夕顔巻~十五夜~
光る君十七歳の夏は大忙しです。
時系列にしてみてみると・・・
夏の初めから盛りにかけて、空蝉さんに夢中。絶えず心にかかって何とかもう一度会いたいと物思いをしてます。
夕顔の花が咲くころ、空蝉さんのことは忘れられない一方、六条の女君を口説き中。そして、夕顔の宿の女性も気になっています。
夏の終わりから秋の初めにかけて、空蝉さんが地方に行ってしまうかもと聞いて、何とかもう一度会えないかといいつつ、夕顔の宿の謎の女性にどんどん引き込まれて熱心に通ってます。六条の女君は口説き落としたので、ちょっとおざなりになりつつ時折通ってます。
・・・光る君、もしかして、暇? 仕事、してる?
女性関連のことで手一杯な感じだけれど・・・
まあ、ともかく。
前々回、六条の女君の邸で朝顔を見たのは、おそらく立秋(八月七日頃)を過ぎた頃。
そこから一週間程度の十五夜から、怒涛のクライマックスに突き進みます。
旧暦と新暦には約一か月の差があるので、現在の九月ですね。地方によっては、お盆を過ぎると急に涼しくなるところもあるので、九月の満月の頃と言うと、ちょっと冷え込んできたと感じる頃合いでしょう。
『八月の十五夜、満月の光が隙間の多い板屋にすっかり差し込んで来て、ふだん見慣れない住まいの様子を珍しく思う。
暁近くなったらしく、近所の家々から賤しい男達の声がする。
「ああ、ひどく寒いなあ。」「今年は商売も当てになるところが少ないし、田舎への行き来も期待できんから、ひどく心細いや。北隣さん、聞いてなさるかい?」など、言い合っているのも聞こえる。わびしい各自の営みに起き出して、がやがや騒ぐのがすぐ間近で聞こえることを、女はたいそう恥ずかしく思っている。
風流ぶって気取っているような人には、消え入りたいような住まいの様子であろう。しかし、女はのどやかで、辛いことも悲しいことも気恥ずかしいことも、深く思いつめた様子がない。本人のふるまいや様子は上品でおっとりしているので、恥ずかしがって赤面するよりもかえって良いように思われた。
ごろごろと雷よりもおどろおどろしく、踏みとどろかす唐臼の音も枕元で聞こえるかのようで、ああうるさいと、これには閉口する。何の響きかは聞いても分からず、ひどく不愉快な音と思うばかりである。
衣を打つ砧の音も、微かにあちらこちらから聞こえてきて、空を飛ぶ雁の声も加わり、たまらなく、しみじみとあはれ深いことが多い。』
平安時代は庶民の様子が見えなくて、物語にもあまり出てこない印象があるので、これはちょっと珍しいと思いました。
元々、大内裏に近いほど有力貴族の邸宅で、遠いほど下級役人の家になるよう作られたと思うのです。市も七条・八条のあたりに作られているし。五条~六条のあたりは、貴族と庶民の家が入り乱れていたということでしょうか。
光る君は普段、大きな邸や内裏で過ごしているので、間近で生活音を聞くことがなかったんですね。
砧は衣服の皺伸ばしに使われていた日用品ですが、現代人には馴染みがないですよね。片手で握る棒のようなもので、衣服を叩いて皺を伸ばしたり、光沢を出したりしたようです。耳小骨に、砧骨というのがあります。形を見ても、砧そっくりなのかさっぱり分かりませんが、この和名がつけられた当時は、まだ身近な道具だったんでしょうね。
『端に近い御座所なので、引き戸を上けて、一緒に外を眺める。狭い庭に、しゃれた呉竹や植込みがあり、葉にかかった露は、やはりこのような所でも、同じようにきらきら光っている。
虫の声が入り乱れて、いつもは遠くに聞いているコオロギが、壁の中で、耳に押し当てたように鳴き乱れるのが、かえって変わっていて面白いと思う。これも、女(夕顔)への愛情が深いために、あらゆる欠点が許されるからだろう。
女(夕顔)は、白い袷に、薄紫の柔らかい上着を重ねていて、はなやかというわけではないが、たいそう可愛らしく華奢な感じがする。取り立てて優れた所もないけれど、か細くなよなよとしていて、ちょっとものを言う様子も、ああ気がかりだと思われるほど、ただひたすら可愛らしく見える。
もっとくつろげるところで過ごしたいと思い、場所を移そうと言うと、「急すぎましょう。」とおっとりと応じる。今生だけでなく来世の約束まですると、心を許してくる様子など、すれたところがまるでない。誰にどう思われるかなどということはどうでも良くなり、右近に命じて従者を呼び、車を邸内に引き入れさせる。
この家の者たちも、光る君の気持が浅くないのを見知っているので、不安ではあるけれども頼りに思っている。
夜明けが近くなると、鳥の声などは聞こえず、読経の声が聞こえてくる。南無当来導師(弥勒菩薩の救いを願う祈り)と拝む声に、光る君は、御仏の道を標として来世までの深い契りを違えないように、と詠むのであった。』
立秋も過ぎたので、着物は裏地のある袷になっています。
草露が光っているところなどは、すっかり夜が明けたような印象を持ちますが、実はまだ明けてません。日光ではなく満月の光で煌めいているようです。それでも周囲の人々は起きだしてその日の生活を始めています。平安時代の人はものすごく早起きだったんですね。昔は基本的に日の出とともに起きて日が暮れたら寝る生活だったといいますが、この時代の暁はまだ日の出前ですよ。
お寝坊なイメージのある貴族たちも、御所の開門を知らせる太鼓が午前3時頃になるので、その頃には起床したそうです。なぜそんな真夜中に鳴らすんでしょうね。出勤は6時ころだそうなので、もう少しゆっくり寝ていても良いのではないでしょうか。大方の現代人は、3時に目が覚めたら迷わず二度寝するでしょう。
もっとも、現在と当時の3時には、少しずれがあるかもしれません。
江戸時代には、日の出と日の入りを明け六つ暮六つとして、昼と夜をそれぞれ六等分していました。だから昼と夜の一刻の長さが違うし、季節によっても一刻の長さは変わります。平安時代も、そんな感じだったと思うのです。
それにしても、この早寝早起きな生活を真似れば、電力消費量がかなり抑えられるかも・・・?
いや、無理ですね。宵っ張り朝寝坊に慣れた現代人には大分辛いです。




