賢木巻~引きこもる光る君~
『大将の君(光る君)は、東宮をとても恋しく思われるが、中宮の呆れるほどつれないお心のほどを、時々は思い知らせてさしあげようと、我慢して籠もっていらっしゃる。体裁も悪く退屈になってきたので、秋の野をご覧になりがてら、雲林院にご参詣になる。故母御息所の御兄である律師がおられる僧坊で、経文などを読みながら二三日滞在されたのだが、しみじみと心に沁みることが多かった。
紅葉が一面に色づいてきて、秋の野のとても優美なさまをご覧になると、都の暮らしも忘れてしまいそうになる。学識ある法師たちを召し出して、御前で法論をさせてお聞きになる。
場所がら、世が無常であることを思いながら夜を過ごすのだが、やはり『憂き人しもぞ』と、あのつれない方(藤壺宮)を思い出さずにはいられない。そんな明け方の月の光に照らされて、法師たちが仏さまにお水をお供えしようと、盃をからからと鳴らしつつ、菊の花や紅葉などを折り散らしているのも、はかない感じであるが、
(こうしたお勤めは、所在なさもまぎれ、来世においても救いとなりそうだ。それに引きかえ私ときたら、つまらない身を持て余していることよ。)
などと、考えていらっしゃる。』
天の戸を おしあけ方の 月見れば 憂き人しもぞ 恋かりける (新古今)
(天の戸を押し開けるような明け方の月を見ると、つれない人がたまらなく恋しく思われる)
まあ、それはいいんですけどね。
状況を見れば、貴方が無理筋を通そうとしているのだと、分かりそうなものですけども。
自分勝手に拗ねて引きこもった割に、なんだか偉そうですね。
院の遺言、忘れたんでしょうか。
帝の妻に手を出してみたり、東宮を放り出したり・・・。
『律師がとても尊い声で読経なさるのが、とても羨ましくて、どうして自分は俗世にとどまっているのだろうとお考えになってみると、まっさきに姫君(紫の上)のことが思い出される。往生の妨げとなる、悪い心であることよ。
いつになく姫君と離れてお過ごしになるので、気がかりで、御手紙だけはたびたびお送りになる。
「俗世を離れられるかと試みているところですが、気が晴れることもなく、心細さがまさっています。いかがお過ごしですか。」
など、陸奥国紙に気取らずお書きになっているのさえ、見事である。細やかな御心遣いなのをご覧になって、女君もお泣きになる。お返事は白い色紙に、
「風吹けば まづぞ乱るる 色変はる 浅茅が露に かかるささがに
(浅茅の生える荒れ野にかかる、露に濡れた蜘蛛の巣が、風が吹くとすぐに乱れてようすが変わるように、移り気なあなたを頼む私は、とても心細いです)」
とだけある。
「筆のはこびはとても美しくなったものだな。」
と独り言をつぶやかれて、可愛らしいと微笑なさる。いつも御手紙を書き交わしているので、姫君の筆跡はご自身のととてもよく似て、そこにもう少し優美な女らしさが加わっている。
おおむね理想通りに育て上げたものよと、お思いになる。』
あれから二年。紫の上の心境の変化は分からないままですが、さすがに諦めたのか情が湧いたのか、夫婦の無難なやり取りが交わされています。陸奥の厚い紙や白い紙は、恋文では野暮になります。恋人ではなく家族間のやり取りという距離感が、ここで分かるんですね。
このところ出家に惹かれるようになった光る君ですが、この頃の若い公達の中では、出家を望むのが一種の流行みたいです。平安時代も半ばになると、平和で政争も血なまぐさいものではなくなりますが、階層が固定化されて鬱屈した気持ちを抱える人が出てくるんですね。俗世が生きづらいから逃避したい、というのは現代も同じかもしれません。
光る君の場合、葵の上や院のことで意気消沈したのはわかりますが、藤壺宮様のことで辛いから出家・・・というのなら、それはどうかと思います。
『ほど近い場所なので、斎院(朝顔の姫君)にもお手紙を差し上げた。
「その昔の秋が思い出されますよ。もう一度昔のように、と思っても仕方のないことですが、取り返せるように思えまして。」
と、馴れ馴れしいかんじで、唐の浅緑の紙に、榊の木綿などつけて神々しく作り立て、差し上げる。
お返事は、木綿の片端に、
「その昔に何かあったでしょうか。特に懐かしむようなことが・・・。最近のことは尚更です。」
とある。御筆跡はこまやかではないが、書き馴れて、草書など達者なものになっていた。御顔も美しくおなりだろうと、想像されるにつけても並々ならず御心が動くのも、神罰が恐ろしいことであるよ。
「ああ、この頃であったな。野宮で、しみじみとあの御方と別れたのは。」
と思い出して、今は神域にいる姫君も状況が似ていると、神を恨めしくお思いになる御癖は、見苦しいことです。
是非にと思えば望むようになったはずの時期はのんびりとしていて、今になって悔しくお思いなのも、おかしな御心である。斎院も、このような並々ならぬお気持ちを見知っておられるので、たまの御返事などは、むげにもされないようである。』
この二人のやり取りは、本気なのか冗談なのか、よくわかりませんね。
空蝉さんや藤壺宮さまに向けて書くのと違って、ちょっとかまってほしくて恋文風の手紙を書いてみたところ、朝顔さんのほうもわかってて、適当にあしらいながらも相手をしてあげてる感じ。
「昔の事って何よ。覚えがないけど?」という朝顔さんの切り返しが、ちょっとおもしろいです。
それにしても光る君、そんなに暇なら早く仕事に戻ればいいのに。
『天台六十巻という経文をお読みになり、はっきりしない所を解釈させたりしていたところ、山寺(雲林院)では、素晴らしいことだと、身分の低い法師たちまで喜びあった。
しんみりと世の中を思い続けていると、帰るのも億劫になられたようだが、かの人のこと(紫の上)が気にかかるので、長くは逗留なさらず、寺にも御誦経のお布施を丁重になさる。身分の高い僧も低い僧も、近くの里人にまで物をお与えになり、尊い功徳の限りを尽くしてご出発なさる。お見送り申し上げようと、卑しい身分の者まで集まって、涙を落とす。黒い御車の中で、藤の喪服で質素になさっているので、あまり拝見できないが、仄かに見えるその御姿を、人々は、世にたぐいないと思うようである。
女君(紫の上)は、この数日の間に、より美しく落ち着いた雰囲気におなりである。光る君との関係が今後どうなるか心配している様子を、いじらしく愛しく思われる。ご自分の困った気持ちが様々に乱れているのが、女君にははっきりわかるのだろうか。「色かはる」と手紙にあったのも可愛らしく、いつもより親密にお話しになられる。
山のみやげの紅葉は、御庭のそれと見比べると格別に色濃く染まっていて、ここしばらく挨拶にうかがっていないことも体裁が悪く思われたので、ただ普通のご挨拶として中宮に差し上げる。命婦のもとに、
「中宮さまと東宮の御事が気がかりで落ち着かず、心配申し上げておりましたが、仏事勤行を途中で切り上げるのも不本意なもので、何日も経ってしまいました。紅葉は、私一人で見ますのは闇夜に錦を見るようにもったいないことと存じましたので。折のよい時にご覧に入れてください。」
などとある。実にすばらしい枝ぶりであるので、中宮も目をおとめになると、例によって、小さな文が枝に結びつけてあった。
女房たちが見ているので、御顔の色もお変わりになり、
「まだこのような心がおありとは嫌なこと。惜しいことに、あれほど思慮深い御方なのに、思いもかけず、このようなことを時々なさるのでは、誰もが不審に思うでしょう。」
と、不快にお思いになって、瓶にささせて廂の間の柱の下に押しやらせなさった。』
光る君の機嫌は直ったようですが・・・
スリルを求める性質は自分だけにしておいて、藤壺宮が困ることは止めましょうね。




