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源氏物語ってこんな話だったんだ  作者: 紫月ふゆひ
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末摘花巻~年明けて、溜め息の春~

明治になるまで、日本の暦は太陰暦。月の満ち欠けがそのまま暦になっていました。

なので、一日は新月の日を意味する朔日(さくじつ)とも言います。元旦のことも朔日と言っていたようで、原文にもそうあります。

年が改まって、光る君も十九歳になりました。数え年は、新年とともにみんな一斉に一歳年を取りますからね。終戦の頃までは使われていましたが、戦後生まれにはなじみがないですね。


『正月も数日が過ぎて、今年は男踏歌(とうか)があることになっているので、家々では管弦の音が賑やかでなんとなく騒がしい。光る君は、あの寂しい場所(末摘花邸)を気の毒にお思いになって、七日の節会(せちえ)が終わってから、夜遅くにお訪ねになった。

 いつもより邸内の様子が浮き立っているのは、世間並のようである。姫君もすこし物柔らかな雰囲気になっているので、年が改まって何か変化があるのではないだろうか、と光る君は期待なさっている。


 翌朝、ゆっくりとお帰りの準備をなさって、日が出る頃に、東の妻戸を押し開けると、向かい合っている廊の屋根が壊れてなくなっているので、日の光がそのままさしこんで、少し積もった雪に反射して明るく、寝殿の中がはっきりと見ることができる。

 直衣(のうし)をお召しになるのを奥から御覧になり、姫君がすこしせり出していらしたが、横向きに臥している頭の形や、髪がこぼれ出ているようすは、とても見事である。

 以前より成長なさったところを見ることが出来たら、とお思いになって、格子を引き上げなさった。以前のことで懲りているので、格子を上げきることはなさらず、脇息を押し寄せて、ひっかけていらっしゃる。


 古そうな鏡台に、様々な道具類の箱を取り出してあって、男用の御道具さえ少しはあるのを、洒落ていておもしろいと御覧になる。

 姫君の御装束が、今日は世間並に見えるのは、光る君が先日選んでさしあげた衣を、そのまま着ているからだった。


「せめて今年は、すこしは声をお聞かせくださいよ。鶯の声より、貴女のお気持ちが改まるのが待ち遠しいのです。」

とおっしゃると、

「さえずる春は」と、かろうじて、ふるえながら口に出した。

「それですよ。通ってきた甲斐があるというものです。」

とお笑いになってお帰りになるのを、姫君は物に寄りかかりながら見送っていらっしゃる。

 姫君が口をおおっているのを横目に御覧になると、やはり、あの末摘花がたいそう赤く色づいて見えていて、見苦しいことだと思われる。』



 あらたまの 年たちかへる (あした)より ()()()()()()は 鶯の声(拾遺)

(一年が始まりに戻る正月の朝から待ち遠しいのは、鶯の鳴き声だ)


 百千鳥(ももちどり) ()()()()()() 物ごとに あらたまれども 我ぞ()りゆく(古今)

(いろいろな鳥がさえずる春は何もかもが新しくなるけれど、わたしは年を重ねていきます)


『侍たるるものはさし置かれて、御けしきの改まらむなむゆかしき(鶯の声よりも、貴女の気持ちが改まるのが待ち遠しい)』

『さへづる春は(春は様々なものが改まりますが私は年を取っていきます)』

『年経ぬるしるしよ(年を重ねたおかげです、待った甲斐があったというものです)』

光る君はこういう機知に富んだやり取りをしたかったんですね。

末摘花さんも、教養がないわけではありません。親王家の姫君ですから。ただ、恥ずかしがり屋過ぎて人に慣れるのにとても時間がかかるのと、こういうやり取りの仕方を教えてくれる人がいなかったんでしょう。

にしても、もしかして末摘花さん、ここまで無言ですか?

どんなに話しかけても一言も返ってこなかったら・・・それはだいぶ虚しいですね。



『二条院にお戻りになると、紫の君がたいそう愛らしいので、同じ紅の花でも、こんなにも親しみ深いものもあるのだと思われる。無地の桜襲の細長をたおやかに着て、無心でいる様子はとても可愛らしい。

 古風な祖母君の躾のなごりで、お歯黒もまだしていなかったのを整えさせると、眉がはっきりとなったのもたいへん美しい。

(どうして私は、自ら求めて、こうも憂鬱なことにかかずらっているのだろうか。こんなに可愛い人と一緒にいることもしないで…)

と思われつつ、いつもの人形遊びをなさる。

 絵なども描いてみなさるが、髪がとても長い女の鼻に紅をつけて御覧になるにつけ、絵に描いたものでも嫌な姿をしている。

 ご自分の姿が鏡台に映っているのをご覧になって、この紅を鼻に塗りつけて赤く色づかせてみると、こんな良い顔でさえ、当然のように見苦しくなるのであった。

 姫君がご覧になって、たいそうお笑いになる。

「私がこんなふうになったら、どうだろう。」

とおっしゃると、「いやだわ」と、本当にそうやって鼻に赤色が染み付くのではないかと、ご心配される。

 光る君は拭き取るまねをして、

「まったく白くならないね。つまらないことをしたものだよ。帝になんと申し上げればよいだろう。」

と、ひどくまじめにおっしゃるのを、紫の君はとても困るとお思いになって、おそばに寄って拭き取りなさる。

「墨を添えなさるな。赤いのならまだ我慢できるが…」

とお戯れになるありさまは、たいそう仲のいい<妹背>のように見える。


 日がたいそう(うら)らかで、一面に霞んでいる木々の梢はまだ花の時期には遠いけれども、梅はみな蕾がふくらんで咲き始めているのが、とりわけ目立つ。(きざはし)近くの紅梅は早く咲く花なので、もう色づいている。

「紅の花が、わけもなく疎まれる。やれやれ。」

と、どうしようもなく呻き声を漏らしておられる。』



光る君、自分が超絶イケメンであるとわかってます。ただ、鏡を見て「輝くように美しい」とか、「こんな良い顔でも赤い鼻は見苦しい」とか自分で思っているなら、ちょっと引きますね。他人が褒めそやすのはいいんですが。


若紫ちゃんはすっかり光る君に懐いたようです。原文に『妹背』とあるのでそのまま載せましたが、「夫婦」と「兄妹」両方の意味があるんですよね。この場合、どちらでしょう。このとき推定十九歳と十一歳。

さすがにまだ夫婦はない・・・でしょうか?

光る君のおふざけを本気にとって、鼻につけた紅色を取ってあげようとしますが、その手には墨がついていたようです。なんとも微笑ましいですね。


微笑むと言えば、原文に『梅はけしきばみ、ほほ笑みわたれる』とあるのですが、古語の『微笑む』には「花が開きかける」の意味もあるのです。そういえば、夕顔の花が咲いている描写でも『笑む』とありました。花が咲くことを『笑む』と表現する感性、なかなか素敵だと思います。



ところで、冒頭に男踏歌(とうか)という言葉が出てきます。

奈良時代から平安時代にかけて、正月行事に踏歌というものがありました。もともとは唐の風習だったそうですが、大勢で地面を踏み鳴らしながら踊り歩くというものです。日本ではこれが男踏歌と女踏歌に分けられるようになっていきました。別日に行われるようになったのは醍醐天皇の時代からです。

男踏歌は一月十四日、四位以下の人々が、催馬楽(さいばら)を歌いながら宮中や貴族の邸を練り歩きます。

女踏歌は一月十六日、宮中で開かれる節会(せちえ)で披露されます。踊るのは内教坊(ないきょうぼう)の舞妓たちです。

男踏歌は村上天皇の時代に一度中断し、次代の冷泉天皇の時代に復活しましたが、さらに次代の円融天皇の時代に中止されました。

物語の時代設定として、醍醐天皇、朱雀天皇、村上天皇のどこか、という話は以前書きました。

朱雀天皇は、女御や更衣が数多(あまた)さぶらっていないので、醍醐天皇か村上天皇ということになるのですが、「今年は男踏歌がある」とわざわざ書いてあるあたり、男踏歌の日が定まった醍醐天皇の時代を想定した物語ではないかと思われるのです。

紫式部は正確な生まれ年が分かっていませんが、おそらく子供のころに男踏歌を見ています。どんな行事だったかは、なんとなく覚えていたことでしょう。


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