められるのである。
大将(光る君)に仕える人々も同じような状態であり、光る君は世の中を住みづらく感じ、引きこもっていらっしゃる。
左大臣も、すっかり変わってしまった世のありさまを、どうにも不快にお思いになって、辞職を願い出られたが、末永く世の重鎮とせよ、と故院が御遺言なされたので、帝は辞意を退けられた。それでも、左大臣は強いて職を返上なさって、引きこもってしまわれた。
今や右大臣の一族だけが、この上なく栄えている。重鎮でいらした左大臣が、このように辞職なさったので、帝も心細くお思いになり、心ある人は嘆きあうのであった。
左大臣家のご子息たちは、みな人柄が好ましく、朝廷に用いられて順風満帆な様子であったのに、今はすっかり勢い衰えて、三位中将(頭中将)なども、世の中に失望している様子はひととおりではない。
あの右大臣家の四の君のところも、時々は通っているが、右大臣家からみると心外な程そっけないので、心許せる婿とは思われていない。今回の司召にも漏れてしまったが、三位中将はそれほど気にかけていない。
大将殿(君)がこのようにひっそり過ごしていらっしゃるので、まして自分が不遇なのは当然だと思うようになり、常に大将殿のもとに通いつつ、学問も遊びもご一緒になさる。
昔もやっきになって競争なさっていたが、今もちょっとした事で張り合っていらっしゃる。春秋の御読経や法会をさせたり、暇そうな博士たちを召し集めて、作文や韻塞などの気晴らしをして、ご出仕もほとんどなさらない。御心にまかせて遊んでいらっしゃるので、わずらわしいことを次第に言い出す人々もあるようだ。』
頭中将は、もう蔵人頭ではないのでしょうか。しばらく前から三位中将と呼び方が変わっていますが。
彼らの遊びは、上級貴族だけあって、芸事や漢詩など、かなり知的な遊びのようです。
韻塞は平安時代に流行したそうですが、漢詩の中で韻を踏んでいる字を隠して、それを当てるというものです。四字熟語を当てるようなものかと思ったのですが、知らない詩だと、漢詩の知識を駆使して当てないといけません。日本語の音読みと中国語の発音はまた違うだろうし、難しそうですね。
『夏の雨がのどかに降って退屈なので、中将はしかるべき詩集を多く持って参られた。光る君の御邸でも、由緒ありそうな古くて珍しい詩集を少し選び出させて、その道の人々を大勢お召しになった。殿上人も大学寮の人々もたくさん集まって、左方と右方二組にお分けになる。
数々の賭け物も、二つとなく素晴らしいものであった。学識におぼえある博士たちなども困惑する難しい箇所を、光る君が時々口を出される様子は、実にすばらしい御才覚である。
「どうしてこのように万能なのだろう。やはり前世からの約束事で、全てにおいて他人より優れていらっしゃるのだ。」
と、皆が称賛する。
右方が負けて、二日ほど経ち、中将が負態をなさる。おおげさなものではないが、食事や賭け物などさまざまに用意して、今日も人々を多く召して詩など作らせる。
階段の下の薔薇がわずかばかり咲いて、春秋の花盛りよりもしめやかに美しいので、人々はくつろいで管弦の遊びをなさる。
中将のご子息で、今年はじめて殿上する、八つ九つばかりの子がいて、声がとても美しく、笙の笛を吹いたりする。四の君の子の次郎であった。世間の人々の寄せる期待は大きく、特に大事にされている。利発で顔立ちも美しく、管弦の遊びが少しくつろいできた頃に、『高砂』を声を張り上げて歌うのが、とても可愛らしいので、大将の君(光る君)は、お召し物を脱いで褒美としておかけになる。
普段よりくつろいでいらっしゃる光る君の御顔の美しさは、似るものとてないほど素晴らしく見える。薄い絹の直衣、単衣をお召しになっているので、すけて見える肌つやがさらに美しく見えるのを、年老いた博士たちなどは、遠くから拝見して涙を落としている。
「逢はましものを小百合はの」と『高砂』を歌い終わるときに、中将が光る君に盃を差し上げる。
「それもがと 今朝開けたる 初花に 劣らぬ君が 匂ひをぞ見る
(待ち望まれて今朝開いた花にも劣らない、君の美しさを見ることです)」
光る君は、微笑んで盃をお取りになる。
「時ならで 今朝咲く花は 夏の雨に しをれにけらし 匂ふほどなく
(時期外れに咲く花は夏の雨にしおれてしまったようです。美しく色づく時もなく)
もう私など衰えているのに。」
と陽気な様子で冗談と受けとられるのを、中将は咎めつつお酒をお勧めする。
多くの歌が詠まれ、誰もが光る君を褒める和歌や漢詩を作り続けている。ご自身もたいそう得意そうで、「文王の子武王の弟」と名乗る様子も、また見事である。
兵部卿宮もいつもお越しになり、管弦の御遊びなども得意でいらっしゃるので、華やかな御あそび相手となられたのである。』
不遇をかこっている割に、のんきというか、優雅ですね。
どうせ窓際に追いやられて面白くないからって、仕事に出ないで遊び暮らすのは、ありなんでしょうか。クビになりそうですけど。中将とか大将とか官職にはついていて、その分の手当ももらっているはずなんですよね。
上級貴族って、いいですね。
負態というのは、勝負事に負けたほうがみんなにご馳走することのようですが、お酒が入ってほんのり赤らんだ光る君が、泣けるほど美しいらしいです。海棠の花に例えられた楊貴妃みたいですね。
光る君も二十五歳。一応謙遜しているけれど、自分が見目良いの分かってる人ですからね、まんざらでもないようです。
ここで薔薇という花が出てきます。この時代の日本にバラがあったのかと驚いたのですが、現在一般的な西洋バラとは少し趣が違うようです。
バラはもともとアジア原産ですが、西洋で品種改良されたバラが伝わってきたのは江戸時代。奈良時代には中国原産の赤い華やかな花が入ってきて、これを薔薇と呼びました。重ねの色目にもなっていて、表が紅、裏が紫だそうです。
それ以前は、野茨を「うまら」とか「いばら」とか呼んでいて、訛って「バラ」になったそうです。実は日本原産のバラがあったんですね。薔薇や西洋バラに比べると、大人しい白い花をつけます。
それにしても、権力闘争の激しい国だったら、追い落とされないよう必死の攻防が繰り広げられていると思うのですが。東宮はまだ幼くてなんの力もないし、後ろ盾もこんな状態だし、安泰ではありません。日本でも、后や東宮が廃されてひっそり消された時代がありました。
それに比べると、なんだか平和ですねえ。




