夕顔巻~廃院の鬼~
この頃の室内の明かりは、油を使っていました。『大殿油』という言葉がたびたび出てきます。1mくらいの台の上に油皿を置いて、灯心に火をつけていました。
移動用には『紙燭』というものが使われます。松の木を削って先端に油を塗り、手元には紙を巻き付けたものです。蝋燭はまだ一般的ではなかったんですね。
光る君は、日暮れ早々に灯をつけさせて休んでいましたが・・・
『宵を過ぎる頃、少し寝入っていたところ、枕元に大変美しい女が座っていて、
「私が、とても素晴らしい方とお慕い申し上げているのに、お訪ねになろうとも思われずに、このような平凡な女をつれていらして、ご寵愛になるのは、ひどく目障りなことですよ。」
と言って、傍らの人を引き起こそうとする夢を見た。
物の怪に襲われる心地がして目覚めると、灯も消えていた。気味が悪いので、太刀を引き抜いて側に置き、右近を起こすと、右近も恐ろしいと思っている様子で側に来た。
「渡殿にいる宿直の者を起こして、紙燭をつけて参れと言え。」
「どうして行けましょうか。暗くて。」
「なんと子供のような。」
と少し笑って手を叩くと、こだまの返ってくる音がたいそう不気味である。
誰も聞きつけず、参上しないので、女君(夕顔)はひどく震えて怯えている。汗もぐっしょりになって、危篤になったかのような様子である。
「ひどく怖がりな性格でいらっしゃいますから、どれほど怖いとお思いでしょうか。」
と右近も言うが、本当に弱々しく、かわいそうに思われるほどである。
「私は人を起こそう。手を叩けばこだまが返ってくるのは、とてもうるさい。ここに。しばらく、近くに。」
と言って、右近を引き寄せ、西の妻戸に出て戸を押し開けると、渡殿の灯も消えてしまっていた。
風が少し吹いていて、人気も少なく、仕えている者はみな寝ている。
ここの管理人の子と、親しく使っている若い男と、ほかには殿上童ひとりと、いつもの従者だけがいた。
呼ぶと返事をして起きてきたので、
「紙燭を持って参れ。従者にも、弦打ちして絶えず声をあげろ、と命じよ。人気のない所で、気を許して寝込む者があるか。惟光が来ていたようだが。」
と尋ねると、
「控えておりましたが、ご命令もないので、明け方にお迎えに参るということを申して、退出いたしました。」
と言う。この者(管理人の子)は滝口の武士だから、弓弦をそれらしく鳴らしながら、管理人の部屋の方に行ったようだ。
宮中では、宿直の点呼の時間(夜九時頃)を過ぎた頃だろう。まだそれほど夜は更けているまい。
部屋に戻ると、女君(夕顔)はそのまま横たわっていて、右近は傍にうつ伏せになっている。
「これはどうしたことだ。ああ、異常なほどの怖がりようではないか。荒れた場所では、狐などのようなものが、人を脅かそうとして恐ろしく思わせるのだろう。私がいれば、そのように物には脅されないぞ。」
と言って引き起こす。
「とても気味が悪く、気分も悪くなりましたので、伏せてしまったようでございます。姫君(夕顔)こそむしょうに恐ろしいとお思いでしょう。」
「そうだ。どうしてこんなに・・・」
と触れて確かめてみると、息もしていない。揺すってみるが、ぐったりして意識もない様子である。子供のような人だから、物の怪に正気を奪われてしまったのでは、となす術もない気持ちになる。
(管理人の子か従者が)紙燭を持って来た。右近も動ける状態ではないので、近くの几帳を引き寄せて、
「もっと近くに持ってこい。」
と言う。普段ならお側近くまで参上できないため、遠慮して長押にのぼることもできないのを、
「もっと近くに持ってこい。遠慮も場合によるぞ。」
と、近くに寄らせてみると、この枕近くに、夢に見たのと同じ容貌の女が、幻のように見えて、ふっと消え失せた。
「昔の物語などに、このようなことは聞くが。」
と、滅多になく気味が悪い。が、まずはこの人(夕顔)がどうなったかという不安で、自身の安全も考えずに寄り添い、呼びかけて起こそうとするのだが、すっかり冷たくなっていて、息はもう絶えてしまっていた。
なんとも言いようがない。どうすればいいかと相談できる人もない。法師などは、このような事では頼りになると思うのだが。
あれほど強がっていた光る君ではあるが、まだ若いので、女君が死んだようになってしまったのを見ると、気持ちの紛らわしようがない。そのまま抱きしめて、
「私の愛しい人。生き返ってくれ。ひどく辛い目にあわせないでくれ。」
と言うが、すっかり冷たくなっていて、なんとなく嫌な感じになってゆく。
右近は、ただ恐ろしいと思っていた気持ちがすっかり覚めて、ひどく泣いて取り乱している。光る君は気丈に、
「いくらなんでも死んでしまうことはないだろう。夜の声は響く。静かに。」
と、右近を諌めるが、あまりに突然のことなので途方に暮れた気持ちになる。
先ほどの男(滝口)を呼んで、
「物の怪に襲われた人が苦しそうにしているので、今すぐ惟光朝臣の泊まっている所に行って、急いで参れと申し付けよ。(惟光の兄の)阿闍梨がそこに居合わせるのであれば、ここに来るように、こっそり言え。あの尼君の耳に入るので、おおげさに言うな。このような忍び歩きを許さない人だから。」
などと言うのだが、この人を死なせてしまったらどうしようかと、胸がつまってたまらない上に、あたり一帯の不気味さは例えようもない。』
内裏を警固する武士の詰め所を『滝口』と言います。さらに、そこに詰める武士のことも『滝口』と言いました。廃院の管理人の子は、滝口の武士でした。そうは言っても、寝ずの番をするわけではありません。あるいは、鬼が灯を消したついでに眠らせてしまったのかもしれません。
『夜半も過ぎたのだろうか、風がやや激しく吹いているのは。
加えて松が揺らされる響きは、深く茂っている感じで、奇妙な鳥がしわがれ声で鳴いているのも、梟というのはこれだろうかと思われる。
あれこれ考えてみると、どこも人気がなく薄気味悪い。どうしてこのような頼りない宿を取ったのだと、後悔してもしようがない。
右近は何も考えられず、光る君にぴったりと寄り添って、震え死にしてしまいそうだ。この者もまたどうなるだろうと、無我夢中で手を取っている。自分一人が正気を保っている状況で、光る君は途方に暮れるのだった。
灯はかすかにまたたいて、母屋と廂の間の境に立てた屏風の上が、あちらこちら翳って見える上に、何かが足音をみしみしと踏みならして、背後から近寄って来る感じがする。惟光が早く来ないだろうかと思うのだが、居場所の定まらない男で、使いの者があちこち探し回るうちに、夜明けが近づいてきた。その時間の長さは、千夜を過ごすような心地がした。
やっと鶏の声が遠くに聞こえて、
「どういう因縁で、このような命がけの目にあうのだろう。我ながら、身分不相応にあるまじきことを思う報いに、このように、後にも先にも人の話の種となってしまうようなことが起きたのだろう。いくら隠しても、起きたことは隠しきれず、帝のお耳にも入るだろうし、世間にも知られて、口さがない者達の無責任な噂となることだろう。とどのつまり、愚か者と言われることになるのだろうな。」
と様々に考える。』
鬼は、光る君を見逃してはくれませんでした。むしろ、光る君だったからこそ、夕顔に嫉妬して連れて行ってしまったのでした。
「弓弦を鳴らせ。」と光る君が命じたのは、その音が物の怪を追い払い、邪気や穢れを祓うと信じられていたからです。出産や病気や入浴の際にも鳴らされました。現代人としては、うるさいのでちょっと止めてほしい習慣ですが。
この鬼が、六条の女君(御息所?)ではないかという意見もあります。まあ、直前に、恨まれても仕方がないなあ、と光る君が思ってますからね。でも、はっきりしません。この廃院に棲む悪霊だったかもしれません。
光る君は、『あるまじき心の報い』、つまり藤壷宮へ思いを寄せた罰だと考えます。
あまりの展開に、さすがに光る君も意気消沈です。
そして夕顔は、あっけなく亡くなってしまいました。その胸の内を、はっきりとは見せないまま。その人生に、幸福な時はあったのでしょうか。貴族に生まれても、頼れる人のいない女性は流されるしかありません。夕顔なりに、物思いもしたはずですが、我が弱すぎてあまり伝わりません。
夕方に咲き、わずかな間しかその花を見せない夕顔のように、儚い印象の人でした。




