若紫巻~北山での療養~
『光る君は瘧病にかかり、あらゆるまじないや加持も効果がなく、何度も発作を起こされた。
北山の某寺に優れた行者がいる、と勧める人がいたので、人を遣わしたが、老いて外に出られないとのことで、内密に訪ねていくことになさった。御供には親しくお仕えする者四~五人だけを連れて、まだ夜の明けないうちにお出かけになる。
その寺は山にやや深く入った所にあった。三月の末であるので、京の花盛りはみな過ぎてしまったが、山の桜はまだ盛りで、山に入っていくにつれて、霞がかっているのも趣深くみえる。窮屈な御身で、このような山の様子も見慣れていらっしゃらない光る君には、珍しく思われた。
寺の様子もたいそう趣深い。峰高くそびえた深い岩の内に、聖はいらっしゃった。光る君は、ご自分が誰ともお知らせにならず、たいそう粗末な身なりをなさっていたが、それでも、はっきり誰とわかるご様子なので、聖は畏れ多いことだと驚き、笑みをたたえながら光る君を拝見する。
聖はしかるべきものを作って光る君にお飲ませする。加持などしているうちに、日が高くあがった。』
しかるべきものって何でしょう。護符とか薬とか書いてあるんですが。僧が薬草の知識を持っているのは不自然ではないのでどちらもありそうですけど、できれば薬を飲ませてあげてほしいです。
旧暦の三月末は、現在の四月末から五月上旬といったところ。現在は、平野部なら初夏の陽気のところもあり、最近は夏日の日もあったりします。平安時代はもう少し涼しかったはずです。しかも山の中なので。
ソメイヨシノはまだなくて、桜といえば一般的にはヤマザクラでした。白い花と赤みを帯びた新芽が同時に開くヤマザクラ。装束の桜襲は、この様子をイメージしたものでした。
『少し外に出て見渡されると、高い所であるから、多くの僧坊があちこちに隠れることなく見下ろされる。このつづら折の道のすぐ下に、同じ小柴垣であるが、美しく整えてあって、さっぱりした家屋を廊でつなげて、木立がたいそう風情ある様子の僧坊がある。
「誰が住んでいるのか。」
とお尋ねになると、御供の者が、
「ここは、何某という僧都が、この二年間、籠もっている所だそうでございます。」
と答えた。
「気後れするほど立派な人が住んでいるのだな。見苦しいことに、あまりに粗末な身なりで来てしまったものだ。私のことを聞きつけでもされたら困るな。」
こぎれいな女の子などがたくさん出てきて、仏前に水を供え、花を折ったりするのもすっかり見える。
「あそこに女がいるぞ。」「僧都はまさかそのように女を住まわせたりはなさらないだろうに。」「どういう女だろう。」
と口々に言う。
君は仏前のお勤めをなさりながら、日が高くなるにつれて、病はどうなるのだろうかとご心配されるが、聖が、
「何かと気を紛らわせて、思いつめないのが良いのです。」
と申し上げるので、後ろの山にお出かけになり、京の方角を御覧になる。
遠くまで霞がかっていて、四方の木々の梢がどことなく煙って見える様子に、
「絵にたいそうよく似ているな。このような所に住む人は、(存分に情緒を味わい尽くして)心に思い残すことはないだろう。」
とおっしゃると、
「ここの風情はまだ浅いものにございます。地方の海山の様子などを御覧になられましたら、絵の御腕もたいそうご上達なさるでしょう。富士の山、なにがしの獄。」
などお話しする者もある。また西国の風情ある浦々や磯のことを言い続ける者もあった。
「近い所では、播磨の明石の浦こそ、やはり格別にございます。これといって趣深い場所はありませんが、ただ海を見渡してみると、不思議と他所とは違っており、ゆったり広々した所でございます。
最近出家した前の国司が、娘を大切に育てている家は、とても素晴らしいですよ。その人は大臣の血筋で、出世もするはずでしたが、たいへんな変わり者で、人づきあいもせず、近衛中将の官を棄てて、みずから申し出て頂いた国司の役職でしたが、国人にも少し侮られて、『何の面目があって、また都に帰れるだろうか』と剃髪したのです。山に籠ることもせず、あのような海に面したところに住んでいるのは非常識なようですが、まあ確かに、あの播磨国の内に、人が籠もるにふさわしい所はあるものの、深い山里は人気が少なく物寂しく、若い妻子が嫌がるでしょう。また、本人にとっても、気晴らしのできる住まいなのでございます。
先日、播磨国に下りましたついでに、その様子を見に寄ってみましたところ、京でこそ高い地位を得なかったようですが、たいそう広々と土地を占めて屋敷を作っている様子は、さすがに国司というもので、余生を豊かに過ごす用意も、またとないほど行っておりました。来世のための仏事の勤めもたいそう熱心で、法師になって、かえって人柄が優れてきた人物でございます。」
と申せば、光る君は
「ところでその娘というのは?」
とご質問になる。
「悪くはございません。容貌も性格も。代々の国司の方などが、格別に準備をして結婚を申し込んだようですが、全く応じないのです。『我が身がこのように虚しく沈んでいることだけでも無念なのに。子はこの娘ひとりだけなのだから、格別な相手を、と考えている。もし私が先立って、その望みが遂げられないということになるなら、海に入ってしまえ』と、常に遺言をしているということだそうです。」
と申し上げると、君もおもしろいとお聞きになる。
人々は、「海龍王の后となるべき秘蔵の娘というわけだね」「気位が高いのも困りものだ」と言って笑う。
こう言うのは播磨守の子で、蔵人から今年五位に叙せられた者であった。
「やつはたいそう好色なので、あの入道の遺言を破ろうという心があるのだろう」「それでふらふらと立ち寄るのだろう」と人々は言い合った。
「そうは言っても、その娘は田舎じみているだろう。幼い頃からそのような所で育って、古臭い親にのみ従っているのでは。」
「きっと母親が由緒ある家の出なのだろう。きれいな若い女房や童などを、都の高貴な家から、縁者のつてで探し集めて、それはもう大切に育てているそうだ。」
「心ない人が国司となって赴任して行ったら、そのように安心してもいられないのではないかな。」
君は、
「どのような考えで、海の底まで深く思い入るのだろう。水底のみるめ(海藻)も、煩わしいだろうに。」
と、関心をお持ちになった。このようなことでも、普通ではなく風変わりなことを好まれるご性質なので、御耳にとまるのだろうと、従者たちは拝見する。』
平安貴族らしく、風情ある光景に心を寄せるのかと思いきや、若い男子はやっぱり女の子の話題になるんですねえ。
和歌では、海松布と見る目を掛けることがよくあるようですが、日常会話でも掛けていたんでしょうか。身投げなどしては海底の海松布にとって厄介なことになるし、身投げした娘の見た目も見苦しいものになるだろうに、と言いたいらしいのですが、その光景はちょっと想像したくないです。
『「日が暮れてきましたが、病の発作も起こらないようでございますね。早くお帰りになられては?」
と従者が言うのを、聖は、
「御物の怪なども憑いていたようでございますので、今宵はやはり静かに加持などなさって、それからご出発ください。」
と言う。君も、このような旅寝は慣れていらっしゃらないので、興味深く思われて、
「それなら明け方に出発しよう。」
とおっしゃる。』
どうやら聖の加持が早々に効いたようです。
でも、そろそろ治まる時期だったんだと思います、多分。
ところで、物の怪なのに、「御」がつくんですね。物の怪というと、調伏すべきもの、祓うべきものといったイメージで、どちらかというと駆除すべき害虫と同じような感覚なのですが、平安時代は違うのでしょうか。「御」がついたりつかなかったりしますが、敬意や畏怖を抱いている印象です。
古来、人間に災いをもたらすものも荒ぶる神としてお祀りしてきた日本人なので、物の怪は神の一種として扱っていたのかもしれません。




