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源氏物語ってこんな話だったんだ  作者: 紫月ふゆひ
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夕顔巻~乳母の見舞い~

光る君、推定十七歳の夏。

つまり、空蝉さんに振られた直後のお話です。

忙しい人ですね。

『六条あたりの女のもとに密かに通っていたころ、内裏からの道の途中に、大弐の乳母が住んでいた。乳母は病にかかって尼になっていたので、見舞おうと思い、五条にある家を訪ねた。

 車が入れるような門は鎖で閉じているので、従者に命じて乳母の子の惟光(これみつ)を呼びだす。

 待っている間、むさ苦しい大路の様子を見渡していると、この家のそばに、檜垣(ひがき)というものが新しくしつらえてあり、半蔀(はじとみ)を四五間ほど上げて、簾なども白く涼しそうな家があり、美しい額の形をした人影が、簾ごしに何人も、こちらを覗いているのが見える。

 車も目立たないものにして、先払いもさせていないので、自分のことを誰も知るまいと安心して、少し覗いてみると、門は(しとみ)のようなものを押し上げてあり、門と建物の間も狭く、粗末な住まいである。

 しみじみと、「いづれかさして…」と思ってみれば、見すぼらしい住まいも、立派な宮殿も同じことである。

 簡素な塀に、青々とした蔓草(つるくさ)がいい感じに這っていて、白い花が、ひとり晴れやかに笑むように咲いている。

「遠くにいる人にお尋ねする…」

と独り言を言うと、従者が膝まづいて、

「あの白く咲いている花を、夕顔と申します。花の名は人なみですが、このようなみすぼらしい垣根に咲きます。」

と言う。

 本当にたいそう小さい家が多く、むさくるしい界隈で、あちこち傾いて頼りない軒先などに這いまわっている。

「残念な花の運命だな。一房折ってまいれ。」

と言うと、従者は、この押し上げた門に入って折る。』



 世の中は いづれかさして わがならむ 行きとまるをぞ 宿と定むる(古今)

(どこをわが宿と言えば良いのだろう。どこであろうと、行き着いたところをわが宿としよう。)


 うち渡すをちかた人に物申すわれ そのそこに白く咲けるは何の花ぞも(古今)

(そちらのずっと遠くにいる人にお尋ねする。そこに白く咲いているのは何の花ですか。)


こんな古歌があるそうです。

2首目は大分字余り、と思ったのですが、五七七五七七の旋頭歌(せどうか)という種類の歌なのだそうです。奈良時代の形式らしいですが。

頻繁に古歌や漢詩の引用が出てくるのは、作者が紫式部だからですよね。他の物語を詳しく読んだことはありませんが、ここまでではないですよね。

源氏釈なんてものが作られるくらいです。

当時としても、教養豊かな上級貴族を意識して書かれたものなんですね、きっと。


夕顔の咲いている所、「簡素な塀」としましたが、原文では『切懸(きりかけ)だつ物』となっています。

切懸(きりかけ)というのは、柱の間に横木を並べたもので、塀ですらないんですが、そんな感じの板塀に蔓草が這っているんですね。

上級貴族の邸宅であれば、がっちりした造りの築地塀(ついじべい)です。現在の京都御所にも規模の大きめな寺院にも築地塀(ついじべい)があります。この家は、檜垣(ひがき)や板塀といった簡単な塀で囲まれていて、身分の低い者の家なのだろうということが想像できます。



『粗末な家ではあるが、風情のある引き戸に、黄色い生絹(すずし)の単袴を長めにはいた、可愛らしい女童(めのわらわ)が出てきて招く。白い扇にたいそう香を焚きしめて焦げているのを、

「これに夕顔の花を置いて差し上げなさい。枝も情緒のなさそうな花ですから。」

と言って取らせた。

 そうしているところに、門を開けて惟光(これみつ)朝臣が出てきたので、惟光(これみつ)に渡して光る君に差し上げる。惟光(これみつ)は、

「鍵を置き忘れまして、たいへん申し訳ないことでございます。どなたかと見分けられるような者もおりません界隈ですが、(光る君は)ごたごたしている大路にお立ちになられて。」

と、恐縮して申し上げる。


 車を引き入れて下りる。惟光(これみつ)の兄の阿闍梨(あじゃり)、尼君の娘婿の三河守や娘などが集まっているところで、このように光る君にお越しいただいたことの喜びを、この上もないことに思って畏まる。

 尼君も体を起こして、

「惜しくもない身ですが、世を捨てがたく思っておりましたのは、こうしてお目にかかるのも、これまでのようにいかなくなるということが、残念に思われたからです。それで出家をためらっておりましたが、受戒の効き目として病が治りまして、このようにお渡りいただくことも拝見できましたので、今はもう、阿弥陀仏の御光もすっきりした気持ちで待つことができるでしょう。」

など申し上げて、弱々しく泣く。光る君も、

「病がなかなか良くならないことを、ずっと案じていたのだが、このように俗世を離れた姿になっているのは、まことに悲しく残念なことだ。長生きして、もっと私の位が高くなることなども見届けておくれ。それでこそ、九品(くほん)の最上位にも問題なく生まれ変わるであろう。この世に少しでも心残りがあるのは悪いことと聞く。」

など、涙ぐんでいる。

 乳母というものは、不出来な子でさえ完全無欠と思いこむものなのに、まして光る君である。とても晴れがましく、近しくお仕え申し上げてきた我が身さえ(いたわ)しく、ありがたいことと思っているようで、尼君は訳もなく涙がちである。

 すでに俗世を捨てた身なのに、俗世から去りがたいかのように自ら泣き顔をお目にかけるのは見苦しい、と子供たちは思って、つつきあい、目配せをする。

 (光る)君はしみじみと、

「幼い頃に、近しい人々は、私を残して亡くなってしまった。養育してくれる人はたくさんいたようだが、心から慕った人は、貴女の他にいないように思う。成人してからは制約があり、朝に夕にと会うことはできず、心のままに訪ねることもなかったが、やはり久しく対面しない時は心細く思う。まして、避けられない別れ(今生の別れ)など、なければいいのにと思うよ。」

など、こまやかに語らっている。

 よく考えてみると並々でないご縁であるなと、尼君のことを非難がましく見ていた子供たちも、みな涙にくれるのだった。』



仏教が信仰されていた当時、善人は亡くなったら浄土へ行く、と考えられていました。悪いことをすれば地獄へ行きますが。

浄土に行くにも等級があり、生前の行いで変わるらしいです。九品(くほん)というのはその等級のことです。

出家したのに俗世間に未練を残すのは見苦しい、という考え方は、帚木巻で左馬頭さんも言ってましたっけ。出家したのに中途半端な気持ちでいるのは、かえって悪道に漂うとか。

極楽浄土に行けない人たちは、六つの世界のどこかに転生します。人間界もその中にあります(異世界を含むかどうかはわかりません)。そのうち畜生道・餓鬼道・地獄の三つを悪道といって、より苦しみの多い世界になります。

うん、行きたくないですね。


さて、大弐の乳母の子、惟光(これみつ)くん。

ようやく名前のある人が登場しました。

当時は、人の名前、特に上位にいる人の名前を呼ぶことはなかったのでしょうね。物語の中で、ほとんどの男性は官職名、女性はニックネームで通していますが、きっと普段の習慣がそうだったのでしょう。官職は変わっていくのに、こんがらがることはなかったのでしょうか。現在なら、

「防衛大臣!じゃなかった!今はええと・・・何大臣になったんだっけ?」とか、

「元外務大臣にこの手紙を。」「何人かいるけど誰の事?」とか、混乱必至でしょう。


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