源氏物語の世界⑪光る君のモデルーその1ー
光る君には、モデルとされている人が何人かいます。
いかに紫式部が才女でも、ゼロから物語や人物を作り上げるのは難しいですよね。実在の人物や既存の物語、歴史や古歌など、想像力の元になったものがあったのです。
今回は、在原業平についてです。
平安遷都を行ったのは桓武天皇。この後を継いだのは平城天皇です。
在原業平は、この平城天皇の孫にあたります。母方では、桓武天皇の孫でもあります。親王と内親王を両親に持つ、大変高貴な生まれでしたが、平城上皇と嵯峨天皇が睨み合った「薬子の変」など政治的理由で臣籍にくだります。摂関家とも他の氏族とも、ほどほどの距離で付き合っていたようですが、最終的な位階は従四位上。高貴な生まれにしては、あまりぱっとしないようにも思います。
もっとも、皇位は平城天皇の弟・嵯峨天皇の系統に移って、天皇の孫と言っても傍系になってしまいましたし、摂関家と渡り合えるような実力も後ろ盾もなかったので、こんなものなのかもしれません。
この人は、奔放な性格で学問は今一だけれど、見目は良くて歌の才に秀でた人でした。古今和歌集にも多くの歌が収められていて、六歌仙の一人になっています。
平安時代きってのプレイボーイとしても知られていて、『伊勢物語』はこの人が主人公とも言われています(異論もあります)。
源氏物語は伊勢物語の影響を強く受けていると言われていて、ところどころに伊勢物語中の歌が引用されています。
伊勢物語の主人公は名前がありません。『昔男ありけり』で始まるので、「昔男」なんて呼ばれてます。適当すぎやしないかとは思いますが。
この「昔男」が、高貴な姫君と恋仲になり、邸からさらってその背に負ぶって逃げる、というくだりがあります。夜も更けてきた上に雷雨になったので、近くの小屋に姫君を隠し、見張りをしていたところが、翌朝、姫君は鬼に食われて跡形もなくなっていたのだそうな・・・。
なんだか、夕顔の元ネタっぽいですね。
この説話、在原業平と藤原高子の駆け落ちのことだと言われています。鬼に食われたというのは、追ってきた高子の兄弟に連れ戻されたことを指すのだそうで。
本当に食われていなくて良かった・・・
藤原高子は摂関家の大事な后がね(后候補)。この後、清和天皇の元に入内し、皇子を産みます。その皇子がやがて即位し、高子は無事に后となりました。
業平と高子が本当に恋仲だったのか、本当に駆け落ちしたのかは分かりません。記録に残っているわけではなさそうです(残せるわけもありませんが)。ただ、そうだったのだろう、と今に至るまで語り伝えられています。後日談として、皇太后となった高子に、蔵人頭となった業平が仕えて歌を詠んだことが知られています。
ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは
百人一首にもある、有名な歌です。
この歌にどのような意味を込めたかは、当人のみぞ知ることでしょう。
このあたりも、紫式部の発想の元になっている気がします。
もし本当に業平と高子が恋仲だったとすると、高子は恋人との仲を引き裂かれて、親兄弟の望み通り入内させられ、期待通り皇子を産んだということになるわけですが、それで万事解決とはなりませんでした。
その皇子は9歳で即位し17歳で退位させられます。表向きの理由は、人を殺して君子の徳を失くしたためとされていますが、実際のところは、時の権力者であった兄・藤原基経と高子の仲が悪かった為と言われています。陽成天皇の諡で呼ばれることになったその皇子は80歳まで生きますが、暴君ということにされ、皇統を息子や孫に継がせることもできませんでした。さらに、高子自身も、50歳を超えた頃に僧侶との密通の疑いをかけられ、皇太后を廃されてしまいます。
実際の事情や高子の心の内は分かりませんが、もし周囲に振り回されたのならば、この人の一生は何だったのだろう、と思います。
なお、伊勢物語の主人公は、伊勢の斎宮とも恋仲になりかけたり、東国へ追放されたりします。
そのせいか、在原業平と伊勢の斎宮との間に隠し子が・・・なんてまことしやかな噂が後世まで残っていたりしますがそういう記録はありません(残せるはずもありませんが)。
そして業平が流罪になった事実もありません。
最後は、蔵人頭という要職に就いたまま、天寿を全うします。
本人の言動より、伊勢物語のおかげでプレイボーイのイメージが定着した気がしないでもありません。が、物語の主人公のモデルとしては、なかなか面白い要素を持つ人ではありますね。




