第一話 科学教の神様
剛君は科学が大好きなまま成長して、小学生になった。今も科学者になるという夢は変わっていないみたい。
そんな剛君の今日の学校生活を覗いてみようか。一時間目の授業は社会だ。つい今しがた、キリスト教が日本へ伝来したところだ。
「先生、神様はいるの?」
剛君は質問した。
「う~ん難しい質問だね。残念ながらわからない。ただね、宗教にとって神様というのはとても重要な存在だけど、いるかいないか?っていうのは実はそんなに重要ではないんだ。信じるか信じないか?こちらが重要なんだ」
???どういうこと? 先生の回答に剛君は困惑した。
「先生は宗教の専門家じゃぁない。だからこれは先生の持論みたいなものなんだけど、宗教が流行った時代は今よりもずっと生活が不安定で明日への不安がとても色濃かったと思うんだ。たとえば、この時代の日本は戦国時代だ。年がら年中あちこちで戦争をしていて、人々は本当に不安だったと思うんだ。」
先生の語りを聞いて生徒たちは戦国時代の暮らしを想像しはじめた。
「そんな中、神様という絶対的な存在がいるとして、それを信じることができたのなら、すごく心の支えになったと思うんだよ。そしてその絶対的な心の支えを持つことができたのなら、日々の不安をある程度は克服できたんじゃないかな?不安を克服できた人間と、不安なまま生きている人間では、行動力や生活力に大きな差が出てきたと思うんだ。つまり、今の君たちに例えるなら、不安でいっぱいの気持ちでテストを受けるのと、『僕には神様がついているから大丈夫』と心を落ち着けた状態でテストを受けるのでは、同じ知識量でも点数は変わってくるかもしれない。ってことさ」
「なるほど、なんとなくわかったよ。でも、存在を証明できないものを『ある』と信じるのは難しくなかったのかなぁ?」
「『存在しないこと』の証明もできないだろ?現代の科学力を以てしても神様は否定できない。ただ、肯定もできないんだけどね。」
先生の回答は、とても曖昧なもので、剛君はなんとなく不満そうに見えた。ただね、イエスとノーで答えられない問題のほうがこの世には多いのかもしれないね。特に文系科目においては。
「『存在を証明できなくても信じる』これは一見難しいようで、実はとても簡単なんだよ。剛君だって、実は既にできていることなんだ」
剛君は先生の言葉にとてもびっくりして言った。
「え?ほんとに?」
「例えば『教科書に書かれていること』はどうだろう?聖書に書かれていることは信じられなくても、教科書に書いてあることは信じられる」
剛君は先生の言っていることが理解できない面持ちだ。
「たとえば地球が丸いって話は知っているかな?それは教科書に書いてある。でも本当に丸いかどうかは世界一周旅行でもしてみないとわからない。君は世界を一周したのかい?それとも教科書に書いてあることを信じたのかな?では、なぜ信じたのか?学校の授業や教科書が嘘をつくわけない。そう思っていたからだ。なぜそう思ってしまったのか?それは宗教の代わりに科学を信じているからかもしれないね。現代の日本の教育は科学教の教えを流布しているともとれる。神様の存在を明確にしていない、とても珍しい宗教だ」