001.勝たんしか推し
そよ風が、頬をなでる。
「……」
震えるほど美しい形姿。黄金のように光る、金色の髪の少女が、目の前にいた。
ずっと、会いたくて、愛おしくてたまらなかった少女ーーー。
「……殺す」
その少女の長い髪が自分を縛りつけ、さらに初対面のはずなのに、いきなり殺人予告をされるという最も奇怪な状況に、三雲カイトは陥っていた。
=============================
時は、約一時間前に遡る。
「あの! 急にごめんなんですけど、あの……」
ここは、学校の屋上ーーなんてベタではなく、古びた本屋さんの前。でも、屋上にでもいるような心持ちである。
そして、向かいには、単刀直入に言わせてもらって、かなりのゴリゴリ系男子。
殴られでもしたら、紙切れのように吹き飛ぶ自身しかない。一億円かけてでも、そう言い切れる。(つまり、賭けに負けたら一生牢屋暮らしなのは否めない)
そんなゴリゴリ男子が頬を赤らめる姿は、ゾッとするものがある。
嫌な予感が背筋を伝い、ゆっくりと後ずさる。伸びた黄金色の髪が頬をかすめ、髪を切っておけばよかったと絶望する。
長く伸びた髪。黒目がちな瞳。長いまつげ。これは詰んだ。詰みすぎて、もう絶体絶命というやつだ。
「あの、待ってくれ、伝えたい事があって」
本能に従い、そそくさと去ろうとしたが、そのゴリゴリ男子は逃してくれなかった。
熱っぽい目で見つめられ、最悪の状況だとかろうじて飲み込む。
彼は少し息を吸い込んだ。そしてーー
「いい今見た瞬間からずっと好きでした! め、めっちゃかわいくて、一目惚れっす! つつ付き合ってくださいーー!」
「うああやっぱそうじゃんけーー!!」
その言葉に、即座に絶叫で応答をする。
想像していた声、いわゆる『カワボ』ではなかったのだろう。ゴリゴリ男子が眉をひそめる。
それは当たり前だ。だってーー
「あの、マジいい雰囲気壊して悪いんだけど……」
へっぴり腰で、告げる。
「俺、男なんだよね……」
「……」
ダメ押しで舌を出し、必殺テヘペロをかます。
硬直状態のゴリゴリ男子の顔に、血管が数本浮いたのを確認。体、180回転。逃げる準備、完了。
「……ふ、ふっざけんなよおおおおォ!!!」
「ご、ごめんなさいいーー!?」
半泣きで、逃走劇が開始する。
三雲カイト。彼の悩み、それは、
女子だと間違われることなのだ。
=============================
「……ふ、み、見事な伏線回収。伏線立てる商売したら金稼げそう……」
ーーー十分後。
ゴリゴリ系男子を巻き、カイトは道端にふらふらと倒れこんだ。
先程一億円をかけた『紙切れのように吹き飛ぶ』威力の拳は、なんとか避けることができた。
しかし、逃走劇の最中、ゴリゴリ男子が建物の壁を叩いたときの威力で、壁が一部損壊したときは、自分の見事な伏線回収の仕方に感服すると共に、死を覚悟したほどだ。
「にしても、ほんと、損な人生だわ……」
長いまつげをしばたかせ、カイトはため息をつく。
いっそ、自分が女子に生まれたのなら、ウフフアハハな天国状態だったのに。
現状としては、異常に男子から好かれまくるかわいい系男子だ。
この顔のせいで、女子は気味悪がって近づかず(嫉妬されているのかもしれない)男子は、カイトが男子だと知った途端にフルボッコだ。もちろん、友達はゼロに等しい。
ーーいや、いる。
すっ、と誇らしげにポケットに手を滑らす。紙に触れ、それを引き出す。
「今日もかわいい、唯一の友達兼彼女、ユイ様!!! そろそろ初対面、にやけが止まらん」
それは、漫画のキャラクター、『ユイ』だ。輝く金髪に空色の瞳。短いクリーム色のスカートからはみ出る細い脚は、思わす頬ずりしたくなる白さだ。
紙は、漫画の宣伝用紙を切り取ったもの。登場人物の紹介ページを破って、肌身離さず持ち歩いている。寝るときも学校へ行くときもトイレも、リアル24時間肌見放さずだ。
その漫画は、なんと今日発売の、既に話題沸騰中の漫画、『マジカル』だ。
『マジカル』は一言でいうと、「魔法ファンタジー漫画」である。
宣伝内容によると、選ばれし人は、それぞれが特別な『魔力』というものを持つらしい。それを発動するには『代償』が伴うらしく、一度に使う魔法がある一定の量を超えると、代償が支払われてゆくとかなんとか。それ以上はかかれていないため、わくわくでカイトの心臓はなりっぱなしだ。
しかし、発売前の漫画がここまで話題になることは、ほぼないと言ってもいいだろう。
それならば、なぜここまで話題になっているかというと、それは明確だ。
それは作者の、「謎発言」のせいだ。
『最後にわらうのは、漆黒の創造神だろう』
そう、ネタバレとも思われるセリフが話題となったのだ。それも普通の状態ではなく、指で乱暴に書いたような字体で、広告に大きくのったのだ。
これは匂わせなのか、宣伝文句なのか、ネタバレなのか。
その興味心から、発売前からネットはお祭り騒ぎなのだ。
「そしてなにより……キャラが、かわいいっ!」
そう。そして極めつけは、とにかく美男美女揃いなのだ。宣伝の広告が出た時点で、カイトは推しを決めていた。
「ユイ様……マジ・神」
それはもちろんユイ。カイトのたった一人の友達であり、推しでもあるわけだ。
「空色の瞳! 輝く金髪! 大きな目、胸! 透き通る肌! やばい、最高だ!!」
カイトは、脳内のユイに悶絶する。
「んで、そのユイ様の美貌を堪能しようと本屋へ向かったら、この様。クソ、ゴリゴリの野郎、次あったら心のなかで悪口喚き立ててやる」
あくまでも、心のなかで、だ。口に出すことは遠慮することにする。でなければ、数秒後にはあの世行きだ。
「よし、今からでも遅くない、本屋さんへ行って、ユイ様に会いに行くっ!」
そもそも、本屋さんの前から立ち退くことになったのは、あのゴリゴリ男子のせいだ。ますます怒りが募るが、ユイへの愛で、どうにか収めた。
「どんな性格で、服装で、性癖で、動きなのか。くっ、きっと優しくてかわいい声で、世界を救うんだ……」
そう、期待に心を膨らませ、大きな一歩を踏み出した瞬間。
ふいに、目の前を誰かが通りかかった。
普段なら、全く気にしないだろう。長年周りから様々な視線を受けているカイトには、様々な面でのスルー機能が備わっている。
しかし、今日は違った。
ーー金髪だったのだ。
「髪の長さ、天然パーマ、ツヤまでユイ様と一致なんだが……そっくりさんか?!」
その後姿は、推しである(広告で見ただけだが)ユイと重なっているのだ。カイトは身長175cmだが、彼女は自分より数センチ低い。
「タイプはちょい身長低い人。つまり、君だよ、ユイ!」
カイトは心のなかでささやきながら、どんどんと離れていく少女を見る。カイトに迷う理由は、さらさらなかった。
「これは、運命。定め。赤い糸、そういうやつだ!」
カイトは、その後ろ姿を追うことにした。
彼女は足が意外と早く、どんどんと進んでいく。
近づけば近づくほど、後ろ姿からも伝わる透明さ、美しさ、尊大さを感じる。カイトには、その金髪の少女がユイにしか見えなくなっていた。
誰かがこの情景を見たら、ストーカーの疑いで署に連行されかねないことだ。しかし、まだ中身も性格も知らない、推し。知らないからこそ、カイトはどうしても追いかけたくなったのだ。
しかし、このカイトの変質極まりない一歩が、カイトの人生を大きく狂わせようとは、誰も予想だにしなかっただろう。
しばらく少女を追うと、カイトは人気のない路地へ出た。
「どう声かけよう。『君の美しさに心を奪われちゃったよ、ユイ』か? いや、『迎えに来たよ、ユイ、好きだ』うん、完璧」
妄想で満たされたカイトの脳内は、常に変質方向へ曲がりつつある。また、三次元の人間への恋愛経験がないカイトの情報源は、カイトの妹からこっそり拝借している少女マンガだ。もちろん、恋愛知識もそこからであり。
「かべどん、ってやつがしたい! きすもしたい! ユイ様、待ってろ!」
カイトが抑えきれず駆け出す。するとその金髪の持ち主は、まるで意図するように、くるりと曲がり角を曲がった。もちろん、カイトも後をたどる。
そして。
「あれ……っ、消えた!?」
確かに曲がったはずの、金髪の少女が見当たらない。
「マジかよ。もしかしかして、本当に漫画から飛び出してきてたりして……てか、この広告でしかユイ様見たことないけど」
カイトは頭をかきながら、あたりを見回す。
「よく考えたら俺、ただの変態ストーカーじゃん! 恥ずかし!! てか、ここどこだ。この街には産まれた時から16年間お世話になってるが、こんな場所はじめて……って、なんだこれ!?」
ふと振り返った先になにかがあり、カイトは後ずさった。その後、恐る恐る、近づいてみる。
それは、ガチャガチャのような怪しいものだった。
「っていうと、俺がガチャガチャに怯えてるみたいになるんだよね。でも、さすがにこれは……」
カイトは、恐る恐る『ガチャガチャのような怪しいもの』に近づく。なぜ怪しいかというと、
「この世のどこに、木で出来てて、しかも葉っぱ生えてるガチャガチャがあるんだよ……」
その『ガチャガチャのような怪しいもの』は、木でできていたのだ。それだけではない。ところどころから枝がはみ出し、葉を茂らせている。
「これは、木と一体化してんのか? なんなんだこれは。てか、レバーあるし。てか、何のガチャよ!? 金入れる場所もなし! 回したら爆発するとか、ないよね? やだ怖い」
後ずさろうとし、カイトはふいに体が前に押し出されるのを感じた。手が、ゆるゆると持ち上がり、レバーに乗る。
「え、これ、俺? 俺の意思? なに、無意識に興味心で手が動いた?」
どきどきと鳴る心臓を空いた手で抑え、カイトは、目を輝かせた。
「そういう感じね! もう一人の俺的な!? ここで諦めるなカイト、冒険へ踏み出せ的な!?」
カイトは物語の主人公にでもなったつもりで、手に力を込めた。わさあ、とレバーにも生い茂る葉が音を立てる。
ふと、葉の形が特徴的なのに気づく。不格好だが、葉は5つの三角形を五方向に伸ばしていた。つまり、星型だ。
無論、カイトには『きゃー、星型、かわいすんぎ!』なんていう女子心はない。見た目は女子でも、心は毛の生えた堂々たる男子だ。
カイトは特に気にすることなく、レバーを握りしめた。
「まさか、変なものじゃないだろ、ユイ様似の金髪美少女に会えた記念! ここでお陀仏なんてことはないでしょ……ってことで、うらああー!」
思いっきり、レバーを回した。
「爆発三秒前、なんつってーーーー……っ!?」
ごろん、という音が響く。なにか、石のような、重いものが落ちる感覚。
その瞬間、がこん、と視界がゆがんだ。
「え、まっ……っ」
視界が真っ黒に塗りつぶされる。
意識が薄らいでいく。消えていく。
「ーーーいらっしゃい。私の救世主」
そう囁く声が、カイトの意識を完全に奪った。