帚木巻~雨夜の品定め・嫉妬深さと浮気性~
『「まだ若く、下級役人でございました時、愛しく思う女がおりました。容貌はたいして優れておりませんで、自分もまだ若く浮ついておりましたから、本妻にとまでは心を決めませんでした。頼りになる妻とは思いながら、物足りなくて、他の女のところにも通っていたのです。
この女が大変なやきもち焼きで、もっと大らかであったら良いのにと思いながら、一方で、物の数でもない私のことを見放しもせず、どうしてこんなにも思ってくれるのだろうと、気の毒になる時もございまして、自然と浮気心が鎮まるというふうでございました。
この女は、元は思い至らなかったり不得手なことでも、夫のために何かと工夫し努力する性格で、初めは気の強い女と思っておりましたが、次第に従順に柔和になっていき、容貌にも気を使い、身を慎んでおりました。性格も悪くはなかったのですが、ただ嫉妬深さだけは抑えきれずにおりました。
その当時思いましたのは、なんとか懲らしめて、この嫉妬深い癖を少しは良くしようということでございました。これほど私に従う気持ちがあるのなら、別れる素振りを見せて脅せば懲りるだろうと思いついたのです。それで、わざと薄情で冷淡な態度を見せると、いつものように、女が腹を立てて恨み言を言いますので、
『このように強情であるのなら、別れて二度と逢うまい。これを最後と思うなら、このような理不尽な疑いをすればよい。この先長く連れ添うつもりなら、辛いことがあっても我慢することだ。このような嫉妬深い心さえ消えたなら、たいそう愛しい女と思うだろう。私が人並みに出世して一人前になれば、お前は他に並ぶ者のない正妻となるだろう。』
といったことなどを声高に言いつのりましたところ、女は少し笑って、
『万事、見映えがせず、ぱっとしない時期を辛抱して、いつか一人前になるのを待つことは、不満ではありません。でも、あなたの薄情さを我慢して、いつかは改心してくれる日もあろうかと、当てにならない期待をしながら年月を重ねるのは、とても苦しいでしょうから、お互いに別れるべき時期なのです。』
と恨みがましく言うので、腹立たしくなって言い合いになり、
『それなら、今日こそ最後であろう。』
と、その場を立ち去りました。
本当に離縁するなどとは思っておりませんでしたが、何日経っても手紙もやらず、別の女のところを渡り歩いておりました。
臨時の祭の舞楽の練習で夜が更けて、たいそう霙が降る夜、めいめいが退出して別れるところで思いを巡らせると、やはり自分の家と思える所は、他になかったのです。
なんとなく体裁は悪いけれど、そうはいっても、今夜は日頃の恨みも解けるだろうと思っておりましたところ、灯をほのかに壁に向け、柔らかい厚地の衣を何枚か大きな伏籠にかけて、今夜あたり来るのではないかと待っていた様子です。やっぱり、と得意になりましたが、本人は親の家に行って留守でした。
歌も手紙もなく、張り合いのない心地でしたが、私の着る物を、いつもよりも気の利いた色あいや理想的な仕立てにしてあって、やはり私が見捨てた後までも、気をきかして世話してくれていたのでした。」』
この頃の夫の世話って、衣装を整えることだったようです。染色も自分でするんですね。と言っても、貴族女性が自分の手を染料で汚すようなことはしないでしょうから、使用人に指示して染めさせていたのでしょうけれど。衣装を縫うのは自分でしていたかもしれません。
その時期に相応しい生地を選んで、趣味良く染めて、縫い上げて、いつでも着られるように香を焚きしめて。来るかどうか分からない相手の為に、そんな準備をしておいたんですね。
ちなみに、伏籠は香炉の上にかぶせる籠です。その上に衣装を置いておくと、衣装に香の香りが焚き込められるというわけです。
『「それでも素直に仲直りは出来ず、意地を張り合っていた間に、女はひどく思い嘆いて、死んでしまいましたので、戯れ言もたいがいにすべきと思いました。
ひとえに頼みにする正妻としては、あの程度の女で良いのだと、思い出されてなりません。
ちょっとした戯れも実用的な事も、気軽に相談できましたし、染色の腕は龍田姫と言っても悪くはなく、裁縫の腕は織姫にも劣りませんでした。」
と言って、たいそうしみじみと思い出している。
中将は、
「織姫の、裁縫の技術の方はほどほどにして、長い夫婦仲の方にこそあやかりたいものだったね。その龍田姫の錦に及ぶものは、まあ実際ないのだろう。はかない花や紅葉も、その時々の色合いが相応しくないと、露ほどの見栄えもせずに消えてしまうものだ。(男女の仲も同じことで、男に合わせつつも際立った美点がないと、長続きしない。)それだから、世の中は難しいもので、はっきりこの女と決めかねるのでしょうね。」
と、話を盛り上げる。』
左馬頭さん、ちょっとお気の毒なようですが、自業自得とも言えます。気の毒なのは、亡くなった元妻さんの方ですね。大事にしてあげれば良かったのに。
それに対して中将くん、慰めてはいますがあくまで男性目線です。()の中の文章は、原文にありません。ただ、こういう解釈だよ、と言う現代語訳があったので、載せました。まあ、そうすると花紅葉の例えも意味が分かるんですが、女性側に問題があったような捉え方なので、釈然とはしません。一夫多妻制とは言え、何で妻側が一方的に耐えなければならないんでしょうか。
左馬頭さんの場合は、消えない後悔を抱えて生きるという罰を受けてますけどね。
そして次は一転、左馬頭さんが浮気をされます。
『「さて、同じ頃に通っておりました別の女は、人柄も優れていて、気質も本当に趣きがあると感じられて、歌を詠んでも文を走り書きしても、琴をつま弾いても、全て問題ないと感じておりました。見た目もまあまあ好ましく、嫉妬深い女に隠れて逢っておりました間は、格別に気に入っておりました。
女が亡くなって後、たびたび通うようになりますと、すこし派手好きで艶っぽく好色らしいのが気に入らないと思うようになりました。信頼できる女には見えず、逢うのも途絶えがちになりましたところ、こっそり心を交わした人があったようなのです。
神無月の頃、月の美しかった夜、内裏より退出する際に、ある殿上人の車に同乗しました。この人が『今夜は、私を待っているだろう女が、不思議と気にかかる。』と言うのですが、この女の家がまた、通り道であったのです。築地塀の崩れた所から、池の水に月が映り込んでいるのが見えて、月さえも宿る住処をこのまま素通りするわけにもいかないと、二人して車を下りたのでした。
菊がたいそう趣深く一面に色褪せていて、風に紅葉が乱れ散っているのなど、しみじみ美しいものだと思われました。
男が笛を取り出して吹き鳴らし、歌など口ずさむうちに、あらかじめ調えていた和琴を女が鮮やかに合奏していた様子は、悪くはないものでしたよ。男はたいそう感じ入って、簾のもとに歩いて来て、『庭の紅葉を踏み分けた跡もないね』などと女を悔しがらせます。簾越しに艶めいた歌を交わし、色っぽく振る舞い合うので、目を背けたい心地が致しました。
時々言葉を交わす程度の、宮中に仕える女房などが、風流めかして色っぽくしているのは、それなりに面白くもあるでしょう。しかし生涯の伴侶としますには、度を越していて信頼できないと、自然と気持ちが離れ、その女のもとに通うことは止めてしまいました。」』
秋の夜の情緒ある光景、とだけ思って読んでいましたが、この短いシーンにいくつか古歌が詰め込まれています。
雲ゐにて あひ語らはぬ 月だにも わが宿すぎて ゆく時はなし(by伊勢)
(あなたは我が家の前を通り過ぎると言うけれど、)雲上に居て、語り合うことのない月でさえも、我が家を照らさず通り過ぎて行く時なんてないわ
秋をおきて 時こそありけれ 菊の花 うつろふからに 色のまされば
(古今和歌集)
秋を過ぎてこそ菊は盛りだ。うちしおれていくほどに色の美しさが勝るのだから。
秋は来ぬ 紅葉は宿に ふり敷きぬ 道踏み分けて とふ人はなし
(古今和歌集)
秋が来て、紅葉は家の庭に降り敷くけれども、それを踏みわけて訪れてくれる人はいない(恋人の訪れがない)。
教養豊かな人たちは、これを読みながら、元ネタはあの歌だな、とピンと来たのでしょうね。
菊が色褪せているのを美しいと感じるなんて、平安貴族というのは本当に情緒というものに敏感だと思います。ただ、私が想像したのは、黄色の菊が萎れてきた光景だったのですが、この場面では、白菊が霜焼けで紫がかった情景らしいです。移菊と言って、真っ白な盛りの時期よりむしろ美しいとみる向きもあったとか。
原文では『菊いとおもしろく移ろひわたり』となっています。「色褪せる」というより「変色する」の方が正解かもしれません。
月と移菊と乱れ散る紅葉。こんな情景を「あはれ」と感じるのですね。
それにしても、これって浮気なんですかね。
左馬頭さん、既に心が離れて足が遠のいていたようだし、明確に結婚しているわけでもないようだし、新しい彼氏が出来ても別に良いのでは?
浮気は大目に見てよ、と言っていた割に、器が小さいですよ。
『「この二つの例を思い合わせますに、若い時でさえ、そのように艶めき過ぎていることは、たいそう不安で頼みにならないと思いました。今後は、さらにそうとしか思えなくなるでしょう。お二人は、心のままに折れば落ちてしまいそうな萩の露や、拾えば消えそうな笹の葉の上の霰などのように、男の気を引くようにか弱く、風流であることこそ面白いと思われるでしょうが、ここ七年あまりのうちに思い知りますでしょう。私ごときの卑しい者の諌めとして、好色で浮気性の女には用心なさいませ。そういう女は間違いを犯して、相手の男の愚かな評判までも立てるに違いないものです。」
と忠告する。』
『艶にあえかなる好き好きしさ』って、なかなか難しい表現です。
『艶なり』優美で風情がある、または洒落ている、またはなまめかしい。
『あえかなり』かよわい。
『好き好きしさ』好色である、または風流(華美)である。
人物像が思い浮かびません。
華があって色気があって、異性を惹きつける魅力を持っているように見えるけど、誰にでもなびきそうな軽い人なら止めておけ。多少地味で面白みに欠けても、堅実な人を選べ。と言いたいのでしょうか?
まあ、これは男女問わず、時代も問わず、そうなんでしょうね。
それにしても、ずいぶんきっちり区切りましたね。なぜ七年?なんだか予言のようです。
左馬頭さんの長い語りは終了です。
次は頭中将の体験談になります。




