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源氏物語ってこんな話だったんだ  作者: 紫月ふゆひ
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源氏物語の世界⑧生地と織、女性の装束

空蝉巻に、生絹という言葉が出てきます。

生糸(きいと)は聞いたことありますが、生絹って何でしょう。最近は生めんとか生チョコとか生ハムとか、生が流行りですが。生ソーセージなんてものもあると聞いて、それは生じゃいかんでしょう!と思いましたが、ちゃんと加熱して食べるようなので安心しました。



さて、常識として知っている人もいると思います。

生絹は「すずし」とか「きぎぬ」と読み、主に夏向きの生地です。衣服も几帳も、盛夏にはこれを使いました。

蚕の繭から糸にしただけのものを、生糸(きいと)と言い、生糸で織ったものが生絹です。生糸は張りがあるので薄い生地を織りやすいそうです。弱くて切れやすいという欠点もありますが。

生糸(きいと)を撚り合わせ、精錬して糸の硬い成分を取り除いたものを練糸(ねりいと)と言います。こちらの方が手触りが良く光沢があって、現在は絹織物というとこちらで織ったものが一般的です。今は精錬するのに薬品も使われますが、昔は灰を使っていました。

練糸で織ったものは練絹(ねりきぬ)ですが、その昔は、生糸で織ったものを精錬して練絹にすることもあったそうです。


また、綾とか羅とかいう言葉も出てきます。

これは織り方の違いを指しています。

一番簡単な織り方は平織で、平絹は衣服の裏地として使われました。

綾織は、斜文織ともいって、折り目が斜めになるように見える織り方で、平織より柔らかくて伸縮性がよくなるそうです。この織り方の絹は、綾絹とか綾綺(りょうき)とか呼ばれます。

もっと後の時代になると、繻子(しゅす)織という、より密で、光沢が強く柔軟性のある織り方で作られた緞子(どんす)綸子(りんず)といった厚地のものが広まりますが、平安時代には、衣服としてはまだ使われなかったようです。

羅は透けるくらい薄い生地のことです。生糸と練糸を使い、織り方を工夫して粗い目になるように織りました。織り方が複雑なのと特殊な織機が必要なため、現代にその技法は伝わっていません。平安時代に、普通の織機で作れるようになった紗が生まれました。後に、さらに紗が変化した()ができて、現在の和装で夏物といえば()になります。




空蝉巻の場面は夏。平安時代は肌を見せる服装ではありませんが、暑いものは暑いんです。季節に合わせて服装や調度を変えるということは、当然していました。


裏地のない衣を(ひとえ)と言います。ややこしいですが、肌着として用いた衣も(ひとえ)、肌着ではないけれど裏地を着けなかった衣も(ひとえ)(単衣)です。

平安時代中頃まで肌着として使われた(ひとえ)は、女性の場合、衣装の中では一番大判です。平安時代後期には肌着として(ひとえ)の下に白い小袖を着るようになりました。

女性の場合、通常は(ひとえ)と長袴を着け、(うちき)を何枚か重ねます。(ひとえ)が下か長袴が下かはよくわかりませんが、上半身裸で長袴だけ着けている女性の絵が残っています。はだけないか心配ですが、何枚か重ねてきちんと着れば、素肌が見えることはありません。

小袖を着るようになってからは、小袖の上に袴を着け、その上に単と袿を重ねました。この状態が普段着で、袿姿と言いました。

(うちき)(ひとえ)よりやや小さめの衣で、季節によって裏地があったりなかったりしました。生地も、生絹や紗や綾など、季節によって変化しました。冬には表地と裏地の間に綿を入れたりもしたようです。裏地のあるものを(あわせ)と言って、現代でも夏以外は(あわせ)の着物を着ます。

昔の織物は現代のものより薄く、裏地の色が表から透けて見えたので、この色合いを工夫することで様々な重ねの色目が生まれました。さらに色の異なる数枚の衣を重ねて着ることで、全体的な(かさね)のグラデーションを楽しんだりもしました。このころの衣装は柔らかい生地だったので萎装束(なえしょうぞく)といいます。

鎌倉時代以降になると、糊を利かせたりした硬い生地の強装束(こわしょうぞく)になります。生地が厚くなって裏地が透けなくなるのです。そのため、袖口に裏地を見せるようにして重ねを表現しました。

現在見られるものは、平安時代とは違うのですね。あまり変わっていないようでも、千年の間には変化しているようです。

ちなみに、一枚二枚ではなく、一領二領と数えます。



空蝉さんは、濃紫の綾の単衣襲(ひとえがさね)で碁を打っていました。(ひとえ)物の(うちき)を何枚か重ねていたのですね。

軒端荻は、白い羅の単衣襲(ひとえがさね)の上に、二藍(ふたあい)(青紫)の小袿(こうちき)らしきものを羽織っていました。

小袿(こうちき)と言うのは上着として用いた(うちき)のことで、名前の通り小さめに作られています。準正装として使われるので高価な織物で作られました。上に着るものほど小さめなのは、上着の方が上等なので汚さないように、らしいです。ただ、小袿を着るのは高位の貴族女性だったので、軒端荻が着ていたのは、もどきのようです。



ついでに。

晴れの日の正装では、(うちき)を重ねた上に、打衣(うちぎぬ)を着ます。(うちき)より小さめに作り、砧打(きぬたうち)という処理をしたもので、光沢があります。

打衣(うちぎぬ)の上に表着(うわぎ)を着ます。大きさは打衣(うちぎぬ)と同じで、他のものより豪華な織物を用いました。

さらに、腰に()をつけ、唐衣(からぎぬ)を着れば完成です。唐衣は腰までの丈で、袖丈も最も短いものでしたが、これまた豪華な織物で作られていました。

裳と唐衣を省略した準正装として着られるようになったのが、小袿です。


物語には、細長や汗衫(かざみ)というのも出てきます。どちらも童女の装いで細長は正装、と思っていたのですが、どうやら成人女性も細長を着ています。この細長は、よくわかっていないのだそうです。丈は長いようなのですが、腋が縫われていたりいなかったり。再現してみたグループによれば、普通の袿より1.5倍くらいの長さで、小袿同様、準正装だったのではないか、とのことです。


無地に見えるものでも文様が織り込まれ、表着(うわぎ)にするようなものでは、地の色とは異なる色糸で、まるで刺繍をしたかのように文様を織りだしました。

こうした装束は、時代によって変化があったようですけれどもね。

男性用の装束については、またの機会に。


ちょっと違う、と分かったことがあるので、加筆修正しました(24/1/3)

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