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源氏物語ってこんな話だったんだ  作者: 紫月ふゆひ
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賢木巻~藤壺宮の出家~

故院(おとうさん)が亡くなって一年。光る君二十四歳の冬のことです。

光る君にとって、ショッキングなことが起こります。



『中宮は、故院の一周忌の法事にひきつづいて、御八講みはこうの準備を、入念に行われた。

 霜月の初め頃、御国忌みこき(故院の命日)の日は、雪がひどく降った。大将殿(光る君)から中宮に、故院を慕う内容の文を差し上げる。

 お二方とも、今日は何となく悲しく思わずにはいられない日で、御返事がある。特に取りつくろってもいない書きようであるが、優雅で気高く思われるのは、光る君の思いこみもあるだろう。今風ではないが、他の人より優れたふうにお書きになっている。今日は中宮に対する恋慕も忘れ去って、しみじみと心にしみる雪の雫に濡れながら、仏事のお勤めをなさる。』



仏教行事に詳しい人には疑問ではないと思いますが。

御八講みはこうは法華経八巻を四日間かけて説く法会だそうです。そう言われてもやはりよく分かりませんが、平安時代にはよく行われていて、ここでは故院の供養として中宮が企画した行事、ということです。特に第五巻の日は重要で、薪を背負ったり捧げものを持ちながら仏様の周りをぐるぐる回る「薪の行道」というイベントもあります。



『十二月十余日ごろ、中宮主催の御八講(みはこう)が開催される。たいそう荘厳である。

 日々の御経をはじめ、玉の軸、羅の表紙、帙簀(ぢす)の飾りも、世にたぐいない素晴らしさに調えさせなさる。中宮は、ちょっとした行事の飾りでさえ、並ではない様に調えなさるのに、まして今回のような場合は、いっそう素晴らしくなるのは当然である。仏像のお飾り、花机の覆いまで、本当の極楽がしのばれるほどである。

 初日は先帝(藤壺宮の父帝)のご供養、次の日は母后の御ため。その次の日は院のご供養、この日は『法華経』の五の巻を講釈する日なので、公卿なども世情を気にしてはおられず、とても多く参られた。

 この日の講師は、心を尽くして格別にお選びになったので、薪の行道からはじめて、唱える言葉もたいそう厳かである。親王たちもさまざまな捧げものを捧げて巡るのだが、大将殿(光る君)のご用意された捧げものは、やはり他に似るものとてない。いつものことではあるが、あらゆる事において素晴らしい御方である。


 最終日、中宮はご自分の御事を結願として、ご出家なさることを仏に申し上げると、人々はみな驚いた。兵部卿宮や大将(光る君)も、動揺して呆然とされる。

 兄宮(兵部卿宮)は、途中で席を立って中宮の御簾の内にお入りになる。中宮は、強くご決心されており、法会が終わるころに、叡山の座主を召して、戒をお受けになる旨を仰せになる。

 伯父君の横川の僧都が近く参られて、中宮の御髪をおろしなさる時に、邸内は動揺して、皆ひどく泣いた。何ということもない老い衰えた人でさえ、今を最後と出家する時は、妙にしみじみするものだ。前もって何のそぶりもお見せにならなかったので、兄宮もたいそうお泣きになる。その場に参られていた人々も、事のなりゆきが心にしみてしみじみ尊く思われたので、みな涙で袖を濡らしてお帰りになった。

 故院の皇子たちは、昔の中宮の御様子を思い出して、しみじみと悲しくお思いになり、皆中宮にお見舞いの言葉をおかけになる。大将(光る君)は席にとどまって、言葉もなく、目の前が真っ暗になった思いでいらっしゃるが、どうしてそんなにまで、と人が見咎めるだろうから、親王たちなどが退出してしまった後で、御前に参上なさる。


 しだいに人の気配が静まって、女房たちは鼻をかみつつ、あちこちに群れをなして座っている。月がくまなく照らす庭の雪もまた照り輝いて、昔の事が自然と思い出されるので、光る君は、実に耐え難くお思いになるが、なんとかお気持ちを抑える。

「どうして、こんなにも急にご出家を・・・」

「今決めた事でもありません。決心が揺るがないうちにと。」

など、例によって王命婦を介してお答えになられる。

 御簾の内では控えている人々の衣擦れの音がして、静かに振る舞うよう気を配りながら、慰めようもなく悲しげな気配が外まで漏れ聞こえる。そのようすを、いかにももっともだと、悲しくお聞きになる。

 風が激しく吹き付けて、御簾の内は、とても奥ゆかしい黒方の香がしみこんで、仏前の名香の煙もほのかに漂っている。大将(光る君)の御袖にたきしめた御香の匂いまでも薫りあって素晴らしく、極楽が自然と思いやられるありさまである。』



旧暦の十二月半ばというと、現在では一月末頃。寒さの一番厳しい時期です。

行事が終わったのは夜。どうやら、格子も下げず、雪の降り積もった庭を吹きわたってきた風が、部屋の中まで入り込んでいるようです。

想像するだに寒々しいシーンです。綿入りの衣を重ね着しているとはいえ、ろくな暖房もないでしょうに、彼らは寒くないんでしょうか。

この場面は、光る君の心の中を現しているのかもしれません。

一方で、藤壺の宮の有り様も表しているようです。

身の引き締まるような澄んだ寒さの中で、部屋を満たすのはこの上なく高貴な香り。男女の情を拒絶しながら、一段階上の境地に到達した藤壺の宮。硬質で色のなかった葵の上とは、また違う気高さを感じます。

后になりそびれた六条御息所には、残念ながらこの毅然とした態度が欠けていました。



『東宮の御使いも参られた。先日のご様子を思い出されて、固く決心をしていても耐え難く、お返事もできないので、大将(光る君)が言葉を添えられた。誰もが動揺が収まらない折なので、光る君は、さまざまにお思いになっている事も、言い出せずにいる。

「月のすむ 雲居をかけて 慕ふとも この世の闇に なほや惑はむ

(澄んだ月の境地を思い、私も出家したく思いますが、やはり子を思う心の闇に迷うことでしょう)

出家を決意なされた事のうらやましさは、限りもございません」

とだけ申し上げる。人々が近くに控えているので、さまざまに思い乱れる心の内を表に出すことはできず、息が詰まりそうである。

「おほかたの 憂きにつけては 厭へども いつかこの世を 背き果つべき

(この世の大概のことが辛くなったので出家いたしましたが、いつか本当の意味でこの世への執着を捨てられるでしょうか)

煩悩を断ち切れず…」

 しみじみ悲しいことばかり尽きないので、胸を苦しくしてご退出なさる。


 お邸でも、ご自分のお部屋に独り横になっていらして、誰ともお逢いにならず、世の中を厭わしくお思いになるにつけても、東宮の御事だけが重苦しく気にかかる。

(せめて母宮だけは、公の地位におつけしたいと故院が思い定めていらしたのに、世の辛さに耐えきれず、このようにご出家されたからには、中宮のままではいらっしゃれないだろう。自分まで東宮をお見捨てしては…)

など、限りもなく考え込まれて夜を明かされた。


 とにかく今は、出家後に必要な御調度品類を中宮に差し上げようとお思いになって、年内にと急がせなさる。命婦の君も中宮とご一緒に出家したので、そちらも心をこめてお見舞いなさる。

 中宮の警戒も今は薄らいで、御自らお話なさる折もある。光る君の心を占めていた思いがなくなることはないのだが、以前にもまして、あってはならないことである。』



世の中が辛くて出家したというよりは、概ねあなたのせいなんだけどね、光る君。

光る君もさすがに尼さん相手に一線は越えられず、ようやく藤壺宮様は安心することができたのです。出家した人は世俗の煩悩と無縁でなければ、極楽往生できませんし、外聞も悪いです。

まあ、どこにでも例外はいるものですが。


例えば、花山法皇。一条天皇の前の天皇で、紫式部父が教育係をしていた人でしたね。この人は十九歳で出家しましたが、深く考えて決めたわけではないので、出家後も女性通いをしています。そのことで、藤原伊周(これちか)(一条天皇の中宮・定子の兄)とトラブルを起こしました。というより、自分の彼女に横恋慕されたと勘違いした伊周(これちか)がやらかした事件なのですが。伊周(これちか)の彼女と、花山法皇の恋人が同じ屋敷に住んでいたんです。紛らわしいですね。

当時、後ろ盾だった父道隆は亡くなっていて、叔父道長と権力闘争をしていた伊周(これちか)と隆家の兄弟は、若気の至りか思慮が足りない性格なのか、法皇に矢を射かけるという暴挙をしでかしました。花山法皇のほうは、出家した身で女性問題を起こすのがきまり悪くて口をつぐんでいたようなのですが、当然問題になります。

兄弟は捕らえられて左遷されますが、このとき第一子を懐妊中だった定子は髪を切って出家してしまいました。やがて内親王を産みますが、これが予定日より二か月ほど遅れたそうです。つい藤壺宮を連想してしまいますが、だからといって紫式部はこの内親王の出生にケチをつけるつもりではなかった、と思いたいです。


そして花山法皇より問題なのは、実は一条天皇でした。光る君さえ越えなかった一線を越えてしまったのです。

定子を深く寵愛していた一条天皇は、出家したにもかかわらず定子を宮中に呼び戻します。さすがに後宮には入れられず、会いに行くときもかなり気を遣ったようですが、だいぶ世間の顰蹙を買ったそうです。やがて定子は敦康親王を産みます。出家したのに子供を産むなんて、それこそあってはならないことだったでしょう。その翌年、第二皇女を出産した際に、定子は亡くなりました。栄華を極めていたのに、実家が没落して寂しく亡くなっていった定子は、哀れではあります。

十四歳で入内してから父が亡くなるまでの四年間、後宮は定子の独壇場でした。華やかな世界しか知らなかったのに、父が亡くなり、母が亡くなり、兄弟は追いやられ、実家は焼け落ち、世間からは冷ややかな目を向けられ、帝の寵愛のみを頼みにする心細い日々の末、亡くなったのは二十四歳です。

儚い人生ですね。まさに世は無常です。

遺された敦康親王が、従妹の彰子に養育されたのは、以前書いた通りです。


この場面の藤壺宮、定子への当てこすりではないですよね。

紫式部は、この場面をいつ書いたのでしょう。自分の思うように書いたのでしょうか。それとも、道長の意図も入っていたのでしょうか。もし、定子を貶めることでその皇子を天皇候補から外す意図があったのだとしたら、ちょっと怖いですが、つい、そんなことも考えてしまいました。


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