夕顔巻~何某の院~
『沈むのをためらう月のように、どこへとも分からず出歩くのをためらう女を、あれこれ説得しているうちに、にわかに月が雲に隠れた。そうして明けていく空はしみじみと趣深い。
明るくなって体裁が悪くなる前にと、急いで出発する。車には右近が付き添って乗った。
そのあたりに近い何某の院に着いて、管理人を召し出している間に荒れた門を見ていると、忍草が生い茂っている。周囲の木も例えようもなく茂っていて暗い。霧が深く露も多い中に、車の簾も上げているので、袖もひどく濡れてしまった。
女が「心細いです。」と、なんとなく怖がって気味悪そうにしているので、あのように人が密集した住まいに慣れているためだろうかと、おもしろく思う。
車を邸内に入れさせて、西の対に御座所など用意している間、車の中で待っている。管理人が一生懸命奔走している様子から、右近はこの方(光る君)のご身分を、すっかり知ってしまった。』
ゆっくりデートしたいからって強引に連れ出してしまいましたが・・・今日は休日ですか?
無断欠勤じゃないの?
近衛中将の仕事って、そんな適当なもの???
まあ、この時代、帝の命を狙おうという人もいなさそうですけどね。
『ほのかに物が見えるほど明るくなってきた頃に、車から降りた。仮の御座所ではあるが、さっぱりと準備を整えてある。
「御供にどなたもおられませんな。具合の悪いことですね。」
この管理人は、光る君と親しい下家司で、左大臣家にもお仕えする者である。
「しかるべき人をお呼びした方がよいのではありませんか?」
など申し上げる。お粥などを急いで差し上げるが、給仕の者が足りない。しかし光る君は、
「わざわざ人が来ないような隠れ処を探したのだ。このことは不用意に漏らすな。」
と、口止めをした。
日が高くなる頃に起きて、格子を自分で上げると、庭はひどく荒れて、人気もなく広々と見渡されて、木立が鬱蒼と気味が悪いほど古びている。
近くの草木などは特に見どころもなく、すっかり秋の野原と化して、池も水草に埋もれているので、たいそう気味の悪い有様である。
別棟の建物に部屋があって人が住んでいるようだが、こちらとは離れている。
「気味悪くもなった所だな。そうはいっても、鬼なども私を見たら許すだろう。」』
すごい自信。さすが皇子様、というか光る君。自分の見目が良いことを、よく分かっている人のセリフですね。
でも読者は知っています。そううまくはいかないのです。
廃院というのは、廃墟になった寺院のことだと思ってました。
個人の邸宅跡だったんですね。しかも管理人がちゃんといるんですね。蜘蛛の巣と埃だらけのところに連れていかれて、さあここで過ごそうと言われても嫌だろうなあと思っていましたが、ちゃんと居場所を整えてくれて食べ物の用意までしてくれます。
『顔はまだ隠していたのだが、女がとても辛いと思っているので、
「たしかに、ここまでの関係になっておいて隠しているのも、あるべき姿に反している。」
と思われて、
「夕露に 紐とく花は 玉鉾の たよりに見えし 縁にこそありけれ
(夕べの露を受けて開く花のように、私も素顔を御覧にいれましょう。これもあの五条の道で会った縁なのでしょう。)
露の光はいかがか?」
と言うと、女は流し目で見やって、
「光ありと 見し夕顔の うは露は たそかれ時の そら目なりけり
(美しいと見ていた夕顔の上の露は、夕暮れ時の見間違いでした)」
と、かすかに言うので、光る君は、おもしろいと思う。くつろいでいる光る君の様子は、本当に類まれなほどに美しく、場所が場所だけに、いっそう不吉なまでに見える。
「貴女がいつまでも隠し立てするのが恨めしいので、私も正体をあかすまいと思っていたのだが。せめて今からでも名乗ってください。でないと、とても不安です。」
と言うが、それでも
「海人の子ですから(卑しい身の上ですから)。」
と、とてもなよなよとした様子で、全てを明かさずにいる。
「まあいいでしょう。これも私のせいでしょうから。」
と、恨み言を言ったり、睦まじく語りあったりして、一日中過ごした。』
光る君の顔を見た夕顔の反応は、私も面白いと思いました。
子供のように従順と描写されていた夕顔ですが、ちょっと拗ねて見せたんですね。それも、強い調子ではなく、か細く儚げに。意外性と可愛らしさで、男子の心はギュッと引き付けられるんじゃないでしょうか。
というか、ここまで顔隠してたんですね。
二人とも、相手の正体がわからなくて『むくつけし(気味が悪い、正体がわからなくて不安)』と思っていたのはお互い様と言えなくもないですが、夕顔の方がより恐かったと思います。覆面していたらしいのですが、怪しさ満点じゃないですか。にもかかわらず、おとなしく付き合っていた夕顔が、とても不思議です。拒否権ないんでしょうか。
ちなみに、光る君の歌に出てくる『玉鉾』は、道の枕詞ですが、転じて「道」とか「道中」を示す言葉になったそうです。なんで枕詞だけあるのだろう、と思いましたが。
それと、「海人の子ですから。」という夕顔のセリフ。なぜいきなり海人かというと、これもまた、古歌からきてます。
白波の 寄する渚に 世をすぐす 海人の子なれば 宿も定めず (古今)
(白波の寄せる海岸に生涯を送る海人の子ですから、決まった家はありません)
おとなしく従順な夕顔ですが、この歌を引用して、自分は大した身分ではないので、明かせる名も素性もありません、と光る君の要望には応じなかったのでした。
そしてそんな夕顔の様子は、『さすがにうちとけぬ様いとあいだれたり』と原文には書かれています。現代語訳では「依然として打ち解けない態度は甘えすぎている」という感じになっています。
・・・甘えすぎってどういうことでしょう?夕顔は素直に告白しなければいけなかったんでしょうか?よく分からなかったので、辞書を引き引き勝手に変えました。
『惟光が行先を探しあてて、果物などを差し上げる。(もし光る君のために通っていたことを知ったら)右近が恨み言を言うだろうし気の毒なので、光る君の側に寄ることができない。
ここまで光る君が惑い続けるということは、そうなるのも当然なほど魅力的なのだろうと推しはかるにつけても、
「私がその女にうまく言い寄ることもできたのに、お譲り申し上げるとは、私は心が広いなあ。」
など、呆れたことを考えている。
例えようがないほど静かな夕方の空を眺めて、奥の方は暗くて気味が悪いと女が思っているので、部屋の端の簾を上げて添い寝をしている。
夕日の映える顔を互いに見交わして、女もこの状況を不思議に思いながらも、あらゆる嘆きを忘れて少しずつ打ち解けている様子はとてもかわいい。ぴったりと側に一日中寄り添っていて、何かをとても怖がっている様子は、子供ぽくて放っておけない。
格子を早い時間から下ろし、灯をつけさせて、
「すっかり互いを知る関係になったのに、まだ心の中に壁を残しているのが辛いことだ。」
と光る君は不満を言う。』
『辛し』『心苦し』『恨む』
現代も使う言葉ですが、古語の意味とイコールとは限りません。男女関係にもよくこれらの言葉が出てきます。特に『恨む』『怨む』は、現代よりも軽いニュアンスで、「不満に思う」くらいの時にも使います。親しいはずの友人とか男女関係でいきなり出てくるとびっくりしてしまうのですが、現代人が考えるほど、憎らしくて許せなくて、という強い恨みの念はないようです。
それにしても惟光くん、よくここがわかりましたね。
『「帝がどんなにかお探しであろう。」
と思ったり、また一方では、
「不思議なことよ。(こんな素性もわからない女に心惹かれるとは。)六条の御方も、どれほど思い乱れていらっしゃるだろう。恨まれても致し方ないことだ。」
と、六条の御方を思い出したりしている。
何も思うところなく向かい合っているこの女(夕顔)を好ましいと思うにつれ、
「六条の御方は、あの、見る人も苦しくなるほどの情愛深さを、少し取り捨てて欲しいものだ。」
と、心の中で比較している。』
夕顔は、何も考えていないわけでも、何も思うところがないわけでもなく、強く表に出して主張しないだけなんですよね。それが光る君からは子供っぽいと見えたり、頭中将が放置しても大丈夫な女だと勘違いしたところなのかもしれません。
対して六条の女君は、思うところがいろいろあるようです。おそらくストレートに嫉妬することはないのでしょうが、心の中にため込んでいる様子が丸わかりで、光る君にとってちょっと重い人になりつつあるようです。難しいですねえ。




