末摘花巻~冬の日の衝撃~
『あの紫の縁(若紫)を引き取られてから、そちらを可愛がることに夢中で、六条あたりの方でさえ、足が遠のくご様子である。まして、あの荒れた宿(常陸宮邸)は、不憫とは思われるものの、なんとなく億劫なのはどうしようもないことであった。それでも考え直して、
(もう一度会えば、以前より、良いと思うこともあるのではないか、手探りではっきりしなかったので、妙に腑に落ちないこともあったのかもしれない。見てみたいものだ。)
と思われるが、かといって、あからさまに見ようとするのも気が引ける。
女房たちがくつろいでいる宵の時間に、そっとお入りになって、格子の間からご覧になった。
几帳などはひどく破けているが、立て方などは乱れていないので、姫君の姿は見えそうにもなく、女房たちが四~五人座って食事をしているのが見える。御膳は、唐の青磁のようであるが、これといった食べ物もなく見すぼらしい。
隅のほうに、とても寒そうにしている女たちがいて、煤けた白い衣に汚らしい褶をひき結んだ腰つきは、見苦しい。
そうはいっても、櫛が落ちかかるように挿している女房たちの額のようすは、内教坊や内侍所あたりに、このような者どもがおるな、と面白く思われる。
姫君のお側でこのような者たちがお仕えしていたとは、夢にも思わないことだった。
「ああひどい。なんと寒い年でしょうか。長生きすると、このような目にも逢うものですねえ。」
と泣き出す者もある。
「故宮がご存命の頃を、どうして辛いと思ったのでしょう。こんなに頼みがなくても暮らしていけるものだったのね。」
と言って、飛んでいきそうなほど震えている者もある。
さまざまに外聞の悪い事を嘆きあっているのを、お聞きになるのも気が咎めるので、立ち退いて、たった今いらっしゃったように戸を叩かれる。
女房達は、灯をつけ直し、格子を開け放して光る君をお入れ申し上げる。』
奈良時代から平安時代にかけて、宮中行事の際に妓女たちが舞楽を行うことがありました。
その妓女たちが所属したのが内教坊です。舞妓という言葉は、この辺にルーツがあるようです。宴会の様子を描いた絵が残っていて、舞妓は頭に天冠という飾りをつけ、演奏する女楽人は櫛を挿しています。
奈良時代の髪型を見ると、結い上げた髪を釵子や櫛で飾っています。平安時代にも、儀式の際には頭に飾りをつけることはよく行われていて、光る君が、内教坊にこういうのいるなあ、と思ったのはそういう理由でしょう。
鎌倉時代以降はどうだったのかはよく分かりません。財政難で、そもそも宴会が開かれなくなったかもしれません。
内侍所というのは、後宮に勤める女官を管轄する組織です。どういう人が櫛を挿していたのか分かりませんが、流行を追わない年配者とか、雑用をこなす下級女官とかでしょうか。
『(姫君の乳母子である)侍従は、斎院にお仕えしていてこの頃はいなかった。若い人がいないため、ますますみすぼらしく、野暮ったい者ばかりで、光る君は見慣れないお気持ちがする。
女房たちがたいそう嘆いていた雪が、ますます激しく降っていた。空の様子は険しく、風が吹き荒れて、灯が消えてしまっても灯しなおす人もない。
部屋が狭くて、人気がすこしあるのに慰められはするが、あの、物の怪に襲われた折が自然と思い出されて、ぞっとするような不吉な感じに、眠れない心地のする夜である。
しかし、趣があるようにも、しみじみと惹かれるようにも、心に残るはずの変わった夜であるのに、姫君は、ひどく引っ込み思案で愛想がなく、何も惹かれる所がないのが、残念に思われる。
ようやく夜が明けた気配なので、光る君は格子をご自分でお上げになって、前の植え込みにつもった雪をご覧になる。
雪の上を踏み分けた跡もなく、一面に荒れていて、たいそう寂しげである。
「風情ある空をご覧なさい。いつまでも打ち解けてくださらないのは、辛いことですよ。」
まだ薄暗いが、光る君が雪の光でますます美しく若々しくお見えになるのを、古参の女房たちは満面の笑みで拝見する。
女房達が姫君に、「はやくお出ましなさいませ。」「つまらないお振舞いですよ。」「素直なのが一番でございます。」などお教えすると、人の申し上げることを拒否できないご性質なので、とにかく身なりを調えて、いざり出ていらした。』
古語で『ゐざる』というのは、現在でも「いざる」といいます。座ったまま移動することですが、時代劇などであぐらをかいたまま向きを変えたり、お茶席で正座の状態のまま移動する場面を見たことはないでしょうか。別に横着しているわけでも足が痺れているわけでもありません。品良くいざるのは難しいのです。
源氏物語でも、女性たちがいざる描写はよく出てきます。思うに、これは衣装が重いせいでしょう。十二単の試着をしたことがある人は、その重さがわかると思いますが、肩にずっしりと鉄板を乗せたような気分になります。床に座った状態から一人で立ち上がるのはけっこう大変です。あんな格好で常時過ごしていた昔の公家女性は、実は現代人より体力あったんじゃないかと思います。肩こりもひどかったのではないでしょうか。肩も首も容易に動かせないんです。
伊勢物語の昔男が意中の姫君を背負って逃げたというシーンも、突っ込んではいけませんが、絶対ムリでしょ、と突っ込みたくなります。
まあ、そんなわけで、この姫君も、光の差し込まない部屋の奥から、ずりずりといざり出てきたのです。
『光る君は、そちらを見ないようにして外を眺めていらっしゃるが、横目ではそちらを凝視している。
(どんな様子だろうか。慣れてきたことで、良く見える所が少しでもあれば嬉しいのだが。)
と思われるのですが、それは無理というものでしょう。
まず、座高が高く胴長に拝見されるのを、やはりそうか、と胸がつぶれる思いであった。続いて、ああみっともない、と見えるものは鼻であった。まるで普賢菩薩の乗り物のようである。あきれるほど高く長くのびていて、先の方が少し垂れて色づいているのは、とくに異様である。
肌の色は、雪も気後れするほど青白くて、額はとても広くて、それでも下ぶくれなのは、恐ろしいほど面長なのに違いない。
気の毒なほどやせ細って骨がちで、肩のあたりなどは、衣の上からでもわかるほどで痛々しい。
どうしてすっかり見てしまったのだろうと思うが、滅多にない様子なので、つい目が向いてしまわれる。
頭の形と髪のかかり具合は美しく、素晴らしいと日頃思う方々にもそれほど劣らず、袿の裾には一尺ほども髪が余っているように見える。
お召になっている物のことまで言い立てるのは、口が悪いようだが、昔物語にもお召し物のことをまず述べているようだ。
薄紅色のひどく色褪せた衣を一重ね、その上に元の色が見えないほど黒くなった袿を重ねて、表着には黒貂の皮衣の、実に見事で香がたきしめてあるのをお召しになっている。
古めかしい由緒ある御装束ではあるが、やはり若い女性の装いとしては、似つかわしくなく、仰々しい感じが際立っている。しかし実際、この皮がなくてはとても寒いだろうと見える顔色なのを、光る君はお気の毒とご覧になる。
何も言えない御気分ではあるものの、なんとか口を利いていただこうとあれこれ申し上げると、姫君はとても恥ずかしがって口を覆われる。それさえ、野暮ったく仰々しく、儀式官が練り歩く時の肘つきが想像される。ほんのり微笑んでいる様子も、中途半端である。
どうにもお困りになって、早々にお帰りになろうとする言い訳に、
「契りを結んだ者には心を開いて親しくしてこそ、あるべき姿になったと思えるでしょう。そうしてくださらないご様子なので、辛いですよ。」
などと言って、歌を詠みかけてみなさったが、姫君はただ「うう」と微笑まれて、すぐには返歌も詠めない様子なのもお気の毒なので、光る君はお帰りになった。』
なんとも悪しざまな言われようで気の毒になるくらいですが、ここまで真面目な雰囲気で進んできた物語が、いきなりコメディになりました。当時の読者は、意表を突かれて吹き出したかもしれません。
初めて容貌が細かく書かれましたね。現実味には欠けますが。
普賢菩薩の乗り物というのは、白象なのだそうです。なるほど、象ですか。ちょっとイメージできる気がします・・・
そして、やっぱりここまで姫君の顔は見てなかったようです。最初に押し入った時もこの夜も、灯はついていたでしょうに。暗闇で逢う決まりなんでしょうか。
姫君の衣装で、薄紅色と訳してあるところがありますが、原文では『聴し色』です。当時は、身分によって着てはいけない禁色というものがありました。許し色はその反対で、身分問わず身に着けて良いものです。多くの場合、薄紫や薄紅色のことでした。染料の紫草や紅花が貴重品だったので、濃く染めた贅沢品は誰でも着られるものではなかったんですね。肌着である単衣は、だいたい紅白青だったそうなので、姫君が着ていたのは薄紅色なのです。
黒貂の毛皮を着ているのには驚きましたが、平安時代にも毛皮があったんですね。遣唐使が廃止されても、鎖国したわけではなく、大陸との交易は続いていました。中国北部からロシア沿岸にかけた地域に渤海という国があり、そこからの品らしいです。他の着物はすっかり古くなってしまってますが、この毛皮だけはきれいな状態のようです。きっと、とても高価だったんでしょうね。
『御車を寄せている中門がひどく歪んでいる。とても寂しく荒れている所に、松の雪だけが暖かそうに降り積もっていて、山里のような風情でなんともしみじみと趣深い。
(「葎の門」というのは、このような所であるに違いない。なるほど、気の毒な可愛らしい人をここに住まわせて、気がかりで恋しい、と思いたいものだ。あってはならない物思いは、それで紛れてしまうだろうに。しかしこの場所にあの姫君のご様子では、どうしようもない。)
とお思いになる一方で、
(まして自分以外の男に我慢できるだろうか。私がこうして通うことになったのは、姫君を心配なさる故親王の魂の導きではないか。)
と思われる。
光る君は、橘の木が雪に埋もれているのを、供の者に命じて払わせなさる。それを羨んだかのように、松の木がひとりでに起き返って、ばさっとこぼれる雪も、評判にきく末の松山と見えることなどを、多少は理解して話相手になってくれる人がいたら、とご覧になる。』
ここの描写は秀逸だと思います。夕顔の咲き方を書いたところでも思いましたが、草木や風景の表現の仕方は、紫式部の感性が表れていますよね。人物はどうしても二次元でしか想像できないのですが、ここは実際の風景として想像できました。綿帽子という言い方はありますが、雪をかぶっているのが暖かそうだとか、それがバサッと落ちたのを見て松が自分で起き上がったのだとか、面白いですよね。
『御車を出す門がまだ開いていないので、鍵の預かり人を探したところ、たいそう年を取った翁が出てきた。娘か孫かという年頃の女が黒ずんだ衣を着ていて、それが雪でさらに目立っている。とても寒そうで、火を入れた器を袖でくるんでいる。
翁が門を開けることができないので、この女がそばに寄って手伝っているさまは、たいそう不格好だ。供の人も手伝って、門を開けた。
光る君は「幼き者は形蔽れず・・・悲喘寒気と併せて鼻中に入りて辛し」と詩を詠じながら、姫君の鼻が色づいて、たいそう寒そうに見えた様子を思い出して、微笑みなさる。
姫君が世間並の平凡な様子だったならば、このまま忘れて終わってしまうだろうが、はっきりご覧になつて後は、かえってひどく気の毒で、真面目な気持ちで常にご訪問される。
黒貂の皮ならぬ絹・綾・綿など、あの老人たちの着る物を、あの翁のためにまで用意し、身分の高い人にも低い者にも、差し上げられる。
このような生活面の援助についても、姫君は恥ずかしそうではないので、光る君も気が楽で、そういう方面の世話係になろうとお考えになって、普通はしないような立ち入ったことまでもなさるのだった。
(あの空蝉を垣間見た宵の横顔は、あまり良くない容貌だったが、立ち居振る舞いに隠されて、残念には思わなかったな。この姫君は、あの空蝉より劣るようなご身分だろうか。まったく、女の良し悪しは、身分によらないものであったな。)
と、何かの折ごとに思い出される。』
光る君が真面目だ、というのはこういうところなんですね。
浮気者とされている頭中将なら、顔を見るまでもなく、なんかつまらない、と思ったらそこで止めてしまうのでしょう。高貴な人なのに、容姿もセンスもコミュ力も、色々残念で気の毒だから、自分が面倒見よう、と思う光る君。現代でもそんな人、なかなかいないでしょうね。




