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源氏物語ってこんな話だったんだ  作者: 紫月ふゆひ
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桐壺巻~靫負命婦の弔問~


『台風のような風が吹いて急に肌寒くなった夕暮れ時、いつもより思い出されることが多く、帝は靫負命婦(ゆげいのみょうぶ)という女官を、亡き更衣の実家にお遣しになる。

 夕方の月が趣深く出ている頃に命婦を出発させて、そのまま物思いに耽っておられた。

 このような時には管弦の御遊などをなさったものだが、亡き更衣はとりわけ趣深く楽の音をかき鳴らして、ちょっとした言葉も他の人とは違っていたものだ。気配や容貌が、幻のようにずっと寄り添っているように思われるのだが、やはり「闇の現」に劣るのであった。』



うばたまの 闇の(うつつ)は さだかなる 夢にいくらも まさらざりけり

                      (by古今和歌集)

(闇の中の現実は、はっきり見える夢と比べて、それほど勝るものではなかった。夢とさして変わらない闇の中の現実など、儚いものだ。)

その儚いものよりさらに儚い幻を、帝は感じながら日々を過ごしているのです。それもまた、切ないことですね。



『命婦が更衣の実家に着いて門の内に入ると、哀れな雰囲気が漂っている。未亡人の暮らしではあるが、一人娘を大切に育てるために手入れを怠らず、見苦しくない程度には整えてお過ごしになっていた。それが、嘆きのあまり臥せっているうちに、草も高くなり、強い風で更に荒れた感じがして、月の光だけが生い茂った雑草にも遮られず差し入っている。

 寝殿の南面で会うが、母君もすぐにはお話することが出来ない。


「今まで生き永らえているのが大層辛いことでございますのに、このような御使いに、<蓬生(よもぎう)の>露を掻き分けてお訪ねいただくのが、とても恥ずかしゅうございます」

 と、堪えきれずにお泣きになる。』



草が生い茂って荒れ果てた家のことを、蓬生(よもぎう)の宿とか(むぐら)の宿とか言うのですね。

この辺は、露という言葉が何度か出てきます。秋だから露が下りるようになったというだけでなく、涙にも見立てて、露が多くて湿っぽい様子と涙に濡れている様子を表していて、より一層悲しさが増すという。和歌でもないのに掛詞ですかね。これも紫式部の技でしょうか。



靫負命婦(ゆげいのみょうぶ)は、

典侍(ないしのすけ)が『お伺いしたところ、母君がいっそうお気の毒で、魂も消え失せるかのようでした。』と奏上いたしましたが、情を知らない者でも、本当に忍びがたく思われます」

 と言って少し心を落ち着かせてから、帝の仰せ言をお伝えする。


「『しばらくは夢ではないかと途方に暮れていたのだが、だんだん気持ちが落ち着いてくるにつれ、夢ではないから覚めようもなく、却って耐えがたい。どうしたらいいのかと相談しあう人さえないので、忍んで参内なさらぬか。若宮がとても気がかりで、湿っぽい所で泣きながら過ごしているのも可哀そうに思うので、すぐに参内してください』など、むせび泣きながらはっきりと仰ることもできず、一方では、人が気弱だと思うかもしれないと、お気持ちを隠そうともなさるご様子がおいたわしく、私は帝のお言葉を最後まで承らないようなありさまで、退出してきました」

 と言って、御文を差し上げる。母君は、

「目も見えませんが、このように畏れ多い仰せ言を光にいたしましょう」

 と言ってご覧になる。


 『時が経てば少しは心が紛れることもあるだろうかと思いながら過ごしているが、月日が経つにつれて、より忍び難くなるのはどうしようもないことである。幼い人はどうしているかと案じながら、共に育てられないのが気がかりである。今はやはり、(若宮を)更衣の形見と思って(共に宮中に)来てください。』

 など細やかに書かれてあり、若宮を案じる歌もあったが、最後まで読むことは出来なかった。


「長く生きるのはとても辛いことと思い知りました。松がどう思うかさえ恥ずかしく思いますのに、まして百敷(ももしき)(宮中)に出入りすることは、遠慮いたしたく存じます。畏れ多い仰せ言をたびたび承りながら、私自身は参内を思い立つ気になれません。若宮は、どのようにご理解されているのでしょうか。参内なさることばかり願われていらっしゃるようです。宮中におられるのが道理ではありますが、共に参ることは出来ませんので、悲しく拝見しておりますことなど、内々に奏上なさってください。

 (娘に先立たれた)不吉な身でございますので、こうして若宮がここにおいでになるのは、避けるべきであり、また畏れ多いことです」』



松がどう思うか?


 いかでなほ ありと知らせじ 高砂(たかさご)の 松の思はむ こともはづかし

                           (by古今六帖)

(どうにかして、まだ自分が生きているとは知らせたくないものだ。高砂にある老松(おいまつ)がどう思うか恥ずかしくてならないから。人間なのに長生きだと、松が思うかもしれないので気が引ける。)


いや、そう言われても。

娘に先立たれて尚生きている自分のことを、長寿である松でさえ「まだ生きているのか」と思うのではないか。情の分からない松に対してさえ気が引けるのに、ましてや、百官の集う宮中になどは行けません。だそうですが・・・

その感覚、分かりません。長生きって、恥ずかしいことだったんですか?

娘に先立たれて辛い、までは分かるのですが・・・


ちなみに、松そのものは長寿の象徴ですが、高砂の松というと結婚式のイメージが強いです。

「た~か~さ~ご~や~」というのは、昔の結婚式では必須だったようです。最近はあまり聞かないでしょうか。

能では、長寿と夫婦和合の象徴になっています。


そして最後のところ、直訳だと意味が分からなかったんですが。

『かくておはしますも忌ま忌ましう』なんてあるから、まるで孫に悪感情を抱いているようで混乱します。直前まで、離れるのを悲しんでいたようなのに。

孫を宮中にやるのは悲しいけれど、このまま自分の側に置くのは不吉だから避けるべきだし、荒れた家で皇子を育てるなど畏れ多い、のだそうです。


この母君のセリフ、難解です。現代語訳でも理解するのに時間を要しました。

古文て、くどすぎる時もあれば省略しすぎの時もあります。当時の読者はすんなり理解できたのでしょうか・・・




『若宮はもうお休みになられていた。

「若宮を拝見して、詳しくその御様子も奏上したかったのですが、帝がお待ちでございましょうし、夜も更けてしまいますので。」

 と(靫負命婦(ゆげいのみょうぶ)は)帰参を急ごうとする。


「途方に暮れる<心の闇>は耐え難く、その一端だけでも晴れるほどに申し上げとうございますので、個人的にでもゆっくりおいでください。長年、うれしく光栄な機会にお立ち寄りくださいましたのに、このようなお悔みの御使者として拝見するとは、本当に命とはままならないものでございますよ。

 生まれた時から(私たち夫婦は娘に)望みをかけておりました。故大納言()は、最期のときまで、『とにかくこの人()の宮仕えの宿願を、必ず遂げてさしあげなさい。私が亡くなったからといって、落胆して挫けてはならない』と繰り返し諌めおかれましたので、しっかりした後見人もいない宮仕えはかえって良くないことと思いながら、ただ夫の遺言に背くまいとの一心で出仕させたのです。

 身に余るまでのご寵愛が万事畏れ多いことでしたので、人並に扱われない恥を隠して宮仕えをしていたようですが、人の妬みが深く積もり、心を痛めることがだんだん多くなりまして、とうとうこのような結果になってしまいました。ですから、畏れ多いご寵愛をかえって辛いことだと思うのです。これも親ゆえの、理不尽な<心の闇>なのでしょう。」

 と、最後まで言えずむせび泣くうちに、夜も更けた。


「上(帝)も同じです。『我が心ながら、無闇に人が驚くほど寵愛したのも、長くは続かない運命だったからなのだと、今となっては辛く思う宿縁であった。少しでも人の心を害したことはないと思うが、ただこの人(桐壺更衣)のことで、買わなくてもよかった人の恨みを多く負った挙句、このように先立たれ、心を静める方法もなく、ますます好ましくない偏屈な人間になってしまった。(どのような因縁があるのか、)前世を知りたいものだ。』と、御涙を流しがちでいらっしゃいます。」

 と語って言葉は尽きない。泣く泣く、

「夜がたいそう更けたので、今夜のうちに、御返事を奏上しましょう」

 と急いで帰参する。』



原文に『心の闇』とあります。現代人からすると、「闇落ち」とか「ダークサイド」の雰囲気を感じる言葉です。しかしここでは、あるいは平安人にとっては、そういうニュアンスではないようです。

闇とは、暗くて何も見えない、というだけの意味で、『心の闇』は、ある和歌を念頭に置いた発言です。


 人の親の 心は闇に あらねども 子を思ふ道に まどゐぬるかな 

                         (by藤原兼輔)

(子を持つ親の心は闇というわけではないが、子どものことになると道に迷ったようにうろたえるものですな)


『親の心の闇』は物語中に何度も登場します。親の悲しみとか、子を心配する親心、などと現代語訳されてます。

作者の藤原兼輔(堤中納言)は、醍醐天皇の時代の人で、三十六歌仙の一人です。古今和歌集をはじめ、多くの勅撰和歌集に歌が選ばれています。

そして、紫式部の曽祖父です。物語の中に、ひいおじいさんリスペクトが織り込まれていたんですね。


そして、宿縁とか前世からの定めとか、現在の出来事の発端が前世にあるという考え方も、随所に出てきます。特に男女関係で。

帝と桐壺の更衣の前世は、一体どのようなものだったのでしょう。私も見てみたい。



『月が沈みかけて、空が晴れやかに澄み渡っている。風がとても涼しくなって草むらに響く虫の声がまるで涙をさそうようであるのも、ひどく立ち去りがたい草の宿である。


 鈴虫がどれほど鳴いても涙が尽きることはない、と命婦が歌を詠み、母君は、ただでさえ虫の音のように泣き暮らしていたところに宮中の方がさらに涙をもたらした、と返した。


 風情ある贈り物などするべき折でもないので、このような用もあるだろうかと残していた、御装束一揃い、御髪上の道具などを、形見にとお添えになる。


 若い女房たちは、更衣が亡くなって悲しいことは言うまでもないのだが、内裏の暮らしに慣れているので今の暮らしはとても物足りず、上(帝)の御様子など思い出して、早く参内されることをお勧めしている。しかし母君は、このような不吉な身が若君のお側に付添うのも、たいそう人聞きの悪いことに違いない、そうかといってほんの少しでも若宮を拝見しないでいるのは、とても気がかりだ、と思うので、思い切って参内させることもお出来にならなかった。』



昔は、句読点も「」もありません。だから、どこで区切るかによって現代語訳が変わる、ということを今回実感しました。

このページの冒頭で、帝が桐壺の更衣を思い出しているシーンがあります。

『はかなく聞こえ出づる言の葉も人よりはことなりしけはひ容貌の面影につと添ひて』

さて、どこで区切りましょう。

参考にした現代語訳だと、

『はかなく聞こえ出づる言の葉も、人よりはことなりしけはひ容貌の(はかなく聞こえる言葉も、人とは違っていた気配や容貌が・・・)』となっていました。

文章として整っていないんですよね。

はかなく聞こえる言葉も・・・どうしたんだろう?と困ってしまったので、勝手な解釈で変えました。

『はかなく聞こえ出づる言の葉も人よりはことなりし。けはひ容貌の(ちょっとした言葉も他の人とは違っていたものだ。気配や容貌が・・・)』

文末に連体形を置いて余韻を残す技法があるので、文法的には決して間違いではないと思うのですが。



桐壺巻は導入なので突っ込みどころはそれほどありません。

が、実は色々な豆知識を要する巻でした。

なんだかすっかり解説本になってしまっています。ただ、知っていた方が物語に深みが出てくるような気もしています。

お付き合い頂けると嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 『源氏物語』は好きな古典なので(内容に、いろいろとツッコミどころがある点も含めて)、楽しく拝読しています。 [一言]  知らなかったこともいっぱいあって、勉強になります。ありがとうございま…
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