源氏物語の世界③穢れについて
桐壺更衣は、重篤な病のため宮中を退出しました。
女官や宦官が宮城内で死ぬことを許されず、その前に外に出されるという話は、朝鮮や中国でもあったと聞きます。でも、お妃達は、むしろ死ぬまで後宮から出られないイメージがあります。
それに比べると、日本の後宮の人達はよく里帰りしているようです。平安時代の後宮は結構緩いんですよね。宦官はいないし、男性職員も普通に出入りするし、成人した親王が住んでいたりするし。江戸時代の大奥ともずいぶん違います。
桐壺更衣は、出産のときも内裏から出ました。これは特別な事ではなく、誰であれ出産の際は実家に戻って産みました。他の国にはない習慣ではないでしょうか。
なぜって、后妃含めた『皇帝・王の女』が孕む子は、必ず皇帝や王の子でなければならないし、その子供が間違いなくその女から生まれた子であると確認するためには、他の男性を排除した後宮に置いて、後宮の中で出産させなければならないからです。よそで産んだら、子供をすり替えられる危険性があります。ヨーロッパでも、貴族や有力者の夫人が王妃の出産に立ち会ったりしました。
平安貴族はそのあたり、考えつきもしなかったのか、おおらかですね。
平安貴族が気を使っていたのは、むしろ『穢れ』の方かと思います。
現代でも、お葬式から帰るとお清めの塩をかける習慣が残っていますよね。
『穢れ』の概念は古代から存在しました。
平安時代になると『穢れ』に対する忌避感は強くなります。『穢れ』に触れた場合は一定期間謹慎しなければならず、これを『物忌み』といいます。『穢れ』や『物忌み』については、延喜式などの法令で細かく決められていました。
『穢れ』とされたのは、『死』『出産』『肉食』。他に、『埋葬』『流産』『月経』『失火』もあったようです。
死はともかくなぜ出産?と現代人は思います。無事生まれれば祝事です。でも、血が流れるし、当時は死亡率が高いのです。
肉食は仏教の影響でしょうね。
恐いのは、人の死骸の欠片が落ちていた場所も穢れると。
欠片って・・・いや、想像したくないです。
それぞれの穢れによって、物忌み期間が決まっています。しかも、穢れが発生した場所とそこにいた人すべてが穢れます。そして穢れた人々が物忌みを終える前に立ち寄った場所や帰宅した家、そこにいた人にも穢れは伝染します。目に見えないくせに、なんて厄介なんでしょう。
穢れの伝染。そんな小説、ありましたね。
まあ、ウイルスと違って、穢れの伝染はここでストップしますけど。
内裏で穢れが発生すると、物忌みの間は全ての政務がストップします。
えらいことです。現代なら一日で大混乱でしょう。
それ以前に、内裏は神社と同レベルで神聖な場所でした。だから、穢れは避けなければならなかったのです。
桐壺更衣が出産のときも死ぬ間際にも内裏を出た理由は、内裏が穢れるのを防ぐためでした。
さすがに、天皇や皇太后くらいだと、出て行ってくださいとは言われなかったでしょうけれど。
ただ、平安時代は存命中に譲位する天皇が多いのです。譲位して太上天皇(上皇)となると、内裏を去り後院へ移ります。政治的力学とか体力の問題もあったのでしょうが、穢れを恐れて、という理由もあったのではないかな、とちょっと思いました。
しかし、月経なんてどうするんでしょう。その都度内裏を出るのは大変です。
そして、死と出産に関しては、人間だけではなく動物にも適応されました。馬・牛・羊・豚・犬・鶏の六種類ですけどね。それって、結構大変じゃないですか?内裏のどこかで野良犬が出産してたりすると大騒ぎになったんでしょうね。