風邪をひいて隣に住む美少女が看病に来てくれても、僕は女性に免疫がないのでさらに拗らせて悪化するだけです。
「うう…頭が痛い」
春。出会いの季節。
爽やかな風と共に桜が舞い散る頃。
僕はそんな外の景色とは裏腹に…
じめっとした暗い部屋の中で1人、病に伏していた。
―――まあこうなったのは、サークルの新歓で飲み過ぎたことが原因である。
いきなり羽目を外し過ぎちまったぜ。
心配してくれる仲間もいることだし、僕の目の前にはバラ色のキャンパスライフが!!!
…とか、言ってみたい人生だったな。
実際のところは、陰キャで地味な僕には、新環境でも当然の如く友人はできず、目まぐるしい日常と慣れない一人暮らしによる疲労から体調を崩した、というなんとも情けない理由である。
挙句の果てに、先日は財布も落としてしまい、意気消沈しているところだ。手元に現金はなく、こんな状況と体調では、何もする気力が出ない。
そして、大学デビューに見事に失敗した僕には、当然のことながら、看病してくれるような知人はいない。
『ああ…優しくて可愛い女の子が隣に住んでいて、看病してくれるなんてイベント、起こらないかなあ』
頭が重く、意識がもうろうとしていることもあり、ついそんなくだらないことを考えてしまうことくらい、許してほしい。
しかし、そんな夢のような出来事は、当たり前だけど起こるはずがないわけで。
―――そもそも、僕の隣の部屋に住んでいるのは、男なのだから。
近隣にいくつかの大学が隣接しているこの地域には、多くの学生が住んでいる。
僕が暮らしているこのアパートもその1つであり、僕はこの春からここの1室を借りて、初めての一人暮らしで悠々自適な生活を堪能する…予定であった。
まあ、開始早々半月で、早くも力尽きようとしているわけだが。
おそらくだけど上下と右隣の部屋にも、僕と同じように学生が住んでいるものと思われる。
居住者の入れ替わりが激しいからこそ、入居したときの挨拶とかも全然ないし、たまたま敷地内ですれ違ったら会釈する程度で、ご近所づきあいも特にない。
まあ、そんな環境も、僕みたいな陰キャにとっては、かえって居心地の良いものだ。
ストレスの原因となることがないのだからな。
しかしながら、こんな風に体調が良くないときは、人恋しくなってしまうあたり、僕はつくづく自己中で、面倒くさい性格をしているな、と思う。
さて、話は戻るが、残念ながら隣に美少女は住んでいない。だからそんなイベントは起こらない。
これが現実である。
そもそも、この半月の間で、隣の住人とは1回しか顔を合わせたことがなく、どんな人なのか僕はよく知らないのだが…
他者への関心が薄い僕でも、一度しか見ていないはずの彼の容姿はとても印象深いものだった。
隣の住人はずばり、めっっっっっちゃイケメンなのだ。
清潔感があり、高身長で、スタイルが良い。つり気味だが決して怖い印象を与えない眉と鼻筋の通った横顔は、男の僕からしても思わず惹きつけられる魅力があった。
そんな彼はどういうわけか、家の前でしきりにあたりを見回したのち、おそるおそる鍵を回していたのが印象的だったが、きっと見かけによらず、慎重な性格なのだろう。
―――こうやって、どうでも良いことをぼんやりと思い出すくらいしか、今の僕にはできることがなかった。
そんなときだった。
『ピンポン』
玄関のチャイムが鳴ったのは。
「はあ…」
―――思わずため息が出た。
こんな時に宅配の受け取りかよ…
しかし、宅配業者に罪はない。
重い身体をなんとかして起こし、印鑑を握りしめてゆっくりと扉へ向かう。
このとき、僕は玄関に誰が立っているか確認を怠った。
いつもならちゃんとチェックするところだが、病に蝕まれた僕にはそんな気力なんて残されていなかったのだから、仕方ない。
そしてそのせいで、ドアを開けた僕は、驚きのあまり絶句することとなるのだ。
―――呼び鈴を鳴らした張本人として、僕の目の前に立っていたのは、まるでこの世のものとは思えないような、とびきりの美少女だったのだから。
「…!!…う、あぁ、…」
意識がもうろうとして、ついに幻覚まで見るようになってしまった僕は、ショックのあまり、そのまま…
本当に意識を失った。
♢♢♢
「……ん、あ……」
気がつけば、僕の視界には見慣れない天井が。
―――ではなく、この天井は先日からの新居のもので…
えーっと、これはつまり…
左手には小さくて柔らかくて温かな感触があって…
ふと横を向けば、僕の手を握って心配そうな表情を浮かべるとびきりの美少女がそこにいた。
『あっ』
この瞬間、僕はついにあの世へと逝ってしまったことを悟った。
思えば寂しい人生だった。
中学高校と一貫校の男子校で陰キャとして青春を過ごし、彼女がいたことはないどころか同年代の女性と会話をした経験すら記憶になく、数名の二次元オタクと陰でひそひそとつるむだけの毎日。そんな自分を少しでも変えたいと、羽を伸ばしてこの地へ来たはずだったけど…。
現実はそんなに甘くなくて。
周りを行き交う男女はあまりにも眩しすぎて、まるで僕と同年代の、というか同じ種族の者たちとは思えなかった。
シミュレーションゲームで培った会話スキルも、選択肢が出なければでまるで役に立たなくて。
リアルなんてバグだらけのクソゲーだって思うことで自分を慰めて。
―――その結果がこのザマよ。
しかし、人生の最期にこんな夢を見ることになるとは、な…
神様は優しいのか、それとも残酷なのか。
「…あっ!その、えっと、目が…覚めました、か?」
目の前の美少女は、僕の手を握ったまま、少し取り乱しつつも、優しい声で僕にそう問いかけたのだった。
♢♢♢
体調が悪いせいで、ろくに返事すら出来ないのだが、まあこれも全部夢なのだし、相手に失礼だとか、そんなことは考えなくても良いだろう。
彼女によれば、僕の学生証が入った財布を偶然アパートの入り口の隅で拾って、それを届けにきてくれたところ、いきなり僕が倒れそうになるものだから、慌てて僕の部屋に一緒に入ってくれて、ベッドに倒れた僕の額に、濡らしたタオルを乗せてくれていたようである。
なお、僕は一応なんとか自力でベッドに戻ることが出来たそうだが…
いや、まるで記憶にないな。
このあたりも夢だから、設定がガバガバなのだろうか。
流石に彼女に運んでもらったとかだったら、情けなさ過ぎてどうしようかと思ったけど。
神様も僕のちっぽけな男としてのプライドを傷つけないくらいの配慮はしてくれたようである。
しかし、体調が悪いのは何とかならないものか…
そんなところのリアリティは、求めていない。
「あの、お台所をお借りしてもよろしいでしょうか?」
彼女は相変わらず耳がとろけそうな優しい声で、僕に語りかけてくれる。
声まで可愛いとか、なんだよこの生き物は。
まるで僕の理想を具現化したような彼女は、いや、これは僕の死後の妄想の世界だから当たり前かもだけど、僕の好みドストライクで…
「ああ」
ぶっきらぼうに返事を返すのがやっとで、どう見ても僕のために何か料理をしてくれようとしている彼女に、僕はお礼の1つも言えなくて、そんな冴えない男が、僕なのである。
結局、少し長めの髪をポニーテールにして、エプロンを付けて台所に立つ彼女の後ろ姿を、ただぼんやりと眺めて、見惚れることしかできなかった。
しばらくすると、台所に立っていた美少女がこちらに向き直り、鍋のような何かから取り出して、盛り付けたお皿を持ってきたようだった。
遠くの台所にぼんやりと見えるのは、僕の母が一人暮らしをするならと一式用意してくれた調理器具。
僕もはじめこそ乗り気だったものの、色々と余裕がなくて出しっぱなしになっていたのだが、正直何が何だかわからない、というか、結局料理をしたことがないのだから、わからなくても仕方ない。
彼女のような美少女に利用されることが出来て、きっと調理器具たちも本望だろう。
そんな僕の目の前には、熱々の料理が…お粥?だろうか。
熱々で用意されてきて、感動ものである。
「簡単に作ったので、お口に合うかわからないですけど…」
そんなことを言われても、こんな美味しそうな匂いが漂っていて、口に合わないはずがない。
というか、簡単とか言われても、僕がやったらこんな上手くできないに決まってるし、何から何まで、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
―――これは本当に、夢、なのだろうか。
少し自信なさげな顔で僕のことを覗き込む彼女を前に、僕はスプーンでお粥を一掬いし、口に運んだ。
「…!熱っ!!!」
思わず吹き出しそうになり、何とか口の中にそれをとどめることができたけど、意識がぼんやりとしていて頭の悪い行動を取ってしまったせいで、僕の目の前の美少女の顔は申し訳なさそうに歪んでいく。
「…!!あの、す、すみません!私、気が回らなくて…」
そうやってスプーンを手にしようとする彼女を慌てて制し、自分で食べられるから、と言って、今度は注意深くお粥を口にする。
美味い。
ただのお粥ではなく、なんだろう。料理に疎くてよくわからないけど、卵とか入ってて、優しい味がする。
これが簡単に作ったなんて言葉で済ませていいわけがない。
見ず知らずの僕のためなんかに、こんな…
彼女の優しさが身に染みていく。
一口、また一口とスプーンを動かすたびに、少しずつ気力が戻ってくるのがわかる。
それと同時に、さっきまでは夢だと思い込んでいたこの状況が、現実であるということを少しずつ感じていく。
まるで魔法のように、自分の身体に気力が湧いていき、それと同時に高まっていく僕の心臓の鼓動。
そんな僕の様子を、ポニーテールを左右に揺らしながら、優しいまなざしで見つめている目の前の女の子のことが…
気になって仕方なくて。体調は良くなっている気がするのに、身体から熱が逃げてくれない。
―――いや、そもそも、いくら彼女の料理が美味しいからって、こんな短時間で体調は回復するものなのか?
僕は自分に問いかける。
そして、これ以上情けなくて無様な姿を彼女の前で晒したくないと、男として僅かに残されたプライドが、自分自身を奮い立たせようとしているからである、ということに気づいたとき…
僕は、名前も知らない、だけど優しくて可愛らしい彼女に、どうしようもなく惹かれてしまっていることに気がついた。
……ああ、僕という人間は、なんて、チョロいんだろう。
そんな彼女に僕は、せめてお礼を伝えたくて…
「ごめん。…いや、ありがとう」
「どういたしまして」
僕の口からは、気の利かないありふれた言葉しか出てこなかったというのに、彼女はにっこりと微笑んでくれた。
その表情はまるで女神のようで。
―――きっと僕は、一生忘れることが出来ないだろう。
♢♢♢
お粥をすっかり平らげた後も、彼女は僕の傍にしばらく付き添ってくれた。
相変わらずろくに会話もできない僕だが、それはきっと、熱のせいだと思いたい。
彼女はまるで僕の心を落ち着かせるかのように、優しい声で、色々とお話をしてくれた。
財布を拾ったときのこととか…。これからは気を付けてくださいね、と注意してくれているその言葉すらも愛おしくて、ずっと彼女に甘えていたいような気持ちになった。
そういえば、彼女は話の途中で、隣に住んでいる、とか言っていたけど…
いや、隣に住んでいるのはあの高身長イケメンのはずだろう。
どこをどうやっても、こんな華奢で可愛らしい姿に化けることはできるはずがなく…
これはやっぱり夢なんじゃ…
一人暮らしをしたくて、私も右も左もわからないけど頑張ってる最中だとか言って、私たち一緒だね、って、彼女は微笑んでくれた。
お互い頑張ろうね、なんて言われたけど、僕なんかとはスタートラインが違い過ぎて…
彼女には何の罪もないのに、その言葉は僕にただただ劣等感を抱かせるだけだった。
実家も大学へ通えないほどそう遠くはないみたいなのに、あえて一人暮らしを選択する彼女の自立した姿に、心を撃たれた。
容姿が浮世離れしているだけじゃなくて、僕なんかとは根っこの意識の持ちようから全然違っているんだなって。
そう考えると、今目の前にいるはずの美少女が酷く遠い存在に思えて…
最後に、安静にしていてくださいね、と言葉を残し、彼女は去って行ってしまった。
行ってしまった、とか言っても、結局僕は夜遅くまで面倒を見てもらってしまい、頭が上がらない。
しかし、寂しくてつい、もう少し一緒にいてほしいと…
流石に図々しくて口にはできなかったけど、僕の心はもう完全に彼女の虜だった。
ベッドの横には、彼女が拾ってくれた財布が置いてある。
結局起き上がることが出来ずに、彼女のことを見送ることすらもできなくて、玄関の鍵は開いたままになってると思うけど、そんなことはどうでも良くて…
誰もいなくなった部屋には、まだ女の子の優しくて甘い香りが残っている。
そういったことは、さっきまでの出来事が現実であることを意味していて…
瞼を閉じて眠ろうとしても、彼女の顔が浮かんできて、また僕の心臓は激しく脈を打つ。
これは風邪が治っても…
重複感染した『恋』という別の病は、当分回復の見込みがなさそうだ。
♢♢♢
僕の身体はもう1日もすれば、すっかり元気になっていた。
入学早々、講義を休み続けるわけにはいかないので、今日から再び、大学へ通うことにする。
少し面倒だなという気持ちはあるものの、しかし先日までのような気怠さはなく。
どこか晴れ晴れとした気持ちで、頑張ろうと思えるのは…
間違いない。あの日見た、彼女の笑顔のおかげだ。
僕は久々の講義の帰り道、『やっぱりちゃんとお礼をした方が良いよな』と、つまらないものとはいえ、お菓子の詰め合わせを購入した。
これを持って、彼女と再び対峙する場面を思い描いては、今までの人生で感じたことのないような高揚感で、胸がいっぱいになった。
そんな浮ついた気持ちを抱いたまま、僕は自宅のアパートへと帰宅する。
僕の住む部屋は建物の構造上、角にあるから、隣といったらこの一室しかないわけだけど…
こうして改めて、扉の前に立つと、緊張する。
なかなか呼び鈴を押せない。
しかし、なんとかして勇気を振り絞る。
ピンポン
すぐに、奥の方から、女の子の可愛らしい声が聞こえる。
それは、先日耳にした、あの女神さんの声と同じで。
しかし、心なしか、先日よりもテンションが高い気がした。
―――この前は僕の体調が悪かったから、感じ方の違いだろうか。
だけど、今日の彼女の声は、更に可愛らしく聞こえて…
「…もうっ!いっくんたら、また合鍵忘れてっ!……って、え、…!?」
慌てた様子で姿を現した彼女は、今日もとびきり可愛かった。
しかし、彼女の言っていることにはまるで理解が及ばなくて…
状況が飲み込めずにいたのは、彼女も同じだったようで。
扉を開けて僕と顔を合わせた途端、彼女の声は尻すぼみとなってゆく。
「…あ、え!?…あ、あの、お隣さん…!!」
彼女の整った顔が徐々に、こわばっていくのがわかる。
一瞬、僕は何が起こったのかわからなくて、バカみたいに口をパクパクさせていたら、すぐに後ろから声が聞こえてきた。
「わり、ちょっとコンビニ寄ってたから遅くなったわ。…ん?この方は…?」
―――振り返れば、あのときの、めっっっっっちゃイケメン高身長なお兄さんが、僕の真後ろに立って、僕のことを見下ろしていた。
彼の表情は、まるで恐怖とかは一切感じさせない、穏やかなものだったけど…
一刻も早くこの空間から離れたくなった僕は、慌てて挨拶を済ませると、逃げるように隣のドアへと駆け込んだ。
どれくらい時間が経っただろうか。
しかし、まだ僕の心臓は鳴り止んでくれない。
すっかり舞い上がって、あのイケメンくんのことを忘れていて、僕は馬鹿だ…。
ちょっと考えれば、すぐに想像がつくことだったのに。
これは、なんて恐ろしい病気なんだろう。
正直、どんなふうに挨拶をしたのかすら、思い出すことができない。
もしかして、失礼をしていないだろうか。
しかし、恩人に対する態度とか、本当は大切にしなきゃならないことが、確かにあったはずなのに。
心が弱い僕は、何もかもが急にどうでも良くなって。
―――現実ってそういうものだろ。
「…ハハ」
乾いた笑い声が、誰もいない部屋で響き渡った。
お隣さんの方から、男女の声が夜遅くに聞こえてきたのは、その日が初めてだった。
薄い壁が1枚だけではどうしても防音できなかったようで、結局一睡もできなかったのだけど、寝不足でまた体調を崩してしまったのは…
僕の自業自得だよな。
…ハハ。ハハハハハ。
風邪を引いて、看病するorされるから始まる出会いって、ロマンチックでいいですよね。
『これまでヘタレていた高身長イケメンの俺、玄関での会話を聞いて実は大切な彼女が無防備にも見ず知らずの一人暮らしの男性宅に入っていたことを知り、それをきっかけに焦ってちょっと彼女に意地悪したくなって、コンビニでついでにこっそり買っていたあれをそれして一気に大人の階段を登ることができました』ってハピエンのはずだったのに。
どうして設定する主人公を間違えてしまったんだ…!
あっ、それだと出会いのきっかけが看病にならないのか(^^;)
感想や☆☆☆☆☆、ブクマ、あと何がいいのかわからないけどいいね(笑)とか頂けると励みになります。あと、BLに期待して読んでくれてた人がもしいたらごめんなさい。
クリスマスは、ハッピーエンドにするんだ…