花宴巻~宴の後の物思い~
『その日は後宴があって、一日中そのことに取り紛れていらした。
箏の演奏をおつとめになるが、昨日の宴よりも、優美ですばらしかった。
例の有明の女(朧月夜の君)が退出するのではないかと上の空で、万事抜け目ない良清や惟光に様子を窺わせていると、
「ただ今、かねてから隠れて停まっておりました車が、北の門から出ていきました。四位少将や右中弁などが見送りをされたのは、弘徽殿からのご退出であろうと存じ上げました。明らかに並のご身分の方々ではなく、車が三つばかりございました。」
と報告があった。
(どうすれば、どの姫君だと突き止められるだろうか。父大臣などに知られて、大げさに婿としてもてなされるのも、どんなものだろう。相手の様子をよく見定めないうちは面倒だろうが、このまま知らずにいるのも、また、ひどく残念であるにちがいない。どうしたものか。)
と思い悩んで横になっていらっしゃる。
例の証拠の扇は桜襲で、色の濃い方に霞んだ月を描いて水にうつした趣向はありきたりではあるが、持ち主の趣味が親しみ深く感じられるふうに持ち馴らしてある。
世に知らぬ 心地こそすれ 有明の 月のゆくへを 空にまがへて
(今まで経験したことのない気持ちがする。有明の月の行方を空の途中で見失ってしまって。)
と扇に書付けて、傍らに置かれる。』
衣裳だけでなく、扇にも襲の色目があったんですね。桜襲なら、赤系統の紙と白い紙を張り合わせてあったということでしょうか。それはそれで綺麗かもしれません。ただ、紙の扇は夏のもので、この時期は檜扇のはず、なのだそうです。
檜扇は薄い檜の板を束ねたものですが、八枚一組になっています。三重襲の扇というものがあって、この場合は二十四枚前後の板を束ねているのですが、これではないかと推測されています。板は透けて見えませんから、桜襲の雰囲気でグラデーションに色を塗っていたのでしょうか。
さて、良清という名前が初めて出てきましたが、実は以前にも登場している人物です。書いてないから分かりませんでしたが、この後も出てくるので段々分かってきます。
名前が出てくるのは良清と惟光の二人だけです。作者が名付けていない女君のニックネームは後世の読者がつけました。ここで、『有明』と呼ばれている女君ですが、読者はこれを採用しませんでしたね。慣れているせいか、夜空にぼんやり霞んだ『朧月夜の君』のほうが、しっくりくるように思います。
『左大臣邸へも長らくご無沙汰しているが、若君(若紫)のことも気にかかるので、なだめようとお思いになり、二条院へいらした。
見るたびに、とても可愛く成長して魅力的になり、洗練されている様子は格別である。
何の不満な点もなく、ご自分の御心のままに教え育てようと思っていた通りになることだろう。ただ、男の教えたことであるので、すこし世間馴れした性質がまじるかもしれない、というのが気がかりである。
一日中、最近の出来事の御話をして、御琴などを教える。夜になって外出されるのを、若紫は、またいつものように、と残念にお思いになるが、最近はとてもよく慣らされて、むやみにまとわりついて後を追いかけることはしない。
左大臣邸では、女君(葵の上)は、例によって、すぐには対面なさらない。
光る君は所在なく、様々なことに思いをめぐらされて、箏を手すさびに弾きながらお歌いになる。
左大臣がおいでになって、昨日の宴の趣深かったことを申し上げる。
「私は高齢で、聡明な君子の御世を、四代にわたって見ましたが、今回のように、詩文もすぐれ、舞、舞楽、様々な楽器の音が調って、寿命が延びるような心地がしたことはございませんでした。様々な道の名人が多い今の時代に、それらにくわしい貴方が、指図をされたからだと存じます。この老人も、もう少しで舞い出してしまいそうな心地がいたしました。」
「とくに準備をしたということもございません。ただお役目として、優れた諸道の名人たちを、あちこちで探しだしたのです。万事にまさって、頭中将の『柳花苑』は、まことに後代の手本ともなるだろうと拝見しました。まして『栄えゆく御代の春』に倣って、貴方が舞っていらしたら、生涯の名誉でございましたでしょうに。」
左中弁、頭中将なども集まって、高欄に寄りかかりつつ、とりどりに色々な楽器の音を調和させて管弦の遊びをなさるのは、まことに素晴らしい。』
若紫ちゃんは現在十二歳(推定)です。一~二年で、ずいぶん成長するものですね。もうおままごとはしないのでしょうか。
箏と琴は、とても良く似た別の楽器らしいのですが、『箏の琴』という紛らわしい言葉も原文に登場します。そもそも弦楽器の総称が「コト」であり、『箏のコト』『琴のコト』『琵琶のコト』と言い分けているのです。現在、琴というと、実際には箏を指していて、本来の琴の写真はなかなか見つかりません。
光る君と左大臣の会話ですが、『栄えゆく御代の春』というのは、尾張浜主という人の故事にちなんでいるそうです。
この人は天平(奈良時代)の生まれで、享年は不明ですが大変な長寿の人で、実に九代の天皇に仕えています。雅楽に精通した舞の名手で、足腰も立たない百十三歳という高齢でありながら、厳粛な儀式や帝の御前で、少年のように軽やかに舞ったという逸話があります。
・・・本当でしょうか。
まあ、左大臣が何歳か分かりませんが、そんな名人に倣って、舞ってみたら良かったのに、という話のようです。
雅ですねえ。




