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源氏物語ってこんな話だったんだ  作者: 紫月ふゆひ
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葵巻〜左大臣家の嘆き〜

『君は、いつまでも籠もってばかりもいられないので、院へ参上される。

 御車を引き出して、従者たちが集まった頃、人の悲しみを知ってでもいるように時雨が降って、木の葉を散らす風があわただしく吹き払うので、御前にお仕えしている女房たちは、ひどく心細くて、ここしばらくは濡らすこともなかった袖を、涙で湿らせた。

 夜は、そのまま二条院にお泊りになるということで、お付きの人々も、あちら(二条院)でお待ちしようと、それぞれ発っていき、今日が最後というわけではないが、格別にもの悲しい。

 大臣も宮も、あらためて悲しく思われる。光る君は、宮に挨拶の御手紙を差し上げるが、宮はご覧になることもできず沈み入って、御返事も申し上げない。

 左大臣がすぐさまいらしたが、耐え難い面持ちで、御袖を目からお離しにならない。それを拝見する人々もたいそう悲しい。

 大将の君(光る君)は、さまざまなことを思い、お泣きになるさまはしみじみと感じ入るものであるが、そう取り乱しもせず、実に優美でいらっしゃる。

 左大臣は長い間かかって気をお静めになって、

「年を取ると、些細なことでも涙もろくなるものですが、今は涙が乾く間もなく、人目にもひどく取り乱して心の弱いように映りましょうから、院にも参ることができないのでございます。事のついでに、そのようにお取りなしください。残りいくばくもない人生の末に、子に先立たれたことが辛くもございますよ。」

と、無理に心を押し静めておっしゃる様子は、ひどく切なく思われる。

「いつ残されるか先立つかわからないのが世の常とは知りながら、実際に直面しますと、この上もなく悲しいものでございますな。院にも、この様子を奏上しましたなら、ご推察なさいますでしょう。」』



日本人は、いつから悲しみを我慢するようになったのでしょう。悲しみや辛さをじっとこらえて内に秘め、涙を人に見せることを潔しとしない。それが当たり前と思って育ったので、悲しみを激しく表に出す人々を見たときは衝撃でした。

この時代は、悲しみを素直に出していますね。大切な人が亡くなれば悲しいのは当たり前です。涙も自然に流れます。でもそれを堪えるのが美徳になったのは、いつからだったのでしょう。

読みながら、そんなことを思いました。



『几帳の後ろや襖の向こうに、女房が三十人ほど集まって、それぞれの濃さの鈍色の衣を着て、心細そうに涙にくれている。光る君が、不憫にお思いになっていると、大臣は、

「見捨てられるはずのない人(若君)もおられますので、何かの折にはお立ち寄りくださるだろうと考えておりますが、思慮の足りない女房などは、今日を最後に、貴方がこの家をお捨てになると思って、死別の悲しみよりも、そのことを嘆いておるようです。無理もないことですが。貴方が娘(葵の上)に打ち解けてくださることはございませんでしたが、それでも最後にはと、願っておりましたのに。たしかに心細い夕べでございますよ。」

とお泣きになる。

「思慮の浅い者たちですね。いずれ打ち解けるだろうと、のんびり思っておりました頃は、自然とご無沙汰になる時もございましたが、今は、どうして怠ることができましょう。今におわかりいただけましょう。」

と言ってご出発になるのを見送られてから、左大臣がお部屋にお戻りになると、調度品などは変わらないのに、空蝉のようなむなしいお気持ちになられる。

 御帳の前に手習いを書き捨ててあるのを取って、涙をしぼりつつ御覧になる。唐や日本の、しみじみした古い言葉の数々を好きに書きちらして、草書にも楷書にも、さまざまに書きまぜていらっしゃる。

「すばらしいご筆跡だ」

と、空を仰いで眺めなさる。今後はよその人となられることが残念なのだろう。


 長恨歌の「旧き枕故き襖、誰と共にか」と書いてある所に、

 亡き魂ぞ いとど悲しき 寝し床の あくがれがたき 心ならひに

(亡き人の魂はますます悲しんでいるだろう。二人で寝たこの床を、私も離れがたく思っている)


 また「霜華しものはな白し」と書いてある所に、

 君なくて 塵つもりぬる 常夏の 露うち払ひ いく夜寝ぬらむ

(貴女がいなくなって塵が積もった床に、常夏の花の露をはらうように涙をはらって、私は幾夜寝たことでしょうか)

 先日の常夏の花に違いないものが、枯れて混じっている。


 左大臣は大宮にこれをお見せになって、

「言ってもかいのないこと(娘の死)は、このような悲しい事も、世間にないわけではない、と強いて思うことにします。親子の縁が薄く、このように定められていたのだろうかと、前世を思いつつ悲しみを覚まそうとしておりますが、日が経つにつれて恋しさに耐え難くなります。その上、この大将の君(光る君)が、これきりよその人になられることが、残念でなりません。一日二日お見えにならず、足が遠のいていらしたのさえ、胸が痛い思いをしましたのに、朝夕の光を失っては、どうして生きながらえることができましょう。」

と声を抑えられずお泣きになると、御前にいる年長の女房なども泣き出して、なんとなく寒々した夕べの風情である。

 若い女房たちは、所どころに集まっていて、

「殿のおっしゃるように、若君を拝見すれば慰められるだろうとは思いますが、とても幼い御形見ですから。」「ちょっと里に下がって、また参りましょう。」などと言いあっていた。』



妻が亡くなったので、婿でなくなった光る君は左大臣邸を退去することになります。

子供は、母方がしっかりした家ならば、そこで養育されるので置いていくことになります。光る君の場合はすでに立派な私邸があるので、引き取ってもよさそうですが、若紫ちゃんがいますしね。


平安貴族の喪服は鈍色(灰色)ですが、故人との関係性によって濃さが変わるそうです。ということは、その都度新調していたことになりますね。現代のように、とりあえず一着持っていれば何とかなる、というわけにはいかないんですね。これは大変です。お金もかかるので、庶民の喪服は白でした。

といいますか、基本的に喪服は明治になるまで白だったんです。白は神事の際に身につける色で、穢れを祓う意味合いもあります。なのにどうして平安貴族の喪服が鈍色になったかというと、勘違いの賜物です。

飛鳥時代から奈良時代にかけて、日本は中国や朝鮮半島を手本に国の形を作ろうとしました。このときに、唐の皇帝の喪服・錫衰(せきさい)(すず)色(黒っぽい色)の服だと勘違いしたのです。本当は上等な白い麻布のことでした。しかしその間違った認識をそのまま取り入れて、灰色の喪服が貴族の間に広まったのです。



『院に参上なさると、

「ひどく面やつれしたな。精進して日が経っているからだろうか。」

と気の毒にお思いになり、お食事などお世話をなさる。

 中宮(藤壺宮)の御方では、命婦の君を介して、

「思いの尽きないことでございますが、時が経つにつけても、心中いかばかりかと。」

とご挨拶をなさる。光る君は、

「世の無常であることについては、一通りは存じておりましたが、身近に見ますと嫌になることが多く、思い悩みましたが、たびたびのお便りに慰められまして、今日までどうにか。」

と、そうでなくてもお悩みのこと(不義密通)もあるので、たいそう辛そうである。

 無紋の袍に鈍色の下襲、えいを巻いている服喪中の御姿は、華やかな装いよりもいっそう優美でいらっしゃった。』



世に確かなものはなく、常に変わらないものもない。

世は不定、世は無常。

今日と同じ日常が、明日も続くとは限らない。現代人はそれを忘れがちで、ある日突然自分の身に降りかかってはじめて気づくのです。

平安時代はそれを常に意識する時代でしたが、それでもいざ自分がその渦中に放り込まれると、容易には受け入れられず、惑い続けるのですね。

千年経とうと、時代が変わろうと、こういう人の心は、変わらないものです。


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